競合店の華憐堂①―恋バナとじれったさ―
「着きましたわ。ここがわたくしの父が茶師として経営する華憐堂です」
萌黄が凛とした声を発して、蒼と紺樹に向き直った。
見上げた先にどしんと構える建物を見上げる蒼。瞬きを忘れた瞳がじわじわと乾いていく。
「なんていうか」
蒼も何度か華憐堂の前は通っていた。けれど開いた口がふさがらないとは、まさにこのことだと息を呑んだ。
「すごい。その一言につきるね……」
蒼を驚かせている一番の要因は、華憐堂の外観だ。
視界を埋め尽くしているのは、晴天の空に浮かぶ雲の影を映している朱色の瓦でも、人通りの多い大通りと華憐堂を隔てている重厚な青銅の扉でもない。
ましてや、軒下に付けられている、赤色の吉祥つり飾りとも違う。確かに、これはこれで圧巻ではあるし、石造りと土とが組み合わさった大きな通りの脇にある店の中でも、群を抜いているが。
「えっと。確か、先週は店看板が翡翠色でしたよ、ね?」
「えぇ、気づかれました? 二・三日前に金箔を貼りましたの。あの部分は金箔茶を模しました。来週にはまた変わりますけれど」
顧客の興味をひくという意味においては、正解と言える外観だろう。
ただ、日をおうごとに豪華絢爛になっていく店の象徴をどう受け止めてよいのか。蒼は戸惑いを隠せない。
視線を動かした遥か先あるのは皇宮。大きな建物は、長方形の町を見守る位置に座している。
(大通りにある店のほとんどが、他の場所――四方街の特殊地域で浄錬された食材や品物を運んできて加工や販売している。首都の大通りには守霊が宿るほどの溜まりは存在しえないから)
大きな溜まりを持つ店や工房が中央通りから外れた場所にあることと、空の美しさと街の彩りの外観を壊していること。色んな意味で華憐堂は様々な違和感をあたえてくる。
(これだけの規模の店舗に見合った数の品なんて、弐の溜まりの心葉堂でも難しいんじゃ……)
萌黄の控え目だが芯のありそうな性格から考えても、蒼には彼女が違和感を気にしない人ではないように思えるのだが。様々なちぐはぐさが、蒼の思考を混乱させる。
「萌黄さ――」
「お嬢様、お帰りなさいませ」
蒼が萌黄に声をかけるのと同時、店先に立つ萌黄を目ざとく見つけ出した中年の男が、地面に足を擦らせながら歩み寄ってきた。
「橋を渡って街外れに行かれるってことでやんしたが、随分と早いお戻りで。迷子になって帰ってきたんですかい?」
男性は猫背気味で顔のえらがはっている地味な顔立ちをしている。身に着けているのは、簡素だが光の波打ち具合から上質の生地だとわかる衣だ。
「……いえ。色々あって、出直すことにしましたの。それに幼子ではないのだから、迷子になんてならないわ」
「へぇ。そうでやんすか? そしたら、寄り道でもなさってとかでやんすかね」
つるんと、丸い頭を撫でながら萌黄の隣へと並ぶ男性。手が頭の上を滑る度、太陽の光を存分に浴びた金箔が放つ光が、蒼と紺樹の目を襲う。
蒼が思わず「ほわっ!」っと両の手で顔を覆ってしまうと、それを横目に入れた男性の眉が怪訝にゆがめられ顔中に波が寄った。
蒼だって失礼だと思いもしたが、眩しいものは、眩しい。自然な反射行動だ。
「っと、そちら様は新しいお客様で?」
けれど、蒼への興味はすぐに失せたようだ。街の寄り合いには白龍と紅が出席しているが、競合店の茶師の姿くらいは調査済みだろう。
男性は紺樹に満面の笑みを向ける。あからさま過ぎる態度が、いっそ清々しい。
「どうぞ、ご覧ください。満員御礼記念で、上等な茶葉も心意気の良いお値段でございやす!」
「呼び込みにも随分と精を告いでいるご様子ですね。華憐堂さんは」
紺樹の言うとおりだ。
ぐるりと首をまわしてみれば、店の前に収まらず、さらに街中へと続く橋の上でも瓦版を配布している男衆が目に入ってくる。
