心葉堂の溜まり②―世界の理―
「で、治癒系の中でもどんな部類に属す術なのかな?」
蒼は両手を重ねて可愛くこてんと首を傾げてみた。ちまたでおねだりの仕草と呼ばれるものだと、幼馴染たちから教わった方法だ。
だが、六歳からの付き合いである相棒には全く効果がなかったようだ。麒淵は蒼の仕草に誤魔化されることなく、ふんっと鼻を鳴らした。
「蒼にとって害がある術をあの紺樹が施すなんぞ、天変地異が起きてもあり得ぬ。自分で解析ができるまで、つけておけ」
「えー! 前言撤回! 麒淵、意地悪!」
蒼としてもおねだり効果があるとは考えていなかったので、すぐさま用意していた文句が飛び出た。
蒼がぐでっと円卓に突っ伏すと、麒淵が楽しそうに頭を叩いてきた。
「相方の愛情じゃ。ありがたく思えよ」
効果の不明な術をいつまでも身に施しておくのは、いくら紺樹がかけたものでも戸惑ってしまう。しかし、本人に直接訪ねるのもなんだか癪に障る。低く唸る蒼。
しかし、麒淵は有言実行らしく、
「そいで、華憐堂とやらはどうじゃった?」
と会話を変えてしまった。
こうなってしまえばもう、麒淵が答えをくれることがないのは昔からわかりきっている。なので、蒼は素直にそれを受け入れる。
「麒淵のお耳は右から左に流していただろうけど。さっき言った通り、珍しい感覚はありつつ美味しかったよ? でも……」
「でも?」
口に出して良いものかと迷いが生じたが、麒淵相手に変な気を使って取り繕う必要もないと思い直す。
唇を横にひいた蒼を急かさず、麒淵は静かに待つ。
「うんとね、うまく表現できるか怪しいのだけど、でも、ちょっと思ったのはね」
蒼は、自分の中でも整理し切れていない思考の中から、手探りで言葉を拾っていく。
麒淵は柔なく頷く。
「あのね。浄錬の量が尋常じゃないのと、黄茶や花茶みたいに、葉を体に入れるような淹れ方できる位までに、大量に仕上げられるなんてこと、可能なのかなって思ったの」
「ふむ、黄茶や花茶をのう」
顎に手をあて、宙を漂う麒淵。浮かびながら胡坐など組んで、器用だ。蒼は椅子にかけなおし、麒淵の反応を見守った。
「大昔の溜まりは未知だから、そこの守霊がすごいって言われれば納得だし。逆に、ずっと眠っていた状態って表現できそうな溜まりが、目覚めてすぐ全力で活動できるものかなって思ったりもしてさ」
守霊同士は夢で繋がっていると聞いたことがある。蒼はさらりと華憐堂の守霊について探りを入れてみたつもりだった。
しばらく待ってみるが、麒淵は溜まりを睨んだまま口を閉ざしている。
蒼が痺れを切らして、
「ねぇー、きーえーんー。守霊については私も踏み込み過ぎたけど、反応くらいはほしいよー」
と、足の間に両手をついて間延びした声を出すと律儀に、
「こら、行儀が悪い」
と注意だけはしてきた。
そんなところにだけ反応しないでいただきたい、などと蒼の頬は河豚顔負けに膨れる。
「そんで、茶の味はどうだった?」
ややあって、唐突に麒淵が尋ねてきた。
「それも、さっき説明したんですけどもね」
「……それは素直にすまんて」
蒼としては本気で拗ねたというよりもからかいの色が強かったのだが、真面目な麒淵は小さな頭をぺこりと下げてきた。
蒼が「仕返しだよ」と笑えば、麒淵は咳ばらいをした。
「今までにちょっと飲んだことがない感じで、一口目はぴりっと刺激があって舌が痺れるんだよね。それで、二口目はそれが平気になるの。痺れは残ってるけど、大丈夫かも?って」
蒼が若干引っ掛かった点だ。解消されるというよりも、痺れは残りつつ意識が逸らされている感覚なのが不思議なのだ。
新しい感覚なので考えすぎなのだとも思いつつ、茶に関して麒淵には包み隠さず話すことにしている蒼は、念のためと素直な自分の言葉で伝えておく。
「だから、あれ? って驚くでしょ? すると三口目で喉の奥に甘味が出てきて、それが鼻腔へ広がるの」
目を閉じて、舌に意識を集中する。
「あとはね、直観的に思ったの。あぁ、癖になるって」
「癖になると思ったのは味か? それとも感覚か? そして、ソレをいつ考えたのか」
麒淵に問われて初めて、蒼は自分がそこまで意識していなかったことに気が付いた。
