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気性難の令嬢は白竜の花嫁を夢見る  作者: ねるこ
第二部
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28. ふしぎな泉

 セインズ侯爵邸に到着し、別邸を宿泊場所として提供していただき、一泊した後、私とアルフィノ、そして数人の護衛は、領都から南に下ったところにある森の入り口にいた。

 張り巡らされた石の柵は、どれほどの規模なのか想像もつかない。けれどどうやら、聖地を一周ぐるりと覆うほどの頑丈な城塞のようにも見える。

 聖地の守護の任に就いているのはセインズ侯爵領の私兵で、森の入り口まで送ってくださったマーロン子爵の指示を受けて、私たちは中へと通される。


「この先は、私はご一緒できません。聖地の中には人工物を作ることが許されていないので、道も整備されておらず、手つかずの自然が広がっております。獰猛な生物はすでに淘汰されておりますが、自然に生えた毒草の類は摘み取っておりませんので、足元にはくれぐれもお気を付けください」

「ありがとうございます、マーロン子爵」


 私たちは馬へと跨って、木々の隙間を通り抜けていった。この時ほど、乗馬の訓練をしておいて良かったと思ったことはなかったかもしれない。私はしっかりと手綱を握り、鹿毛の手入れの行き届いた馬へと跨って、それを操って前へと進む。よく訓練された馬たちは気性難を発揮することもなく、慣れたように森の中をすいすいと進んでいく。


「こうして、一緒に馬に乗って遠出するのは初めてですね」


 私の傍へとアルフィノが馬をつけて、平行に歩く。私は手綱に意識を持っていかれながらも、何とか微笑みを返した。


「ええ。やはり、難しいものですね。牧場の中ではうまく乗れても、全然違います」

「そうですね。聖地の中は舗装された道などなく、森を抜ければそこにはだだっ広い草原が広がっています。馬車を転がすことも不可能なので、馬の脚に頼って進むことになります」

「乗馬を練習していて良かったと、心から思います」

「ふふ、助かります。ぼく自身、体格が小さく、未だに馬の上で体勢が安定しないことも多くて。とてもではありませんが、二人乗りを捌けるような技量はないので、その場合は醜い嫉妬の心を飲み込んで、セバスに頼む羽目になっていたかもしれませんね」


 アルフィノがそう告げれば、後ろでセバスが噴き出す気配を感じた。彼はしっかりと訓練を受けてはいるけれど、体格の小ささはどうしてもカバーできるものではない。二人乗りはとても危険だろう、と思う。


「ですが、君がこうして乗馬を覚えてくれたので、並んで歩くことができます。いつか、ルーセン地方の隅々まで一緒に見て回りたいですね」

「ぜひ……私も、せっかく牧場の子たちと仲良くなり、馬への乗り方も覚えたので、一緒に色々な場所に行ってみたいです」

「ルーセン地方には、整備された道から逸れて、草原の方へと迂回していくと、農耕地帯がいくつか広がっているんです。ぼくもたまに様子を見に行きますが、あちらはさらに田舎という雰囲気があり、皆のほほんと暮らしておりますよ」

「まぁ。ふふ、なんだかんだでルーセンは大きな街ですものね。ぜひ、連れて行ってくださいませ」


 どこの領地にも、街の営みから少し外れた位置に、人が住む小さな集落があるものだ。サファージ侯爵領にも、いくつかそういった外れの場所に身を寄せ合って暮らしている人々がいることを知っている。

 アルフィノと並んで馬を歩かせて、やがて鬱蒼とした森を抜ける。するとそこには、心地よい風が吹きすさぶ、きらきらと輝く緑の草原が広がっていた。風に乗って花が舞い、白い雲の隙間から突き刺す太陽の光が、余すことなく降り注いでいる。

 そこには生物の気配があまりにも少なく、静謐な土地であったことは確かだ。その場所の異質さに思わず息を飲めば、アルフィノがその静寂を破るようにつぶやいた。


「ここが、聖地の草原です。この先にある大きな湖――それこそが、建国王の妃、フィリア様の墓所であり、最後の巡礼場所、聖者の泉です」

「なんて、美しい」

「ここは、何度来ても特別な場所だと感じます。自然で、静かなのに、いつも誰かが見ているような」


 私はゆっくりと周囲を見渡した。ここまで圧倒的に、人の手の入っていないはずの美しい草原なのに、確かにそこには作られた静寂があった。神聖さを崇めるあまり、あらゆる自然の摂理を排除した聖地という場所には、人が住めない――あるいは生物が棲めない、特別な空気感がある。

 吸う空気の一つ一つが、何だかさわやかなような、それでいて息苦しいような。ここが聖地ということを改めて言葉で理解させられると、途端に異質さを覚えてしまう。

 ここに今、立っているのは私を含めてたった6人の人間。それと、6頭の馬。それさえも、本来はこの場所にあるべきでないと思うほどの、圧倒的な大自然。


 ――家の裏山とは比べ物にならないほどの、まるでこの世のどこでもないような、そんな場所だった。


「先導します。ついて来てください」


 アルフィノの声で、私ははっと我に帰ると、手綱をしっかりと握り、先に歩き出したアルフィノの後を追っていく。蹄が草原を叩く音と、風が草木を揺らす音だけがその場に静かに混じりあって響いていく。見たことのない蝶々が、花々の隙間を縫うようにして飛んでいく。自然に発生した色とりどりの花畑が、視線の先に見えた。

