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紺樹の思惑②―蒼と紺樹―

 蒼と紅の両親は、紺樹にとっても大切な人たちだ。自分が何者かを知り失意のどん底にいた少年時代に、柔らかく、そして時には両親より厳しく叱って受け入れてくれた――紺樹という個人を認めてくれた恩人でもある。


(何より、蒼と紅が今の発言を聞いたらと想像すると、腸が煮えくり返りそうだ)


 この男なら、当人たちの前でも無神経に発言する可能性は高い。魔道書の角で頭を殴りつけるくらいは許されるだろうか。紺樹は上着に仕込んでいる、指先ほどに小さくしている魔道書に手を当てる。


(うん、許される。俺自身が許す)


 けれど、頭によぎった不穏な考えを溶かすように浮かんできたのは蒼の顔だ。いつかと同じように『私のせいで紺君が仕事をしにくくなるの、絶対ダメだよ!』と怒っている。真っ白な頬を赤らめて、愛らしく怒る姿に毒気が抜けてしまうのだ。

 そういう時は、蒼は頬をいじりまくる紺樹にも拗ねず、されるがままになってくれた。蒼は『蒼のほっぺが包子(ぱおず)みたいに膨れたら責任とってよね』とむくれ、紅も昔は『紺兄、蒼の頬がこねられすぎて膨れ上がらないようにしてくれよな』と苦笑していた。


(いつでも俺が自分を制御できるようになるのは、君たちのおかげだな)


 心葉兄妹が思うよりずっと、紺樹にとって彼たちは大切以上の存在であり、なにがあっても――それこそ自分がどう思われようとも守りたいのだ。特に蒼は紺樹にとって唯一の女の子なのだ。


(十も下の女の子に依存かと情けなくなるけれど。蒼が聞けば間違いなく、花を咲かせるより眩しく笑ってくれるのは知っているから。絶対に心葉堂も――蒼も守って見せる)


 絶望の淵に立たされ、ギリギリの状態で東屋にいた十六歳になったあの日。みぞれ交じりの大雨に濡れたまま凍え死ぬか、川に飛び込んでみるか迷っていた。

 そこに現れたのは雨具に着られた幼い蒼と白龍だった。肩車された蒼は一回転して地面に降り立った。それにも驚いたのに、蒼は殺伐とした自分にと駆け寄ってきた。

 どんなに邪険に扱っても、『おちびを川に放り込むぞ』と脅しても怯まなかった。逆に幼い蒼にとって都合の良い言葉を口にしても、『蒼がうれしいんじゃちがうの』と紺樹自身の真ん中だけに手を伸ばしてくれた蒼。自由奔放な蒼と祖父を心配して迎えにきた紅も『このふたりに捕まっちゃいましたね』と悪戯っ子のように笑ってくれた。


(それでは、切り替えていきましょうか。ここからが仕事の本筋ですよ。魔道府次席副長殿)


 紺樹は自分に言い聞かせ、にこりと万人受けする笑みを浮かべた。大げさな仕草で肩を竦めて、両手を掲げた。


「まぁ、華憐堂さんと言いますか、競合店としては実に素直な意見ですね。好感さえもてます」

「へぇ、こりゃ失礼しやした。それにしても、旦那は理解のある方でやすね。ご立派!」

「それは、どうも」


 微塵も失礼だと反省していないのがわかる態度で謝罪され呆れる反面、自分もいけしゃしゃと答えているのだからおあいこか。腹の探りあいというより本当に表面的なだけのやりとりが妙におかしくなり、紺樹は誤魔化すように咳払いをした。


「それに、蒼は幼い頃からアゥマの使い方に関しては神童と呼ばれていましたが、店を継いでからは丹茶の浄練ができない状態が続いています。周知の事実なので、すでに湯庵殿もご存じでしょうけれど」

「へぇへぇ! それを引退したはずの先々代が補助している状態だとか! 先々代の贔屓には願ったり叶ったりの常連もいるんでしょうねぇ。おっと。意地が悪い言い方でやんすね」

「蒼はまだ十六歳です。心葉堂の看板は――重いでしょう」


 茶化す様な声色の裏で、紺樹は視線を窓外に向けた。そして、翳りを帯びる。

 茶葉バカな蒼は楽観的であっても、能天気なのとは違う。


「うちでも丹茶の需要がかなり多く、数ヶ月先まで順番待ちいただいている位には、心葉堂さんが機能していないご様子で」


 案の定、湯庵は紺樹の声にひっかかってくれた。いや。逆に試されているかもしれないと、紺樹は口の端を落として見せた。


「実は――いえ、失礼しました。これは私的なことですから控えましょう」


 こほんと紺樹が二度目の咳払いをする。


「なんでやんすか? ここで顔を合わせたのも何かの縁でしょう」

「仮にも魔道府次席副長である私があの後見人(・・・・・)がついていらっしゃる茶葉堂に、私的なお願いをするわけには……。さっ、萌黄さん。中庭へのご案内をお願いいたします」


 紺樹が萌黄に向き直り、柔らかく微笑んだ。萌黄と言えば、バツが悪そうに胸の前で合わせた手を握ったり離したりするだけだ。明らかに従者である湯庵を横目で気にかけている。

 紺樹に詰め寄っている湯庵の視線がすべてを物語っている。少し奇妙に傾げられた湯庵の首。蒼がこの場にいたならば、あまりの違和感に飛び上がっていただろう。


「ねぇ、萌黄お嬢様からもお礼をすべきですわな。本日は大変お世話になったんでしょう?」

「えっえぇ。そう、ですわね。そうするべきですわね」

「いえいえ。こうして茶房にお招きくださっただけでも十分です。明日は黄茶の新作を販売されるとのことなので、魔道府(うち)の茶好きたちにも伝えておきます」


 あくまでも紺樹からは踏み込まず、遠慮の姿勢を見せる。これで相手方も引くようならば、魔道府には他にも手段がある。それこそ華憐堂が飛びつかざるを得ない駒だが、それを初手に持ってくるのは最終手段だ。