日頃の蒼であれば問われる前に、どちらに対してか明確な言葉にしていただろう。
「言われてみれば……私は、あの時どっちで思ったんだろう。思ったのは細かい葉が歯か舌に触れた時かな。一瞬だけ気持ち悪さはあったけど、すぐ喉が渇いてもっとってなってね」
蒼は無意識に自分の唇に手を当てていた。そして、すんと鼻を鳴らす。
いくら記憶を辿ってみても答えには行きつかず、思考にかかる霧が濃さを増すばかりだ。込み上げた吐き気。茶葉に関してこんなにも迷子――というか気持ち悪い感覚は初めてだ。
「蒼、落ち着け。競合店の茶を、しかも客間に招かれてのことなのじゃ。しかたあるまいて」
麒淵が飛び回って全身を軽く叩いてくる。
保護者的な発言と表情であるのに、ちょこちょこと動き回る姿の愛らしさ。その差で、蒼は堪らず「あはっ」と笑ってしまった。
麒淵も咎めることはせずに、相棒の背を撫でる。終いには子守唄なぞ口ずさむものだから、蒼は完全に爆笑してしまった。
「それにしても、刺激のう……」
基本的に、守霊は五感に鈍い。身体の衰弱は溜まりの変化に左右され、味覚は人間との感覚を共有することで『情報』として伝達される。
ただし、建国当初にはすでに守霊という存在を確立していた麒淵は例外だ。
蒼は身を乗り出した。円卓に肘をつくと、ひんやりとして心地が良い。
「麒淵なら飲食も守霊独自の感覚に変換できるだろうけど、人間の感覚が気になるようだったら、私の感覚と繋げて試してみる? 変な感じはすぐに消えたから、危なくはないと思う」
「いや、それには及ばぬよ」
やけに即答されたので、蒼は面食らって「そっか」と呟くだけに終わってしまった。
麒淵はかなりの年齢にしては珍しく、いまだに好奇心が旺盛なところがある。当然のように話に乗ってくると思ったのだ。
であるにも関わらず、
「我が良いというまで、あの店の茶を口にするな。紅にも伝えておくように」
と釘をさされる始末だ。
「えぇー。花茶も呑んでみたかったんだけどな。それに、危険なら私たちだけ控えるってのは」
「まだ確信がもてぬ以上、下手に風潮すれば営業妨害になってしまうからのう。『癖になる』というのも程度が気にかかる」
「あれだけ美味しいなら、多少の中毒性があっても――」
むろん、蒼は麒淵の言うことであれば素直に従うつもりだ。それでも、また飲んでみたいと思ったのも正直な気持ちで。蒼の喉がごくりと、唾を飲み込んだ。
それを見逃さなかった麒淵の眉がはねた。
「蒼、確認するが」
「はい。麒淵先生」
きたっ! と、蒼の背が勢いよく反った。いつもの話が始まる。年寄りの長話が、麒淵のたまに傷な点だ。
「溜まりにいる守霊とは?」
「生命の樹、ヴェレ・ウェレル・ラウルスから生まれるアゥマの粒子が溜まる場所を守る霊で、ひとつの溜まりに一霊が原則」
これは溜まりを守護する一族でなくとも知る、一般常識だ。学院に入る前から両親に教わる事実。なぜなら、溜まりなくして人の営みはあり得ないからだ。
「溜まりを守る人間と守霊は契約を結び、その人間をアゥマ使いとして育て、共に溜まりを守る。また言語り―チュアンティオ―として過去の悲惨な世界の荒廃を語り聞かせてくれる存在でもある、のです」
「うむ。では、アゥマ使いの使命とは?」
麒淵は腕を組み、満足げに頷く。
一方、蒼はここからは己が背負う責についてだと背を伸ばした。
「アゥマ使いは国の鎮守の任を担い、国の原動力である溜まりの管理を行う者。現代においては、その能力を駆使し人々の生活と心を豊かにするため、各々が商いをしたり古代遺跡を研究したりしている。また、アゥマ使いの中でも国一番の者はフーシオと呼ばれ、貴族以上の身分と権利を与えられる。それと同時、国の一大事には……その身を呈し、知識・能力を用いて人々と国を守る責がある」
前半は言い慣れてしまっているため、書を諳んじるように言葉が流れてきた。けれど……最後の一文で蒼の声がしまった。
現在のフーシオは蒼の祖父。心葉堂の先々代である白龍だ。フーシオの家の者は、当人だけではなく一族全員にその荷が課せられる。
