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気性難の令嬢は白竜の花嫁を夢見る  作者: ねるこ
第二部
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35. 真実

 泣きじゃくり震える細い肩を、必死に抱いて、背中を優しく撫でて宥める。平民の娘と体を交換させられたデナート様を見て、私はアルフィノと共に調べた黒魔術というのが事実として存在すること、そしてそれが実際に陰謀に使用されていたという事実を悟った。

 もちろん、彼女本人から話を聞かないことには、何も進展はしない。けれどそれでも、もしも建国妃フィリア様が彼女を連れ去り、俗世から切り離して守り続けていたのだとすれば、彼女の存在自体が、黒幕にとっては致命傷となりうるのだろう。

 ずっと気になっていた。もしもデナート様が黒魔術によって体を入れ替えられたのだとすれば、平民の少女の体に魂を入れられたデナート様がどうなったのか。殺されていてもおかしくなかった。ユーミエ嬢は、どうやら行方不明と聞いていたので、秘密裏に始末されたのでは、と思っていたのだ。

 王宮にいた偽物のデナート様は病死――恐らく毒を煽って自死、もしくは謀殺された。彼女を尋問することによって、黒幕にとっては致命的な情報が漏れるのを恐れたからだろう。けれど、黒魔術の魂継(たまつぎ)を行なうためには、二対の体と魂が必要だ。となれば、もう片方は早々に始末されていると考えるのが自然だが――その割には、今まで行方不明として処理されていることが何となく不自然だった。

 国王を誑かした平民の娘ならば、死を発表した方が貴族たちを御するのに役に立つだろう。だからこそ、彼女が行方不明のままずっと放置されていたのは何となく不自然だと感じたのだ。


 死体の偽装くらい、平気でやってのけるだろう。このような外法に身を染めているならば、そこで躊躇う理由はないはず。

 だから本当に行方不明だったのだろう。そうして黒幕はきっと、今も彼女のことを探しているのだ。


「あの……」


 思考に耽っていると、涙で瞳を濡らしたデナート様が、私の方を向いて縋るように見つめているのに気が付いた。私は彼女に手を貸してそっと立ち上がらせると、丁寧に淑女の礼をとって告げた。


「デナート・ヒューアストン様。あなたのことを探しておりました。私は、フレイザード伯爵夫人、ミシェルと申します。あなたが本来就くはずだった、至高の妃の座――そこにおぞましくも成り代わった者の腹から生まれた王子の、元婚約者です」


 私の言葉に、デナート様は目を見開いて、ぐっと拳を握り締めた。その様子は怒りに震えていた。自らの居るべき場所に居座る無法者に対するそれか、それとも――。

 けれど、今は彼女の事情を後回しにしてでも、私は役割を果たさねばならない。私はそのまま言葉をつづけた。


「あなたにおぞましい魔法を使った者について、お聞きしたいのです。私たちは、その者が国を大きな陰謀に巻き込もうとしているのではと考えています」

「…………」

「市井に、戻りたいですか」


 そう尋ねれば、デナート様は肩を震わせながら、力なく頷いた。これほどの何もない無の世界で、20年近くも守護されていた。しかし彼女は普通の人間で、しかも生まれたときから財に溢れる侯爵家の出でもある。そんな彼女が、誰の助けも借りることができず、誰と顔を向き合わせることもなく、こうして生き続けて来た。それがどんな生き地獄だったかは、想像がつかない。


「貴族として生きるのは、難しいかもしれません」

「構わないわ。……もう疲れたの。けれど、人も生物もいないこの世界でこれ以上生きていたら、狂いそうで。平民でもなんでもいい、私は人の世界に帰りたい」

「……分かりました。最善を尽くします。まずは、未だに陰謀を企て、あなたのことを探し続ける黒幕を捕えなければなりません。お話を、お聞かせいただけますね」


 言葉を丁寧に選びながら問いかければ、デナート様は苦し気に頷いて、そうして私を粗末な木の小屋の中へと連れて入った。オールストン男爵と護衛たちはまだ頭がついていかないらしく、外で護衛を請け負うので、私が話を聞いてくることになった。

 小屋の中は思ったよりも清潔だが静寂に包まれていて、自分たちが立てる生活音以外の一切の音がない。ただ、温度がない――というか、恐らくは適温に保ち続けられている不思議な世界だ。一言で言うならば、聖域とでもいうのか。人知の及ばぬ静謐な空間は、生者が生きる場所ではない、と感じるのは確かだった。


「この小屋は不思議な小屋で……食べ物も飲み物も、いつの間にかこの箱の中に補充されているの」


 デナート様はキッチンの隅に置いてあった木箱を開く。するとその中から取り出した水差しと茶葉を使って、紅茶を淹れた。


「王妃になる為だけに生きて来た私にとって、一人で生きることはとても苦しいことだった。今まで学んできたことはまるで役に立たなくて、必要なのは炊事や掃除といった技術だったから。……でも、本棚の中に料理の本があったの。それで、料理を覚えたわ」


