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政の場―宮仕えの燕鴇と、魔道府副長付の陽翠―

(全く、年寄りばかり集まる定例議は、どうしてこうも退廃的なのだろうか)


 燕鴇(えんほう)という名の青年は、うんざりとした表情で周囲を見渡した。

 無駄に広い議の間の中央に置かれた机。そこに置かれている資料は、だれの手にもとられず、開始時刻から同じ場にあり続けている。


(まったく。ご老人方の無茶ぶりに応えて、夜明けまでかけて作ったってのに)


 燕鴇は数刻も前から使用していない筆を、気だるそうに握りなおした。

 自分の隣に座している同期は生真面目な表情を崩さず、年寄りの脱線を続けている話まで零さず議事録をとっている。うんざりとするほどに、手を動かして。


(せめて、隣にいるのがこいつじゃなくて、魔道府の花っていう、えーと、名前は忘れたけど新入りの可愛い子だったらよかったのに。じじいの禿げた後頭部を眺め、陰気臭い同期の隣でなんてやってらんねぇーよ)


 燕鴇と同期の女性は、議長の後方に置かれている長机に二人で座している。隣の同期はさすがに重苦しそうな魔道府の外套(マント)を脱いではいるものの、きちっと襟元まで締まった服装は彼女の性格を表している。

 燕鴇は時折垂れてくる茶色の前髪を、面倒くさそうに弾く。彼はこの髪色が大嫌いだ。色彩豊かな髪色をもつ人間が多いクコ皇国の中では、地味でしかない。


(オレ)は、顔立ちは整っている。だが、茶色の目と髪は地味。根暗なこいつでさえ、翡翠色に染まっていやがるのに)


 燕鴇は憂いに満ちたため息を落とした。どうせ、この場で己たち書記係を気に留めているご老人などいるものかと、思いっきり。

 ぶすりと頬杖をついた燕鴇は、同期を横目に映す。


(臨時で借り出された割に、手を抜かねぇってか。随分と良い子ちゃんだこと)


 学院の同期である彼女は、卒業後交流こそなかったが出世ぶりが何かと噂になっている。

 二人とも、まだ二十そこそこの新人といえる部類である。同期の中でも、燕鴇は無難な道を進んでいくだろうと考えられていたと思うし、実際そうである側の人間だ。


(目につく心葉堂の紅暁がさっさと魔道府を辞めてざまぁねぇなと思っていたところで、紅暁とつるんでいた双子が大出世なんて胸糞悪い)


 彼女――陽翠(ようすい)は愛想のなさから出世も遅い、もしくは煙たがられる部類だともっぱらの噂だった。

 それを補助していた心葉堂の紅暁(こうきょう)と陽翠の双子の片割れである陰翡(いんひ)。この二人がいたからこそ、陽翠は同期からも無視されずにすんだ。と、燕鴇は考えていた。組織に入ればただちに爪はじきにされる部類の人間だと。


(まさか、こいつが魔道府次席副長付になるなんてなぁ)


 年寄り連中が気に留めてもいないとはいえ、隣で真剣に仕事をされてはどうにも居心地が悪い。燕鴇は軽い調子で片手を振る。


「おい、今日の議題だってそんな重要な内容なんざ皆無だろ。そんなに細かく議事をとることないって。紙の無駄遣いになるから止めろよ」

「……いち書記である私たちに、議題の重要性を決める権限があるとでも?」


 燕鴇にはいくぶんか意外に感じられた。この潔癖な同期なら、己と同じように目の前の老害を一笑するとばかり思っていたからだ。

 燕鴇はまるで自分の業務内容ごと否定された気がして、かっとなってしまった。


「いいんだよ、ここにいらっしゃる重役様たちがそう言ってんだから」

「ここにいらっしゃる方が、とも言っていません。って、あぁ! 聞き逃してしまいます! あなたも真面目に仕事をして下さい」


 陽翠は聞く耳を持たなかった。それどころか、燕鴇にもう顔を向けることすらしなかった。


(ここにいるくそじじどもでなければ、じゃあ、一体だれが決めるってんだよ)


 こんな定例議という名の、じじいの情報交換の場の重要性なんて。

 まぁ、確かに。ここにいる、いまだに出世ばかりを考えている年寄りたちには重要な社交場かもしれないが。しょせんはもうろくじじいたちの保身の場だと、燕鴇の眉があからさまに歪んだ。


