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はじまりの裏側②―犠牲の上に成り立つ偽りの命と本物のこころ―

「みなさんはもう想像がついていらっしゃるのですね」


 萌黄は幽霊のように立ったまま、両手をぎゅっと握る。細い肩は震えてこそいないが、白さを増している。

 今にも霞になってしまいそうな萌黄を前にしても、紅が感情を揺らすことはない。自分が守るべきは抱えている蒼だから。


「想像というのはどういう意味でしょうか」


 紅の問いかけが意外だったのか。萌黄はほんの少し顔をあげて、瞬いた。

 けれど、すぐに納得したように曖昧な笑みを浮かべた。


「オレや蒼が知っているのは、あくまでも過去に作られた『人工溜まり』の存在の知識があるのと、人が蘇ったように思える『反魂(はんこん)の術』が施行された可能性を考え得る想像力だけです」


 紅はあくまでも自分からは答えを提示しない。


(蒼の異常な状態が、紅の思考に平常の冷静さを取り戻したのようじゃな)


 いや、と麒淵は頭を掻いた。冷静さを取り戻した、というのは正確な表現だろうかと思い直したのだ。

 麒淵からしたら、今の紅はあえて任務に徹しようとしているように見える。


(偽物、という表現を無意識のうちに意識しておるのだろう)


 麒淵はうち頬を噛む。


「オレは想像で貴女を歪んで捉えたり、責めたりはしたくありません」


 しかしながら、紅はただ逃げるだけではなく的確な問いかけを返し、異常性を見せた蒼に対応しているあたりが末恐ろしい。


(紅は天井の光の正体について検討がついておるのじゃろう。重要なのは言承けじゃ。我らが担う任務は、あくまでも当事者である華憐堂から言質をとること。魔道府が踏み込むための)


 麒淵は頭上の灯火うち、二つに意識を集中する。多少の障害は発生しているようだが、外部とは繋がったままだ。

 灯火の一つは小ぶりで珊瑚色をしている。もう一つは二回り大きく乳白色に時折黒を混ぜている。いずれの色も、麒淵以外の魔力が混ざっている証拠だ。


(こちらが答えを口にしては、最終的にこちらが解釈違いをしたと逃げられかねん。我が発動しておる術のことを知らぬとも、さすがは紅だのう。手の内を明かしながらも、こちらからは核心には触れぬ)


 麒淵は顎を撫でて思わず感心してしまった。

 麒淵が心内で歎賞(たんしょう)する中、紅は一歩大きく踏み出した。


「だから、貴女の口から教えてください。一体、どうやって守霊である貴女が萌黄さんの一部となり、どうして今この時期(タイミング)でクコ皇国にいるのか。当事者である貴女から、本当のことを聞きたいんです」


 紅の真っ直ぐな視線を正面に受けた萌黄は、長い前髪に目を隠す。その目の縁がわずかに赤みを帯びているのを、麒淵は見ない振りをする。

 萌黄は黙ったまま地面を睨み続ける。その睨んだつま先が一線を越えるの怯えるように。


「そういえば、あのね、萌黄さん。っていうか、えっと、貴女の最初の名前はないの?」


 考えあぐねている萌黄に、蒼はそろりと近づく。

 紅と麒淵は一瞬、先ほどのように蒼が豹変するのでは警戒しわずかに足を開いた。

 だが、すぐに蒼が纏っているのがいつもの柔らかい雰囲気だとわかると緊張をほどいた。


「蒼、お前この場で今更なにを聞いているんだよ。話の腰を折るなって」

「だってさ。彼女が自分を萌黄さんじゃないって否定するなら、話を続けるうえで大事なことじゃない。ただでさえ辛い状況だろうに、望まない名前で呼ばれ続けるって」

「だから、『貴女』って呼びかけてるんだろう?」


 片眉を下げた紅の返事に、蒼は不満げに「えぇ?」と声をあげた。思ったより響いた声に、蒼は慌てて口を押さえる。

 蒼はそろりそろりと手を離すが、きっぱりとした口調で「なら」と言い、ひと指し指をぴんと立てた。


「だったら余計に、私は嫌だな。他人行儀にする人に大事な話をしたいって思うかな。腹を割って話したいってなるかな? 私は嫌だね」

「ぐっ。お前はどっちの味方なんだよ。いや、答えなくていい。想像がつく」


 紅は頭を抱えて地面に蹲りたい気持ちを必死に押さえて、なんとか額を押さえるだけに止めた。

 蒼のことだ。絶対に『それとこれとは別だよ』と言うに決まっている。


「名前は、ありません。わたくしは『萌黄』に寄り添い、そして『萌黄』の代わりとして存在してきました。ゆえに、『萌黄』と呼ばれるのを拒否するなど考えたことはございません」


