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はじまりの裏側①―旅人と人工溜まり―

 萌黄が深い思考に沈んでしまったので、どうしたものかと蒼が周囲を見渡す。


(いまのうちに、この溜まりを分析した方が良いよね。さっきまでは萌黄さんの異常さにひっぱられていたアゥマたちも落ち着いているみたいだから、共鳴をはかったみようかな)


 蒼は瞼を閉じて、大きく深呼吸をする。心葉堂の溜まりと同じ濃い香りが、鼻腔を満たしていく。


(ううん。同じとはちょっと違う。もっともったりとして、なんていうか、あらゆる身体の内側に絡みついてくるような――)


 蒼の周囲に光が浮かび始めた瞬間、


「それにしても、紅よ」


萌黄の肩を撫でていた麒淵がやけに大きな声を出した。

 共鳴に集中し始めていた蒼の意識が、ぱっと音を立てて散ってしまう。

 ぶすりと睨むと、麒淵はあからさまな様子で目を逸らした。


「よく2日も監禁されていて無事――とは少々言い難いが、命があってくれたのう」

「そうだっ! 傷の治療!」


 蒼は飛び上がりそうな勢いで紅に向き直った。

 アゥマに気を取られてしまっていた自分を叱咤しつつ、手際よく魔道陣を作り出す。あまりに大掛かりな術は、ここではどんな影響が出るかわからないため最小限の強さだ。


「んー。空気中や紅の体のアゥマがうまく集まってくれないや。やっぱり、普通のアゥマとは勝手が違うのかな。共鳴を拒否されてる感覚だ」


 蒼はぶつぶつと呟いた。


(術の発動のためじゃなくって、純粋に共鳴だけしようとしていたら無防備過ぎて危なかったかも。でも! 麒淵も、普通に止めてくれたらよかったのに、なんであんな遠回しな遮り方して)


 されるがままだった紅だが、地面に腰を落としたまま瞼を伏せた萌黄を見て「あっ」と声をあげた。


「そういえば、最初にオレを気絶させたのは萌黄さんだけど、だれかがオレをなぶるのを止めてくれたのも、萌黄さんでしたよね?」

「それって、だぶん、っていうか、絶対さっき萌黄さんの様子がおかしかったのと繋がってるんだよね?」


 両手は紅に向けたまま、魔道陣を挟んで蒼が尋ねる。麒淵と紅を交互に見やるが、麒淵は口を閉じたままだ。

 そして、紅もどこから話したものかと考えあぐねていると、「蒼さん」と声を発したのは意外な人物だった。


「それは……わたくしからお話させてくださいませ」


 頬に涙の跡を残したまま、しかし、緑の勿忘草色(わすれなぐさいろ)の瞳には精気を宿している萌黄だった。

 一瞬、ぽかんと口を開いた紅と蒼。先に正気に戻ったのは蒼だった。自分たちのことに精一杯だったが、確かに萌黄は先ほどから常人の行動を取っていたと思い返す。


「そうだ。萌黄さん、まずはこれで顔を拭こうよ」


 蒼は萌黄の膝に置かれた手布巾(ハンカチ)を手に取る。そして水魔道を発動させ濡らし、できるだけ柔らかく萌黄の顔を拭った。


「ありがとうございます、蒼さん」

「しんどそうだし、体力も回復させてあげられると良いんだろうけど」

「良いのです。時間がありません。どうか話を進めさせてくださいな」

 

萌黄は静かに微笑み、でもどこか強引さのある萌黄は蒼が出会った頃の彼女で……どうしてか、蒼の目が潤んだ。

 萌黄はそんな蒼に切なそうな眼差しを向けて、立ち上がった。溜まりの方へと歩みだした萌黄について、蒼たちも足を動かす。


「まずはクコ皇国弐の溜まりの守霊であらせられる麒淵様に敬意を。わたくしめの――いえ、華憐堂の屋号を掲げる一族が起こし続けている過ちのために、お手を煩わせておりますこと、心よりお詫び申し上げます」


 萌黄は長い薄黄緑色の連衣裙(ワンピース)の片裾を持ち上げる。そして片手を胸にあて、腰を落とした。

 蒼と紅は顔を見合わせる。蒼は不可解そうに、紅は答えを見つけたように。


「どうして萌黄さんが、紅に謝るより先に、守霊の麒淵に敬意をしめすのかな? 萌黄さんが本当に麒淵と同じ守霊だから?」


 蒼は思い出していた。華憐堂の溜まりに来たばかりに麒淵が放った衝撃の言葉を。



――だがな、我と同じ存在である溜まりの子よ――



 麒淵は萌黄に向かって、はっきりと声をかけた。


「麒淵様と同じ存在、と表現するにはおこがましいですけれど……近い存在ではあります。ですから、麒淵様に重なり合った存在を払われて曲がりなりにも()()()()()()()()()()が最も敬うべきは、クコ皇国弐の溜まりの偉大なる守霊であらせられる麒淵様なのです。むろん、紅さんにも、もちろんお詫びのしようがございません」


