競合店の華憐堂②―違和感―
華憐堂の重厚な扉を押すと、その奥に広がるのはとても広い空間だった。
店を埋め尽くすと言わんばかりに並べられた品々。どこから見て回ろうかと心躍るほどの品揃えだ。二度目の浄練を要さない既製品とはいえ、もしかしたら、この街の茶葉堂全部のものを集めたに等しい数にも見える。
「ねぇ、ちょっと。あの一角も見たくない?」
「なにあれ、めっちゃ可愛い箱じゃん! ちょうどあぁいうの欲しかったんだよねぇ」
実際、女性客たちは案内板の前で足を止めたり、店内で声を弾ませたりして、相談しあっている。
蒼は、すぐ傍に陳列されている花茶の瓶を手に取った。
「すごい……これだけの茶葉を浄錬して、なおかつ管理できるなんて」
どの食物も浄化が必要なのは同じだが、茶葉は特に小さな葉一枚一枚を丁寧に浄化する必要がある。そして、それを一瓶ごとに保管し管理する手間もかかる商品だ。さらに一枚でも浄化が足りなければ、あっという間に他の葉にも悪影響が出てしまう。
かなり繊細な商品な上、丹茶のように薬とまではいかなくとも、かなり心身への効果が高いのが茶葉である。
それは浄化の必要性がだいぶ薄れてきた現代でも同じだ。
「私も驚きました。まさかこれ程までとは。守霊の力量と茶師の精神力、計り知れませんね」
「ほんとだね。茶葉を入れておく木箱や瓶も、普通は茶師がアゥマを使って練成するものだ」
蒼は紺樹に同意を示しながら、四方八方から瓶を眺めては感嘆の息を漏らす。瓶の中にはひとつだけ花が入れられており、まるで蜜に閉じ込められたような輝きを纏っている。瓶自体も多彩な色硝子を使用したものばかりだ。
「もちろん、拙宅の茶師が全て浄錬しておりますわ。わたくしの父は本当にすごいのです」
萌黄がうっとりとした声を零した。
どこか遠くを見ている萌黄に、蒼は既視感を抱いた。今の萌黄の姿はどこか、しかも近しい人が見せた空気とひどく似ていると思ったのだ。確かあれは――。
「しかし、ひとつの溜まりに守霊は一霊が絶対的な理。いやはや。わが国では未知の技術を使われているのでしょうか」
蒼が思い出す寸前、紺樹の含みのある声が思考の膜を破った。
いけないと、蒼は頭を振る。紅からもよく注意されるように、蒼は一度集中し始めると、所構わず思考や作業の海にどっぷりと浸かる傾向がある。
「それは、秘密ですわ」
萌黄は満足げに店内を見渡した。優雅な仕草で近くの品を手に取ると、熱っぽい微笑みを浮かべた。
この街にも寄り合いがあるとはいえ、各家に門外不出の伝統秘技がある。また、職人の力量や発想によっても特徴は異なり、それが売りとなる。
心葉堂にしても、他店よりも丹茶を多く扱っている。それに、通常は必要とされない商品にも、個人に合わせた商品に調整し直す浄練を施している。この浄練は心葉堂以外、行っている店自体が数えるほどだ。
(ただ。ただ、この有り品揃えとお客さんたちの熱狂具合は……)
蒼が得体の知れぬ漠然とした不安で固まってしまっていると、萌黄が覗き込んできた。
「蒼さん、どうぞこちらへいらして?」
「あっ、はい! 紺君、こっちだって」
萌黄の後ろについて、店の端にかけられている薄紫色の絹布をくぐる。右手には庭園が見え、そちらとは反対方向へ進む。短く細い廊下を数歩進むと、やはり同色の絹布がかけられていた。
「おはいりください」
中から侍女らしき人物に招き入れられ、個室に入る。すると、すでに円卓の上に茶器が用意されていた。
部屋は丸い格子の窓がひとつだけある、数人座るのがやっとという簡素な部屋作りだ。簡素ではあるが、置かれている飾り棚や八角箱はかなり高価な代物だとわかる。さらに、飾られている茶器など国宝級と言っても過言ではない代物だろう。
「どうぞ、おかけになってくださいまし」
勧められるがまま、蒼と紺樹は椅子に腰掛けた。
「蒼、どうしました?」
