なぜ毎日書けるのか?
なろうの投稿、「毎日書いてる」という人と、「毎日書けるなんて凄い」という人がいるように思います。
私は毎日書いてるほうの人です。
でも、べつに凄くはないんです。
テキトーな走り書きみたいなものだったら、そりゃー毎日書けて当たり前です。
実際、私はそんなのをよく書いていました。
今では反省して、そういうのは隔離用連載作品の中に収めていますが……。
それでも毎日書けと言われたら書けます。
丁寧に丁寧に彫琢したようなものは無理ですが、一応他人に読ませられる形のもの程度でいいのなら、毎日書けます。
なぜか? と考えてみました。
たぶん、それはインプットとアウトプットを分けていないからです。
他の方の作品を読んだり、映画を見たり、取材をしたり──
そういうのをみんなは『インプット』と呼ぶのだと思います。
自分の執筆に疲れたり、ネタ切れした時には、アウトプットするのを一時やめて、インプットをする。
燃料補給みたいなもの?
私ももちろん、自分一人の中にあるものだけで毎日は書き続けられません。
他人の書いた小説や、観た映画やマンガ、過去に読んで暗誦してる詩とか、ちょっと日常の中で印象に残った体験──そんなものを材料にしています。
でも、それを必ずしも『インプット』だとは思ってないんです。
小説を読みながら、『あっ。これはあのパターンだな?』とアウトプットする。
映画を観ながら、『自分ならここはこうする!』と、アウトプットする。
同じように──
自分の小説を書きながら、インプットすることもよくある。
自分の小説を書きながら、同時に読んでいます。
読者の目になって、面白がったりしています。
よーし、もっと面白がらせてやれ。
そう思った私が、私を面白がらせるために、アウトプットしながら、
なるほど! そう来るか! アッハッハ!
読んでる私がインプットします。
あるいは書いているのは私ではなく、私の上から私を見ている神様で、そのひとが落っことしてくるものを私は『ああ……はい!』とか言いながら形にしているだけだったりします。
つまり、私が毎日書けるのは、頭で考えずに、私の中から自動的にアウトプットされたものを、画面にインプットしているから……
わかりにくいな(*´ω`*)
たとえばAIが書いた(アウトプット)小説を読んで(インプット)、自分の好みと照らし合わせて細部を書き換える(アウトプット)みたいなやり方なら、たぶん誰でも毎日書くことができますよね?
ネタが切れることなんてありません。AIがネタを出してくれますから。
そのネタが、AIを使わなくても空から落ちてくれば、同じことができます。
私は仕事柄、車を運転している時間が長いです。
乗り物に乗っているとよくアイデアが降りてくる、とか言います。
ぼーっとして、頭の中に、過去に体験したことや、霊感的なものとかが、色々と現れる。
それはインプットしたもののアウトプット。
アウトプットするためにインプットしたわけじゃないけど、アウトプットしてしまったからにはこねくり回して、別の形にしてまたインプットする。
その繰り返しをやっていると、物語が生まれます。
意味のわからない物語だったとしても、自分好みの物語として形をもちます。
まぁ……
なんというか……
私が非合理的な性格の持ち主というだけでしょうか(*´∀`*)
ゆえに
私は毎日書くことが苦痛ではないというだけのお話でした。
すみません。