 長い髪の隙間から見える萌黄の表情に憂いはない。むしろ、蒼の問いの意味が理解できないと言わんばかりの声だった。

 蒼はどう伝えて良い物かと、腕を組んで体を丸める。


「えっとね。つまり、私が言いたいのはね。私は蒼月が本名だけど、大好きな人たちに蒼って呼ばれるのも好きだし、修行先では茶葉の修行に来たからって葉を意味する『フォリア』ていうあだ名つけてもらったのも嬉しかったの」


 名前はとても大切な言葉だ。この世界に生まれて授かる最初の呪文。

 名を付けることを『命名』というように、まさに個を個たらしめ、命を吹き込む縛りの言葉なのだ。


「真名は大事だけど、その人を縛る絶対的なものじゃないと思うの。だから、うまく言えないけどさ、貴女が『萌黄』さんであってもなくても、貴女として呼んでもらいたい名を持っているなら教えて欲しいなって思ったの」


 萌黄は緑に近い勿忘草色の瞳を揺らしている。


「わたくしは『萌黄』ですもの。本質的には偽物だとしても、萌黄以外にはなり得ません」


 溜まりの水面を打つようであり、耳を撫でるようでもある萌黄の声。

 願いにも似ている意志が込められている。蒼にはそう思えて、萌黄の一種の強さにほぅっと感嘆の息を吐いてしまった。


「うん、わかった」


 蒼は短く答えた。そして、力強く頷きもした。

 それに焦ったのは他でもない萌黄だ。真っ青な顔をさらに血の気をひかせて、「わっわたくし!」と声をあげた。


「決して、蒼さんのご厚意を無下にしようとしたわけでは――」


 こういう所は出会った頃の萌黄そのものだと蒼は、にしっと笑ってしまった。


「うん、それもわかる。やっぱり萌黄さんってすごい。頼りなさげに見えて、自分の曲げない部分をちゃんと持ってる。すごいや」

「わっわたくしが?」


 萌黄から実に不似合いな素っ頓狂な声が飛び出た。出した本人も驚いたようで、慌てて口を塞いでいる。

 蒼はわざとらしく腕を組んで、恥ずかしさを誤魔化す。自分の未熟さを羞恥なく話せるほど大人ではないから。でも、相手の強さを認められないほど、子どもでもない。


「うん。私はちゃんと守りたいものは決まっているはずなのに、迷走しちゃうから。でも! さっき言ったみたいに、時々独りよがり! 一方的な暴走で紅を監禁したことは許してないからね!」


 正直、紅には理解し難い状況だ。

 萌黄――目の前の存在に同情の余地はあるが、あくまでも敵の位置にある。相手を油断させるために寄り添う発言をするのも交渉術のひとつだが……。


(蒼は絶対に打算的には動いていない。どんだけ人たらしなんだよ)


 紅としては、蒼が本当に自分のことで怒っているのが伝わり、むず痒くなる程度には嬉しいが……ひとまず、話を進めないといつどうなるか不明な状況だ。

 紅が蒼を諫めようと咳払いをすると、蒼は「えへへ、ごめん」と頬を掻いた。


「じゃあ、話の腰を折ってごめんなさい。人工溜まりの源の話だったよね?」

「そうだよ、大事な話の途中だったのに。蒼、お前って奴は」


 紅は話の腰を折ったくせに、あっさりと謝って軌道修正の空気に持って行った妹が憎らしくて、両頬を思いっきり引っ張ってやる。


「ちょっ! 紅ってば! いくら私の頬に弾力があるからっていっても、それはやばいよ! ほら、溜まりを渡ってどんな影響があるかもわからないのに、ほっぺが伸びたまま形状記憶されたら嫌だよ!」

