クコ皇国の景色
「ところで、萌黄さんは良かったの? 紺君は魔道府に、私はこの先の幼馴染のところに焚染札を買いに行くけど、 萌黄さんは紅に会いに行くところじゃなかったの?」
賑やかな東屋からやや離れ、街中へ差し掛かったころだ。今更とは思いながら、蒼は隣を歩く萌黄に問いかけた。
翁たちと別れた後。当然、萌黄は街中とは反対方向の心葉堂へ歩き出すものだと考えていた。絶好の機会とばかりに、心葉堂で留守番をしている紅に会いに行くのかと思いきや……。なぜだか、三人は共に街中へと歩みを進めているところだ。
「蒼さん、考えてもみてくださいまし」
萌黄はあからさまに落胆してみせ、瞼を閉じた。腕に抱えた竹籠も、同意だと言わんばかりに軋んだ。
「紅さんへお持ちするはずだった弊店の茶葉は、ご老人たちにお分けしてしまったのです」
「そう? 開けてないのもあるし、紅は萌黄さんの気持ちだけでも喜んでくれると思うよ?」
「いえ、紅さんだけのために用意すること。それに意味があるのですわ。相手の厚意に甘えるわけにはいきませんわ」
そう、きっぱりとした口調で答えた萌黄。茶器一式が仕舞われた竹籠を抱きしめる腕に、若干の力が込められた気がした。きしりと、先ほどとはまた違う音で竹が鳴いた。
その大げさとも言える萌黄の反応は、蒼にとっては慣れたものだったので別段気にも留めなかった。
「萌黄さんは、相当、紅暁に懸想しておられるようで」
しかし、彼女と初めて顔を合わせた紺樹は、あまりに強い紅への想いに驚きを隠せない様子だ。物事に動じない彼としては珍しく、数度、目を瞬いた。
「紺君。恋路を邪魔する人は、馬に蹴られてなんとやらだよ?」
「邪魔する気は毛頭ありませんよ。その方が、蒼ともゆっくり話せますので」
「紺君が私をからかう言動を控えてくれれば、紅だって噛みついたりしないよ……。大体、紺君はもうちょっと周りの目を気にしなって」
いくら六つのころから可愛がってくれている十も離れた幼馴染の軽口とはいえ、蒼だって年ごろだ。自分がどう思うかではなく、周囲がどう思うかという部分は理解できる。
だから忠告してあげたのに。じとっと睨みあげても、紺樹は吹いてもいない風を纏って爽やかに笑うのだから、変顔にもなってしまうものだ。
「私の中で肝心なのは、蒼にどう思われるかだけなので」
「いやいや、若輩な幼馴染が周囲に恨まれるような行為は控えてよ。私のことが可愛いなら」
「おや? 私が原因で蒼が受ける嫌がらせがあるなら、欠片も見逃しませんよ」
本気か冗談か不明な――いや、冗談風に笑ってはいるが、この幼馴染は絶対自分の身内を守る人間だと、蒼は知っている。なので、両肩を落として
「はいはい、ありがとね」
とだけ返しておいた。
「クコ皇国は、ほんとうに、すごいのですね」
紺樹の反応を気に留めなかった萌黄は、街中を流れている川と水晶板に首を傾げている。
さらさらと流れていく、水の調べ。それを不思議そうな視線で追っていく様子は、子どものように愛らしい。
「この街の光景は、まだ見慣れないですか?」
自分の好きなものに興味を持って貰えることは、とても嬉しいことだ。蒼も例に漏れず、大切に思っている街に興味を持ってもらえた事に胸が弾んだ。そうして、元気よく萌黄の顔を覗き込む。心が踊る蒼を表したかのように、かつんっと鳴る、快活な靴音。
満面の笑みを浮かべる蒼に、萌黄は眩しそうに瞳を細め軽く顎を引いた。顔の横にかかっている長めの髪が影を作る。
「そう、ですね。えぇ」
その陰影が、作り出した印象。それは、彼女が抱いているのは、興味と呼ぶより未知のものに対する脅威だと感じられるものだった。
紺樹は萌黄の陰を知ってか知らずか、いつもよりさらに柔らかい声を出す。
「そうですよね。華憐堂の皆さんは他国からいらっしゃったとか。国によってアゥマの使い方はさまざまですからね」
「そう……ですわね。わたくしの故郷とは、違いますわ」
萌黄は、静かに目を伏せた。蒼には故郷の話を寂しそうに語る萌黄を、良く理解できなかった。離れてしまった故郷を思い出して、寂しくなってしまっているのだろうか。
