第一章 刻まれた紋章(7)
先を急ぐ。それをサスカッチの光りの外から遠く離れ、餓鬼共が着いて来る。
「熱くなってきたなぁ。」
「ああ、もうすぐ“炎の回廊”だ。
もうちょっとで、炎が放つ光に包まれる。
そうすりゃあ、この餓鬼共も居なくなるぜ。」
ドラゴがニヤリと笑う。
「あの先、紅い光が見える。」
「そうだ。そこが回廊の始まり・・・」
ドラゴがみなまで言う前に、ゴーッとゆう音と共に無数の火の玉が飛んできた。
「伏せろ。」
カミュが後ろ向きのドラゴに飛びかかる。その上を飛び去った真っ赤な火の玉が、次々と餓鬼を斃していく。それを境に、こそこそと餓鬼共が洞窟の奥深くへと逃げ帰った。
「やっと一休みできそうだな。」
ドラゴは傍らの石に腰を下ろし、ホッと息をついた。
「でも、いまのはなんだったのかなぁ。」
カミュの疑問に、
「ふん。
イフリートかも知れんな。」
「イフリートって、ローコッドに聞いたことがあるけど、火を司る・・・」
「ふん。
知っておったか。
炎の魔神・イフリート。
古より、炎のある所に棲み、炎を穢す者を忌む。
逆に自身を崇める者に炎の力を貸し与え、また敵対する魔神とも戦う。」
「でわ、僕らの味方・・・」
「とも言えるし、そうでないとも言える。」
「そうでないとしたら。」
「ふん。
闘うしかなかろう。まず、勝ち目は無いがな。」
「ドラゴ、他に道は・・」
「山を越えるのはこれ一本きりだ。
ドルドーの村まで戻って、絶壁を登る手もあるかも知れないが、万が一、登れてもこの時期だと外は一面の雪と氷の世界。二日と生き残れやしないよ。」
「ふん。
今日逃げても、無駄なことだ。
カミュ、お前の背にある剣、それはフレア・ソードと見た。
つまり“炎の剣”だ。」
カミュは背中の剣を抜き、そして見た。
「そこに紋章があるだろう。」
カミュは、剣の柄に刻まれた紋章に目をやり、肯いた。
「“炎の紋章”。
それがこの回廊に近づくにつれ、輝きを増しているはず。
それは、その剣が魔神を呼び、魔神の命にその剣が反応している証拠。
ここで逃げても、その剣を手にしている限り、何時の日か魔神はお前の前に現れる。例えばそれは、重大な戦いの時かも知れない。
今か・・それとも、先か・・・
それはお前が決めることだ。」
「今・・しかないと思う。」
カミュが剣の柄を力強く握り締める。
「今って・・お前、勝てるのか。」
「勝ってみせる。」
ドラゴの声にカミュが力強く応える。
「ふん。
そう言うじゃろうと思っていたよ。」
そう言いながら、ガクッとルーサーが膝を着く。
「ドラゴ、この人、怪我を・・・」
ルシールが老人に駆け寄る。
「ふん。
儂はここまでだ。さっきの火球が躰を貫いておる。」
「ルシール、君の治癒の魔法じゃあ・・・」
「ふん。
無駄な時間を使わぬ事だ。
そんな事より、“光の子”カミュ、そしてそれを守る勇者ドラゴよ・・よく聞け。
もし、イフリートを承伏させても、その先、道々油断するな。
邪神は今、復活しようとしている。
貴奴は、人々の恐怖と絶望で肥え太る。
暗く湿った所を好み、そこに自身の細胞の根を張り、その土地を腐らせる。
腐った土地は、邪神の妖気を受け、その地にある蒙気が立ちのぼり、一定の形を成す。それが魔物とか鬼とか言われる者だ。」
ルシールの白魔術が効いたのか、ルーサーの息づかいが少し楽になっている。
「ふん。
余計なことを・・・」
ルーサーの毒舌も戻りつつある。
「もう少し、僕等の敵のことを教えてください。」
「ふん。
邪神の名はルグゼブ・・古代には別の名で呼ばれておった。
その名・・・」
ルーサーが邪神の本来の名を告げようとした瞬間、尖った氷の飛礫が彼の胸を貫いた。
「ふ・・ん。
儂・・程度・では・・邪・・神の名を・・告げようとし・・・ただけで・・・こ・・の様か・・・
頼みが・・・この杖・・・ワーロックに・・・」
そこまで言って、ルーサーは事切れた。
「行くぞ、カミュ。
イフリートを倒すんだろう。」
悲しみの中、一夜をその場で明かし、一番に跳ね起きたドラゴが声を掛ける。
ルーサーの杖はルシールの手に、カミュは珍しく“炎の剣”を握り締め、歩いて行く。
歩を勧めるごとに熱さが増してくる。
「ここからが“炎の回廊”だ。」
ドラゴの声に躰に緊張が走る。
