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「お父さん、この人のこと知ってるの」
「モモ!失礼なことを言うもんじゃない!この方はソイソス要塞最高責任者、司令官となったタルタロス様だぞ」
「え、そんな偉い人だったの」
前の司令官って白髪まじりのぱっとしないだった。交代を父が知っているのは自治会ではすでに周知されているのだろう。
「偉そうだと思ったのだろう?市民と接する機会など今までそうなかったものでな」
「本当にごめんねモモちゃん。悪気があるわけではないんだけど、勘違いされやすい人でさ」
「私はどう思われても気にしてはいないが……」
「少しは気にしてくださるとありがたいのですが?話し合いのはずが決闘になる寸前ということが多すぎるんですよ」
「それは怒り出すほうが悪いだろう」
「怒らせるほうも悪いですよ」
「そんなことはない」
「そもそも今って会議じゃなかったですか?俺は欠席することにしてありますけど、司令官は出ないといけないはずですが。しかも勝手についてきたのですよね?俺の用事が終わるまでお願いですから大人しくしていてくださいませんか」
「会議……マリーゼル様もけっこう偉い人?」
困ったように笑う彼を見て、言いたくなかったのだと気づいた。
「身分のことなら確実にそうだな。が何をもって偉いとするかによるだろう。これは小さい頃から勉強熱心で色々と」
「先生、いいですから昔話は」
普段は優しい大人の男性という印象なのにタルタロスといるマリーゼルはなんだか可愛く思える。
「自分の生徒の出来の良さを自慢して何が悪い?お前の立場は分かっているが、自分の功績はきちんと報告しておかなければいつまで経っても誤解されたままだぞ」
「その話しは後でお願いします。モモちゃん、タルタロス様は俺の家庭教師をしてくれていたんだよ。昔はお世話になったんだ」
「そうなんですか、そんなに歳が離れているようにも見えないのですけど……」
タルタロスは苦笑を浮かべた。
「ははは、そうだな。若く見えるのだろう?魔力の量によって老化の速度には雲泥の差があるからな。モモのほうが私よりも先におばあちゃんになるやもしれんぞ?」
「うら若い娘さんになんてこと言うんですか!」
「何を怒っているんだ。事実を言っただけだろう」
魔力の高い人は貴族に多いため、要塞内で育ったわたしはほとんど会ったことがない。本に魔力が多いと老化が遅くなると記載されているのを見た覚えはあるが、実例は初めてだ。
「この砦に先生ほど魔力の高い人がどれだけいると思うんですか。そもそも国一番の魔術師である先生が赴任するはずがないのに」
「国どころか世界中でもそうはいないな。人間では隣国の聖女と塔の長くらいか」
父はわたしの隣で立っている。口を挟むタイミングを掴めないようだ。
このまま世間話ばかりしていても困るので父の腕を軽く叩いた。
「あの」
「ああ、忘れるところだったな。鍛冶の腕を見込んで頼みたい仕事があるのだ」
「魔術師様のご依頼にお応えできるかどうか……剣ばかり作っている私にできることかは分かりませんが」
「何、そう難しいことではないはずだ」
「ではこちらへ。狭いところで申し訳ないのですが」
「ああ。話してくるからマリーゼルはその娘と話しているといい」
名乗ったはずなのに名を呼ぶつもりはないらしい。別に構わないけど、丁寧に接する気がしなくなるのもしょうがないことだと思う。
タルタロスは顔はいいのに態度で損している人なのだろう。
「だから俺もお願いがあるって言っておいたでしょう」
「そうだったか?まあ先生に譲ってくれるな?」
世話をしたのだから恩を返せとばかりの物言い。それで成り立つ関係なようなので口を挟む気にはならないけれど、マリーゼルが可哀想な気がしてきた。
今までより優しくしたい。今日は父に怒られない程度に安請け合いしてもいい気がする。
「マリーゼル様、タルタロス様って怖い人なんですか?」
「怖いというかなんと言うか。うーん、単純に昔反抗期まっただ中に面倒見てもらったから恩があるんだよね。今真っ当に生活できているのもあの人のおかげだし」
「でもわたしのほうが先におばあちゃんになるなんて。長生きできるなんてうらやましいです」
「怒らないの?先生かなり失礼なこと言ったのに」