「あほ蒼! そんな程度の影響ならいくらでも出てみろ! お前は緊張感てものを、母さんの腹ん中に置いてきたんじゃないのか⁉ というか、母さんもなかったけど! このもちみたいな頬みたいに、脳みそも、ほわほわしてるんじゃないのか⁉ むしろ、とろろか! ふわふわか!」

「やめてよ! とろろでふわふわなら、流れ出ちゃうじゃない! 抓られたぶんだけ、空気にとけてるかも!」

「んなわけあるか! どこまで妄想が膨らむんだよ、蒼は!」


 青筋をたてて蒼を抓る紅。彼が浮かべているのは満面の笑みなのに、かつて無いほどの怒りが放たれている。

 麒淵は二人からそっと距離をとる。


「ふっふふ。うふふっ。あはっ」

「ちょっと、紅! 萌黄さんに笑われたじゃない! 幻滅されてるよ!」

「オレじゃなくってお前を笑っているんだよ!」


 ついに萌黄は堪えきれなくなって、大きな笑いを響かせてしまう。とんでもなく腹が苦しい。どっちもどっちだと言いたいのに、言葉にならない。


(あの人は、生まれたばかりで無感情の私をどうにか笑わそうとしてくれた。結局、わたくしが最初に笑ったのは、あの人が意図しなかったところで……)


 それが――ひどく懐かしい感覚で、生まれたばかりの頃を思い出すのと同時、目の前の人たちがちぐはぐだと思った。


(刺すように射貫くのに、優しくて、でも厳しくって。わたくしにだけじゃない。自分たちにもそうなのに、不思議な空気で人を取り込んでしまう)


 だから、いいかなぁと萌黄は思った。喉に刺さる小魚の骨を抜くように、ずっとつっかっかっていたことを告げてもと。

 この人たちなら、自分が抱える重い想いを受け止めつつ、さらっと笑い、そして――馬鹿にしないと思えた。


「蒼さん」

「はっはい!」


 萌黄の呼びかけに、思わず蒼は背筋を伸ばした。紅も蒼の頬から手を離し、ごくりと喉を鳴らした。

 溜まりの淵に立っている萌黄は口元を肩掛けに隠している。わずかに見えている目は笑っているが、脅迫めいた視線を投げかけている。強引な時の彼女そのものだ。


「紅さんがおっしゃるとおり、とても大切なお話ですの。腰を折らないでくださいましね?」

「ごっごめんなさい」


 あからさまに項垂れた蒼。

 そして、萌黄はひとつため息をつくと、続けた。


「もし、可能でしたら……わたくしのことは変わらず『萌黄』と呼んでくださいまし」


 萌黄が控えめな音量で呟くと、蒼は顔を輝かせて激しく頭を縦に振った。頭上のお団子が激しく揺れ解けそうになるくらいだ。

 萌黄は苦笑を浮かべてしゃがみ込んだ。真っ白で細い指先を溜まりにつける。一瞬、麒淵と紅は警戒したが、ちゃぷんと水が跳ねただけだった。


「わたくしが、個の意識を持てるまでになった頃には、中央に住まう人間は富を得ても体調不良を訴える者が多い国となっていました」


 萌黄は切なげな視線を溜まりに向けている。無造作に泳がされている萌黄の指先は、まるで溜まりを撫でているようだ。


「けれど、もっとひどかったのは外壁に近づくほど貧しい者が増えていくことでしたわ。外壁近くの人間は奴隷として扱われた後、国の栄養になるという悲惨な一生を送るしかありません。自然を歪めたことにより、異常気象も頻繁に起るようになっていったのです。そして、人々は疲弊し疑心暗鬼を抱き、ひとつの標的を作りたたきのめすようになります」


 萌黄の言葉の中に、既視感を覚えた紅。


 吸い上げられて、国の栄養になって、異常気象が起る。人々は疲弊し疑心暗鬼を抱き――。


 反芻して、紅の顔が一気に青ざめていく。先ほどは蒼の変化に気を取られていたが、改めて説明され、今度こそ事実に驚いてしまう。


(既視感どころじゃない! これじゃまるで、今のクコ皇国そのものじゃないか! いや、当たり前だ。だって、華憐堂と手を組んでいる皇族の目的は、反魂の術なんだから。ということは――ここは本当に!)