アゥマに関してなら、どうだろう。蒼は目新しい相手に、今まで考えたことがんないような思考が広がる。
古来よりアゥマが豊かな溜まりの上に人々が国を築いてきたとはいえ、国によってその質や需要は変わってくるものだと聞いたことがある。アゥマが豊富な国は、やはり、文化も生活も水準が高いのだとも。
このクコ皇国は、世界の中でも非常に溜まりが多く、しかも濃密である。だからこそ、この街は美しい。
クコ皇国以外の国の情勢に疎い蒼には、遠方の国の状況は想像し難い。修行をしていた場所も、浮世から隔離された空間だった。
「この国はアゥマが本当に豊かですわね。それを実感する(・・・・)毎日です」
歩きながらも想像を広げていた蒼。その隣を静かに歩いていた萌黄が、ややあって、ぽつりと呟いた。肌の薄さとは正反対の濃い色味の瞳が、随分と遠くを見つめている。
「そうだね。例えば普通の川に見えるこれも、各溜まりから流れるアゥマが混ざり合っているの。ただ、職人というかアゥマ使い以外には源泉ってかなり強いものなの。だから、こうやって水晶を格子状に張ったり真水に混ぜたりして、純度を抑えたり低めてたりするんだよ」
蒼は川から時折顔を出す水晶板を指差し、微笑んだ。さらに深い場所にも水晶板はあるが。
萌黄は片頬を掌でおさえながら、その指先を視線で追う。思わずという様子で溢れたのは、「まぁ」という驚きの声。やや間があき、やがて、納得したように深く頷いてみせた。
「それで、このような街作りになっているのですわね」
「そこの桜の蕾を型どった灯篭の中には、アゥマを凝縮して作られた結晶があります」
「本当に至る所に……」
以前、蒼は紅の留守中に彼女を店へ招きいれたことがあった。
その際、萌黄自身の口から聞いたのだが、祖国では彼女はあまり家人以外と接触を持つ機会がなかったと言っていた。確かにと、蒼には感じられた。
(それにしても)
萌黄のあまりにも白い肌に、蒼は釘付けになってしまう。肌の透明感を表すのに陶器や雪原などという比喩を使うが、蒼の瞳に映る色はそれらよりも薄く儚い。それだけ街中を歩くことも少なく、市井の人々と関わる機会も、同様だったのだろうと予想ができた。
(深窓の令嬢だったのかなぁ)
蒼も、研究のためと地下へ引きこもることがある。焼けにくい体質もあってかなり白い方だ。しかし、萌黄の場合、比喩ではなく血の道が見える程なのだ。あまりの肌の綺麗さに、目を奪われてしまう。
「蒼」
あまりにもじっと見すぎていたのだろう。紺樹に軽く頭を撫でられて、はっと我に返った。見上げると、紺樹が両の口端をあげて笑っていた。紺樹は、手をそのままに、視線だけを萌黄へと向ける。
「萌黄さんの故郷は、どんなアゥマの使い方をされていたのですか?」
「……なぜ、ですの?」
紺樹の質問に返ってきた萌黄の声は、驚くほど鋭いものだった。
話の流れからいっても敵意を向ける内容ではないはず。
実際、さきほど萌黄自身の口から祖国はアゥマが『豊かではない』と述べたばかりだ。ならば、限られたアゥマがどのように優先的に使用されていたかを知りたいと興味を持った紺樹の言葉は、ごく自然なものだと思われたから。
「萌黄さん?」
思わず、蒼は口を開けた間抜けな顔で、萌黄を見つめてしまう。それは紺樹も同じだったようで、萌黄を気遣ってか「これは失礼しました」と、先程よりも少しだけ高めの声を出した。
「他意はありませんよ。あまりにもわが国の様子に驚かれているように見えたので、気になっただけです。気分を害されたなら、申し訳ありません」
「それは……」
萌黄は己の感情部分を隠すのは苦手なのだろう。遠慮深そうな物腰を保ちながらも、思いの外、好戦的な目つきをする。
そんな彼女の警戒を解くためか、紺樹は整った顔に特盛の爽涼さを吹かせた。いつもに増して爽やかだ。蒼にとっては、胡散臭いことこの上ない笑顔だが……。
「私も気になるなぁ。アゥマ使いとしては!」
蒼が元気よく頷くと、両側の束ねた髪が勢いよく跳ねた。助け船でもなんでもなく純粋な好奇心からだ。