「う、まあ言われた瞬間はムカっとしましたけど、でもタルタロス様にとっては本当のことを言っただけですし。時と場合を考えてほしいなとは思いますよ?でもまあそういうものなんだって納得するほうが大きくって。魔術師様だし」
「先生は功績もあるし実力も高いんだけど、他人の気持ちに鈍感なところがあるからね。まあ魔術師は自分の研究のほうが大切だって人も多いから、魔術師ばかりの中にいたら普通のことだからね」
どんな集団の中にいるかってことなのだろう。
普通という感覚も平均値ということなら何を母体にするかで変わってくるということだ。
わたしにとっての普通とタルタロスにとっての普通はかけ離れているだろう。マリーゼルにとっての普通もきっと違うはずだ。
「あの人が何を頼みに来たのかは俺もよくは知らないけど、多分自分の研究に必要なことなんじゃないかな。要塞で使う装備品のことなんだったら別に本人が出向かなくてもいいことなんだし。もし変な依頼だったら気にせず断るようにお父さんにも言っておいてね」
「マリーゼル様って苦労性ですか?そんなに心配しなくても父も子供ではないんですし、できないことならはっきりとできないと言うと思いますよ」
「ならいいんだけど。でも先生だからなあ……」
突然奥が騒がしくなる。どうやら父とタルタロスが言い争っているようだ。
奥に入ろうとした時父の怒鳴る声がした。
「帰ってくれ!!」
タルタロスが押し出されてくる。
「お父さん?どうしたの、そんな大声出さなくっても」
「ああ、モモ。お客さんがお帰りになるが、お前は裏に行っていなさい。お見送りはしなくていい」
「お、お父さん、なんでそんなに怒ってるの?」
戸惑いながらたずねるものの、返答はない。どうしたというのだろう。
状況が読めないのはマリーゼルも同じだ。
「先生、一体何をお願いしたんですか。いつも温厚なドレアンさんがこんな怒るなんて非常識なお願いでもしたんじゃないでしょうね」
「注文品のほうは快く請け負ってくれることになったのだが、その後に思いついたことを話したら急に怒りだしてな」
「思いつきだと。思いつきで娘がやれるか!俺はな、これでも娘のことは可愛がってきたと思っている。今日会ったばかりの人間に、しかも俺よりもずっと歳上の相手にモモを嫁にやるつもりはない!!」
はい?
父の言葉にわたしは固まった。
「……先生、まさか」
「ん?元気な娘だし、名がまたいいではないか?だから駄目で元々お願いしてみたのだが」
「本人の気持ちも考えてあげてくれませんか。先におばあちゃんになるって言ったのは先生ですよ」
「ああ、確かに。そこは研究成果が出れば改善の余地のあることだからな。国同士の政略の駒に使われるくらいならさっさと出て行くか、嫁を見つけるかしようと思っていたのだが……」
「だからって会ったばかりのしかも身分差のある娘への求婚を願い出るなんて駄目にも程があるでしょう」
マリーゼルの声が今まで聞いたことがないくらい低くなっている。それになんだかタルタロスを睨みつけているような。
「それだけか?」
「何が言いたいんです」
「身分差があるのは私だけではないからな。本当はまだ補修が必要ではないのにちょくちょく顔を出していると聞いたが」
「先生、やめてください」
「同僚の物まで持っていってやると持ち込んでいたらしいではないか」
「だから今話すなと言ってるんだ、この馬鹿上司!!」
思わず叫んでしまったのだろう。すぐに誤魔化すように空咳をするといつものトーンに戻った。
「俺のことはいいんです。自分でなんとかしますから」
「そうか、困ったら身動きがとれなくなる前に私に相談するように。いいな」
言いたいことを言ってタルタロスは店から出て行った。
マリーゼルがちらちらと視線を向けてくるが、口を開くのは父のほうが早かった。
「マリーゼル様、あんたのほうは何の依頼だ?」
「ああ、今行きます」
父と共に奥に入っていく。終わるまでの間、わたしは隠した本を取り出し読み始めた。今度は父も声を荒げることなく平穏な時間が過ぎていった。
閉店時間を過ぎても父とマリーゼルの話し合いは続いている。折角なので送り出してから帰ろうと思い、小腹を満たすためにお茶を淹れる。お供はお気に入りのふんわりパンだ。
リーゼルの帰りがけに一人でお茶を飲んでいるのを見つかってしまい、気恥ずかしさを隠しながら誘うと快諾をもらった。
