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気性難の令嬢は白竜の花嫁を夢見る  作者: ねるこ
第二部
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38. 私にできることを

 アルフィノが、敵対勢力に攫われた。


 その結論が告げられたのは、傷だらけのセバス達が客室に運び込まれた後だった。カルセル様がデナート様を迎えに向かった今、拠点には、アルフィノが拠点から連れて来た腹心しかおらず、現場は少し混乱している。

 私は目の前に横たわった現実を噛みしめてから、すぐに信用のおける医者に連絡を取るようにと場を治めて言付け、アルフィノが攫われたことによる混乱を徐々に治めていく。

 流石に訓練を受けた工作員たち、そしてフレイザード伯爵家の精鋭たちは、私の声にすぐに我に帰ると、取り得る限り最も適切な行動を、各々が取り始めた。


 昨夜、アルフィノは重大な取引の現場の情報を得て、身柄を抑えるために、セバス達数人の精鋭を引き連れて、薄暗い路地裏へと向かっていた。

 王都の闇の部分では、未だにおぞましい犯罪や、法を犯す取引が催されている。どれだけ騎士団や衛兵の質が上がろうとも、人口が増えている王都では決してなくなりはしない。


 手当てを行なって、昼過ぎ。一人が目を覚まして、状況を説明した。

 取引現場にて、ヒューアストン侯爵が、国外の人間に国の情報を渡しているところを目撃した。それと引き換えに、国外逃亡を企てていたようだ。跡継ぎに残すはずだった財産も含めて、自分一人で高跳びをする計画をしていたヒューアストン侯爵を、現行犯で抑える。

 そのために張り込んでいたところ、近くの民家から、父親の帰りを待つ少年が家を飛び出してきて、ヒューアストン侯爵はアルフィノの目の前で、その子どもを人質に取った。


 国のために非情にならねばならない鴉――その棟梁であったアルフィノが、心を揺らした。

 少年を、フィリップに重ねたからなのかもしれない。父を家で待つ少年が、ヒューアストン侯爵に刃物を向けられているのを見て、アルフィノは微かに隙を見せてしまった。

 ヒューアストン侯爵が暴れる少年の腕を斬りつけ、鮮血が飛び散った瞬間、アルフィノは激昂した。


 その怒鳴り声を聞いた、周囲の私兵たちがわらわらと集まってきてしまった結果、失態を犯してしまい、捕縛された。


(彼らしくはない。でも――でも。人の親になって、痛みを知ってしまったから)


 合理性を突き詰めたような性格をしていたアルフィノが、作り出した心の隙間。

 責められはしない。けれど、それを原因として、アルフィノは危険な目に遭ってしまった。彼が完璧な鴉の工作員ではなかったことを、思い知った。


「その少年は……?」

「病院に運ばれています。旦那様が最後の最後まで大量の私兵を相手に立ち回り、戦力を削げるだけ削いだので――恐らく、敵は旦那様の拉致で精いっぱいだったものと思われます。我々が殺されていないのが、その証左です」


 アルフィノが自分の感情を爆発させた少年は、何とか一命を取り留めたようだ。そのことに対してはほっとする。

 正直に言えば、アルフィノが攫われたショックで倒れてしまいそうだ。けれど、ここで私が倒れて、この家の人の仕事を増やすわけには行かない。アルフィノを助けるためにも――。


「取引相手は抑えました。隣国の間者でした。旦那様とヒューアストン侯爵の諍いに巻き込まれ、怪我を負っていたところを衛兵が見つけましたが――荷物や身元を検めれば、明らかな間諜だったとのことで」

「そう……じゃあ、フィーは今、ヒューアストン侯爵の下にいるのね」

「恐らくは。ヒューアストン侯爵には、常に鴉の監視がついています。彼らからの情報を待つしか」


 相手がやっているのは悪あがき。アルフィノから聞かされてはいても、不安は時間が経つごとに募っていく。

 私への襲撃があったことから、相手が人質を得ての一発逆転を企てているのは事実だ。私を人質にして、アルフィノへの交渉をするつもりだったのかもしれない。


 鴉からの連絡を待つ間、私は自分にできる精いっぱいのことをした。包帯を変えるのを手伝ったり、情報の取りまとめを手伝ったり。

 私は鴉の構成員とはなれない。それでも、私にもできることがあるはずだ。


 本当ならば、今すぐにでも飛び出して、アルフィノを探しに行きたい。けれど、戦えもしない、自衛もできない、手掛かりもない――そんな私が出て行っても、状況を悪くするだけだ。