 紅が音を立てて麒淵に顔を向ける。だが、麒淵は目で紅を制した。

 蒼は紅の腕を掴み、当惑しながらも萌黄に「あのね」と問いかける。


「優しかった長は、それでよかったの?」


 蒼の問いかけに、萌黄は小さく頭を振った。緩く右側で団子に結われた髪が崩れる。閉じた瞼からほとりと涙が零れ落ちた。萌黄の儚さがきわだつようだ。

 萌黄からひとつ、ため息が零れる。その風を受けたかのように、凪いでいた溜まりがぽちゃんと音を立てる。


「長は旅人たちを助け、国の形を作り上げた後すぐに亡くなりました。その後継者として選ばれたのが、偽物の溜まりを生成することを提案した旅人だったのです。それが全ての悲劇の始まりでしたわ」


 萌黄の言葉に、蒼はごくりと唾を飲み込んだ。ひっかかった唾はむせを誘った。


 つまり、元凶は『旅人たち』というわけだ。


 であるなら、貧しくも親切な人々をだまし、定住地を欲していたということだろうか。


(いや、違う)


 蒼と紅はどちらともなく頭を振った。


(萌黄さんは、自分がどちらの立場ったのか言っていない)


 だって二人はもう答えに辿りついている。 


「そして、旅人には病弱な妻がいました。貧しい一族の長が旅人を助けたのも、体が弱くけなげに美しい妻を連れた一行を哀れに思ったからでした」

「その病弱な奥さんは……亡くなった。それが、萌黄さんですね」


 紅は確信を持って尋ねた。


「えぇ、そうです」


 萌黄はただ真っ直ぐに、紅の疑問に応えた。

 か細いのに、確かなざわめきを呼ぶような呪いめいた背徳の肯定の音色。それでも、すとんと胸に落ちてきた声。


「彼女がいたから彼は生きてこられて……萌黄を失った時、あの人は永劫の生き地獄を選択してしまった。叶える術が目の前にあったから。彼は、その術をもっていたから」


 声が耳にしっかりと届くと、紅と蒼の全身の毛穴がぶわっと開いて逆立った。

 溜まりのひんやりとした空気がさらに下がった気がした。二人とも長袖の上着を身につけているのに、それを通り越して冷気が染みこんでくる気がする。その凍り付く空気がぴりっと皮膚を抓ってくるようだ。


「そして、わたくしは亡くなった旅人の妻である萌黄を再現するため、人の手によって多くの命の犠牲をもとに作られた。彼女が死んでから、なお、何十年の月日をかけて作られた人工溜まりに、一瞬だけ守霊として生まれた存在です」


 蒼は自分の耳を疑いたかった。


(一体なにがどうなって、人の体に守霊が入ることになったの)


 いや、理由なんて明白だ。明快どころか目の前の彼女が言うことが全てだろう。

 戸惑う蒼に念を押すよう、萌黄はゆっくりと血色の悪い唇を動かす。青ざめた唇は細かく震えている。


「萌黄という人間は、もう何百年も前に亡くなっております。ここにあるわたくしも――再現を重ねたわたくしたちもすでに崩壊寸前のところを、最後の理性として呼び戻していただいた欠片。かろうじて本物と呼べるものは、この器だけですわ。それも生きているのを装うのがやっとの状態ですけれど」

「じゃっじゃあ……! 本当に、私たちはそもそも『本来の萌黄さん』になんて会ったことがないっていうこと?」


 蒼は歩み出て、萌黄の両腕に触れた。掴むのではなく、恐る恐ると。触れた肌はひやりと冷たいが、感触も温度も人が持つものだ。


「まぁ、蒼さんたら。あそこまでわたくしを見てくださっていたと思っていたのに、まだ半信半疑でしたの? わたくしは最初から偽物ですわ。あえていうなら、人としての肉体だけが本物で」