それも、人形のように整った顔立ちをしている者が多い。男衆に混じり、年若い女性も艶やかな装いで、試飲用の小ぶりな茶杯を手に笑顔を振りまいている。
「もしかして、皆さん一緒にいらっしゃった方なのかな?」
蒼は振り返り、萌黄に問いかける。大きな目で瞬きを繰り返す蒼が面白かったのだろう。萌黄は薄絹の披肩で口元を覆い、くすくすと笑った。
急に『お姉さん』という雰囲気になった萌黄が少々くすぐったく感じられて、蒼はそわっとしてしまった。
「えぇ。この者たちでだけではなく、多くの者がわたくしどもと共に移住しておりますの。受け入れて下さったクコ皇国に感謝するばかりですわ。ほら、良く見ると顔立ちがクコ皇国の方と違いますでしょ?」
「うん。心葉堂にも色んな国の人が来店してくれるけど、団体で見るとよくわかる」
確かに。萌黄一人見る限りでは、さして自分たちと大きな違いを感じることはないが、今のように大勢が一所に集まると、鼻筋や目の堀に特徴があるように思えた。すっと通った鼻に肌は色素が薄く、髪や目は明るい色合いをしている者が多い。
失礼だとは思いながら、蒼が彼らに視線を固めていると、萌黄は楽しそうに含み笑いを零した。先ほどとは違う笑い方に、嫌な予感が蒼の頭をよぎる。
「萌黄さん?」
「紺樹さんと、ねんごろなご関係ではいらっしゃらないのですか? もし、だれかお好みの者がいらっしゃいましたら、紹介してさしあげましてよ?」
「えっ⁉ そっそういうんじゃなくて! っていうか、紺君は幼馴染だし! 家族同然だし!」
蒼はこの手の話が纏う空気は、どうにも苦手だ。
「よろしいじゃないの。わたくし、蒼さんと恋のお話ができたら楽しいですわ」
朗らかに微笑む萌黄は、傍から見れば目を奪われる姿なのだろう。実際、道行く人も通り過ぎざまに、萌黄と蒼の様子を微笑まし気に見ていく。
(なんで、そっちに話がいっちゃうかな⁉)
当事者の蒼はひたすら汗を流すばかりだ。しかし同時に、嬉しそうに袖を揺らす萌黄は、年下の蒼ですら可愛いと思ってしまうところがあって、どこか憎めない。
「いやはや、恋する乙女は強いですね」
助け舟を出してくれるとばかり思っていた紺樹は、二人のやりとりを楽しんでいるだけで、どちらかというと蒼は彼にイラっとしてしまう。
「いつも紅を翻弄している蒼が押され気味とは。これは興味深い光景ですね」
「紺君、一人蚊帳の外で楽しんでないでよぉ」
紺樹を恨めしそうに見た一瞬後。蒼の背筋に冷たいものが走っていった。
その原因は自分に向けられた感情が、鋭い(というのも大げさかもしれないが)ものを含んでいたからに違いないのだが……。それを放ったのが隣の線細い女性だとは認識しがたい。どちらかというと、紺樹に好意を持つ女性の可能性が高いだろう。
「あら、それは益々早くお相手を作られたほうがよろしいのでは?」
「紺君……」
肌に立った鳥肌を撫でる他に蒼ができた事と言えば、余計な情報を口にした紺樹を睨むことだけだった。
しかし、視線を鋭くしても、紺樹は暢気に萌黄に同意など示してみせるだけだ。
「おっと、失礼。これは本当に、早く蒼も恋を覚えてみては? だれがお似合いでしょうかね。私が厳しい目で見定めましょう」
萌黄は紺樹の言葉にさっそく乗り気になったようだ。
「ですわね。紅さんのような方はなかなかいらっしゃらないとは思いますけれど」
蒼たちから離れ、大通りにいる青年たちを見まわし始めた。猫背の男性の腕をひき、彼も巻き込んでいる。
男性の方は小さく舌打ちしたものの、紺樹と目があうとにっこり――いや、にやりと目尻を下げて萌黄に付き従った。
蒼は心の中で
(ばか紺樹っ! なーにが見定めるだよー!)