 強く湧き上がる怒りを、理性で押さえつけるのに必死だった。


 ――だから、その一報を聞いたとき、思わず飛び出していきそうになった。


「ヒューアストン侯爵を拘束しました。今、別邸にて尋問中です」


 その報告を聞いたのは、アルフィノの失踪を聞いた翌日の夜のことだった。

 ヒューアストン侯爵は、鴉の監視下の状況であっても、何とか財産を持って国を脱出しようと悪あがきをしたらしい。しかし、案の定鴉に捕まったそうだ。


「フィーは?」

「それが……ヒューアストン侯爵家が持つあらゆる施設をしらみつぶしに探し、あの男が人を隠せる場所を全て検めましたが、どこにもいらっしゃいません」

「そんな……あの男が知っているはずよ。絶対に吐かせて」


 アルフィノは、どこかのタイミングでヒューアストン侯爵の手から離れた――あるいは、アルフィノを連れて行った私兵というのは、そもそもヒューアストン侯爵の手の者ではない可能性がある。


「黒幕――あの人の行方は?」

「数日前から行方不明なのです。私どもが総力を挙げて探しておりますが、一体どこに潜伏しているのやら」

「そう……アルフィノは、もしかしてそちらに……っ。ごめんなさい、我慢できないわ。私からもあの男に言ってやらなきゃ気が済まないことがあるの。尋問に協力させてくれないかしら」

「し、しかし、奥様……」


 尋問とは名ばかりの、実際に行なわれているのは拷問に近いものかもしれない。

 そのような場所に、夫人を連れて行くわけには行かないだろう。それは分かっている。


 けれど、ヒューアストン侯爵という男のことを考えれば、私が行った方が口を割ると思うのだ。

 何しろ、相手を貶し、鼻を明かして見下すのが趣味のような気質の男だ。


 愛する夫を攫われた私をどん底に突き落とすために、情報を寄越す可能性がある。


 それらを伝えれば、彼らは渋々という様子ではあるが、同行を許可してくれた。フレイザード家が使える別邸に移動し、地下室にある仄暗い牢屋に移動すれば、壁に吊られているヒューアストン侯爵の姿があった。


 薄暗い牢屋の中で、ヒューアストン侯爵は憔悴したように息を吐き出していた。私がすうっと目を細めて鉄格子を思い切り蹴れば、びくっと肩を揺らして、顔を上げた。

 その細身で下卑た笑いを口元に浮かべる男は、私という獲物を見つけると、にんまりと厭らしい笑みを浮かべた。


「――は。これはこれは、暴れ馬夫人じゃないか。愛する夫を失った、今の気持ちはどうだ?」

「最悪の気分ね」


 鉄格子の鍵を開けて中へと入れば、ヒューアストン侯爵は私を見上げて、くつくつと笑う。このような極限状態でも、最優先するのは他人を見下すことであるこの男に、心の底から嫌悪感がふつふつと湧いてくる。


「だが、悪夢はこれからだぞ暴れ馬。お前の夫は、これからお前の夫じゃない人間に体を乗っ取られるんだからな」

「……まさか」

「そのまさかだよ。お前の愛したアルフィノ・フレイザードは二度と帰ってこないんだ。――魂継で別人の魂と入れ替えられて、二度と戻れないんだからな!」


 アルフィノは、魂継の体の条件を全て満たしている。魔力を持ち、今大怪我をしている。同じ男性ならば、アルフィノと魂継を行なうことも――。

 その可能性を考えて、私はすっと血の気が引いた。ふらりと足元が覚束なくなるのを見て、護衛たちが「奥様!」と血相を変える。

 けれど、私はその場で足に力を込めて、何とか踏ん張った。ここで弱る姿を見せては、この男を喜ばせるだけだ。少しでも気丈に振舞い、この男に屈辱感を与えて、より多くの情報を引き出す――。

 胃がキリキリと痛む。アルフィノに対して、無事であって欲しいという願いを胸にしっかりと抱きつつ、私はしっかりと目の前の男を睨みつける。

 妃教育で学んだ対人術で、目の前の男を屈服させる。


「私の夫が、そのような外法に屈するとでも? 白竜様の魂を持つ、超一流の魔法使いです。思い通りになどいくものですか」

「ふん、強がっていられるのも今の内だ。貴様には随分と世話になったからなぁ……あのままマーゼリックに捨てられていれば、僕の天下だったというのに!」

「それこそ愚かですね。あの暴れ馬を、あなたごときに御せるとでも? マーゼリックは、私なんて目じゃないほどの気性難なのですよ? あなたのような小物は、後ろ蹴りをされてそれでしまいですわ」

「何だと!」


 扇動すれば、口が軽くなる。口を軽くすれば、相手が意図しない情報でもぽろっと洩れる。

 アルフィノが、自分が魂継を受ける可能性について考えないはずがない。とすれば、何かしらの対策をしているはずだ――そのはずだ。都合の良いことを信じたい気持ちが半分、それと夫に対する信頼が半分。

