はじまりの裏側③―兄妹に割り当てられたもの―
涙をはらはらと零す蒼の傍ら、紅は冷静に溜まりを睨んでいた。
紅は蒼と萌黄から少し離れ、溜まりの淵にしゃがみ込む。そして静かにアゥマ可視の能力を解放する。牡丹色の瞳が薄氷河色に変わる。
(ここは十中八九、萌黄さんの綻びを修正するための溜まりなはずだ。華憐堂の後見人である皇族の目的は、人工溜まりの恩恵だとは思うけれど……ただここは)
紅が視えたアゥマは、違和感こそあれど『人工的』な色はない。
それどころか、かなり上質なものに思える。麒淵という守霊が管理している弐の溜まりとは精度は比較にならないが、純度という観点から見れば相当のものだ。紅の瞳をそれを教えてくる。
(以前、ここにあった黒曜堂は長年上質な宝石を扱っていた。宝石は穢れを払う効果もあるから、溜まりがなくとも浄化された極上の土地にはなるだろう。話の流れから言って、クコ皇国の中央に突如発見された溜まりは、浄化された土地に作られた人工溜まりの可能性が高いと思ったのだけれど……違うのか?)
紅は蒼が溜まりから出てきた際、『ここは違う』と言っていたのを思い出していた。感覚派の蒼のことだから、特に意味はなく本能的にそう感じただけ可能性も高い。だが、アゥマとの共鳴力が高い蒼の本能的な発言なら、紅にとっては逆に信憑性が高いと判断できる。
それに、条件的にも萌黄の中にいる守霊を生み出した人工溜まりが作られていた環境と、クコ皇国の現状は一致する状況が多い。
(アゥマの通り道、川のような龍脈が人工溜まりの場所に吸い上げられて、人々が体調を崩し、異常気象が起る。クコ皇国もアゥマの乱れにより人々が疲弊し、精神状態も不安定だ。異常気象が続いている。そう組み立てた)
けれど、紅は根本的な何かが引っかかって仕方がないのだ。亡国とクコ皇国の違いに。
能力を引っ込めた紅は顎にあてた指を何度も滑らせる。
共鳴力が高い蒼に直接触れて貰えれば、この溜まりの性質がわかるかもしれない。紅にはアゥマが視えるけれど、あくまでも視覚的なものだ。本質を知る意味でなら、共鳴力の高い蒼の方が優れている。だが、さっきの様子を考えると今はアゥマへ干渉させないのが得策だろう。
「なぁ、麒淵と蒼――」
「ひとつ、確認しておきたいのですけれど」
二人に声をかけようとした紅の言葉を遮ったのは、萌黄だった。
「紅さんも、蒼さんも……その様子なら、ある程度は偽物の溜まりの知識はお持ちだと解釈してよろしいでしょうか」
萌黄は蒼の体を離し、抑揚のない調子で言い切った。蒼の名を呼びながらも、目線は少し離れた場所にいる紅と麒淵に向けられている。
蒼が涙にぬれた瞼を強く擦る。擦ったのは自分のものだったのに、香ったのは強い花の匂いだった。
(石蒜、みたいな? やだな。それって別名で彼岸花っていうんだよね)
石蒜は球根に毒を持ち、経口摂取すると最悪中枢神経に麻痺をもたらして死に至る。ただ、利尿や去痰作用があることから、桃源郷では生薬として用いられていた。
ただ、蒼が気にかかったのは効能などではない。桃源郷で耳にした別名だ。『死人花』や『幽霊花』などと、不吉な名で呼ばれていた。
「オレの方は人工溜まりというより、反魂の術ですけどね。それにしても、魔道府の任務を負っていたオレはともかく、蒼がなんでそんな禁書級の話を知っているんだ」
蒼の背中を、紅の厳しめの声がぴしゃりと叩いた。
(紅としては、萌黄さんの話を聞かざるを得ない流れにもっていかれたのに、若干苛立ったこともあったのもあるかも)
そう考えて、蒼はすぐに頭を振った。
蒼に向けられた後半ならともかく、前半部分の命に関わるような重い事実を吐き捨てるような口調は紅らしくない。
「知的好奇心ゆえに、だよ」
蒼は様子を伺いながら、確実に『らしい』言い訳を口した。
蒼の警戒に反して、紅は実にらしく腕を組んで目を据わらせた。
「それで誤魔化せると思ったなら、半日説教が必要だな」
嫌な汗が服に滲み萌黄の後ろに隠れたくなるが、蒼としてもこの状況では誤魔化しきれないのはわかっている。
「えっと、別に黙っていたわけでもなくって、細かく話すのは帰ってからにしたいのだけど」
別に悪いことをして得た情報でもないのだが、話す機会を逃していたことは事実だ。蒼は両手の指をあわせもじもじとしてしまう。
紅は紅で、いまいち緊張感のない様子の蒼に頭を抱えた。