「蒼は修行以外では、首都も出たことがないですからね」
「うん! 修行に行ったのも、街っていうより森の中にある、小動物が肩に乗ってきちゃう系の不思議村っていうか」
「小動物が肩に乗ってきちゃう系の不思議村、ですか」
萌黄は唇に手をあて淡く微笑んだ。よほどツボにはまったようで、軽くむせた。
そして数秒黙った後、
「わたくしは、アゥマに関してはあまり知識がないので……」
弱々しい調子で言葉を紡いだ。
それはあまりに虚弱で、言葉を『発する』というよりは『零す』という表現がしっくりくる。吐息のようで、ひどく耳に残る音。
「萌黄さんはアゥマ使いじゃないんだね?」
蒼はあえて明るく問う。
「えぇ、残念ながらその才には少しなりとも恵まれなかったようですの。代わりに商学を。それに……故郷はこの国のようにアゥマが豊かではなく、アゥマ使いの需要も少なかったので」
搾り出された言葉は、暗く重い影を背負っていた気がした。いや、言葉だけではない。萌黄が醸し出す空気さえ、張り詰めたものがあった。蒼の喉が、きゅっと締まる。
アゥマを使えないというのは、特殊職業の家系にしては非常に珍しいことである。アゥマを扱う職人は、リンフという魂を持つと言われており、血脈において継がれる場合がほとんどなのだ。その家系を特殊職業と呼ぶ。
また、アゥマを制御するに至らなくとも、全く能力が備わらないということはほぼ皆無だ。それを基礎として何かしらの特殊能力を持つのが一般的である。
「あの人は茶師ですが、わたくしは、本当に才がなくて。でも、支えたくて」
蒼にしたら表現にいささかの違和感はあるが、あの人とは華憐堂の茶師だろう。つまりは萌黄の父親にあたる。
一人娘である萌黄は、茶師ではなく学問の道へと進んだ。受け継がれる能力が一切欠如しているということも加えて考えると、自然なことだろう。体が弱く外へ出ることがなかったのも、それが起因しているのだろう。ある意味では、特異体質とも言えるのだから。
「紅と同じだね」
「えっ? 紅さん、ですの?」
「あっ紅はアゥマ使いだけどね。紅もね、職人じゃなくてお店の経営のことやってくれているの。縁の下の力持ちさん! もちろん、前にも出てくれるけど。主に私の指導っていう場面で」
紅はアゥマの制御面で優れており、その力を買われ魔道府に勤めた時期もあった。蒼とは違う方面で特殊な能力を発揮し、将来を有望視されていた。
けれど、両親の死後は元々あわせて学んでいた商学を活かす機会だと言って、あっさり魔道府を辞職してしまった。だから萌黄とは全くの同類ではないが、支えるという思いが同じだと、蒼は思ったのだ。
(紅ってば、『特に目標があったわけじゃない』とか『代々やってきた店の方が大事』なんて言っていたけど。苦労な上に人一倍心配性なのは、知っているんだから)
店の経営が職人一人でできるわけではないことは、蒼は身をもって体験している。
「本当に仲がよろしいのね」
「そうかなぁ? 家族だし、でも家族だからこそ、当たり前だと思わないようにしないとっていうか。あっ、でも! 大好きなお兄ちゃんだもん。ずっと仲良くいたいなとは、思うかな」
思わぬところを衝かれ、蒼の耳元がわずかに染まった。両手がせわしなく振られる。頭上に紺樹のからかいを含んだ視線を感じたが、そちらは無視することにした。
兄で遊ぶことは好むが、自分が兄絡みでいじられることは慣れていない蒼。唇をわずかに尖らせ、そっぽを向く。そんな蒼を見た紺樹は、困ったように眉を垂らし、
「そういえば、萌黄さんは紅といつ出会われたのですか?」
別の話題を持ち出してきた。お詫びのつもりだろうか。
「私も詳しくは知らないんだ! 教えて欲しい!」
照れくささもあったのだが。蒼も彼らの出会いを知る機会がなかったことも事実。
興味津々な蒼は、思わず前のめりになった。紅にいくら尋ねても『大した話じゃないし、なぜこうなったのか、皆目見当も付かない』と目を逸らすばかりなのだ。
蒼は兄の珍しく浮いた話に目を輝かせた。