「ふあぁ。やべ。これは寝落ちるやつだ。朝方まで、商省のやつと麻雀やってたせいだ」


 こみ上げかけた苛立ちもすぐに眠気に打ち消された。燕鴇はかみ殺せなかった欠伸をもらす。

 陽翠はいわゆる女性的な美しさというより、異国情緒的な魅力があった。健康的な褐色の肌に、波がかった翡翠色の長い髪。全身から不思議な雰囲気を漂わせている。


(健康的つっても、それは見かけだけで中身は随分と暗いけどな)


 燕鴇だって美男ではなかったけれど、無難な容姿とこれまた無難な能力で、高くもなく低すぎもしない仕事に就いている。


「っていうかさ。そんな優等に議事録作成したって、どうせ没収されるんだぜ?」

「なぜです? 体調を崩した方の代わりにと、わざわざ魔道府の人間である私を席につかせたのは議長ですのに。それでは、あなた一人で事足りましたよね?」


 切れ長の目がめいっぱい開かれたあたり、陽翠は心底驚いているらしかった。

 一瞬、音域があがった声に年寄り連中の何人かが顔をこちらに向けたが、数秒もしないうちに興味を失せ、再び袖に手を突っ込み、相談を始める。

 燕鴇はわずかに体を傾けた。馬鹿にするように、抑えた呆れ声を作ってみる。


「そりゃ、お前」

「私が貴方に『お前』などと呼ばれるいわれがあるとでも?」

「……陽翠、殿。お偉い方々は若い女性がその場にいるだけで満足なんだよ。いても問題ないが、いなければ物足りないのさ」


 なぜ自分は当たり前のことをわざわざ説明しているのだろうか。当たり前とは言っても、非常にくだらないとは、自分でさえ理解はしている。改めて説明すると愚劣さを確認して恥ずかしくなり、それを隠すため不機嫌な表情を作ってしまった。

 しかし、隣の陽翠は燕鴇の態度など全く気に留めず、今度は瞼を閉じた。


「――耳を疑います」


 詰まった息と一緒に喉から押し出された声は掠れ、嫌悪の色が強かった。

 宮で(まつりごと)を行う女性はまだ数えるほどだ。逆に魔道府のように特殊な技術を扱う府では、純粋に生来の能力と実績を問われるので、性差を感じることは少ない傾向にある。


「陽翠殿の上司殿である次席副長殿は、大変女性にお優しいと聞いたことがありますね」


 燕鴇の口がにやりと厭らしくあがる。挑発半分、本音半分。


「そもそも魔道府の長官殿が女性ですっけ。女性ってだけでも目にかけてもらいやすいんでしょうね。そーなると体を差し出さずにいられるっていいよなぁ」


 皇族の中には、魔道府や武道府の人材育成に力を入れている人物たちがいるらしきことも小耳に挟んだことがある。

 だから、たまにこうして交流があると己の境遇と差を直接的に感じてしまう。


「はっ? その前提はなんなのですか?」

「さぞ、働きやすいことでしょうって嫌味だよ」


 燕鴇は無性に腹が立った。顎が無意識のうちにあがっていく。思った以上に粘りのある声が出てしまった自覚はある。

 それでも止まらなかった。目の前の同期に優位性をとることで、普段のうっぷんを解消したいという衝動が激しい。


「紺樹殿は若くして魔道府の次席になられるなんて、よっぽど世渡りが得意でいらっしゃるんでしょうね。しかし、そういえば。いま取り掛かられている任務、いつもならさっそうと動かれる上司殿が、なかなか腰をあげられないとか。いや、人間わからないですものですな」


 燕鴇とて、それなりの志を持って宮入を果たした。出世は勿論のこと、それ以上に政に携わる意欲に満ちていた。

 しかし、学院を卒業はしたものの、任に就いたのは年寄り連中の世話係り。情報を得ようと擦り寄ってくる馬鹿な貴族どもに優越感を感じることもあるが、ほとんどの者は、燕鴇を都合のよい情報源やしゃべる動物位にしか思っていないのが、ひしひしと伝わってくる。


(実に腹が立つ)


 だが、情報を流さなければ、屈辱を我慢して受けなければ、自分がここにいる価値さえなくなってしまう。今となってしまっては、それが恐ろしくなってしまい、劣等感など感じなくなってしまっていた。いや、感じていないと言い聞かせるようになっているのだ。

 再び前を見据えた陽翠の表情は見えない。顔横に流れる長い前髪が邪魔をしている。


(くそっ――!)


