39. 祈りを天に
立場と身分を失い、完全に自暴自棄になってしまったヒューアストン元侯爵は、項垂れながらすべての悪事を白状したそうだ。
デナート様の襲撃事件の計画は、全て彼が立てたものだった。平民の娘が正妃の座に座っていた方が都合の良い協力者数名を抱え込み、計画は決行された。
それも、偶然に、宮廷医――カトルーゼ侯爵の狂気を知ってしまったことから、考え付いたことだという。
「……カトルーゼ侯爵」
彼は宮廷医であり、王家の信頼も厚い。温厚で人格者、それが私の印象だった。しかし、彼は狂気を秘めていたという。それこそ、外法に手を染めるほどに。
私は改めて、カトルーゼ侯爵の生い立ちや家庭環境など、分かる範囲で思考を伸ばしていく。彼は侯爵家の嫡男として生まれ、優秀さを発揮していた。特に医学の分野では並び立つ者もいないほどで、若くして宮廷医として王宮に招き入れられている。
学生時代に恋に落ちた異国の音楽家の女性と、両親の反対を押し切って婚姻した。彼女もまた、異国の高貴な生まれではあったが、音楽家の夢を追うために国を出奔してきたそうだ。
侯爵家の広い屋敷で、楽器を奏でながら、子どもたちと穏やかな生活を夢見て、二人は結ばれた。
「けれど、まさか奥方が亡くなっていただなんて」
カトルーゼ卿を産んだ時に体調を崩していた奥方は領地で静養することとなったと聞いたが、しかしそれは真実ではなかった。
ヒューアストン元侯爵曰く、嫡男を産んだ後、夫人は亡くなった。カトルーゼ侯爵はそれを嘆き、彼女を生き返らせる方法を探すに至ったというのだ。
死を超克する、黒魔術――。
先祖たちが残した希少な資料には、その記述があったのだという。
黒魔術の中には、反魂という術がある。死んだ者の魂をこの世に呼び戻すという、禁じられた儀式だ。
どうやらカトルーゼ侯爵はそのために黒魔術の力を強めるための研究をしているのだという。
ヒューアストン元侯爵のデナート様襲撃に一枚噛んだのも、今では希少となってしまった魔法使いを素体に用いた実験を行なえるから、という理由であったそうだ。
つまり、誠実そうに見え、王族の健康を預かる宮廷医という立場の御仁は、妻を生き返らせるために、人体実験に手を出している、ということである。背筋が冷える想いがした。
カルセル様が戻ってきた後、彼らはすぐにアルフィノの捜索に合流した。デナート様は無事に王宮に送り届け、今はシルフィーナ様が付き添って、後宮で過ごされているそうだ。
ヒューアストン元侯爵が告げたタイムリミット――満月の夜まで、もうあまり時間がない。しかし、カトルーゼ侯爵の足取りは未だに掴めていないのだそうだ。
鴉の庭たる王都の闇の中で、彼は息を潜めて満月の夜を待っているのだそうだ。
なぜ、満月の夜なのか。それは、ヒューアストン元侯爵も知らないようだった。
(……フィー)
早く、アルフィノを見つけなければ。アルフィノを攫った目的は、魂継を行なうためだと言っていた。だとすれば、その満月の夜に、儀式を行うつもりなのだろう。
その前に、何としてもアルフィノを見つけなければならない。けれど、鴉にも見つけられないアルフィノを、どうやって見つければいいのか――。
私が思い悩み、暖炉の前でうろうろとしていると、屋敷に訪問者があった。
「ミシェル様っ」
現れたのは、ルーティナだった。宮廷音楽家として活動を始めて以降、彼女はみるみるうちに垢抜けた。今では立派な都会のおしゃれっ子である。かわいらしい白とピンクのワンピース姿のルーティナは、私を見かけるなり、歩み寄って来た。
「お話、お聞きしました。アルフィノ様が、いなくなられたとか……」
「……ええ。そうなの……皆に探してもらっているけれど、見つからなくって」
「心配ですよね……私も、心配だったので、ついこちらに来てしまったんです」
忙しい練習の隙間を縫って、ルーティナは私とアルフィノを心配して、足を運んでくれたようだ。
私は思わず、ルーティナを抱きしめてしまう。ルーティナは、震える私の肩をゆっくりと抱きしめてくれた。
