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気性難の令嬢は白竜の花嫁を夢見る  作者: ねるこ
第二部
39/65

17. スローンズフィール伯爵の求婚

 とある夏の昼下がり。うだるような熱気にあてられ、私は窓辺の影で涼みながら、紅茶をいただいていた。ルーセン地方は、王都よりもやや暑く、真っ白な雲が浮かぶ向こうには、澄み渡った空が浮かんでいる。

 二度目の夏、熱さにうんざりしていると、庭師のトーマスが、庭に水を撒いている。


「トーマス、何をしているの?」

「水を撒いて、納涼をしてるんですよ。この地方は夏が熱いですからね。こうして、嫌になっちまうほどに暑い日は、よく庭に水を撒くんです」

「へぇ……そうなの。この地方では、そんな方法で涼むのね」

「へい。昔は、幽霊除けのためにも撒いていたそうですよ。裏山から流れてくる川の水は、白竜様の加護を受けた聖水だと言われてましたから」

「ゆ、幽霊……そうなの……」


 その手の話は、少し苦手だ。死んだ人に会える、だなんて、そんなロマンチックでホラーな話は素敵だけれど、怖いものは怖い。人知の及ばぬものに恐怖を覚えるのは、確かだと思う。兄でさえ、白竜様には恐怖を感じていたのだ。

 けれどトーマスが水を撒いてから、なんとなく日陰は涼しくて、だいぶ過ごしやすくなった。その地で生きるための工夫があるのは、とても素敵なことだと思う。

 ヴァイオリンを奏でて過ごしていると、ふと遠くの方から、馬の蹄が聞こえてくる。すると、鹿毛の馬に跨って、アルフィノが家に帰ってきたのが見えた。今日は確か、領主業のためにルーセンの街の方に行っていたはずだが、どうしたのだろう、とヴァイオリンを奏でるのを止めて立ち上がる。すると、アルフィノも私の姿を見て、駆け寄ってきた。


「フィー、どうしたの。何かトラブル?」

「すみません。急ですが、来客です。お迎えの準備をして貰えますか」

「あら。そうなんですか? 分かりました、すぐに準備いたします。ちなみに、どちら様?」

「アムール伯爵です」


 アムール伯爵――エリンの兄君だ。確かにそれは、緊急でも対応しなければならない来客だ。どうやら一足先に早馬で帰ってきたらしいアルフィノと共にすぐに迎えの準備を済ませると、馬車が一台、川の向こうからやってきた。

 馬車から降りて来たアムール伯爵は、丁寧に紳士の礼を取って、早口で伝える。


「この度は、先触れもせずに押し掛けてしまい大変申し訳ありません」

「ええ、もちろん構いません。緊急の用件ですね。どうぞ、中へ」

「失礼いたします」


 数か月ぶりに会ったアムール伯爵は、先月に婚姻を結び、襲爵を済ませた。私たちも式には参列したし、彼ら夫婦はミローシュの領主業にしっかりと打ち込んでいる様子だった。

 そんなアムール伯爵が当家を訪れたということは、フレイザード伯爵家の力を借りなければならない案件が発生したということ。それは、今代のアムール伯爵家を運営するのを支える当家にとっては、優先して解決にあたらなければならない事態である。

 応接間ではなく、アルフィノの執務室へと通して、私とアルフィノ、そしてアムール伯爵、机の傍にはセバスとアムール伯爵の従者が立ち、扉の前には家令が立って、密談に臨む。アムール伯爵は何度か大きく息を吸い、吐き出し、呼吸を整えて、背筋を伸ばした。


「アムール伯爵。何があったのですか。もしや、工作に何か不備が?」

「いえ。特に、他家から探られている様子はありません。これも、エリンが今までにしっかりと工作をしてくれた結果だと思っています。アムール伯爵家が爵位の継承を済ませ、養子である私が後を継いだ結果、鴉が監視していた、アムール家とつながっていた諸侯の動きが止まったと報告を受けています」