「世情が落ち着いておる今、様々の事柄がほぼ形式的なものになりつつあるがのう」
蒼の顔に影がさしたからか。麒淵は、自身で言わせておきながら闊達に笑ってみせた。
確かに麒淵が言うとおりだ。言う通りだが、可能性が零という意味ではない。
蒼はここで自分が思い悩んでも仕方がないと息を吐き、元気よく腕をあげた。
「はい! つまり、麒淵先生がおっしゃりたいのは、商いにおいても、それだけアゥマ使いの責任は重いということですね」
「特に、穢れを刷り込まれておる食物、人々の体に影響を及ぼすものを扱う者はのう」
基本中の基本だ。しかし、麒淵は改めて確認するように、強い調子で発した。
蒼は麒淵が言わんとしている意味を図りかねて、蒼は首を傾げた。
まさか、おさらいだけをさせようとしているとは考えにくい。不思議そうな瞳で見つめる蒼に、麒淵は暖かい微笑みを向けてきた。
「聖樹はアゥマを生み出すが、動植物がその恩恵に預かるには、アゥマを加工――浄錬し各々に最も適応した状態にする、リンフを持つ職人が必要じゃ。また、溜まりを守る霊もアゥマ使いも、どちらが欠けても浄錬を行うことはできぬというのは知っておろう?」
麒淵が柔らかく問いかけてくる。
蒼は麒淵の言葉のひとつひとつを噛みしめ、意味をじっくりと味わい心の中で繰り返すと、ふと彼が自分に伝えたいことがわかった。
(世界の理)
おそらく、麒淵はそれが云いたいのだろう。
「万能など存在しえぬ。それぞれができることには限りがある」
それはつまり。
「そうじゃのう。クコ皇国の宮殿地下にある壱の溜まりに次いだ濃密さを持つ此処じゃが、されとて、一日に浄錬可能な茶葉の数は限られておるし、薬となる丹茶となればなおのことじゃ」
蒼は麒淵が言わんとしている内容に察しがつき、膝を握った。
「でも、華憐堂さんは他の国から来たし、この国にはない技術があるのかも。実際、お茶も魅力的だった」
きゅっと固く結ばれる蒼の唇。
「それこそ、私の理解の範疇から外れたことだって、あり得るんだ。まっとうな術で」
麒淵が蒼に伝えたいこと。それは華憐堂が理から外れているということなのか。それとも、腰の引けている蒼を慰めているのか。どちらなのだろう。
間違いないのは、生まれて初めて茶に関して気持ち悪いと感じてしまった蒼を慰めようとしていることだ。それと同時に、安直に『中毒』などと口にしたことに対する叱責だったのだろう。多少長く遠回しな言い方をしたのは、蒼自身に考えさせるためだ。
「蒼。可能性を考えることは、思わぬ発見や発想を生み、大変生産的ではある。それと同じく、人を信じることも、人の営みの真髄である。それが蒼の長所じゃしのう」
項垂れた蒼を見て、麒淵は微苦笑をつけて柔らかく呟いた。
「……うん」
「じゃがのう、蒼。わしは守霊、人ならぬ者。そのわしに『理』は人という存在以上に重い意味を持つ。溜まりの理の崩れは国の、ひいては世界の崩壊にも繋がる」
麒淵はただ己の信条を述べているだけ。ただ、アゥマ使いは守霊と非常に近い理の中に生きる者。生きる必要が、ある。
(その人間が、目の前の事実から逃げちゃいけない。それはわかるけれど。華憐堂が感じさせてくる理を否定できるだけの実力と知識は私には――)
完全に下を向いてしまった蒼。
今、心にあるのは華憐堂への疑念ではなく、ただただ痛感する己の未熟さへの悲傷。
「ほれ、そんなしけた顔をしてどうするか。茶葉たちも憂いておるよ」
言われて、顔をわずかにあげれば。いたる所に置かれた、螺鈿の長机に並べられている硝子瓶たちに色が走っていた。
麒淵の笑みが深くなる。
「わしは、蒼が浄錬する茶葉を好いておる。自信など場数を踏めば自然とつくものよ。蒼が信じることを芯にもっていればな」
麒淵とここにあるもの全てのおかげで、蒼の気持ちが軽くなっていく。蒼は思い切り頬を叩いた。
「そうだね! 誠心誠意、浄錬するだけだもんね! みんな、ありがとう!」
意思がないはずの茶葉たちも、淡く身を光らせ蒼の言葉に答えたかのようだ。
蒼は袖を捲くり、大げさに腕を回して見せた。勢いが良すぎて、危うく麒淵を吹き飛ばしそうになったのはご愛嬌だ。