「ミシェル様、大丈夫、大丈夫です。アルフィノ様は、決して約束を破りません」
「ティナ……私、私は……」
「アルフィノ様は、いわば鴉の王。皆、全力を挙げて捜索をしてくれています。それに、アルフィノ様だって……捕まったまま、何もしないなんてありません。きっと今もどこかで、戦っていらっしゃいます」
「……そう、ね。そうよね。フィーだったら、きっと……そのために、私にできること」
アルフィノの助けになりたい。アルフィノの力になりたい。
その想いが強くなったとき、私の頭には、一筋の光明が差し込んだ。
「……予言。そうだわ、私には、神官としてできることがある」
私にしかできない、フレイザード家の力になれること。
それは、イリーナ様が授けてくださった、予言の力だ。この力の使い方は分からない――けれど、フィリア様の声を受け取ったときのように、聖者たちの声に耳を傾けられれば。
ルーティナは微笑んで、私の手をぎゅっと握った。
「では、早速行きましょう」
「行くって、どこへ?」
「もう一人、ミシェル様のことを心配して、来てくださっている方がいらっしゃるのです」
私はルーティナに強く手を引かれて、外へと踏み出した。護衛たちがついてやって来て、外に出ると、そこには一台の立派な馬車が停まっていた。
家紋に刻まれているのは、王家を示す花の紋だ。私が目を丸くして見上げていると、ばたんと少しお転婆にドアを押し開けて、その人は現れた。
「お姉さま!」
「セラフィーナ様……」
「弟に頼まれて迎えに参りましたわ! さぁ、どうぞ、お乗りになって!」
セラフィーナ様は、相も変わらずの天真爛漫っぷりで、私の手を強く引くと、そのまま馬車へと連れ込んだ。ルーティナがドアの近くに座り、私はセラフィーナ様の隣へと腰かける。
「王太子殿下は、私に何か……?」
「わたくしは、事情をあまり承知いたしておりません。ですが、王太子殿下と王太子妃殿下は、お姉さまのお力になりたいそうです!」
「私の……」
王宮には、とっくにアルフィノが行方不明になったことも伝わっているのだろう。それを耳にしたガブリエル殿下も、もどかしい気持ちでいるのかもしれない。
けれど一か月後に戴冠を控えている彼は、王宮を自由に出歩くことはできない。だから、私を呼んで、事情を聞いて、力になれることがあるならなりたい、と言ってくださっているようだ。そのために、セラフィーナ様を使いに寄越したのだという。
「まったく。人使いが荒いですわ!」
「申し訳ありません、セラフィーナ様。私のために、お手を煩わせてしまって」
「お姉さまのためなら、たとえ火の中水の中! わたくしはいつだってどこだって駆け付けますのよ! それに、あの控えめな弟が、姉を頼りにしてきたのならば、仕方ないから答えて差し上げなくては」
なんだかんだで、セラフィーナ様は昔から、弟君に甘い。王太子として立ち、立派に成長した彼から久方ぶりに頼られたことは、彼女にとっても嬉しいことだったのかもしれない。
セラフィーナ様が駆った馬車は、あっという間に王宮へと到着した。もちろん、王家の紋が入った馬車は、城の入り口で止められることもなく、そのまま堂々と門を通り抜けて、馬車の駐車場へと入っていった。
「ルーティナ様。お迎えありがとうございました。あとは、責任を持って、わたくしがお姉さまをお連れしますわ!」
「かしこまりました。では、私はこれで……ミシェル様。困ったことがあれば、いつでも呼びつけてください。いつだって駆け付けますから」
「ありがとう、ティナ……」
ルーティナは明るく微笑むと、堂々とした足取りで、宮廷音楽家たちがいつも練習している大きなホールの方へと歩いていった。セラフィーナ様に連れられて、私は場内にある小ホールへと向かう。
するとそこには、ガブリエル殿下とラトニー様がいらっしゃった。お二方とも最近は体調も良さそうで、一か月後の戴冠に向け、精力的に公務に励んでいらっしゃると聞く。