「あの人には困ったものだな。いいかい?もし求婚されても決して頷いてはいけないよ。面倒なことになるのは目に見えているんだ。先生は熱烈なアピールを受けてる最中でね、風よけを欲しがっているだけなんだ」
「風よけですか」
「俺が女だったら簡単な話だったのにと言うんだ、あの人。誰でもいいわけじゃないらしいけど、条件に当てはまるなら誰でもいいと言い切ったからね。顔はいいけど騙されないようにね」
「顔って。それを言ったらマリーゼル様だって格好良いじゃないですか?」
「そ、そう?だったらうれしいけど」
「初めてお会いした時にはどこの王子様かと思ったんですよ。ほらマリーゼル様ほど爽やかな人ってこの辺りじゃ珍しいですし」
「王都に行けばその辺に転がってるよ」
「そうなんですか?落ちてるなら拾えるかもしれませんね」
「モモちゃんになら拾われたいよ」
「やだな、わたしのほうが拾われる側ですよ。家にいられるうちはいいですけど、将来の行き先ありませんし」
「だから先生の申し出を受けるって言うのか?」
「思いついたって言ってたじゃないですか。それにわたしじゃ釣り合いませんよ」
「そんなことない。君は自分で思っている以上に魅力的な子だよ」
「お世辞でもうれしいです。マリーゼル様みたいに素敵な人に言われるとお世辞でもうれしくなります」
「お世辞なんかじゃない……って言っても分からないか。自分で納得するまでは。モモちゃんって人に合わせているように見えるけど実は頑固だものな」
「褒められているんでしょうか。それ」
「褒めてるよ。頑固ってことは自分の意志を強く持てるってことだ。何を言われても自分の気持ちを持ち続けるってのは難しいことだ。モモちゃんはそれができる。才能だと思うよ。ただ自分が間違っているかもしれないと疑う気持ちも必要だけどね」
「そんなことないですよ。わたしは自分がどうしたいのかも決められないままで」
「今いる場所が居心地がいいってことだ。良いことじゃないか」
「思いつきでも求婚を考えるなんてもしかして切羽つまってるんでしょうか。風よけにしたいってことは具体的な対象いるんですよね?」
「ああ。厄介な人に好かれているね。隣国の聖女に求婚されているんだよ、先生は」
「聖女様ってあの勇者ご一行の?」
「今隣国で聖女の称号を持っているのはその娘だ。勇者が現れたのはもう30年近く前になるから……」
「へええ。他国のお姫様ですよね。どうしてタルタロス様なんだろ。他にもっと好条件の人選べる立場ですよね」
「モモちゃんは先生も勇者の仲間の一人だったって知ってる?」
「え、そうなんですか?確か騎士様と聖女様はお名前が広まっていますけど、同行された魔術師様は『塔に所属する一人の魔術師』としか伝わっていませんよね」
「ああ、民間にはそう伝わっているのか。ほとんどの人は先生が勇者の仲間だったことは知らない。だけど共に旅した仲間の聖女は先生がそうだと知っている。塔を抜けた後は諸国を漫遊して見聞を広めるっていう建前で研究材料を集めていたらしい。聖女の国ってことで生態系がこっちと違うらしくて隣国にいる時間も長かったらしいから、現聖女が幼い頃に見初められてしまったのだろうな」
「へえええ。ロマンスですね!いいなあ」
「そうやって素直に言える立場が俺はうらやましいよ」
「何度断っても諦めないらしいんだよ、もう何年になるだろう」
「どうしてもあきらめられないんじゃないんでしょうか。好きなものって欲しいですもんね」
「モモちゃん、今何を思い浮かべて言った?」
「え、ご近所さんとこのパンとクッキーです」
「食べ物と人は違うよ。相手にも意志があるんだから」
「そうですよね、すみません。つい美味しいものがなくなったら嫌だなって思うなと」
「なくなったら嫌か。どんなメリットがあるんだろうか。先生と婚姻を結ぶことに向こうのメリットがなかったら途中でやめているはずだしなあ。しかも聖女が我が国に輿入れすることになる。表向きは我が国にばかりメリットがあってね。なのに差し出そうとしてくる。おかしな話だ」
やっぱり住む世界が違うらしい。わたしからすれば恋する相手に近づきたいと思うのは理解できることで、まったくおかしいことではないのに。
「その聖女様がタルタルス様のことを好いているだけってことはないでしょうか」
「どうかな、あり得ないことでもない、かな……聖女は隣国の王女でもあるから、王が娘の願いを叶えようとしているのだとすればあり得るな」
マリーゼルはそう言うと黙ってしまった。