「……何よりです。では、どのような問題が発生したのでしょうか」


 アムール伯爵は、鞄の中から、一通の手紙を取り出して、それを差し出した。そこに刻まれた家紋を見て、私とアルフィノは同時に息を飲んだ。

 王家の定める、六輪の花びらをあしらった家紋。それに、少し書き加えたような家紋は例外なく、王家から臣籍降下した家の証。

 ――スローンズフィール伯爵。それは、あのマーゼリック第一王子が成人と同時に与えられた、豊かな王領の片隅にある、綺麗な牧草地を領地として持つ、一代限りの伯爵位。

 私が顔を顰めたのを見て、アルフィノは少し緊張気味に尋ねた。


「……こちらは?」

「スローンズフィール伯爵から、エリンへの婚約の打診です」

「――……」


 私は、アルフィノが絶句したのを初めて見たかもしれない。彼は目を丸くして、固まっている。アルフィノの心中を察するというか――いったい何がどうしてこうなった、というのが真面目な話だった。

 マーゼリック殿下――スローンズフィール伯爵は、一応は被害者として温情を課せられ、王族にしては低めとなる一代限りの伯爵位に押し込められる代わりに、その他の罪を見逃された。まぁ確かに、あの男は身勝手ではあったが、レティシア嬢のように、絶対的な悪意を抱いて国を揺らしたわけではない。彼の周りにいた女の方が問題だらけだったのは知っての通りだ。

 だから当然、婚姻を望めば、受ける人間もいるのでは、と思う。あの婚約破棄騒動でかなり悪評が立ったものの、普段ならば王族との婚姻がなかなか叶わない伯爵家以下の人間にとっては、王家の血を自家に取り込むチャンスである。王位継承権を永久凍結されたとはいえ、スローンズフィール伯爵には、政治的な利用価値がまだ残されている。

 けれどまさか、その数々の縁談を蹴って、エリンに対して婚約の打診だなんて――。


「なぜ、エリンにスローンズフィール伯爵への婚約の打診が? フレイザード伯爵、何か妹から聞いておりませんか」

「……」

「フレイザード伯爵?」


 私はアルフィノの顔を見る。青白い顔で俯いて無表情を張り付けているが、かなり動揺しているように思える。私は少しだけ彼の肩を揺らす。と、彼は我に帰って、そうしてそっと息を吐き出した。


「……いえ。あの……顔を合わせたことが、ありましたね」

「そうだったのですか……」

「しかし、まさか先方から婚約の打診が来るだなんて」


 エリンとスローンズフィール伯爵が顔を合わせた事件。それはきっと、あの時だ。

 私を陥れるためにエリンを傷つけようと、学院内の四阿へと現れたご一行は、見事なまでにエリンに返り討ちにされ、ズタボロにされてしまったのだ。国仕貴族という立場から繰り出される、王族に対してさえ容赦ない厳しい言葉の数々で、特にレティシア嬢は完膚なきまでに叩きのめされていた。

 あの時のエリンは本当にかっこよかった。けれどまさか、私のせいでエリンに迷惑をかけてしまうとは――そう思って、少しだけ俯くと、彼にぽんぽん、と軽く背中を叩かれる。


「お話は分かりました。スローンズフィール伯爵は、王位継承権を凍結されたとはいえ、王室の出ですから、お断りするのも少し面倒な手続きが必要ですね」

「ええ、そうなのです。こちらでも手を回してみる予定ではあるのですが、あなたの耳には直接入れるべきかと思いまして」

「分かりました。ひとまず、ぼくの方でも打てる手は打っておきます。もしも厳しいアプローチがある場合は、イズラディア公爵の介入を頼むしかありませんね。ぼくらは国仕貴族とはいえ、この国の貴族においては、微妙な立ち位置の伯爵家ですから」