 萌黄は蒼の言葉を肯定して、祈るように地面に両膝をついた。蒼は慌てて萌黄に立ち上がるように手を伸ばす。けれど、萌黄は頭を垂れたまま微動だにしない。

 麒淵が苦笑を浮かべて、蒼の頭をぽんぽんと撫でた。


「わたくしこそ、萌黄を偽り始めた魂なのです。最初に作られた、全ての過ちを始めてしまった罪深い存在」


 淡く光る溜まりを背に、萌黄はまっすぐと蒼たちを見据える。


「わたくしは、本物の萌黄に最も近い記憶を持っております。麒淵様は、そんなわたくしを幾重にも包んでいた存在を大地に帰すことによって、混乱状態をただしてくださったのですわ」


 萌黄は震える声で、だがはっきりと告げた。


「この子の人格を形成しておる魂は、何度も儀式を繰り返し、魂の存在値を取り繕ってきた。この子自体だいぶ存在値が薄れておったのじゃが、層のようになり記憶の混乱を生じさせておった守霊たちを大地に帰したのだよ」


 麒淵の捕捉に、蒼の眉間により皺が寄ってしまった。二人の説明が現実離れしすぎているのもあるが、


「魂の――浄化?」


そんなもの初耳だったからだ。


(魂というのは何層にもなっているのかな? そうしたら、私も浄化されたら異なる性格になるのかな。って、思考が迷走してるよ!)


 蒼の考えはこの場にいる全員に伝わっていた。なんせ面白い百面相として表に出ていたから。

 萌黄は小さく微笑み、麒淵と紅は呆れたように頭を抱えた。


「なっなにさ! 麒淵と紅はある程度事情を呑み込んでいるかもしれないけど、私は萌黄さんが豹変したり、記憶が迷走したりっていうくらいしか把握していないんだから!」

「そうじゃが……」

「いえ、わたくしの表現があいまいでしたわ」


 萌黄は寂しそうに笑い両手を胸にあてた。


「まず、この体に入っているのは、そもそも人間(もえぎ)の魂ではありません。わたくしは人間の身体を動かすために入れられた偽りの存在(たましい)なのです」


 蒼は余計にわからなくなってしまう。


「えっと。萌黄さんそのものではないなら、彼女たらしめているのは一体なんなのかな? そもそも、萌黄さんから聞いた貴女にまつわる話も全て偽りだったということ?」


 蒼が大きな目をぱちくりと瞬いて紅を見れば――彼はもう答えを知っているようだった。両手をきつく握りしめ、それでも萌黄から視線を逸らさずに彼女の次の言葉を待っている。


「わたくしと萌黄、それに華憐堂の店主や店守がアゥマが枯渇した国にいたことがあるのは嘘ではありません」


 蒼は頭の中で萌黄の言葉を三度繰り返し、やっとのことで識別した。


(わたくしと萌黄。とにもかくにも、目の前でしゃべっている女性と本来の萌黄さんは別人というのは事実なんだろうな)


 蒼は息を飲んだ。

 溜まりのうえ、洞窟のような肌寒い場所であるはずなのに、心葉堂のような澄んだ空気はない。まるで痰が絡むように不快さがある。


「萌黄が生まれた場所は、本当に小さな溜まりがひとつだけ存在する集落でした」


 萌黄の視線がふっと上を向く。遠い在りし日に想いを馳せるように。


「萌黄が生まれてすぐに、わたくしはアゥマの欠片として彼女の傍におりました。そして、彼らが貧しく枯れた土地で、それでも一族が助け合いながら生きてたのはうっすらと覚えています。生活は厳しいものでしたが、長はとても優しく、心から人を想う人でした」


 淡々と話していた萌黄が、一度、言葉を切った。口元をきゅっと結んでいる。

 蒼は反射的に彼女の背中を撫でる。蒼が言葉を詰まらせた時に、母がしてくれたように。

 萌黄は少しだけ目を見開いた後、わずかにだけ肩の力を抜いた。


「けれど。長が()()()()()たちを助けたことから、少しずつ歯車がずれていったのです」

「旅人は不穏分子だったの?」

「いいえ、蒼さん。むしろ逆です。旅人は豊富な知識を持っており、それを鼻にかけない謙虚な性格をしていましたので、すぐに集落の救い主として人々に受け入れられました。」