お二方は私を見つけると、すぐに歩み寄って来て、丁寧に礼をしてくださった。私は最上級の淑女の礼を返す。
「フレイザード伯爵夫人。お話は聞きました。フレイザード伯爵が……」
「……はい。数日前から、連絡が取れずに……敵の手中にいることは、ほぼ確定しているようです」
「おいたわしや……ミシェル様」
ラトニー様が悲し気に目を伏せて、胸の前でぎゅっと手を握る。ガブリエル殿下は、アルフィノを心配してくれているのか、気が気ではなさそうだった。
「何か、私たちに力になれることはありませんか」
「何でも、言ってくださいまし、ミシェル様」
私は、ごくりと息を飲みこんだ。
この国の王太子、王太子妃殿下までもが、私たちの力になろうとしてくれている。
色んな人と出会い、色んな人と絆を紡いだ。私たちはきっと、幸せ者なのだろう。一人では立ち向かえないことも、多くの人が手伝ってくれたのならば――私たちはいつだって、前を向いていられる。
「――王太子殿下、王太子妃殿下に、お願い申し上げます。どうか、私をあの場所へ――」
彼らにしか頼めない、私の願い。この国の聖者たちの声を聞くにあたって、この王都で最も適している場所へと、もう一度足を踏み入れさせて貰う許可を求める。
「聖廟へと、連れて行っていただけませんか」
ガブリエル殿下とラトニー様は、驚いて顔を見合わせていた。聖廟は、飽くまでも聖域だ。あそこ自体には、建国王の墓碑しか存在しない。
けれど、すぐに頷き合うと、二人とも「分かりました」と同時に答えた。そして、国王陛下に話を通してくるから、少し待っていて欲しいと言い残すと、二人で急ぎ足でホールを飛び出していった。
聖廟に下りる許可は、すぐに下りた。お二人が切実に頭を下げてくださったお陰で、すぐに許可を貰えたらしい。本当に、頭が上がらなくなってしまう。
私はガブリエル殿下とラトニー様に連れられ、二度目の聖廟を訪問する。厳かで静謐な空間は、以前に来た時のままだった。
中央に聳え立つ墓碑の前で、私は白竜神楽を捧げる。
(届いて。どうか、この祈りを――白竜様まで。建国王、ファルスナート様――導きを)
お願い、お願い、お願い。重ねて、祈りと歌を天に捧げる。
すると、一節を歌い切った後、建国王の墓碑が、薄く光り輝いた。
「――これは!?」
ガブリエル殿下の驚いた声を、はるか後方に置き去りにして、私はぐらりと体を揺らした。
強い思念が、頭の中に流れ込んでくるのを感じる。立っていられずに、その場に座り込んで、頭を抱える。
(――あの、場所は。どこ……すごく古びた、神殿のような――)
その神殿の上で、カトルーゼ侯爵が、傷だらけで横たわるアルフィノに向けて、何かの本を開いて、手をかざしている光景が見える。山の遥か上で、満月が輝いていた。
カトルーゼ侯爵の背後には、王都の風景、そして立派な城が見えている。王都の付近であることには間違いがない。
やがて、頭に流れ込んでくる思念が止まると、私は荒く息を吐き出した。ラトニー様が顔を青くして、思わずといった様子で私へと駆け寄った。
「ミシェル様! 大丈夫でしょうか?」
「……ラトニー様……ありがとう、ございます」
「これが、神官の……白竜の巫女の力なのですね。すごい……フレイザード夫人、何か分かりましたか?」
私はラトニー様の補助を受け取って立ち上がると、ガブリエル殿下を見上げた。彼ならば、きっとあの場所を知っているはずだ。
私は、夢の中で見たすべての特徴を伝えた。それを聞くと、ガブリエル殿下は少し思い悩む仕草を見せた後、はっとしたようにつぶやいた。
「……旧神殿ですね。来月、戴冠式が行われる新神殿と、ちょうど対角の位置にある、放棄された神殿です。白竜様と同じ色をした、満月に、最も近くなる場所、と呼ばれています」
「旧神殿……」
アルフィノの、居場所が分かった。
時間勝負だ。今すぐに、鴉の戦力を集めて、アルフィノの救出に向かう。私はガブリエル殿下とラトニー様に礼を告げて、急いで城を飛び出した。