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心葉堂の溜まり①―紺樹の魔道陣―

「なんていうことがあってね。華憐堂でお茶をご馳走になってきたの。ちょっと刺激があって、未知の感覚で美味しかったんだよ」

「うーむ」


 蒼の話を聞いているのか、否か。心葉堂の守霊である麒淵(きえん)は上の空な返事をしてきた。

 蒼は、宙を浮いている麒淵を不満げな顔で突く。「ぬぬっ!」と渋い顔のまま空中で踏ん張った麒淵は、腕を組んだまま相変わらず蒼の方を見ることはなかった。


「ねぇ、麒淵てばー。ちゃんと聞いてよー」


 あまりに反応がない麒淵が心配になり、蒼は両の手で彼を包み込む。それでも、麒淵はどこかぼうっと宙を見上げ続ける。

 両掌に乗るほどの大きさの麒淵は溜まりを守るアゥマの精霊だ。けれど、触れた部分からは人と同じ体温のような熱は伝わってくるし、肌は柔らかい。


「麒淵? ねぇ、本当に大丈夫? 私が張り切って浄練し過ぎたせいで疲れた?」


 蒼が彼の体をそっと円卓に下ろす。

 浄練儀式用の裾紐に飾られた鈴が、優しい音を鳴らす。その音に応えて、周りの角灯や魔道具が淡月のように煌めいた。


(どっちかと言わなくても、普段は私の方が浄練に没頭しすぎて、麒淵に引き戻されるのに。こんなにぼうっとしている麒淵を見るのは初めてかも)


 今、蒼たちがいるのは自宅の蔵だ。蒼と麒淵が初めて会った場所でもある。

 正確には、さらに蔵の地下、最も深い場所だ。アゥマが流れる龍脈が溜まる数少ない場所、いわゆる『溜たまり』と呼ばれるところだ。


「今日も溜まりは平常運転。それに、アゥマたちもご機嫌なんだけどなぁ。どうして、守霊である麒淵だけがぼやっとしているのか」


 蒼は自分の肩に寄ってくる玻璃玉に鼻先を擦りつける。すると玉は照れたように、ぽんぽんと宙を弾んで他の玉とじゃれあう。

 通常アゥマは可視できる存在ではない。けれど、純度の高いアゥマに満ちている溜まりでなら、魔道具に憑依することは可能だ。蒼も幼い一時期はアゥマが可視できていたらしいが、今は共鳴時の反応光で見るか、こうして溜まりで憑依した状態でのみ対峙することが可能だ。


「うん。アゥマたちの様子も、空間に染みている魔道もばっちり」


 ひんやりと冷えた此処は広く、岩肌は所々光を放っている。全体が自然のままになっており、建物の一部というよりは、蔵がこの洞穴の上に建てられていると言える。蔵の地下から、岩を削って作られた階段を降りるようになっている。途中で空間魔道が使用されてはいるが。


「となると、麒淵が変なのは心の問題かな」


 光源に目を凝らせば、宝石のようでもあり、また、普通の鉱石に灯が反射しているだけのようにも見える。薄暗い空間の中で、それは暗闇の中に瞬く星のようだ。

 蒼は溜まりの最奥に視線を移す。その先には大きな泉があり、龍脈から上がってくる一番濃いアゥマの粒子が溜まっている。


(どうしようかな。今日は計測日ではないけれど、溜まりの中心部でアゥマの濃度を測った方がいいのかな。首都の中心で見つかった華憐堂の溜まりの影響があるのかも)


 蒼は異常な量の茶葉を扱っていた華憐堂を思い出し、円卓についていた頬杖を解く。

 先日は冗談で口にした中央通りでの溜まり発見だが、なんとその翌日には公的に発表されたのだ。腰が抜けるなんてものではなかったのは蒼だ。

 そのようなわけで、華憐堂(フィーバー)は大いに盛り上がっている最中で、心葉堂は引き続き閑古鳥が住み着いている状態なのである。


「外部からきた華憐堂さんがそんな国の重要な溜まりの管理を任されるようになった経緯は不明だけど、皇族が後見人になっているってのには納得できたかも。まぁ私的には大昔に活動を停止していた溜まりが復活したのだから、周囲に影響を及ぼすだろうってのが気にかかるかな」


 首都では二ヶ月に一度は各溜まりの状態を魔道府に報告する義務がある。地方では半年や一年に一度だったり、さらに奥地では監査が訪れた際というように頻度は異なるが、国が管理をしている。

 もちろん、華憐堂が開店してから半年の間も実施されており、蒼も特段おかしな変化は感じてはいないので、影響云々は完全に余計な気苦労だろう。


(溜まり自体の前に魔道具の具合を確認する方が先かな)