 くたびれ切った声音から察するに、彼女の苦労は想像を超えているように思えた。私は紅茶をいただきながら、正面に座ったデナート様をじっと見つめた。するとデナート様は、長年抱えていたものを全て吐き出すかのように、つらつらと、つっかえることもなく真実を語り始めた。

 デナート様はヒューアストン侯爵家の長女として生を受け、そして現国王であるベルドットの婚約者に推挙された。多くの公侯爵家を抑えて望まれたデナート様は、魔法の才能を持つ希少な娘だった。王家はその希少な才能を欲し、デナート様を婚約者に指名して妃に迎え入れようとした。

 けれど若かりし日の国王陛下ははこの政略の意味を分かりながらも、どこか自由を求めるようにして鬱屈な日々を過ごしていた。そうして王立学院で、魔女と出会った。

 ユーミエは豊満な肢体と甘い声を用いて高位貴族に取り入り、そしてその毒牙は陛下にも掛けられた。世間知らずの箱入りだった陛下はすぐに彼女に夢中になり、デナート様にとんでもないことを言い出した。

 この辺りは、シュリーナ様に教えていただいたことと矛盾はない。デナート様は屈辱を飲み込みながらも、正妃の重要性と、平民を側妃にも愛妾にも迎えることが許されないことを父王から聞いており、学院にいる間だけの火遊びと断言した国王陛下に絆され、見逃した。

 けれど、それがすべての間違いだった。


「……あの時、私や側近たちがもっと殿下を強く諫めていたら……こんなことにはならなかったのかしら」


 ユーミエは傲慢な女だった。優秀な後ろ盾も、妃となるのに必要な財も持たず、娼婦のように男たちを篭絡して、女との仲を引き裂き嘲笑うような、魔女のような女だった。そんな姿を決して男たちには見せずにいたので、男たちの中にはユーミエの誘惑に引っ掛かり、自らの婚約者や、ユーミエが手を出せない高位貴族の令嬢などと度重なる衝突を起こしていた。

 けれどそれでも、側近たちはしっかりと行動を起こしていた。諫言を聞かずにユーミエに入れ込む陛下ではなく、学院に訴えを通したのである。いくら陛下が気に入っていたとしても、高位貴族の名家の子息たち複数名から、あの娘を置いておくのは国の、そして貴族や王族の不利益となることを指摘されれば、学院は直ちに彼女の排除に動いた。

 彼女が退学となった日、デナート様は校門を出たところで彼女に捕まり、呪いの言葉をさんざんに吐かれたそうだ。お前のせいだ、お前がやったんだ、お前さえいなければ。それらはすべて、デナート様こそ彼女に対して言いたいことだっただろう。けれど話の通じない魔女は呪ってやると言い残して、姿を消した。


 陛下は、ユーミエがいなくなってから冷静になり、多くの令嬢の訴えを聞いて、ユーミエがとんでもない悪女だったことを知った。証拠もたくさん挙がっていて、彼女に入れ込んだ多くの令息が家から強烈な叱責を受けたことで目を覚まし、証拠はさらに増えた。陛下が最初、口にしていた「たまたまかもしれない」「何かの勘違いかもしれない」と言った戯言は、すぐに陛下の口から出なくなっていった。


「私は言ったわ……殿下に、あの娘が興味があったのは、あなたの隣ではなくて――この国最高の権力と、いくら使ってもなくならないお金。私に吐いた呪いの言葉の中に、あなたへの愛情は一切なかったって」


 王宮にいた偽物のデナート様の像とぴたりと合った。彼女は国王の寵愛を求めたのではなく、何もかもを思い通りにできる正妃の権力と、国庫を貪る大いなる財力を欲して、それを振るって絢爛豪華な生活をしていた。とはいっても、ユーミエの件ですっかりとこの手の女に免疫がついていた当時の若い文官たちは、すぐに偽物のデナート様から最低限のものを残してすべてを取り上げ、離宮に幽閉したのだから有能としか言えない。

 お陰で、デナート様に群がって甘い蜜を吸おうとする貴族には鴉の監視が四六時中つくようになり、彼女にあやかって力を得ようとしていた貴族たちは悉く闇に葬られたという。そうして孤立していった彼女は、最低限の贅沢をさせられて夢心地だった。元平民であり、物の価値を知らない彼女は、与えられた中くらいの贅を、最高級の贅だと思って享受していたそうだ。

 その時点で、王宮の多くの者は、あのデナート様が、魔女に体を乗っ取られたのだと噂していたという。であるからこそ、仕事もしないお飾りの正妃が、王宮内で力を持つことは永遠にあり得なかった。彼女が序列の高くない侯爵家の出だということもあっただろう。彼女がいない場で彼女を侮ったところで、誰も文句を言わなかった。