 国仕貴族は、王家の干渉を跳ねのける特別な権限を持つ。その代わりに、大きな力を家が保有できないように、伯爵以下の貴族家しかないという話は、アルフィノから聞いた。国仕貴族は、国の安定のために与する貴族家を、当主が選定し、彼らを中立的に国の運営を担う人物として支援する。アルフィノが選んでいるのが、サファージ侯爵――つまりお父様と、イズラディア公爵なのだ。イズラディア公爵家は、国仕貴族ではないのだが、似たような思想が受け継がれている家で、だいたいどの代でも同じような地位を獲得しているが、他の家は、その時世によって判断している。

 先代のアムール家は、その選定に私情を挟み、欲に目を眩ませた結果、他の国仕貴族に成り代わられた家である。


「とにかく、アムール家には二代の間、フレイザード家の息がかかった者以外とつながりを持ってはなりません。元王族なんて、もってのほかです」

「もちろんです。だからこそ、エリンは求婚しようとしてくる人間に釘を刺しておいたようですが……いったい殿下に何をしたんだ、エリン……」


 殿下のプライドをバキバキにへし折って格の違いを見せつけて、魔法が使える血統であることを明かし、殿下の御前にも関わらず一切へりくだる様子を見せないほどの胆力を見せつけ、殿下を含めたエリートを口だけで完膚なきまでに叩きのめした。

 簡単に説明すれば、エリンが彼にやったことはこんな感じだ。


「ですが、不思議ですわ。どうやらあの方、私が言うことを聞かない気性難だから婚約破棄をしたそうなのです。自分の思い通りにならない女は嫌なのだそうですけれど」

「それは不思議ですね。エリンは真逆だと思いますが……」

「そうですね。エリンは間違いなく私と同じタイプです。相手に合わせるなんて、頭を下げられてもごめんだと思っていると思います」


 それは私が断言できる。社交界で悪く言われてもまったく気にしないというほどに、自分を見失わない人だ。スローンズフィール伯爵がエリンを自分好みに躾けようとしても、逆に厳しい言葉であの高慢な王子を躾け返してしまいそうだ。そんなエリンに求婚する意味が分からない。どう考えても、レティシア嬢のような、空っぽの肯定をするような従順な女性にはなり得ないのに。


「……ひとまず、様子を見ましょう。ぼくの方で、鴉に連絡を取って、今のスローンズフィール伯爵に関わる情報を集めておきます」

「分かりました。こちらでは、丁寧に断りの返事を書いておきます」

「ええ、そうしてください。少し予定が早まりましたが、エリンの嫁ぎ先を決めましょう。工作に協力してくれそうな方は見繕ってあるので」


 あの男が傲慢なままなら、エリンを力づくでも手に入れようとするはずだ。なら、エリンを逃がすためには、もう婚姻まで済ませてしまうほかない。波風立たない国の裏、鴉たちは水面下で、こんなに大変な工作を行なっているのだ。

 ()()()()()()()()()()という事実さえ作ってしまえば、後はどうとでもなるのだろう。妻を寵愛するあまり、自邸から外に出そうとしない監禁趣味の貴族は割といると聞いたことがある。少し怖いが。

 アルフィノとアムール伯爵が握手をして、頷き合う。


「ひとまず、協力して乗り切りましょう。何か先方の動きがあれば、すぐに対応します」

「よろしくお願いします」


 大変なことになってしまった。アムール伯爵の馬車を見送りながら、私はそっと息を吐き出した。


「自分のせいで、エリンが王子に喧嘩を売ることになり、それで目を付けられてしまった――」

「え?」

「そんな顔をしています」


 アルフィノの言葉に、私は俯いた。エリンは本来なら、王子と顔を合わせることなく、無事に学院を出るはずだった。私が関わったりしなければ、こんな厄介ごとは持ち込まれてはいないのだ。