「わっ私は、あなたが萌黄さんとは別の存在だっていうのは受け入れているけど! でも、貴女までが死んでいるみたいな言い方だから!」


 蒼は俯いて両拳を握る。最後まで叫びきれなかったのは、否定できるほど無邪気ではないからだ。

 蒼は死人の肌を知っている。

 両親ではないが、修行先で失った大切な友人の魂が空っぽになった抜け殻を知っている。感情も温度もないただの器。それでも縋りたかったのを覚えている。


「頭では理解しているの。守霊だろうがなんだろうが、魂が入っているからだって」


 触れている萌黄は死体の感触ではない。

 軋む指を開き、萌黄の素肌を掴む。氷のように冷たい肌だけれど、生きている人の皮膚だ。滑らかでちょっとの鳥肌が掌をざらつかせる。それがさらに蒼の焦燥感を煽る。


「でもね、思っちゃうの。ここにいるのが『本来』の萌黄さんじゃなくっても、貴女がここにいるのは現実だもの。冷たいけど、あったかくて、やわらかい」


 今、あわせているのは、何も捉えない瞳ではない。確かに心があり生きている眼差しだ。


(考えていること。ちゃんと伝わるように音にしたいのに、全く上手くいかない!)


 蒼はままならない自分が悔しくて、萌黄に抱きつくことしかできなかった。

 萌黄はそんな蒼を拒むこともなく、ただ目を細める。感情を言葉にすることは難しい色だ。


「ねぇ、蒼さん」


 長くて細い指が蒼の肩を撫でる。蒼が言いたいことを全部承知しているかのように。

 紅と麒淵は複雑な表情で二人を見つめる。


「『本物』ではなく、『本来』と言ってくださるのね。蒼さんは」


 本物とは偽物ではないこと。本来とは、もともとそうであること。

 本人以外には同じような意味なのだろうと、萌黄だって思う。それでも、彼女は嬉しかった。


「それに、蒼さんの幼くて、けれど、芯に浸るほどのぬくい想いはアゥマを通じて染みてくる。わたくしが守霊であることを思い出したからわかることですわね。偽物なのに、嬉しいと思うの」

「偽物なんて……私が止める資格ない! でも! 少なくともね、貴女がだれかを思ってここにいるなら、偽物なんて表現したら貴女の想いの行き所がないよ!」


 萌黄の偽物にとって、蒼のその言葉はなにより嬉しかった。


「貴女は本来の萌黄さんとは違う存在かもしれない。けど、貴女が萌黄さんを、その萌黄さんが大切にしてきた人たちを想って『再現』を続けてきたのは――いまに繋がっているのに」


 わかって欲しいなんて傲慢すぎると理解しているのに。なのに、目の前の少女はただ無責任に真っすぐに心を重ねてくるから、嬉しくて怒るより笑うしかない。


「貴女の想いはどこにいけばいいのさ。貴女の苦しさも、喜びも。全部は確かにここにあるのに、偽物なんかじゃないのにっ」


 蒼の目尻に涙が溢れる。そうして、心がキシキシと軋む度、熱の塊が頬を伝う。

 ただ、蒼は自分が泣いていいことではないと乱暴に拭う。それなのに、厄介なことに無責任な悔しさは溢れて止まってはくれない。


「そうなのです。やっかいなことに」


 蒼が熱を生む瞳をあげると、萌黄はしっかりと目線をあわせてくれた。


「代わりとして生み出された自分だったけれど、あの人の傍にありたいと、彼の幸せを願ったのだけは確かですの。それが多くの命を奪い、多くの罪を重ねてきたとしても」


 最後に『罪』だと自覚させてくれたのが、純粋で、でも単純にまっすぐではなく戸惑う心だったのが彼女にはとてもとても救いだった。そう、萌黄は仄かな笑みを浮かべる。


「それと同時。わたくしは、初めに萌黄のふりをした罪深い偽りの命。彼に愛されたくて、脳と体に残った萌黄の記憶を読んで演じただけの愚かな偽物。それも真実なのですわ」


 けれど。いや、だからこそ。

 萌黄のふりをする彼女は、自分を戒めるために『偽物』と繰り返すのだ。


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