 デナート様は肘をぐっと握り締めながら、あの日のことを話してくれた。運命の日――デナート様が婚姻によって王城へ居住地を移動するため、城へと向かっていた日だ。


「私は、輿入れの前にヒューアストン侯爵領に戻っていた。王妃となる誓いを、領民たちに聞かせるために。皆、喜んでくれたわ。私の愛しい、領の民たちが、私の門出を祝ってくれる。それだけで、頑張れる気がした」


 王妃の出身地は観光地となり、多くの人が訪れる。平民から貴族まで、多くの人がヒューアストン侯爵領を訪れるだろう。大きな鉱山を持ち、林業や鉄鋼業で国に貢献するヒューアストン侯爵領は、人の出入りがあまりなかったからこそ、領民たちには前もってその心構えを説いておく必要があったのだろう。ご立派な人だ。


「……けれど、ヒューアストン侯爵領からセインズ侯爵領を経由し、王都を目指す途中で――山道を駆けている最中、私たちは賊の襲撃に遭った」


 あの日のことを思い出すように、デナート様は青い顔をしながら、泣きそうなほどに瞳を揺らして、ぶるりと体を震わせた。


「お兄様が雇った御者は仲間だった。賊が襲いやすいように、わざと見通しの荒い山道を通った」

「……では、デナート様の襲撃に関わった内通者というのは、まさか……」

「兄でしょうね。兄は私のことを疎んでいたの。魔法を使えるというだけで次期王太子の婚約者に召し上げられ、王族となって自分よりも高い身分になるのが許せなかったんですって」


 何という幼稚な――と思うが、現ヒューアストン侯爵は確かに黒い噂の絶えない人だ。小物だ、と皆が言うのであまり相手にしていなかったが、偽物のデナート様の外戚として、何かと関わって来ようとしたので、そのたびにシュリーナ様が圧力をかけて追い払っていた。その程度で追い払えるほどの小物ではあるのだが、くだらない、みっともない嫉妬のせいで、国を揺らすだなんて本当に愚かだ。貴族の風上にもおけない輩、という情報を更新しておく。


「……その先は、あまり覚えていなかったのだけれど……でも、いくつか覚えていることはあるわ。私は、見覚えのある場所で目を覚ましたの。確かに見覚えのある天井だった」

「見覚えのある天井……デナート様は賊の襲撃を受けたものの、護衛たちが何とか賊を全て処分したと聞いています。ただ、多くの兵が死傷し、デナート様もかなり深い傷を受けたと」

「ええ。腹を、剣で刺されたわ。あの時の恐怖と痛みは、まだこの胸に残ってる」


 私はぶるりと身震いをした。まだ成人してすぐの女子が、そのような目に遭ったのだ。一生モノのトラウマになっていてもおかしくはない。けれどデナート様は、私にすべてを伝えようとしてくれている。私は、それを一言一句聞き逃さないように、集中した。


「微かに意識を取り戻したとき、隣にはあの女が同じように血まみれで横たわっていた。――そう、思い出したわ。あれは、城にある倉庫よ」

「え……ま、まさか、城で黒魔術を使用したのですか? 何と不遜な……」

「私の最後の記憶は、薄暗い倉庫の中で、私とあの女が傷だらけのまま横たえられていたこと。悲鳴を上げようとしたけれど、私の口には(くつわ)が噛まされていて、声すら上げることを許されなかった」


 犯行現場は、城の中。ということは、黒魔術師の正体は、城に違和感なく出入りを出来て、何か荷物を運び込む――ユーミエ嬢を秘密裏に運び込む――手段を所持していて、かつ傷だらけのデナート様をどうにかできた人。怪我をしたデナート様が運び込まれた場所といえば――そこまで思考を進めたところで、デナート様が苦しそうに声を上げた。


「デナート様?」

「あ……いや、わたし、わたし……誰かが、近づいてきて。不気味な足音が、遠くから、こっちに向けて近づいて来るの。それで、私……必死に助けを求めようとして、傷だらけの体で必死に暴れた」


 デナート様はだんだん早口になっていく。恐怖から逃れるようにして、言霊を吐き出すかのように、素早く、正確に、頭を抑えながら事実を並べ立てていく。


「来たの、枕元まで、その誰かが。薄暗い中で、私は――」


 そうだ。あの人なら、傷だらけになっていたデナート様を自由に見張り、何かを起こすことができる。てっきり、賊の襲撃の際に黒魔術を使われたのだと思っていた。なぜなら、城で目覚めた時点で、デナート様は別人のようだと言っていたから。だからその考えが、選択肢から外れていた――無意識に外していた。

 けれどアルフィノは違った。それを疑った。だからこそ、今彼が追いつめようとしている相手は、あの人物なのだろうと想像がついた。

 デナート様の口から出た言葉に、確信を持つように。私はその黒幕の存在を、受け入れた。


()()()()()()のを見た」


 これは、文字通り、黒幕にとって致命的な証拠だ。当事者が生きているという、あの人物の心臓にあたるトラブルだ。

 だから、焦るな。まずは、必要な情報を全て聞き出さなければならない。そう思い、私は震えるデナート様を気遣いながら、話を続けることにした。

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