 急激に燕鴇の顔の温度があがっていく。


「では、皆様。今日の定例議はこれにて閉幕としましょう。本日も実りある議でありました」


 はっと。しゃがれた声で我に返り、燕鴇は反射的に頭を垂れていた。あわせた袖の奥、居た堪れない気持ちが滲み出て硬くなった頬がひきつる。

 老人衆が全員立ち去る気配を察して、ようやく燕鴇の顔が上がる。部屋にいるのは、己と先ほどと変わらない陽翠。自分は今どんな顔をしているのだろう。こちらを見ない彼女が恐ろしかった。


「燕鴇殿」


 燕鴇が微動だにせずにいると、陽翠は数度瞬きをして、椅子を鳴らした。


「議事録はこれで問題ないとは思います。不備がありましたら、知らせてください」

「あっあぁ……」


 綺麗に整えられた紙が、燕鴇の前に置かれた。いつの間に書き上げたのだろうか。

 いや、どうせ下らない議会と考えて、実際年寄り連中が話していたわずかな論議を纏めただけなのだろう。歪む口元をさらにひきつらせた燕鴇が目を落とした議事録には……。


「なんだ、これはっ――」

「おかしな点でもありましたか?」

「いや、しかし、いつの間にこれだけのものを!」


 燕鴇の手に握られた議事録には丁寧な文字が綴られている。その内容は、実際の堕落した議会のにおいなど微塵にも香らせない、整然とした議論で満たされていた。

 かといって、全て嘘というわけでもない。くだらないと思っていた会話も、こう組み立てられていると、筋が通った上に最終的には次回への問題提議がなされているようだ。


「おっお前、これ……!」


 反射的に顔があがる。陽翠は燕鴇の驚嘆の色を不可解だと言わんばかりに眉を寄せた。


「また……何度同じことを言わせたいのですか? あなたにお前呼ばわりされるいわれはありません」

「そんなこと、どうでもいいんだよ! 詐欺じゃないか、こんな内容!」

「どこかでしょうか。私は偽りを録った覚えはありません。話の流れはともかく、内容は」


 陽翠は苛立ちを隠しもせずに、きっぱりとした口調で答える。そんな彼女の態度とは正反対に、魚のように口を開閉しているだけの燕鴇。

 数秒後、陽翠の苛立ちが諦めに変わるのが、手に取るように伝わってきた。大きなため息と陽翠が身に着けた外套の衣擦れの音が、同時に、静かになっていた部屋に響いた。


「では、私はこれで失礼します。早く魔道府に戻らないと、午後の仕事がまわりません」


 最後の部分はもはや言葉を交わす人間を求めていない色で呟かれた、事務的な確認。

 鳥があしらわれた重厚な扉を押し、部屋を後にする陽翠の背中を茫然と見送る燕鴇。力の入らない手から、すとんと議事録が滑り落ちた。すっと指が切れた痛みで我に返ると。


「おい!」


 燕鴇は、意識が弾けたように突然立ち上がり、駆け出していた。


「まっ待てよ!」


 外は良い天気で、開放的な渡り廊下に木漏れ日が差し込んでいた。普段なら退屈な議会の後は、議事録を纏めながら転寝でもしようかと思えるのに。

 今の燕鴇は、足早に去っていく陽翠を、追いかけて呼吸が乱れて。そんな平和な思考は全く浮かんでこない。むしろ、眩しく視界を遮ろうとする光が、恨めしくさえあった。


「どういうつもりもなにも」


 燕鴇の叫びにも近い声を背に受けた陽翠が、非常に気だるい仕草で振り返った。


「あぁ、そういうことですか」


 陽翠はすぐに納得いったように軽く頷いた。そうして、少し体を傾けて、顔だけを燕鴇へと向けた。


「逆に問いますが。あなたはあの議の場にいて、何のために議事録をとっているのですか?」

「何のためって、そんなの年寄り連中の井戸端会議みたいな話を、面子を保つ程度には纏め上げるためだろ! 己のおかげで、怠慢だといわれずに済んでるんだ!」


 人目もはばからず燕鴇は額に血管を浮かび上がらせて、声を張った。


(あんな環境におかれた自分の身にもなってみろ! それを数刻、しかも臨時に借り出されたような人間に言われたくない!)


