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気性難の令嬢は白竜の花嫁を夢見る  作者: ねるこ
第二部
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24. 黒魔術

 陛下への謁見の翌日の朝、ガブリエル殿下は公務までの間、書庫での調べ物に同行してくださった。向かうのは、王城で使われている大きな書庫ではなく、歴代の王家の者しか立ち入れない、客間ほどの広さしかない小さな書庫だった。厳重に鍵の掛けられた書庫の扉を、ガブリエル殿下は少し戸惑いながら外す。


「ここには、民に触れさせてはならない記録等も残っているので、歴代の王家以外の立ち入りを固く禁じているのです。私は何度か入ったことがありますが、王家に生まれても、ここに入らぬ者は多いかと思います。恐らく、兄上や姉上も入ったことがないのではと」

「この鍵の掛け方は、まるで封印ですね」

「言い得て妙ですね。開きました。フレイザード伯爵、夫人、どうぞこちらへ」


 ガブリエル殿下は扉を押し開けて、私たちを中に入れてくれた。少し埃の香りのする古びた書架の部屋は、灯りをともすと、小さな机と椅子が置かれたほかは、特に目立つ家具がない。本当に、本を開いて読むだけの部屋――そんな印象である。

 私たちはこの部屋へ、黒魔術という言葉の手がかりを探しにやってきた。ガブリエル殿下は、手慣れた様子で何冊かの本を引っ張り出すと、それを机の上へと丁寧に積んだ。どれも本の表紙が掠れていて、慎重に扱わないとすぐに頁が破れてしまいそうなほどの古い本だった。


「これらは、私が手を付けたことのある本です。黒魔術、という言葉はこのどれかで見た記述です。申し訳ありません、私が出入りしていたのは、王太子教育が始まる前、つまりかなり幼い頃で、どの本に書かれていたかは思い出せないのです」

「いいえ、十分です。ありがとうございます、ガブリエル殿下」

「お役に立ててうれしく思います。もちろん、必要があれば、ほかの書籍も見てみてください。陛下は、この書庫にあるすべての本の閲覧権限を、フレイザード伯爵に与えています」


 その言葉に、アルフィノは丁寧に礼を取った。ガブリエル殿下は、少しだけ瞳を揺らして、アルフィノを見つめていた。


「フレイザード伯爵。本を開く前に、少しだけ、お話をしてもいいですか」

「ええ、勿論です。どうされましたか?」

「お礼を言っていませんでした。聖廟で、私を護っていただき、ありがとうございます。夫人も、とても心強かったです」

「勿体ないお言葉です。私は、貴族としての責務を果たしたまで」

「殿下を凶刃から護れたのなら、本望です」


 ガブリエル殿下は丁寧に頭を下げてくださるけれど、未来の国王が、一国民に気軽に頭を下げてはならない。私とアルフィノは慌てて頭を下げ返した。


「殿下は、昨日の話を聞いて――複雑ではありませんでしたか」


 アルフィノは困ったような笑顔を浮かべて、ガブリエル殿下に問いかけた。ガブリエル殿下は、昨日、目の前で自分がもしも死んだときの話をされていたのだ。とてもではないが、気が気ではなかったのではと思う。すると、ガブリエル殿下は、同じく困ったように微笑んだ。


「確かに複雑ではありましたが、同時に自分の立場をもう一度理解しました。私は、この国の王となるのですから、自分の身や思考は常に民のために在らねばなりません。私がどうにかなってしまった時のために、備えをするのは当然のことです。そうしなければ、民を苦しめてしまいますから」

「……ご立派ですね、殿下は」

「私の精神は、まだまだ幼く、国の頂点たる国王を名乗るには程遠いと存じます。しかし、私は戴冠式を経て民の前に出ることになれば、このような弱音を吐いている時間はありません。せめて最初はハリボテでも、民に安寧を与えられるような、善き王に見せかけられるように努力しようと思っています」


 ガブリエル殿下はとても穏やかな人だ。マーゼリックよりも優秀だと思っているけれど、確かに統治者としてはあちらの方が幾分か国王という人物像に近い性格をしている。ガブリエル殿下は、人に愛される人だ。妃教育のために王城へ通っていたころ、よく庭園で多くの騎士や使用人に囲まれて微笑んでいたのを見かけていた気がする。


「ですから、フレイザード伯爵。私に万が一のことがあったら、民のことをよろしくお願いします」


 そんなことを切実な表情で伝えてくる殿下に向かって、アルフィノはもう一度困ったように微笑みを浮かべる。


「違います、殿下。殿下が私に掛けるべき言葉は、そうではありません」

「違うのですか? では、どう言えばいいでしょう」

「その身を賭して、私を護れと仰ればいいのです。私や国王陛下があんな回りくどいことをして、城内に忍び込んだ間者を炙り出したのは、あなたを護るためです」


 そう。そもそも、アルフィノが君主にという話は、ガブリエル殿下が何の問題もなく戴冠できれば、必要のない話だ。私たちが最優先にすべきは、ガブリエル殿下が恙なく冠を戴くことであり、もしも彼が死んだときに、君主となる心構えを堅牢にすることではない。

