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気性難の令嬢は白竜の花嫁を夢見る  作者: ねるこ
第一部
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04. 国仕貴族

 エリンと出会って、間もなく半年。つまり、もうすぐ進級の時期である。

 私は手元の通知書を見て、小さくガッツポーズをした。後期の単位が出揃い、間違いなく卒業が認められることになった。

 この学院において、飛び級と言うものは存在しない。その代わりに、単位が揃った時点で卒業が確定するので、あとは授業に出なくとも進級や卒業ができる。あとは卒業証書を受け取りにさえ来れば、それで成立である。


「お姉さま、もう卒業単位が揃ったんですの!?」


 セラフィーナ様は駆け寄って来て、目を潤ませて私を見た。私は微笑んで肯定する。


「ええ、そうですわね。今年の終業パーティーは出ない予定だし、終業式が終わったらもう卒業式まで学院には来ない予定です」

「そうですの……とても寂しいですわ。それもこれも、神聖な学び舎を自分の城と勘違いしている輩のせいですのね」

「まぁ、ご冗談でも兄上をそのようにおっしゃるべきではありませんわ」


 終業式は、四日後だ。私は急ぎ四阿へ向かおうとした。エリンにも第三学年は一切学院に来ない予定であることを伝えてはいたが、まだ色よい返事を貰えていないからだ。

 たまに我が家に招待していいかしら、と言えば、エリンは少しだけ困ったように笑ったのだ。「気が向いたらね」なんていじらしい返事を貰って以来、ちゃんとした返事を貰っていない。

 残り四日で、何としても口説き落として今後も友人関係を維持したい。そう思って旧校舎へ向かう途中、私は思わず聞こえた話の内容に足を止めてしまった。


「――その話は本当なのか。あの女が好き好んで、旧校舎の四阿に足を運んでいると?」

「本当です、マーゼリック様。私のお友達が教えてくれたの。どうやら下級生と遊んでいるみたい」


 聞こえてきたのは、マーゼリック殿下と、レティシア嬢の声。旧校舎、四阿、下級生――。

 その単語が示す人物は、独りしかいない。どくどくと心臓が激しく脈打つ。


「どうしますかぁ? その女を詰れば、ミシェル様だって逆上して、私に何かしてくれるかも!」

「いい案だ。アシュレイたちを集めろ」

「はぁ~い」


 ふざけるな。ふざけるな、ふざけるな、ふざけるな。

 私は思わずその場を立ち去って、四阿へ向けて駆けた。エリンに報せなければ。

 私のせいで、エリンに迷惑がかかる。嫌だ、エリンを傷つけたくない。エリンに嫌われたくない。

 どうしてあんたたちの自尊心を満たすために、エリンが犠牲にならなきゃいけないの。もとはと言えば、あんたたちが勝手にやったことなのに。

 あんなのが玉座に座るなんて、国の終わりだ。そう思いながら、息苦しくなりながらも四阿へと駆け込んだ。

 ひどく乱れた様子で駆け込んできた私を見て、エリンはぎょっとした。


「どうしたの、ミシェル」

「エリン……ここからすぐに逃げて。マーゼリック殿下たちが来るわ」

「殿下が?」

「……どうやら、殿下はどうしても私がレティシア嬢に何かをしたという事実が欲しいみたい。私を怒らせるために、エリンをひどい目に遭わせると相談していたところを聞いてしまったわ。ダメよ、そんなの絶対にダメ」

「ミシェル……」

「エリン、すぐに逃げて。ごめんなさい、私のせいで。私のせいで巻き込んで、平穏に学院で暮らす権利を失って……私……」


 ぼろぼろと、涙があふれて来た。自分のためには決して流せなかった枯れ切ったと思っていた涙が、頬を流れていく。

 むかつく、むかつく。なんで、どうして。あんたたちのためにエリンが傷つかなきゃいけないの。

 そう思いながら泣き崩れる私を見て、エリンはそっと立ち上がると、指先でそっと私の髪を撫でた。私が少しだけ驚いたようにエリンを見上げれば、エリンは優しげな笑みを浮かべていた。