 考えれば考えるほど、エリンは彼にとって優良物件だ。強い魔法の力が使える血統で、国仕貴族の出であり王宮の強制力に対してある程度抵抗ができる。6歳の頃から12年間、領主代理の業務を行なっており、王太子教育を受けていて領地経営に関してまだ知識や経験が不足しているスローンズフィール伯爵を補佐できる人材。

 だから、悔しいがあの男の見る目は確かなのである。ただ、私が心底気に入らないだけで。


「あそこでエリンが殿下を諫めていなければ、レティシア嬢回りの環境はもっと混沌としていたかもしれません」

「……確かに、そうです。エリンが殿下に諫言をして、殿下はレティシア嬢を放って王太子教育を再度行いました。あのままレティシア嬢の戦力に殿下がいたら、もう少し面倒なことになっていたかもしれません」

「少しどころではありませんよ。デナート王妃殿下ももっと干渉して来ていたでしょうし、王位継承権争いで、多くの血が流れていた可能性もあります」


 アルフィノはそっと私の髪を撫でる。その手つきは、とても大切なものを扱うかのように優しく、穏やかに口元が緩められている。私は睫毛の傍に溜まりかけていた涙をそっと拭って、アルフィノを見上げた。


「君が殿下のプライドを思いきり蹴ったのを始まりとして、エリンがその上から殿下のプライドをへし折ったので、それらが絡み合って、限りなく平穏に片付いたのは確かなんです。ですから、君が気にする必要なんて、ほとんどないんです」

「フィー……ごめんなさい」

「謝られることなんて、何もありませんよ。それに、アムール家がもうデナート派に与しないと各家に大々的に伝えられたのは僥倖(ぎょうこう)でしたし。ただ、恐らくですがぼくやアムール伯爵よりも君やエリンの方が彼に厳しいことを言えるので――君にも、手伝って貰うことがあるかもしれません」

「何でも言ってください。私、あの男を相手になら、どれだけでも厳しくなれる自信があります」


 腐っても、10年近く婚約者を続けて来た身だ。あの男が甘やかされて育ったなら、私が最もあの男に食い掛った人間になるだろう。王籍を抜けた今、どれだけチクチク嫌味を言っても、大目に見て貰えそうなのも相まって、どこまでも毒を吐けそうだ。


「私、次期王太子殿下に婚約破棄を付き返した悪い女なので」

「ふふっ。そんな君には、反省中の王子殿下に王室での発言権がないことを盛大に煽った悪い女性もついていますね」

「エリンと一緒なら、あの男にもまったく負ける気がしないわね」


 とにもかくにも、エリンとの婚姻は物理的に無理なので、何とかお帰りいただくしかない。三度目の対峙に備えながら、私たちはスローンズフィール伯爵の情報を集め始めることにした。


◆◇◆


 その来訪の伺いは、唐突だった。とても戸惑ったけれど、正式にお伺いを立てられ、どうしても夫人に相談したいことがあると言われれば、無下には扱えない。

 訪問されたのは、ベスター子爵ロッツ・ファウスト様。ファウスト侯爵家次男であり、高い能力を評価されて、王太子の側近候補に選ばれた方だ。側近候補となるまでは、第三騎士団の副団長の任についており、若いながらに実力を評価された文武両道の人。このご年齢で、一代限りのベスター子爵位を賜っているのは本当に素晴らしいことだ。

 金の髪を揺らしながら丁寧に頭を下げ、長い睫毛で縁どられた青い瞳を私へまっすぐに向けて、乞うように頼み込んだのだ。


「フレイザード伯爵夫人。突然の訪問を、お許しください。あなたにどうしても相談申し上げたいことがあり、はせ参じた次第です」

「まぁ……一介の伯爵夫人が、ベスター子爵のような素晴らしい方の力になれるようなことがあるとは思えませんけれど、どうぞこちらへ」

「ご謙遜を。失礼いたします」


 今日はアルフィノは仕事で出ているので、私一人で応対することになった。念のために家令を立ち会わせることを申し付けられて、アルフィノは「お願いします」と告げて私に託してくれた。