 大丈夫だと自分に言い聞かせて、私は目の前の男を詰るのに注力する。


「第一、侯爵位を譲ってしまえば、外戚として関われるのはあなたではなく、次の侯爵閣下。あなたの評判は社交界でも最悪と聞きます。そのような御仁を、爵位も持たぬ恥知らずを迎え入れる程、貴族社会は温かくなくってよ?」

「黙って聞いていれば、女のくせに生意気な! これだから気性難の女は嫌いなんだ。大したこともできないくせに、口ばかりがでかくって」

「あら、ごめんあそばせ。私、王太子妃殿下と降嫁予定の王女殿下、双方ともにたいへんお世話になっておりますので、危険人物を報せるのは当然のことなの。正妃の兄だからと横暴をまき散らしてお友達がいなくなってしまった人なんて、受け入れてくれるのかしら」

「こ、この……貴様ぁ!」


 伊達に気性難などと言われてはいないのだ。口が悪い、性格が悪い、大いに結構。

 ずっと気にしていた気質だけれど、優しい人に出会えて、穏やかな日々を過ごさせて貰ったのだ。その日常を守るために、いくらだって――目の前の男を、威嚇してやる。


「そのような口が利けるのも満月の夜までだ! 震えて待つがいいさ、自分の夫が夫でなくなるのをなぁ!」

「まぁ! あなたこそ、そのような口を利けるのも本日までですわ! もう一生牢から出ること叶いませんので」

「そのようなことが罷り通るわけがなかろう! 私は侯爵だぞ! それに、悪事の証拠も何もないのだ! だからこそ、私を捕らえることができなかったのだろう? すぐに釈放されるに決まってる。そうなれば、貴様らの悪事を暴き、英雄となるのはこの私なのだからな!」


 確かに、この男は大した証拠も残さずに、のらりくらりと生き延びて来た。

 けれど事態はすでに、動いている。この男は、あまりにも現国王の逆鱗に触れ過ぎた。


「まぁ。仮にも妹を、奴隷にするなんて言ってのけた御仁が英雄だなんて。寝言は寝てから言ってくださいます?」


 その言葉に、げらげらと笑っていた男が、ぴたりと笑い声を止める。そして、信じられないという様子で、目を真ん丸に見開いて、震える声で問いかけた。


「な、んで……貴様が、それを!?」

「さぁ。どうしてでしょうね? 私、実はデナート妃殿下とお友達ですのよ?」

「そ、そんな、そんなはずはない。あの女は死んだ、死んだはずだ……死……」

「今頃王宮でしょうか。きっと国王陛下の御前で、あなたの悪事を告白しているころだと思いますわ」


 カルセル様の帰還の連絡は、つい先ほど受けた。どうやら、かなりの強行軍で迎えに出たらしく、夜通し走り切り馬車を引いて、黄昏が闇の向こうへ閉ざされるくらいに、彼女を連れて王宮へと入ったそうだ。

 そこで、一人の男が駆け込んでくる。私へと一枚の紙を渡すと――そこには、目の前の男の希望を全て手折る文言が書かれていた。私はそれを見て、目の前の男を見下ろし、はっきりと告げた。


「――30分前。ヒューアストン侯爵の襲名が完了したそうです」

「…………は?」

「あら……お分かりになりませんか? 王命において、ヒューアストン侯爵位は、あなたの養子である彼に継承が完了しました。あなたは今、ヒューアストン侯爵ではなくなったということです」

「ば、バカな! なぜ私の許しを得ずにそのようなことになっているッ!?」

「それと――」


 因果応報、という言葉を伝えるのに、これほど適した相手はいないのではないだろうか。

 妹が気に入らないという理由だけで命と立場を奪おうとして、姿さえも奪った、国に蠢く悪意の一つ。

 その男に対する処刑宣告は、あまりにも無慈悲だった。


「現ヒューアストン侯爵は、あなたをヒューアストン侯爵家から除籍することにしたそうです。ですので今のあなたは元ヒューアストン侯爵ですらなく、ただの平民です」


 平民の刑罰は、貴族のそれよりも遥かに重い。国家機密の漏洩、デナート妃の殺害未遂、その他さまざまな罪をその肩に担うには、平民という身分はあまりにも丸裸だった。

 ヒューアストン元侯爵である平民の男は、ついにその場で崩れ落ちた。私は後事を任せることにした。


 残念ながら、国に謀反を企てた平民に対する拷問に、手心は加わらないだろう。

 私の震える足が崩れ落ちたのは、牢屋から出て、完全にあの男から姿を見せなくなったその時だった。

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