 ガブリエル殿下は、申し訳なさそうに微笑んだ。


「……そうでした。すみません。王太子になるまでは、こんな風に明確に命を狙われたと感じたことがなくて、私は少し弱気になっていたのかもしれません」

「デナート妃のお声が大きく、兄上が王太子となるのは確実と言われていたから、ガブリエル殿下は大公位を賜る予定だったのですよね」

「はい。王弟として、兄上の政を支えるつもりでした。兄上の存在は大きく、私に見向きをする人はあまり多くはありませんでしたから、そもそも脅威としてみなされていなかったのかもしれません」


 穏やかな性格の彼が、王位継承権争いに耐えられるとは思わなかった。だからこそ、デナート派の者らは、彼をあえて放置しておいたのかもしれない。今の生活の中で、命を狙われる経験をして、少し弱気になっていた、ということだろうか。

 私は殿下にそっと微笑みかけて、伝える。


「殿下、殿下のお傍にはラトニー様がいらっしゃいます。彼女が今、あんなにも苦しんでいるのは、あなたの身を案じての事。どうか、俯くことのありませんよう」

「夫人……そうですね。ラトニーは、私を護ってくれました。私は、ラトニーが回復し、冠を戴くその時まで、必ず生き残ります。どうか力を貸してください、フレイザード伯爵」

「はい。国仕貴族の総力を持って、ガブリエル殿下の戴冠を叶える所存です」


 その言葉に、ガブリエル殿下は明るく微笑んでくださった。そうして、3人で手分けをして、積まれた書籍へと手を伸ばしていく。

 書籍の内容は、歴史書から魔法書まで様々だ。もはや使い古されてしまった政策に関する資料などもここにある。そんな中で、アルフィノが「ありました」と告げたので、私はそっと手元の本に栞を挟み込んで、アルフィノの持っていた書籍を、後ろから覗き込んだ。ガブリエル殿下も、同様に覗き込む。


「今から800年ほど前、黒魔術と呼ばれる未知の魔法を使う者が、王家に成り代わることを企てたという記録があります」

「王家に成り代わる……」

「黒魔術使いは、神の遣いたる白竜を殺し、国を人の手にと、そんな思想を抱えて、多くの人間を巻き込んで大規模な謀反を起こした。けれど、国を人の手にと謳うのに人の尊厳を蔑ろにするその手法を忌避した当時の王家は謀反を鎮圧すると、その黒魔術師を処刑した。それが、当時の記録ですね」


 アルフィノはぺらりと頁をめくると「えっ」と小さな声を漏らした。どうしたのかと促せば、彼は記述に見入るように目を瞬かせていた。


「この争いが収束したのは、その300年後……つまり、500年前?」

「300年もの間、黒魔術使いは王家の転覆を企てていたと? それは、数代に渡って、ということですか?」

「そうなるでしょうね。一族なのか、それとも同じ思想を受け継ぐものが名乗っていたのかは分かりませんが、500年前にやっとその元凶を突き止めて処刑し、それ以降黒魔術使いは現れなくなった、というのが歴史書に刻まれた記述です」


 あまり語られていないのは、国にそのようなおぞましい事件があったと民に知られたくないからだろう。黒魔術使いの思想は、それほどに危険視されていたのだ。


「黒魔術使いは、白竜を殺すためにいかなる犠牲をも厭わなかった。人の魂を犠牲にして、寿命を奪おうと試みたり、多くの人間を洗脳して自在に操ったり、建国王の墓を荒らして反魂を試みようとしたり。これで国を人の手に、などと(のたま)うのなら、忌避されて致し方ないと思いますが」

「ひどい……人間の沙汰とは思えぬ所業の数々ですね。黒魔術には、そのようなことが可能なのですか」

「代償が人の魂や血肉である代わりに、倫理観から外れたようなこともやってのける理外の魔法。それが、黒魔術なのだそうです。これだけの脅威なら、昔の魔法使いが調べた黒魔術に関する記録があってもおかしくないですね。探してみましょう」


 私たちは手分けをして、黒魔術の詳細について調べることになった。けれど途中で、ガブリエル殿下は公務のために書庫を離れることとなった。代わりにシュリーナ様付きの侍女が入り口付近で待機してくれることとなり、ガブリエル殿下は公務へと向かって行った。

 狭い書庫の中で、アルフィノと二人で長い時間をかけて調べ物をした。幸い、書籍は古いものの、小規模の書庫の書物はそれほど多くはなく、夜までかけて調べて、ようやく目当てのものを見つけることができた。