と、珍しく彼を呼び捨てにした。蒼の頬は、めいっぱい膨らむ一方だ。
蒼だって年頃の女の子なわけだし、色恋に憧れはある。けれど、店を継いだばかりの蒼の中で、それの優先順位は決して高くないのだ。
紺樹だって重々承知しているはずなのにと、蒼は腹が立ってしまう。もちろん、紺樹のことだから、萌黄の調子に合わせているだけだとはわかっているが、それでも、どうしてだか気分が悪い。
「紅には告げ口しないでくださいね? ちゃんと今の発言の責任はとりますので」
蒼がものすごい表情でへそを曲げていると、紺樹の手が軽く頭を撫でてきた。まるで熱した空気を抜くように。
蒼にとったら、責任とは縁を結ぶところまで対応するという意味に聞こえてしまうものだから、さらに瞼が落ちていくばかりだ。
「おそらく、蒼が考えた内容とは違います。だから許してください。今は色々様子を見たくて」
蒼にだけ聞こえるよう囁かれた。嬉しそうでもあり、困っているようでもある紺樹の声。
「へっ? なっなんか、微妙な目つきをしてるのは、なんでかな……」
「すみません、蒼。そしてちょっと役得だったもので」
苦笑いの意味を理解できなくて、蒼は怒るのも忘れ紺樹を見上げる。瞳に映ったのは、困った笑顔と垂れた眉毛だった。
きょとんと目を瞬かせる蒼。もう一度、頭を撫でられたかと思うと、紺樹は、いつも通り、満面の笑みを浮かべなおした。
「それにしても、いつもこのように目立つ宣伝を?」
そして紺樹は、先ほどよりも萌黄の一歩下がった所で控えている猫背の男性に声をかけた。
「へぇ。うちのような新店舗が、伝統ある街で店を構えるとなりゃ、やっぱ赤字覚悟の安さで、まず馴染んでもらうってのが大事なもんで。いや、しかし何か問題になるようであればおっしゃってくだせい。早く馴染みたいと思いはすれど、皆さんに迷惑はかけたくありませんから。今更ながら、旦那のその服、魔道府、国にお勤めの方でしょう。まっ! 寄って行って下さい」
静かに控えていたのが嘘のように、よく動く店員の口と飛び散るような言葉。その手はせわしなく動いていて、まるで観劇しているかのような錯覚を覚えたほど、大げさだ。
芝居がかった男が、紺樹に捻り寄る様はだれの目からも下心見えみえだったのだが。紺樹本人は別段なんの感情も抱かなかったようだ。なぜか萌黄を横目で捉えただけだった。
(紺君、変だ。普段は軽く見える紺君だけど、こーいう擦り寄りは今でも嫌いなはずだもん。自分がクコ皇国の有力貴族である青龍門出身だからこそ)
いくら考えても、蒼が彼の意図をはかり知ることはできない。
思わず口を押さえた蒼の肩に、紺樹が柔らかく触れてきた。
「いえ、そのことに関しては特に問題ありませんが。それはさておき、少しお邪魔させていただきましょうか、蒼」
「私はお店もあるもの。早くお使いをすませて帰らないと」
「まぁまぁ。店には、師傅も紅もいることですし、好敵手が浄錬した茶を試してみるのもいいでしょう?」
紺樹の言う通り、今日はもう心葉堂に浄練茶を所望する人々は来店しないだろう。出る時に予約帳を確認してきたし、万が一、新規の客が来ても紅が通信球を使うはずだ。
通信球は、小さい水晶球でアゥマを制御できる人間に限られるが、遠く離れた場所にいる人物に伝言を送ることが可能なのだ。多少の時間差は発生するが。
「えっと。じゃあ、私もお邪魔してもいい、ですか?」
蒼はおずおずと萌黄に尋ねた。
茶師として向上心も高く好奇心も旺盛な蒼だ。堂々と華憐堂に入店できる好機を逃したいはずがない。ただ、向上心はともかく、後者を紺樹に見透かされているようで気恥ずかしくもある。けれど、紺樹相手に意地を張る必要もない。
「えぇ、もちろんですわ」
萌黄は静かに微笑み返してきた。
「では、お邪魔しましょう」
萌黄の言葉に応えたのは、紺樹だった。