 虚空に向けられた萌黄の目は虚ろだが、どこか幸せそうでもある。


「状況が一変したのは、突然にその集落の溜まりだけが枯れてしまったことがきかっけでした」

「……ある日、当然か。しかも、近隣の他の集落には全く変化がなかったのじゃろうな」


 麒淵の言葉に、萌黄はゆっくりと頭を縦に振った。

 ほぼあり得ない状況だ。溜まりというのは、アゥマの通り道である龍脈をもとに形成されている。溜まりが枯れたということは、その龍脈自体に何らかの変調が出ていることを意味する。


「そのため、旅人は禍の前兆だったのではと囁かれ始めました。『禍』とは文字通り、人災――つまり、長が旅人を助けなければ防げた事象と捉えたのです」

「救い主が反転して、禍か。しかし、それも旅人の計算のうちだったのじゃろ」

「麒淵様がおっしゃる通りですわ。人々が絶望したのも束の間、旅人は己の体内に保有するアゥマを犠牲にするとして、()()()()をしました。そして、結局は旅人は己を犠牲にせず集落をあっという間に大きな国という規模の存在にしてしまったのです」


 人心掌握術というやつかと、蒼と紅は考えた。

 疑念からの信頼・尊敬を得たのち、己が敵意の的となる。そこで己を差し出して人々を救おうとした結果、成功して畏怖の対象となる。そして――。


「ただ、旅人はほんの少しだけ懸念を残しました。己を犠牲にして復活した溜まりがどうこうなるのは、己次第だと。それは言葉巧みに。決して、脅迫とはならぬよう、やわらかに、それでいて、しっかりと人々の心にこびりつくように」

「それは――」


 口を挟んだのは紅だった。どくんどくんと激しく鳴る心臓を掴み、声をあげた。

 紅はその国を知っている。萌黄が語るなら……高確率で、魔道府で読んだ古書に出てきた国の話だ。


「国内の地区を壁で隔て、その区画ごとにアゥマの使用量を制限していた国ですか?」

「今更ご存じの理由を尋ねるのは時間の無駄ですわね」


 紅の興奮をかみ殺した問いかけに、萌黄はたいして驚きもせずに頷いた。


「えぇ。旅人が禁術で蘇らせた、枯れた溜まりをもとにした国ですわ」

「蘇らせた、ですか?」


 紅が引っ掛かりを覚えて、問い返す。すると萌黄は自嘲気味に小さく笑った。


「実際は、蘇らせたと見せかけた、偽りの溜まりですけれど」


 何をもって偽りと称するのか。

 紅が疑問を口にするより先に、萌黄が「そして」と続けた。


「偽りの溜まりは、一見すると以前の溜まりとは比べ物にならないアゥマを保有しておりました。そして、集落は国と呼べる規模に成長しましたの。一部の人々の生活は、とても豊かになりました」

「……あくまでも、()()のなんですね」

「あくまでも一部、なのです。そして溜まりは偽物ですから、本物と同じ機能を継続させるには代わりとなる燃料が必要となります」


 紅は考える。


(燃料とは、随分と曖昧な表現だ)


 顎に指を添えて考え込みそうになった紅の上から、ため息が落ちてきた。


「溜まりのアゥマは、聖樹から生み出されたものじゃ」


 腕を組んだ麒淵が不機嫌を隠しもせず吐き出した。小さい姿の時には決して見せない様子だ。

 あえて『本物』とつけなかったのは、麒淵なりに複雑な心境だからだろう。そもそも、守霊として聖樹が生み出すアゥマ以外の溜まりは論外。


(けれど、命に寄り添ってきた麒淵のことだ。『偽物』を否定することも本意とは言い難いのだろうな)


 もっと言えば。麒淵は目の前にいる、懸命に生きてきた存在を『なかった方が良いもの』には、したくなかった。


「はい。偽物の維持を可能にしたのが『区画ごとの制限』でしたわ。聖樹以外のアゥマを燃料とする仕組み(システム)」


 そこで、蒼が勢い良く手を挙げた。


「古書で人工溜まりが作られているっていうのを読んだけど、偽物ってソレのことですか?」

 

ぎょっとしたのは紅だ。そういえば、麒淵の『白龍が調査している』という鶴の一言で騒ぐことを止めたが、蒼は少し前にもさらりと『人工溜まり』と口にしていた。



――人工溜まりってなんだよ!――

――文字のまんまだよ。古代には人の手によって作られた溜まりがあったらしいよ? すぐに滅んじゃったみたいだけど。っていうか、私は紅に説明して欲しいんだけど――



 紅は思い切り髪をかきむしった。


「人工溜まりとはいえ、全てが零から作り出されたわけではないのです」


 萌黄の淡々とした声調に、蒼と紅は身震いを覚えた。

 紅はぞっとして、蒼は――どこか興奮を覚えてしまっていた。零から作り出すより余程現実に沿っていると納得していた。アゥマを作り出すよりも、どこから吸い上げるか考えた方がよっぽど効率的だ。