 複数人の使用人が立ち会う応接間で、世間話を適度に挟んだ後、彼は丁寧に頭を下げた。


「大変不躾かと存じますが、フレイザード夫人に、伏してお願い申し上げます。我が主、マーゼリック・スローンズフィールと、アムール伯爵家が長女、エリン・アムール様が顔を合わせる場を、取り持っていただけませんでしょうか」


 私は目を丸くする。確かに、スローンズフィール伯爵の傍付となり、領地へ共に赴いた彼がここにやってきた理由に関しては、それしか思いつかなかった。彼らは、私にエリンとの仲を取り持つことを頼みに来たのだと。

 けれど、私はそれにため息で答える。


「――お言葉ですが、ベスター子爵。私が、スローンズフィール伯爵へどのような感情を持っているとお思いですか」

「……存じ上げております。フレイザード夫人は、我が主の不徳によって、数々の苦痛を与えられたかと存じます。私の方からも、謝罪申し上げます」

「私の方からも、ね……私、あの方に直接謝っていただいたこと、一度もないのですけれど」


 臣籍降下が決まり、私の冤罪が認められた後でも、あの男からの顔を合わせての謝罪は一度もなかった。頭を下げられないのか、私に対して悪いことをしていないと思っているのか分からないが――不実なのは確かではないかしら。あんな薄い紙での謝状、いくらでも代筆ができるのだ。彼が反省している証拠としては弱すぎる。


「それなのに私を利用しようとするだなんて、いいご身分ですこと」

「……申し訳ございません。私どもも、何度も主へ諫言申し上げているのですが、どうやら、あなたと直接顔を合わせるのが恐ろしいらしく――」

「まぁ、殊勝なこと。いつの間に獅子が子ウサギになったの?」


 あんなにもみっともなくしがみついていた次期王太子、第一王子の座から弾き出されてしまったのだもの。それも、最悪に他人の信用を損なう形で。それはそれは、私みたいなのに合わせる顔もないわよね。本当に、情けない――。


「ああ、本当にうじうじうじうじ……あの男らしくもない」

「ご夫人……」

「臣籍降下なさったなら、とっとと頭を下げて因縁を清算すればよろしいのに。あの男が厚顔無恥にも、私の唯一無二の親友に求婚していると聞いた時の私の気持ちがお分かりになって? まだ、自分本位の性根は治っていらっしゃらないご様子」


 私だって鬼じゃない。あの男のことが心底腹が立つのはそうだけれど、互いに清算をして、もう二度と害さないと誓ってくれるなら、これ以上引きずる気もないのに。婚約破棄が起きたからこそ、私は今の旦那様と出会えたのだから、その点に関してだけは、彼が動き出してくれたことに感謝していたのに。

 だからただ一言、自分が間違っていたことをお認めになって、臣下の言葉を聞かなかったことを反省なされば、私はそれでいいと思っているのに。筋を通すこともせずに、私の親友に手を出そうだなんて本当にいい度胸じゃない。


「エリンは本当に魅力的な人。あの人には勿体ないというのが、偽らざる私の本心です。自分の過去の過ちから逃げているような人間に、私の大切な親友を紹介できると思いまして? スローンズフィール伯爵があまりにもエリンにしつこく求婚しようというなら、介入まで考えているほどですのに」

「……すべて、私どもの力不足でございます。不愉快な想いをさせて、たいへん申し訳ありません」

「あの方は、まだ諫言を受け入れられませんの?」

「いえ。王籍を抜けて吹っ切れられたのか、今は私どもの諫言をよく聞いてくださいますよ」


 あら、それは意外だった。けれど、あの男――確かに、傍若無人な王子時代も、エリンの諫言だけはちゃんと聞いていたのよね。元々諫言は聞ける状態なのに、もしかして私の前で底意地を張っていただけだったのかしら、と思えるほどに、私にだけ当たりが強かった気がする。