「蒼がやばいことをしでかして得た知識なんて思っていない。前置きは良いから、端的に話せって」
「うぅ。蛍雪堂の最下層の書庫を整理していたらね、ちょっと事件があってさ。そこに封印されていた体験記みたいな本に、人工溜まりについて記載があったの! 一部が破れていたから、完全にはわからなかったけど。でも、その時の一件が幸いして、今回溜まり渡りができたんだよ?」
その言葉に紅は天井仰ぎ、顔を覆った。二重の意味で。おまけにと、肺の空気がすべて出る勢いで「はぁぁぁぁ」と長い大息が吐き出された。
麒淵と蒼は同じ様子でびくりと肩を跳ねてしまう。
(オレが魔道府で読まされた禁書と同じものか、似た部類の本か! 確かに蛍雪堂の地下になら禁書の一冊や二冊あっても当然だ。けれど、この時期に読んだうえに、その時の出来事のおかげで人工溜まりやらのヤバい情報を得たっていうのか⁉)
しかも、だ。よくよく考えなくとも、紅が読んだ古書はあくまでも本だった一部のばらけた紙の状態だった。
逆に蒼は『本』だったと口にした。おまけに紅が知っていることを蒼は知らず、蒼が知っていることを紅が知らなかった。
(ってことは、絶対だれかしらが意図的に誘導していたに違いないだろ! オレが読んだのは、蒼が読んだ本体の古書から切り離された一部だとしたら、ちぐはぐなのも頷ける)
やはり、紅はぎろりと麒淵を睨んでしまう。
敷地内から移動できない麒淵が黒幕かは別にしても、今回の件に一枚噛んでいるのは間違いない。なんなら、蛍雪堂の守霊と夢で交渉して仕向けたという直接手引きも考えられる。
「文句なら、白かホーラに言って欲しいのう」
小人の時と違い、人間の大きさである麒淵は随分と表情が豊かだ。おかげで、あからさまに動揺してそっぽを向いた麒淵からは答えが読んで取れた。
「この世界では幾度か人工溜まりが生成され、消えていることは事実ですわ。そう、何度も」
萌黄は細く真っ白な腕を掴み俯いた。
紅は気を抜かないまま、蒼の傍に寄っていく。溜まりの淵に長くいると、その匂いの強さにめまいが起きた。心なしか喉もつまり、乾いた咳が出る。
(麒淵と萌黄さんはともかく、蒼はよく平気だな。溜まりを渡ってきて麻痺しているのか?)
さりげなく蒼と萌黄の間に体を滑り込ませた紅は、ちらりと後ろにいる蒼をちらりと見やる。紅は萌黄に向き直る。
「つまり、人工溜まりを使った反魂の術っていうのは、生き返らせるという意味の術ではなく――」
「そうですわ。あくまでも元となる人間の体を保ち、記憶を共有しただけの別の魂が入った人形にしかすぎません」
萌黄の声はどこまでも静かで悲しい色をはらんでいた。
ただ、蒼と紅にはどうしても解せないことがある。それは萌黄の中身が守霊だというなら、絶対的に外せない条件だ。
「でもさ、萌黄さんちょっと疑問なんだけどね。守霊っていうのは、宿る溜まりの影響範囲内でのみ移動ができるはずだよ」
問題点はここなのだ。
クコ皇国の本流でもある壱の溜まりで言えば、国中は難しくとも理論上だけなら首都くらいなら歩き回ることは可能だ。実際は神に等しい扱いをされているため、宮からでることすら適わないけれど、それは別の話である。
「麒淵がここまで来れたのは、クコ皇国の大元である壱の溜まりの守霊が協力してくれたから例外だもの。でも、萌黄さんは世界範囲で移住を続けているんだよね?」
「守霊が人の肉体に入ったからと言って、オレたちにはその理が壊れるとは思えません。いや、むしろ」
紅はいったん言葉を切ってしまった。
それは別段、萌黄を気遣ったからではない。その表現をいとも簡単に使ってしまえる自分を、蒼に見せることを躊躇ったからだ。
けれど、横目で見た蒼はただただ真っ直ぐに萌黄を見つめている。紅はその瞳の強さを受けて、深く息を吸った。それを絞り出すように吐き出す。
「むしろ、遺体だからこそ余計に現実味はなくなる」
「そう、でしょうか。わたくしは、そうは思いません。現実として、わたくしはここにおりますもの」
萌黄はそっと自分の胸に手を添える。肯定とは裏腹に、自分の鼓動を確かめるように。
憂いを隠しもしない様子に、紅は内心で首を傾げた。最初は紅たちに真相を言わせようとしているのだと思った。けれど――。
「まるで、萌黄さんは答えを突きつけられるのを待っているみたいだ」
蒼がぽつりと呟いた。すぐ傍にいる紅にかろうじて聞こえる音量で。
それでも、紅は聞こえないふりをして続ける。