 まるで陶器を扱うように丁寧な手つきで私を扱ってくれるエリンを見て、私は少しずつ紅潮していた頬が落ち着いてくる。


「セバス」

「はい」

「ミシェルを隠して」


 エリンの言葉に、私は目を見開いた。ダメよ、ダメ。絶対に逃げなきゃ。私のせいでエリンが傷つくようなことがあってはならないのだから。

 そう思っていると、エリンは挑発的に微笑んで、そうして告げた。


「私、確かめたいのよ。そのマーゼリック殿下とやらは、あなたが傷つかなければならないほどのよっぽどの人物なのかどうか」


 その言葉を最後に、私はセバスさんによって四阿の影へとそっと連れられて、腰を下ろした。

 耳を塞ぎたい。怖い。エリンが傷つけられるのを見たくない。私の大切な、友達――。

 けれどエリンを見れば、彼女はいつだって変わらない。ただ優雅に、静かに、茶を嗜んでいる。


◆◇◆


 泣き止んだ頃、複数の足音が、こちらへ近づいてきたのが聞こえて、私は思わず肩を揺らした。草木の隙間からそちらを見れば、マーゼリック殿下を筆頭に、レティシア嬢、そして側近候補から外れたはずの取り巻きが3人。合計で5人が、エリンを見下ろして立っていた。


「貴様が、ミシェルの友人という女か」

「そうですけれど、それが何かしら?」


 エリンの態度は、殿下を前にしてもまったくぶれない。その様子が気に入らなかったのか、マーゼリック殿下は声を荒げた。


「貴様、王族たる私に向かってなんだ、その態度は!」

「知ってるわ。社交界で大恥を掻いて、王室内で発言力を失った王子殿下でしょう? それが?」


 挑発するような物言い。マーゼリック殿下が顔に青筋を立てるも、エリンは涼しい顔でお茶を飲んでいる。


「発言力があろうとなかろうと、この身に流れる血は尊きもの。貴様がごとき、どこの馬の骨か分からぬ下級貴族に軽んじられるものではないわ!」

「そうね。確かに、王侯貴族は尊きものなのでしょうね。けれど、茶を楽しむ令嬢の前で唾を吐き散らして騒音を撒き散らす方を王族とは認めたくはないわ。あなたが王族としての扱いを求めるならば、それ相応の振る舞いをしてくださる?」


 命知らずにもほどがある発言。後ろの取り巻きたちは顔を青くしている。

 ――ミシェル様よりもイカれたご令嬢じゃないか?

 そんな言葉が耳に入って来て、不快感を催した。


「言うではないか、貴様」

「だいたい、私は国仕貴族(こくしきぞく)ですから、そもそも王家の臣下ではないの。尊重はすれども傅きはしないわ。私たちが仕えているのは王ではなく国だもの」


 その言葉に、どの場がどよめいた。話には、聞いたことがある。この国が興った当初からある古い家の中には、国仕貴族と呼ばれる特別な貴族の家があることを。

 彼らの使命は、一般的な貴族に課せられる王族の補佐や国の繁栄への助力ではなく、国の治安維持であることも。

 国仕貴族に対しては、王家の持つ権力が及ばない。だからこそエリンはあそこまで堂々としていると分かったのはこの時だった。国仕貴族が相手となると、流石のマーゼリック殿下でも大きくは出られないのだ。彼らとは管轄が違う。王家が国仕貴族に不当な扱いを行ない、国王が討ち滅ぼされたことなど、歴史をさかのぼれば何度もある。

 彼らは全容が見えない、国の守護者であるとも言われていた。


 その場に神妙な空気が流れ始める。けれど、そんな空気を一切読めない人物が、この場には一人だけいた。

 レティシア嬢はつかつかと歩み寄り、エリンの手元にあった紅茶のカップを取り上げると、告げた。


「マーゼリック様に逆らうなんて生意気なのよっ!」


 そうして、彼女は、紅茶の中身を、エリンにぶちまけた。私は唇をかみしめて、舌の上に鉄の味がした。

 ――しかし。


「え……?」


 レティシアがぶちまけた紅茶はエリンには掛からなかった。それどころか、まるでその物理法則に逆らうかのように、流動的な水が空中で静止している。まるで、その空間だけが、時間が止まってしまったかのように。