“炎の回廊”・・曲がりくねった杣道溶岩の坩堝に向けてうねうねと下っていく。時には赤く溶けた岩が高く噴出し、ここを通るだけでもただでは済みそうにない。
「回廊は熱すぎて通れない。
あの橋を通る。」
ドラゴは溶岩の坩堝の上に掛かる自然にできた岩の橋を指さした。
こんな場所で魔神と・・不安がよぎる。
気持ちの弱さを呑み込み、剣の柄を握り締める。
熱に溶けた岩が盛り上がり、立ちのぼる。そんな光景を見ながら、一歩一歩岩橋に向け歩を進める。
そんな中、一際大きな溶岩の壁が立ち上がり、炎だけを残して崩れ落ちる。
その炎の中に真っ赤に染まった人の顔が現れる。
「よく来たな。」
その顔が乱杭歯を剥き出しに吠えるように喋る。
頭には曲がりくねった二本の角を生やし、威嚇するように首を捻る。
その吐く息は炎となり、カミュの前髪を焦がす。
「俺も戦う。」
声を掛け、カミュの横に進み出て、ドラゴが身構える。
「止せ。
これは僕と僕の剣の戦いだ。」
それに向け、カミュが力強く言葉を投げかける。
「戦う、だと・・・
“印”を持った者が来ると噂には聞いていたが、こんな小僧っ子とはな。」
魔神が睨み付け、
「剣を置いて、おとなしく帰れ。
そうすれば、命まで取ろうとは言わん。」
そう、炎の魔神が吠える。
「ドラゴ、退いて。」
ズッとカミュが前に出る。
「小僧、やる気か。」
魔神が馬鹿にしたように炎の中から顔を突き出して笑う。
それに向け、カミュが剣を振るう。
顔を斬られたはずの魔神が、大きく背を逸らして笑い、その声が回廊中にこだまする。
剣をひき、左手を突き出し、呪文を唱える。
雷が魔神を襲う。
しかし、魔神には何の痛痒も与えられない。
洞窟に魔神の笑い声だけが響く。
「こんな所に在りやがった。
カミュ、これを使え。」
ドラゴが何かを投げて寄こす。
「龍の盾だ。
その昔の、サラマンダーの逆鱗から創られている。
それならどんな炎にも耐えられる。」
左手に受け取った盾を構える。
その途端、魔神の口から真っ赤な炎が吹き出る。
その瞬間、カミュの右肩が熱くなり、光の束が飛び出る。
そして、龍の盾が炎を遮る。
「ほうっ」
魔神が感心したように声を放つ。
カミュの身体に異常はない。
後ろを振り返る。
ドラゴとルシールはカミュの肩から飛び出した光球に守られている。
身は守れる。
しかし、この魔神をどうやって倒す。
自分の魔術の元、ラウムに祈る。
雷が辺りを裂く。
その中に白いローブを身に着けた白髯の老人が立つ。
その体躯はイフリートと変わらぬほどに大きい。
魔神と魔神とが対峙する。
「ラムウか。」
イフリートが吠える。
その声を無視して、ラムウがカミュに語りかける。
「カミュよ、これはそなたの闘い。
儂に頼っては、その剣は何時までも覚醒せぬ。
それに儂と貴奴の力・・貴奴の方が上・・・そなたと力を合わせたとしても、戦えば貴奴も儂も吹き飛ぶ。それは、そなたの本意ではあるまい。」
「しかし・・・」
「案ずるな。
一つだけ助言を与えよう。」
カミュの不安げな声にラムウが言葉を重ねる。
「細かく・・揺れを細かく、そして速くすることだ。」
それだけを言うとラムウの姿はかき消えた。
「何をゴチャゴチャと。
ラムウめ、怖じ気を震って逃げおったか。」
また、イフリートの笑い声が響く。
細かく、そして速く・・揺れを・・・
解らなかった。
しかし、念じる。
鋭い雷が辺りを走る。
「何度やっても無駄なことだ。
とっとと、剣を置いて帰れ。」
見下したような魔神の声。それにも屈せずカミュは念じ続ける。
細かく、速く・・それだけを・・・
幾筋も走る雷が徐々に一つに収束していく。 それが、細かく震え、白く光り始める。
金属がその光りの中に吸い寄せられそうになる。
白い光りの中を雷の高圧を持った電子が走る。
「ラムウから何を教わったか知らんが、小賢しい。」
イフリートの躰が灼熱に染まり、洞窟の温度が一気に上がる。
岩が赤く燃える。
それが溶け出し、ドロドロと流れる。
その中、カミュの躰は光に包まれ、中空に浮いている。
磁場を走る電子が、全ての物の原子を突き動かす。
その摩擦が熱を生む。
赤と白、二つの灼熱が鬩ぎ合う。
真っ赤に燃え立った岩が、白い灼光に変わっていく。
遠いどこかでイフリートの叫び声が聞こえた気がした。