 とある魔法使いの研究レポートだ。その中でも「禁術について」という項目の中に、黒魔術に関する記述を見つけた。私はアルフィノと体を寄せ合って、書物を二人で見る。


「反魂、呪術、魅了――これを聞くだけでも、触れてはいけない学問なのは明白ですね」

「ええ。人間に与えられた権利を過ぎているように思えます」

「黒魔術使いの調書の記録がありますね。黒魔術は、死を超克(ちょうこく)することにカタルシスを感じる思想がもとになっているそうです」

「死を、超克」


 それに関しては、理解はできる。生死の概念、そしてその恐怖を乗り越えることは、人間の本能的な欲求だろう。病気や老衰に対して医学が発達し、魔物の脅威に対して剣術や兵法が発達したように、人は死というものから逃れることに貪欲で、そしてそれによって得られる快感を享受しているのは間違いない。

 けれど、その手段があまりにも非道だからこそ、黒魔術は非難を受けることになったのだ。


「だからこそ、彼らの初めての欲求は、寿命を延ばす手段だったのですね」

「寿命を延ばす……具体的には、どのような手段なのでしょうか」

「初めは、薬ですね。寿命を延ばし、延命するための薬を作る。この辺りはまったく問題ない範囲でしょう。医学薬学でも説明できることがほとんどです」

「ですが、薬で延命できるのは、そんなに長い時ではないですよね。どんなに健康な人でも、老衰によって死へと近づいていくのは自明の理です」


 アルフィノは頷いて、頁をめくった。すると、アルフィノは「うっ」と小さく声を漏らす。私は、その頁を覗き込んだ。

 ――魂継(たまつぎ)。老いた体から生まれたばかりの体に魂を移し、記憶や経験を維持したまま、幼子として生まれ変わる。これによって、実質的に永遠の寿命を得ることに成功――。


「これって……」

「300年、もしもこの魂継(たまつぎ)というもので、黒魔術使いが寿命を延ばし続けていたとしたら、とんでもないですね」

「そんなの……もう、人間と言えるのでしょうか。人間の天命は短いと思います。数百年を生きる白竜様に比べたら、猶更に。けれど、この方法は、幼い体の魂を無下にしていますよね。倫理があるとは思えません」

「そうですね。――……。ああ、待ってください。この魂継(たまつぎ)というのは、つまり宿主となる者の記憶や経験を、他の体へと移す術、なんですよね。それって……」


 アルフィノの言わんとすることに、私ははっと目を丸くして口元を押さえた。アルフィノは私の反応を見て、同じことを思ったのか、さらに頁をめくって、しばらく読み進めたところで、手を止めた。

 魂継(たまつぎ)の詳細な条件について。当時の魔法使いは相当に優秀だったのか、黒魔術使いから得られた微かな情報を繋ぎ合わせて、魂継(たまつぎ)という魔法についての考察が記されていた。

 魂継(たまつぎ)の条件は三つ。一つ、同じ性別の体であること。二つ、どちらかが魔法使いであること。三つ、体が瀕死の状態であること。


「満たして、いる――デナート様と、ユーミエ様は」

「思ったよりも収穫でしたね。もしも、この魔法に関わる資料が、国のどこかから出て来ようものなら――それが、決め手です。この一件の最も根底にある、仄暗い野望を持つ者の、証拠となるかもしれません」

「黒幕の……」

「デナート様が暗殺されたのは、彼女からこの情報を齎されるのを忌避したのかもしれません。そう考えれば、彼女の口を塞いだ理由も納得がいく。それに、この記述――魔法の素養は魂と結びつく。つまり、魔法の素質が片方にしかない場合、魂と紐づくのなら、入れ替わったデナート様は魔法を使えないことになります」


 それなら、デナート様に「魔法を使ってくれ」と言ってできなければ、偽物であることが確定できる。それをさせないため、彼女は後宮にて暗殺された。

 それが、アルフィノがこれまでに得た情報を繋ぎ合わせて得られた収穫。アルフィノは、やっと見つけた手掛かりに、少しだけ興奮しているように思えた。


「ようやく、父上に決定的な情報を齎せる――長かった」

「フィー……ええ、そうね。ありえないと思えてしまっても、これまでの状況がすべて、説明がついてしまうから、その可能性は常に考えられる、ということなのよね」

「はい。何よりも、ぼくの身に流れる魔法の力――この力は、本物です。であるからこそ、ありえると思ってしまうのです」


 方針が定まった。鴉はこれから、国のどこかに潜む黒魔術使いを追い込みにかかるのだ。

 その後も、しばらく魂継(たまつぎ)に関する情報を集めるために書庫の中を読み漁っていたら、いつの間にか日が昇ってしまっていた。

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