「――魔法」


 元側近の一人が、信じられないといった様子で、震える声でつぶやいた。エリンは涼しい顔をして目を伏せると、レティシアへと鋭い瞳を向けて、告げた。


「今、何かしたかしら?」


 エリンは右腕の肘を机へと置いて、指を擦り合わせた。それを見て、ダーチェスト侯爵家の嫡男は、声を上げた。


「う、嘘だろ……何だよ、あれ。あんなに強力な魔法――っ」


 ダーチェスト侯爵家の嫡男は、確か魔法の才能を持て囃されていたはずだ。けれどそんな彼が使える魔法は、せいぜいペンを浮かせる程度の軽微な魔法。それだけでも持て囃されるほどに、今の王国において魔法の才能と言うのは稀有なものだ。

 魔法とは、奇跡の技。白竜の加護ともいわれる希少な力で、限られた血統にしか使えない、まさに選ばれた人間にしか許されない奇跡の御業である。遥か昔は王族はもちろん、様々な貴族の家の者が使えたと言われているが、現代に至るともはやそれは眉唾と化していた。であるからこそ、数十年に一人しか生まれないと言われている魔法の才能を持つと言われる子女は、蝶よ花よと愛される。

 もしもこの国で最も尊い血統は何かと問われれば、皆は口をそろえて王族――ではなく、魔法使いの血族と答えるだろう。


「それで、何だったかしら。私の血統は、どこの馬の骨とも知れぬ下級貴族のものだったかしら」


 ぱちん、とエリンが指を鳴らせば、空中で静止していた紅茶は、静かにレティシアの持つコップへと戻っていった。物理法則で説明できない奇跡の技、それが魔法。


「魔法の希少さも理解できぬ者が王家に名を連ねるとは、聞いて呆れる」


 唐突に、エリンが纏う気が変わった。先ほどまでの穏やかな令嬢の顔はそこにはなかった。その圧倒的な威圧感と風格は、紛れもなく尊き血族のもの。あの傍若無人なマーゼリック殿下でさえ、息を飲んでしまうほどの圧倒的な存在感は、一切の目を離すことを許さなかった。


「な、なによ……何なのよ、あんたっ!」

「やめろ、よせ、レティシア!」


 レティシアはカップを叩きつけると、エリンへとつかみかかろうとした。その瞬間――何が起きたのかも分からぬまま、レティシアは地面に押し付けられ、後ろ手に拘束された。瞬きをした間にセバスがそれを実行していたのだ。


「そこの従僕は私に対する害意を検知すると、制圧するように命令されているの。子爵令嬢風情が、何を勘違いして、誰に逆らっているの?」

「何……がっ!」

「レティ!」


 騎士団長の息子がレティシアを助けに行こうとするものの、エリンがひと睨みすれば、彼は足を止めた。


「そこの従僕が何をやったか理解できぬのなら下がっていなさい」

「……っ」


 セバスの動きは、彼にとっても見えなかったようだ。騎士団長の息子がセバスに掴みかかるよりも、セバスがレティシアの腕を手折る方が遥かに早い。


「何なのよあんた……お父様に言いつけて、ひどい目に遭わせてやるんだからね!」

「だから誰に対して口を利いているの? あなたの後ろにいるのは力のないメフィスト子爵家に、王室での発言権を失った王子に、側近候補を解任されて、各実家からも廃嫡寸前の貴族たち。もう一度聞くわ。あなたは一体、何を勘違いして、誰に喧嘩を売ろうとしているの?」


 私は思わず頭を押さえてしまった。彼らは恐怖政治によって楽園を築き上げたが、崩そうと思えばいつでも崩れる砂上の楼閣だった。とはいえ、国仕貴族でないこの学院の子女たちには王族に逆らう勇気なんてないだろうから、誰も指摘しなかっただけ。

 けれど国仕貴族のエリンにとっては何の意味もない。マーゼリックが大声を上げた。


「――この場を治めよ!」

「あら。あなたにそんな力はないというのに、声を上げるというのね」

「……貴殿の、名は」

「アムール伯爵が長女、エリン」

「……エリン・アムール伯爵令嬢。この場で起きたすべての非礼を謝罪する。ここは私の顔に免じて、事を治めてほしい」


 その言葉を聞くと、エリンは少しだけ考えた後、ぱちんと指を鳴らした。すると、セバスはすっとエリンの後ろへと戻っていった。元側近候補たちがボロボロになったレティシアを回収して、後ろへと下がっていく。エリンは扇子を開いて、口元を隠した。