 私は、神話に記される楽園という場所がどのような場所かと想像すれば、まさにこのような景色を見るだろうなと考えた。


 馬を走らせて、およそ1時間。私たちの前に、いよいよそれは姿を現した。

 一つの小さな街がすっぽりと入ってしまうほどの広さの、巨大な湖。魚も棲まぬほどの、透明で清い水は透き通っていて、太陽の光を受けてきらきらと輝いている。流石に水底を見ることは叶わないものの、周囲の河川と比べれば水質は明らかに違っているように思える。

 これを聖水と表した当時の人の感覚には、敬意を払いたい。


 私たちは湖の畔で馬から降り、一人の従者に馬の管理を任せて歩き出した。凹凸のある道を歩き、坂を上った先には、一つの古い碑が見えた。表面の劣化具合からして、相当に古い時代から存在するものであることは疑いようのない事実だ。

 ――我が最愛の妃、フィリア、ここに眠る。

 掠れた古い文字から辛うじて私の知識で読み取れる文章は、ただそれだけだった。


 私はアルフィノと見つめ合って、ゆっくりと頷き合った。そうして、祈祷の態勢へと入ると、二人で祈りの文言を紡いだ。


「彼方より捧ぐ、我らが白銀(しろがね)の君よ」

「巡る風に、花咲く地に、(しず)かなる水に」

「総ての恵みに報いる、大いなるフォネージ王国の守護者たる我ら、メルヴィンの末裔が」

「今此処に、王国を守るための誓いを立てん」


 それらが静かに、周囲へと響いていく。しばらく、祈りを捧げていると、私はふと、不思議な気配を感じて、目をそっと開けた。


「――え?」


 まるで、それが呼び水であったかのように、誰かの感情が、私の中へと流れてくる。

 喜び、怒り、悲しみ、楽しみ――色とりどりの想いが、どうしてか私の中へ。誰かに呼ばれている気がして、湖の底をじっと見つめた。


(――す、けて――げ、て)


 誰かの声が聞こえた気がして、私は周囲をきょろきょろと見渡した。その様子に気づいたアルフィノが、私の手を握って、首を傾げた。


「ミシェル、どうしたんですか?」

「え……あの、どなたか声を発しましたか?」


 私はあわてて周囲を見渡した。けれどついて来てくれた護衛たちは皆顔を見合わせて首を横に振った。私は、いったい何だったのかと思って改めて周囲を見てみるけれど、もちろん誰の気配もそこには存在しない。

 私は戸惑ってしまって、何でもありません、と返すことしかできなかった。そんな私に対して、アルフィノは少し考えるそぶりを見せた。


「歌の愛され子であるミシェルには、何か感じるものがあるんでしょうか……確かに、歌の愛され子がフレイザード伯爵家に嫁いできたときには、伯爵家には色々なことが起きていたようですが」

「色々な事、ですか? それは、例えばどんな?」

「国から魔物の調査を命じられていたり、作物の不作を嘆いていたり、白竜様がトラブルを起こしていたり。そういったとき、歌の愛され子たちは予言を紡ぎ、助けとなる、と」

「予言……?」


 私は思わず首を振ってしまう。そんな力は、私にはない。

 そもそも、私は魔法使いでも何でもないただの人間だ。そういった不思議な力とは縁もない。唯一、夢に出てくる美しい白い人――イリーナ様のお姿をよく見て、白竜神楽の真なる姿を受け継ぐ、それだけの――。

 そこまで考えて、私には不思議な力と縁がないなんて言い訳は通用しないと思えた。


「ミシェル」

「は、はい」

「もしも何か、お告げのようなものを聞いたら――ぼくに教えてください。歌の愛され子の予言は、フレイザード伯爵家にとって無視してはいけないものです」

「分かりました……けれど、本当に、何か声が聞こえた気がしただけで、私には分からないことだらけです。これって、私がまだ未熟だから、でしょうか」

「そう、ですね……もしかしたら、まだ巡礼を済ませておらず、才覚に蓋をされたままだったのかもしれません。フレイザード家の巡礼は、守護者としての力を維持するための儀式でもあったそうです。先祖が巡礼を絶やさずにいてくれたから、ぼくの身には強い魔法の力が宿っているのかもしれません」


 アルフィノはそっと胸に手を当てて、ほっと息を吐き出した。私もまた、自分の中に眠る未知なる力に、憧憬と恐怖を同時に抱きながら、ゆっくりと胸へと触れる。

 やがて、私たちは落ち着きを取り戻すと、もう一度湖の周囲を歩き始めた。そうして、風化したぼろぼろの遺跡へと辿り着くと、そこへと入り、中に納められていた小さな墓碑の前へと、そっと花を供えた。人の作ったものは置かないようにとのことなので、ラッピングされていた紙筒や、留め具を外して、一輪ずつ、丁寧に台座の上へと並べていく。


 私の夢の中に出てくる、不思議な白い少女が眠る場所。それが、この場所なのだと理解して、私は急に胸のあたりが苦しくなる。

 まるで、求めていた人に、逢瀬を済ませられたかのように。


(イリーナ様……)


 夢の中へと姿を現して、私へと不思議な歌を教えてくれた人。彼女が何を伝えたがっているのか、それを真剣に思い悩みながら、私はアルフィノと二人、祈祷を済ませて、聖地を立ち去った。


 こうして、私たちの巡礼の旅は、終わりを告げたのである。

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