 溜まりの中心までは水晶の道が続き、同じく水晶で作られた階段が溜まりへと続いている。溜まりの中央部分には祭殿のような小さな建物が、神妙に佇んでいるのだ。

 そして、その中央の溜まり以外にも小さなものが、大きなそれを囲うように点在している。

 そのひとつひとつの水面上に五芒星を形作る光が走っており、傍らには花簪(はなかんざし)珠簪(たまかんざし)らに似たものが飾られている。


「んっ。魔道具たちに問題はなさそうだ」


 蒼は落とした瞼をあげて、ぐんと伸びをした。

 溜まりを守る光を身に受けて、簪たちは彩を幾重にも紡ぎ、そこにいる者の心を不思議と穏やかにする。

 蒼が螺旋状の天秤に浄錬を終えた茶葉を乗せ、アゥマの調整を行おうとしたところで、ようやくと言った調子で麒淵が「ふあっ」と声をあげた。


「あぁ、いや、すまぬ。ちとまどろんでおったわ」

「麒淵が? 明日は空から肉まんが降ってきそうだよ。シュウマイ付きで」

「そりゃ、いまお主が食いたいものじゃろうが」


 蒼がバレたかとはにかむ。とは言え、麒淵の様子も気になる。蒼が口を開くより先に、麒淵がすいっと近づいてきた。


「それより、蒼よ」

「うん?」

「蒼、おぬし額に何をつけておるのだ?」

「やっと反応してくれたと思ったら、私のおでこって……」


 麒淵に言われて、蒼は前髪に隠れている額をさすってみる。

 けれど、特に髪が張り付いている様子も、石鹸の泡がついているわけでもなさそうだ。

 すぐ隣にある水鏡を覗くために体を捻ると、麒淵が音もなく空を動いた。


「ふむ。蒼、ここを紺樹の奴に触れられでもしたか?」

「ぶぇ⁉」

「なんつー声を出しとんのじゃ」


 いやいや。それはこっちの台詞ですけど、と蒼はものすごい顔で麒淵を見上げる。

 決して、紺樹に触れられたかと尋ねられたことに、動揺したわけではない。唐突に個人名を出された事に驚いたのだ。蒼は自分に言い聞かせながら、激しく頭を振った。


「普通、驚くでしょ! 私の呼びかけは散々無視しておいてなにさ!」


 顔を真っ赤に染めて必死に額をこすっている蒼を、麒淵は瞳を細くして見ている。微笑ましい、という部類の感情ではない。

 そんな冷静な顔をされると、余計に焦ってしまうではないか。蒼は盛大にむくれてしまう。


「っていうか、麒淵てば。なんで紺君名指しなの?」

「おぬし、本当に気づいておらなんだか」


 麒淵は、擦れて赤くなってしまった蒼の肌を小さな掌で撫でながら、「集中してみよ」と静かに呟いた。

 言われて、蒼が大きく深呼吸すると……溜まりを満たしているアゥマの粒子が全身を巡っていった。指先まで清涼さが行き渡ったように感じられて、自然と、心が落ち着きを取り戻していく。


(あれ……? この感覚って)


 深く息を吐き額に意識を集めると、蒼はある気配に気がついた。己の額に宿っているのは間違いなく――。


「魔道陣が宿っている。しかも、麒淵の言うとおり、紺君の」

「ようやっと、理解したか。目に見えない陣を額に、しかもアゥマ使いに施す芸当をこなす奴は、この国でも、そうはおらん」

「しかも、貴重な『魔道書』を介して治癒術を扱うなんて、紺君くらい」


 紺樹の術だと受け入れた途端、蒼の脳裏には術の種類や施し方まで鮮明に浮かんできた。ただ、どの瞬間(タイミング)だったかまでは遡れなかった。


「なんじゃ、ちゃんと気配を感じられれば、術の種類まで読めるではないか」


 褒められているのか、はたまた集中力のなさを責められているのか。どちらともとれる麒淵の言葉に、蒼は背を丸めた。おそらく、両方なのだろう。


「紺樹相手に気を許すなというのも難しかろう。けれど、相手を抜きにしても、ちっとは警戒心をもつのだよ」


 軽く意気消沈している蒼に、さらに麒淵から厳しい言葉が降り注いだ。


「うぅ。はい、肝に銘じます」

「いまいち嘘臭い返事じゃのう」

「えー! 麒淵てばひどいよぉ。これでも気づけなかったことに、へこんでるんだよ?」


 蒼は多少大げさに蹲くまってみせる。が、わざとらしく見えるとはいえ、落ち込んでいるのは本当だ。

 しかも、しかもだ。紺樹が自分に何度か触れたのは、術を施し発動させるためだったということになるではないか。あの爽やかな顔が急に恨めしくなってしまう。


(今度会ったら絶対に文句のひとつでも言ってやる!)


 蒼はぐっと拳を握った。よくわからないけれど、苛立ちが収まらないのだ。


「でもさ、麒淵」

「なんじゃい」

「なんの治癒術なんだろ、これ」


 蒼は、誤魔化し笑いを浮かべて問う。頭をかく仕草にあわせて、鈴が愛らしく鳴った。まるでからかわれているような、軽やかな音。

 麒淵は心底あきれた表情を浮かべた。顔中の筋肉が力をなくしたように、肉が重力に負けている。一気に老け込む顔。

 蒼といえば、言葉を投げ支えられるよりも、数倍、恥ずかしくなってしまった。


「しっ仕方ないでしょ⁉ 魔道陣だけを読み解くならともかく、珍しい魔道書からの力を解析するのは難しいんだから!」

「魔道陣を得意とする者の台詞とは思えぬのう。まぁ、よいわ。確かに事例自体少ないからのう、書を介しての術は」

「やっぱ麒淵てば優しい! 理解ある相棒をもてて嬉しい!」


 麒淵は何だかんだ説教じみていても、ちゃんと蒼の言い分は受け止めてくれる。

 相方を両の手で捕まえ、思い切り頬ずりをする。

 麒淵は、


「やっやめんか! はしたないであろう!」


と悪態をつきながらも、されるがまま身を任せてくれていた。抵抗するような仕草を見せているが、実際は全く力が込められていない。ぱたぱたと動く麒淵の小さな手が、柔らかく、蒼の頬に埋まってきて心地よい。

 しかし、いくら記憶の引き出しを捜してみても、蒼には術の特定はできなかった。


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