心葉堂の蒼①―食べ物がしゃべるはずない―
食べ物がしゃべるはずない。
クコ皇国の外から来た人間は、大抵この一言を得意げに口にする。一生懸命に『しゃべる』の意味を説明する蒼月を鼻で笑うおまけ付きで。
至極同然、世の常識、当たり前の事実。いくつもの表現が、蒼月にぶつけられる。
だが、浄化物質使いが多いクコ皇国では、『しゃべる』という表現は必ずしも字面通りの意味ではないのだ。
アゥマ使いとは、食物や異形除けの札などの浄化対象物質をいじる職人のことだ。例えば、蒼月の両親が経営する茶葉を扱う心葉堂なら、アゥマと共鳴し、個人の体調や環境にあわせて茶葉や薬葉を浄化・調合をする。
六歳の少女である蒼月にとって『しゃべる』とうのは、あくまでも表現のひとつなのだ。そんな蒼月が店に来た人間に、
「あのね! とっておきを教えてあげる! おかーさんと、おじいのじょーれんは、アゥマとおはなししてるんだよ!」
と意気揚揚と母親と祖父の共鳴力を自慢をする。これがクコ皇国――特にこの首都に住まう者なら、蒼の多彩な表現に興味深く耳を傾け、思いがけない表現に膝を打つものだ。
けれど、外から来た人間のほとんどは、蒼月に同じような顔を向ける。程度は違えども、ほとんどは『何を言っているのだ』とか『子どもの妄想はうざい』というものだ。
蒼月はその度、おもちのような頬を膨らませる。大人ってどうしてそんな風に自分が見えている世界以外のものをきっぱり否定できてしまうのだろう、と。
大好きな父が店じまいをしている傍で、蒼月がその疑問をぶつけた時には、
「言葉というのは不思議でね。言葉じゃないと伝わらないこともあれば、言葉では表現しきれないこともあるのだよ。蒼月だって、ワクワクやソワソワを感じた時に、全部をみんながわかってくれる音にできるかな?」
なんて困ったように微笑まれてしまった。
「あおなら、あおが知らないのをおしえてもらえるって、うれしいもん」
「蒼が大好きなアゥマにも個性があるように、人間だってそれぞれに感受性を持っているからね。お父さんはそんな風に考えられる蒼がとても好きだけれど、自分が思うことをだれしもに共感してもらえると思ってはいけないよ?」
「……あお、わかんない」
ぷいっとそっぽを向くと、父親には言い聞かせられる口調で「蒼月」と本名で呼ばれた。父がちょっとばかり厳しめの声になる時の呼び方だ。
蒼は店先の椅子に腰掛けて、無言でブラブラと足を振ってしまう。
だって、言葉で伝えても目で見ても、物事の真ん中にあることは同じだ。それは六歳になったばかりの蒼でもわかる。なのに、どうして、もっともっと色んな世界を知っている大人に伝わらないのだろうと、唇が尖っていく。
といっても、実際のところ蒼自身もまだ直接茶葉たちと『おしゃべり』をした経験はなく、両親や祖父たちから聞いただけだったので、強く反論もできなかったのだ。
「でも、そっか、たしかに」
蒼は頷きもした。
「あら、珍しく納得したのかしら」
「だってね、おかーさん。そりゃー、おさらのニンジンや玉ねぎをおはしでぶっさしておいて、『たべてもらえて、うれしい、やっほー!』ってわらわれても、あおだって『はい、そうですね。それじゃーおいしくたべるね!』なんて、むしゃっとできないもん」
「……これはおじいの影響ね。あなた、ちょっとおじいを呼んできてくれるかしら?」
笑顔で父親にすごむ母親は、正直怖かった。だから、蒼もそれ以上は口をつぐんだ。
(でもでも、わたしはしゃべるって思ったんだもん)
淡藤色の長い髪を揺らしながら、やっぱり鬼灯顔負けに頬を膨らませたのだった。
✿✿✿