「ありがたいことですけんど。紺樹殿は丹茶が気になっていらっしゃるようで」


 紺樹は困ったように眉を垂らす。そして話を逸らしたいと言わんばかりに、萌黄に庭園の花について質問を投げかける。


「紺樹様、その、丹茶を必要とされていらっしゃるのですか?」


 質問に答えつつも、萌黄は紺樹に遠慮がちに問いかけた。それでも紺樹は誤魔化す。


「貴殿は個人として来店されているのですから、立場は置いておきましょう」


 湯庵が促しても、紺樹は頭を振った。


「萌黄さんはともかく、湯庵殿は私を魔道府副長として見ていらっしゃるようなので」


 気まずそうに頭を掻く紺樹。

 湯庵は忌々し気に舌を打った。本人は隠しているつもりだろうが、耳の良い紺樹には大きすぎるほどに届いた。


「そっ、それならば。わたくしからお伺いするのであれば、差支えがないでしょうか」


 萌黄は声を震わせながら、ぎこちなく微笑んだ。紺樹が同情したくなるほど、怯えている。

 であっても、態度に示すいわれはない。


「そう、ですね。蒼の友人である萌黄さんにならば。丹茶が数ヶ月待ちとは残念だと思っただけですよ。青龍門のつてをたどって手配をしてはいますので、予約だけでもさせてください」


 紺樹はあくまでも一線を引く。かつ、青龍門をあげて対応しているのを明示する。


「ご気分を害さないで欲しいのですが、母君の体調が優れないとの噂も伺いやんした。お力になれるのでしたら、へぇ、おっしゃってくださいな」

「お気遣いだけでも嬉しい言葉です。やはり噂はしょせん噂ですね」

「噂の内容ってのは、承知しておりますよ。うちが営利優先で、売り方が気に食わないお方もまだ多いとか」


 紺樹は、距離を詰めてくる湯庵を右手でやんわりと制す。


「クコ皇国は大国です。その首都は新しい風を受け入れる一方、やはり古い習慣は根強く残っているのも事実ですので。受け入れる側も、何かと腹を括る場面があるのかと」


 紺樹がため息交じりに吐き出すと、湯庵は探るように身を引いた。

 湯庵も駆け引きをするつもりなのだろう。一旦は「では道すがら」と笑顔を浮かべた。後ろに両腕を回した湯庵。動作は店先にいた時と同じだが、心なしか背が伸びているように見えた。


(さてさて、これからが仕掛けどころだ)


 湯庵がどれほどのものを腹に隠しているのか想像しただけで、紺樹は楽しくなってしまう。

 それと同じくらい、蒼を巻き込んでまでここに立ったからには、なんの成果も得られないままには店を出られないとも気を引き締める。


(魔道府の後輩だった頃の紅に『頭と性格が良すぎるのって、すごくて、なおかつ考えものだな』なんて苦笑されたな。彼の同期――いまの腹心たちは面白い目をしていたが)


 紺樹は内心でほくそ笑んでしまう。弟分の紅が素直だった時の姿を思い出して。

 萌黄は居心地が悪かったのか、中庭から屋敷奥に続く石畳へと移動していた。


「紺樹様、こちらへどうぞ。ここからは特別なお客様のみを案内しておりますの。足元の段差にご注意くださいませ」

「萌黄さん、ありがとうございます。せっかくのご招待ですので、遠慮を忘れて失礼します」


 紺樹は萌黄の手をとり、緩やかな段差の先を行く。あくまでも半歩ほど。

 手を添えられた萌黄は、ぽかんと口を開いた。


「……お嫌でしたか?」


 紺樹が問えば、萌黄は幼子のように大きく頭を振った。まるで、蒼のようだと紺樹は思った。


「紅さんなら、もっと嬉しかったと思うのですが、いえ、それは別にしても、丁寧な仕草に、驚きましたの。わたくし、こんな風にされて、よいものかと」


 焦る萌黄を前に、紺樹は偽物の笑みを深める。深めながらも、心の奥が痛んだ。それは萌黄に対する同情かと問われたら否だ。それはきっと、かつての自分への憐憫。

 紺樹は自覚しつつも、萌黄へ寄り添う姿勢を崩さない。


「紅とは幼いころからの付き合いですが、頑固なところがあります。家族を第一にする彼ですが、そんな彼に寄り添ってくれる女性がいてくださるなら、俺も安心できそうです」


 片目が軽く瞑られる。紺樹がしぃっと立てた指を己の唇にあてた。

 萌黄はこくこくと大きく頷く。そして、はっとした様子で小さい仕草に変えた。


「お嬢様。紺樹様のお相手はあっしがしますので、旦那様を呼んできてくださいな」


 言葉上でだけ見ると、湯庵は萌黄を気遣っているようだが……湯庵が発したのは随分と硬い音だった。水面を枝で叩いたような口調だ。


「はっはい。それでは紺樹様。一度、失礼いたします」


 萌黄は、その見えない水しぶきを受けたように身体をきゅっと縮めた。薄い唇が、きつく結ばれる。


「それにしても。今日のお嬢様は随分と口数が多くていらっしゃる」


 小さくなってしまった萌黄に、湯庵は追い打ちをかけるように囁いた。

 背を向けたまま先頭を歩く湯庵。けれど、表情が見えなくとも紺樹には確信できた。男がどんな意味を込めて、その言葉を吐き捨てたかが。


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