「んっ。なんかここ、落ち着かないの。個室なのに、ううん、個室であるはずなのに、変な視線を感じるっていうか、空気を感じるっていうか。きっと立地と窓のせいだね」
蒼は違和感の理由を、視線斜め横の大きな丸窓のせいだと結論づけた。
心葉堂にも、親戚に任せている茶房の他、店内の奥に小さな円卓席がある。
だが、そこはあくまでも大雨で店先の藤棚や桜下での茶が難しい時や、外国からの来訪者から要望があった際に使う場所だ。というのも、すぐに茶を堪能したい勢は携帯用茶器を持って来店し、店前や茶房あたりで茶会を始めるからだ。心葉堂の店先には、それができる環境が整えられている。
「ここは客間のように、特別をみせる場所でしょうか。安らぎを提供する心葉堂とは意向が違うのでは?」
「特別? うんと、客間ってことは――ほわっ! つまりは、ここで飲んでいる自分は特別だって見せつけているってこと⁉ そんなの心葉堂の人間としてまずいじゃん!」
蒼が奇声をあげて椅子を鳴らす。言葉選びをしている余裕もない。
「蒼、落ち着いて。ほら、今はこうして曇りガラスになっているでしょう?」
紺樹が通りに面した硝子窓に指をちょんとくっつける。すると、先ほどよりさらに外側が見えにくくなった。魔道に反応する仕組みらしい。
「さすが紺樹様。蒼さんより先に部屋に入られて、通りからこちらが伺えないようにされていましたものね」
「そっそういう問題かな……。というか、個室に入ってきちゃった私が迂闊なのだけどね。あっ、迂闊っていう表現はおかしいよね。ごめんね、萌黄さん」
社会経験が未熟な蒼は、己の行動を反省しきりだ。
萌黄は落ち着いた様子で、
「わたくしも説明せずにお通ししてしまったこと、失礼いたしました」
と微笑んだ。このような不意打ちに遭遇した機会もない蒼は、どう返すのが適正な社交か悩みに悩んで――身を縮こませた。
「とりあえず。紺君は、先に確認してくれてありがとうでした」
謝罪に近い音を落とした蒼に、紺樹は軽く背中を叩くことで応えた。
蒼が個室の入り口に向き直ると、通路から二人の侍女が茶器を乗せた盆を手に部屋へと入ってきた。その流れで蒼は腰を落とす羽目になってしまった。
「蒼さんと紺樹様をお迎えしたのは、本来の用途ではありませんの。ですから、どうぞわたくしのささやかなおもてなしを受けてくださいましな」
円卓に置かれたのは、蒼が良く見知った茶器だ。
簾が敷かれた盆の上には、茶則と水孟、煮水器、それに細身の硝子杯がある。
顔を伏せたままの侍女たちが手際よく整えていくが、彼女たちが硝子杯に湯を淹れたところで、萌黄は軽く袖をあげ行動を制した。
「あなたたち、もうよろしくてよ」
部屋に響いた声はやけに平淡だった。
萌黄は、侍女たちが絹布の向こう側へ消えたのを確認できるまで、茶瓶には手をかけず、背を正したまま動かずにいた。街中で翁たちといた時とは正反対。毅然としている。
「本日は黄茶を用意させて頂きましたの」
侍女たちがくぐった薄紅色の絹が波をたて地に触れると、萌黄の雰囲気が再び柔らかいものへと戻った。ほんのわずかだが上がっていた肩が、すとんと落ちた気がした。
「明日から店頭に並べようと思っている品ですわ。蒼さんと紺樹さんには一足お先に」
「まさか、黄茶もあれだけの量を? あの黄茶を?」
「えぇ。他の茶葉とは違って、花茶と同じく、量は限られますけれど。それなりには」
硝子杯が温まったのか。その湯を水盃に捨てながら、軽く頷く萌黄。膝の上におかれた蒼の手が、きつく握られた。
(そういえば、花茶自体の綺麗さに目を奪われていたけど。確かに、棚の下からも在庫を取り出していた)
空になった硝子杯には、茶葉の量を量る長細い茶則から茶葉が移され、再び湯が注がれた。最初は少しずつ、茶葉が浸り軽くなじむと、今度は一気に湯が注がれる。
「少しねかせましょう」
萌黄の椅子がひかれた音で我に返る蒼。心持ち、視線が彷徨ってしまった。