「そうだよね。資材は有限だもの。無から作り出すより、有から搾取する方が楽に決まっているし、道理に適う。だって、アゥマはあらゆる生命に宿っている。大地にはなくても、あらゆる動物の血には含まれているんだもの」


 蒼は高揚感のままに語る。全く未知の存在だった人工溜まりが、あっという間に身近に感じられた。それが余計に興奮を煽った。

 牡丹色の瞳の瞳孔は、猫目(キャッツ・アイ)さながらに変化して行く。まるで宝石の欠片のようだ。


「あお……?」


 麒淵も紅も、蒼の瞳から鈴の音が鳴った錯覚に陥る。ぐらりと揺らぐ視界の中、一瞬だけ蒼の瞳が――薄氷河色(アイスブルー)に見えた。

 麒淵と紅の全身の毛が逆立った。

 二人で顔を合わせて幻覚でないと知るが、目に映る蒼はいつも通り幼さを残した顔つきでいる。異常さは感じられない。


「蒼さんがおっしゃるとおりですわ」


 戦慄に佇む二人をよそに、萌黄はゆっくりと頷いた。


「あの国は地域一帯の龍脈からアゥマを吸い上げ、中央に溜まりを作り出したのです。それでも、足りなかったのです」

「足りなかった?」


 蒼の問いかけにも萌黄は目を逸らさずに、しっかりと口を開いた。


「萌黄という存在の()()には資源は足りなかった。なら、何を使えばいいと思いますか? どうして、この国の人々は体調不良を訴え、異常気象が起きているのでしょうか」


 蒼と紅の背を冷たいものが駆け抜けた。全身の毛が逆立つ。寒気を感じて、なのに汗が溢れて頬を伝って岩肌に落ち続ける。沈黙の空間では、汗が地面に染み渡る音さえ聞こえるようだ。

 ただ、どうしてだろう。

 蒼はそれが心地よいものに感じられたのだ。蒼の中の知的好奇心を満たす答えが目の前にあると興奮に目が見開いていく。


「それは――」


 答えかけた蒼の手を、紅がきつく握ってきた。あまりに強い力に、蒼の頭がこてんと横に倒れる。

 紅は萌黄と蒼の間に立ちふさがり、蒼の視界から萌黄を消す。


「蒼、オレを見るんだ」

「紅? どうしたの? 早く萌黄さんの答えを聞かないと。私の中にある情報と答え合わせをしないと。紅だって知りたいでしょ?」

「いいから。オレの目は何色に見える?」


 紅は蒼の意識を自分の目に集中させ、その隙に指先から蒼の中のアゥマに干渉する。蒼の様子と同じく、蒼の体内のアゥマはいつもと調子が異なっている。ぴりぴりと殺気を放っているように拒絶されてしまう。

 だから、紅はあえて能力は発動しないまま蒼への干渉を続ける。能力を使えば蒼の状態をもっと確実に分析することが可能だが、紅の瞳の色は変わってしまう。いつもと違う様子になってしまう。


「いつも通り綺麗な牡丹色」

「そうだな。蒼と同じ牡丹色の瞳だ。そこに映っている蒼はいつも通りか?」


 少しばかりおかしくても、やはり蒼は蒼だ。紅の言葉に素直に従って、大きな丸い目を瞬かせている。

 蒼が首を傾げる中、紅は静まれ、静まれと繰り返し蒼のアゥマに語りかけ続ける。

 すると、変化していた蒼の瞳が、徐々に元の牡丹色を広げていった。それと同時に、蒼の白い顔に戸惑いを浮かんでいく。


(溜まりを渡ったことにより、蒼の中に眠っているオレと同じ能力が開花しかけたのか? 蒼は幼い頃、源流に飲み込まれた後、少しだけ能力が開花している時期もあった。蒼にも、あの国の王族の能力が備わっているのは立証済みだ)


 紅は麒淵を見やるが、軽く横に振られた頭や眉をひそめている。どうやら、麒淵も把握していない展開らしかった。

 紅は自分の様子に混乱している蒼の肩を抱き寄せ、軽く頭を抱える。かつて、異能に怯える紅に両親や祖父たちがしてくれたように。


「私、なんか、いま。自分が、すごく、嫌な、感じだった」


 蒼も戸惑いがちに、紅の上着をしっかりと握ってくる。その顔は色をなくしているが、確かに紅を写しているから……紅は安堵の息を吐いて、妹の頭を軽く抱えて背中を撫でた。


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