 その瞬間、陽翠の瞳の色が変わった。ほんのわずか、かろうじて存在していた同期だからという遠慮の色が完全に消え去った。

 冷静な視線には侮蔑の感情さえ見て取れた。


「あなた、本当に阿呆でしたか」

「なっ――!」


 温かい日差しの中で、それは一層際立った。冷たさを隠しもしない蔑視の声。


「確かに『議論』としては成り立っているか怪しいのは事実として。けれど、さすがは上層部の集まり。あんなに情報に富んだ議はそうないです。別にご老人方の役に立ちたいとは思いませんが、それを纏め上げれば議事録を管理されているアノ優秀な方なら有益に使ってくださるでしょう。少なくとも、あの方々も記録者にそういった情報の整然化を期待されているのでは?」


 口数の少ないはずの陽翠がやたら多弁だ。どこかひとごとのように、燕鴇は考えていた。

 だらんと床に向かって伸びている腕はまるで干からびた蛇のようだ。燕鴇は本当の阿呆のごとく天井を見上げることしかできなかった。

 小生意気な女に言い返してやりたいが、ぷつんと血管が切れてしまったように思考回路が動けずにいた。


「そうそう。私の尊敬する上司ですが」


 燕鴇の様子などお構いなしに、陽翠は続ける。


「軽いように見えているのであれば、それはあなたの軽量な脳のせいですよ。あの方ほど、実力で分け隔てなく評価して下さる方はいらっしゃいません。また、実績と今までの報告書をちらとでも読んだことがあれば、その鮮やかな仕事の流れを理解できるはずです。あなたが、まだ志を持っていたのであれば」


 最後の部分は、陽翠に鼻でせせら笑われている気がした。

 燕鴇は理解した。結局のところ、陽翠が言いたかったのはこれだったのだろう。陽翠の上司を蔑むような発言をしたことに対する報復。燕鴇の分野で、仕事の差を見せ付けることで、仕返しをしてきたのだ。


(己だって! 彼女のように恵まれた環境にいたなら!)


 だらしなく垂れていた腕に力が入っていく。爪が掌に食い込むほど、拳を握っていた。

 しばらく。陽翠は切れ長の瞳を余計に細めて、立ち尽くす燕鴇を見やっていた。しかし、燕鴇が身を震わせるだけで、声を出さないのを確認すると目礼だけした。そして、純白の外套を翻し去っていった。


「……くそっ、根暗なくせに馬鹿にしやがって!」


 果たして。陽翠が聞いていたなら、仕事には根の明暗など関係ありませんと一笑されてしまいそうな悪態が搾り出された。

 歯軋りが静寂を保っている廊下に、小さく響き続ける。煮えくり返る腹を押さえて、燕鴇は議室へと踵を返した。


(くそっ! 己だって、親の見栄など気にせず、魔道府に入府していたなら、間違いなくあの根暗女より上にいっていた! 今からでも異動願いを出せば、出世してやれるさっ!)


 あんな根暗女でも上にいけた魔道府だ。自分ならば絶対になくうまくやれる。燕鴇は鼻息荒く廊下を闊歩する。

 曲がり角の柱に手をかけたところで、中庭の木々の間に人影があるのが燕鴇の目に留まった。


(あれだけ井戸端会議をしておいて、まだ話し足りないのかよ)


 年寄りの何人かが屯しているのかと、そっと身を縮めて手すりから顔を覗かせる。そして、燕鴇の目がぱっと輝いた。


「あれは魔道府の紺樹(こじゅ)副長! っていうか、一緒にいるのは左派の貿易府の長官じゃないか」


 めったにない組み合わせだ。

 しかも、貿易府長官は右へ左へと手のひらを返すのがお得意だと有名な話だ。そして、燕鴇が小耳にはさんだところによると、いまの紺樹は外国からの貿易品の監査とアゥマの調査を兼任しているらしい。

 燕鴇の頭が急速に回転していく。


(第五皇子の蘇芳(すおう)とも繋がりのある紺樹副長は右派のはずだ。これはっ――)


 和やかに話をしている二人よりさらに頬を緩ませた燕鴇。彼は地面を滑るように、土を踏む。

 もう少し近くによれば話の内容が聞こえるはずだ。幸いなことに、彼らが立っている中庭には椿が植えられていて、身を隠すことができる。


「ふんっ! あれだけ尊敬する上司の化けの皮を剥がして、恥をかかせてやる!」


 燕鴇は意気揚々と身を屈めた。



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