「うぃっくしゅ!」
普段感じることのない冷気に、蒼から大きなくしゃみが飛び出た。小さな手で鼻をくしゅくしゅと擦る。
だるま顔負けに着膨れているのに、予想以上に肌を刺す寒さに身体が震える。普段は両横結び(ツインテール)にしている結紐を解いているが、襟巻きを置いてけぼりにしたせいだろう。
「ひゃっひゃっく――!」
慌てて両手で顔を覆いしゃがみこんで、くしゃみを堪える。
恐る恐る周囲を見渡し、静かなままであることに息を吐いた。庭に点在している灯籠のおかげで視界は良好だが、同時に自分が見つかりやすい状況なのは、幼い蒼にも理解できている。
「あぶない。おじいやおにいちゃんに見つかったら、すぐに寝台につれてかれちゃうよ」
蒼はおませな口調で呟いた後、もう一度、今度は少々わざとらしくため息をついた。五歳上の兄である紅を真似たつもりだろう。蒼はちょっとばかり大人になった気がして、腕まで組んで満足げに頷いてみる。
けれど、すぐに顔が煌めいた。
「わぁ、すごいほしだぁ!」
風に髪を撫でられ顔を上げれば、満天の星空が広がっていた。いつもは部屋の中から見ている光景の中に自分が立ち、風を感じながら見上げている。
蒼の鼓動が全身を震わせる。
「ういっきゅしゅ! わくわくするけど、はやくクラにいかないと、かぜっぴきだ」
今、蒼は店の裏側にある家のさらに奥へと向かっているところだ。とても広い庭にある水晶の道を歩いている。
庭の中を駆け巡っている川と言っても良いほどの水の流れ。それが水晶の板でふさがれ道となっているのだ。正方形の飛び石のように。
その水晶が空の星と月を吸い込み、透明な身に光を映して天の川を作る。
「そろり、そろりっと。おじいが、このみちをあるくのが、だいじって、いってたもんね」
蒼はその上を慎重に歩いていく。つま先から静かに下ろし、かかとをつける。そうして足底をつけて数秒後に反対の足をあげる。それの繰り返しだ。
「水晶のゆかがあっても、なんかふしぎ」
水晶の下を流れる水が水晶板の所々にある穴から流れ込んだ風で波を打つ。
「きゅうに風がつよくなった! 雲がすぅーってながれていっちゃう」
空が大きなため息をついたみたいに、突然雲の流れが速くなった。
蒼は自分の行動を笑われた気がして、熱で色を変えている舌をべーと伸ばした。
「それにしても、あおってばけっこう長いあいだ、ぼうけんしてるよなぁ。クラ、まだかなぁ」
蒼は小さな膝を丸めて、べしべしと震える足を叩いた。そうして、すくりと立ち上がり大きく腕を振って進む。
敷地内とはいえ、店と反対の方向にある蔵へ辿り着くためには、菜園やら池やらを抜けなければいけない。蒼の足では、結構な時間がかかってしまう。瓦屋根を乗せた石造りの建物も、なかなか途切れてくれない。
「おかあさんたち、まだかえってこないよね」
こんな夜遅くに子どもがひとりで暗闇の中をうろつくなど、普段ならば大目玉ものだ。
「いつもなら、おじいにも、おとうさんやおかあさんにも怒られちゃうけどさ! きょうは『おとなのおつきあい』だし! おつきあいは、ながいし!」
蒼は寝台に潜り込む前に、両親が店で茶瓶の手入れをしている姿を見つめるのが大好きだ。
そんな『お父さんお母さん大好きな蒼』にとっては寂しいことなのだが、今の『冒険者の蒼』にとっては、願ってもいない機会だった。
「よしっ! あお、がんばる!」
ひんやりと頬に染みてくる空気。普段触れることの無い空気をめいっぱい吸いこむ。
そうして、蒼は大股で腕を大きく振り足を速めた。
蒼には、どうしても見たいものがあるのだ。
連続投稿として朝の7時に次話を投稿しています。