「……二度はなくってよ」

「寛大な対応に感謝する」

「ですが、この学院の状況については報告差し上げておくわ。王子殿下、僭越ながら諫言を一つ申し上げても?」

「……聞こう」


 マーゼリック殿下がここまで大人しくなってしまうだなんて、驚いてしまった。もしかしたら私が知らないだけで、王家にとって国仕貴族というのはよほど特殊な貴族なのかもしれない。


「もしもまだ王太子となられる気があるのならば、済んだことの足を引っ張っている場合ではありません。お分かりかしら。あなたの元婚約者に構っている暇があれば、国民の信頼を取り戻す行為をしなさいということよ」

「…………っ」

「もしも元婚約者殿を陥れてあなたの名誉の回復を図ったとしても、浮気などという醜聞は決して撤回されないの。元通りにはならないのです。でしたら、あなたが王太子となるのに必要なことは何かしら」


 エリンはそう告げると、そのまま椅子へと腰を下ろした。そうして、そっと扇子を広げて、王子を見上げる。


「王家との問答こそ我が誉れ。願わくば、今度は王たる器に相応しいあなたと問答をしたいものね」

「……諫言、感謝、する。行くぞ」


 マーゼリックは、背を向けると、そのまま取り巻きとレティシアを連れて、その場を去っていった。私はそれを見送って茂みの後ろから出てくると、エリンの正面に腰を下ろした。

 あの圧倒的な威圧感を持つエリンは、本当に私の知っているエリンと同一人物だったのだろうか。そう思って、少しだけ躊躇ってから声を掛ける。


「あの、エリン……」

「…………はぁ~」

「エリン?」

「疲れたわ…………」


 エリンは大きく息を吐き出して、とてつもなく疲れた顔をした。私はそれを見て、目を瞬かせた。


「もう、貴族の振る舞いって疲れるわ。勘弁してほしいわね」

「……エリン、もしかして相当頑張ってた?」

「全部虚勢だわ。王子殿下を前にして、あそこまで虚勢を張れたのは、きっとあなたのお陰ね」

「私の?」


 エリンは苦笑しながら、レティシアに割られた紅茶カップを魔法で拾い集めていく。破片はすべて、セバスが持っている拭き布の中へ吸い込まれていく。


「あなたが王子殿下があまりにもなクズ男だとずっと語るものだから、あまり怖くなかったわ。ほかの王族だとこうはいかないわね」

「そうだったのね……というかエリンって、魔法使いだったの?」

「ええ、そうね。少しだけだけれど、魔法が使えるわ。古い血統だから」

「そうだったの……エリンが魔法使いだということも、国仕貴族だということも初めて知ったわ」

「話したことなかったわね、そういうこと」


 エリンはそっと目を伏せた後で、ふと私を見上げて、そうして告げた。


「ミシェル、大切な話があるわ」

「エリン?」

「私、今日限りで学院を出ることになったの」

「……え?」


 思わず、声が震えてしまった。けれど、エリンの表情は極めてまじめなものだ。

 いつかは、エリンはどこか遠くに行ってしまうのではないか。そんな気がしていたかと言われれば、肯定するしかない。エリンはとても不思議な人で、私が隣に繋ぎ留めておきたい、だなんて私のただの我儘で。


「私も貴族ですから、家から戻って来いと言われれば戻らなければならないわ」

「……そう、ね。ねぇ、エリン。手紙を書いてもいい? また、会えるかしら」

「どうかしら。ごめんなさい、私の家って特殊だから……もしかしたら、もう会えない、かも?」

「そんな! だって、せっかく友達になれたのよ? 私はずっと、エリンと一緒に……」

「……ごめんなさい、かわいいミシェル。あなたと過ごした半年間、毎日楽しかったわ。幸せな日々だった」


 唐突な別れに、頭が理解を拒んだ。けれど、伸ばした手は、エリンに届くことはなかった。彼女はそっと立ち上がって、ゆっくりと優美に振り向くと、淑女の礼を取った。


「さようなら、ミシェル。けれどきっと、約束は果たすわ」


 その言葉を最後に、エリンは静謐な庭園を去っていった。私は、伸ばした手をそっと下ろして、しばらくその場に項垂れていた。

 学院に迎えに来た使用人が私を見つけるまでの間、ずっとその庭園で、涙を流して立ち尽くしていた。

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