「未だに機嫌を損ねられると、手が付けられなくなりますが――時間を置けば、落ち着くようになられるので」

「あの男も気性難、というわけ」

「否定できません。けれど母上であるデナート妃が越権行為で摘発された頃から、何となく憑き物が落ちたかのように、母と自身の行ないを憎々し気に呟いていらっしゃる様子を何度かお見掛けしました。私もギュンターも、そんな殿下の様子を見て、臣籍降下後もお傍にいようと決めたのです」


 確か、シュリーナ様の言うところには、彼の歪んだ思想は、デナート様によって植え付けられたものだったはずだ。彼女が世間からはっきりと非難されたことで、洗脳にも近いそれから、我に帰ったのかもしれない。

 彼の過去の行いは消えないけれど、少なくとも人の話を聞くようになっていたなら、領民たちも何とか生きていけそうだ。そこに関しては、安心する。


「……ちなみに聞くけれど、どうしてエリンなのです?」

「主はご自身の気性の荒さをご自覚されているので、フレイザード夫人ほどの強く物言える方でなければ、自身の伴侶には迎えられないとお思いなのだそうです」

「へぇ。私に婚約破棄をしておいて、後悔しているんじゃないかしら」

「実際、そのようですよ」


 あの男にそんな殊勝な面があったとは知らなかった。まぁ、あの後に縁談が見つからなかったとしても、あの男の伴侶なんてごめん被るけれど。気性難同士は威嚇しあう運命だから、きっとうまくいかないだろう。


「そんな中で、フレイザード夫人と同等に、我が主に臆さずに強く諫言をしてくれるご婦人の心当たりを聞けば、エリン嬢の名前が挙がったのですが……いったい、エリン嬢は殿下に何を?」

「エリンは国仕貴族だから、態度だけが横柄で口だけでクラスの独裁者気取りをしていた殿下に向かって、王室での立場と発言権がなくなったことを堂々と煽りましたわ」

「――……」


 ベスター子爵は絶句して、言葉を飲み込んだ。王族の臣下とされる通常の貴族なら、不敬だと苦情が行くほどの強烈な煽りだったと思う。けれど国仕貴族は王家の臣下ではなく、国の奉仕者であるため、王家への不敬を働いたとしても、厳しく罰せられることはない。その代わり、少し周りが騒がしくなることもあるようだが――イズラディア公爵という後ろ盾があるので、あの場であの男が不敬を喚いたとしても、何もできなかっただろう。


「私以外に殿下にそんなことを言える女の子がいると思わなかったから、私もびっくりしました」

「そう、だったのですね……」


 命知らずな。そんな言葉を続けたがりそうだった彼をジト目で睨んだ後で、私は紅茶を飲みながら、考える。

 正直に言えば、エリンとの話し合いの場を取り持つことは、できるだろうとは思う。ただ、アルフィノの策謀と噛み合うように配慮しないといけないので、相談の上ではなるだろうが。


「ベスター子爵は、私への相談の話を伯爵にしたのかしら?」

「いえ。これは、完全に私の独断です。夫人におかれましては、不義理を為した相手へ施すのは複雑な心境かと存じますが――私は、改心に対しては、誠実に配下としての感情で答えたいと存じます」

「……そう。大した忠誠心ですね」


 これが、厚顔無恥にも私を利用しようとするあの男の策だとしたら、私は鼻で笑ってやろうと思ったのだけれど。ベスター子爵の忠義からと言われては、それを適当に扱うことはできない。ここからだと馬車で10日近くかかるスローンズフィール伯爵領から、いらっしゃったのだから。

 けれど、まずは、けじめを付けて貰わなければ困る。そう思って、私は息を吐き出した。


「条件があります」

「……何なりと」

「書面ではなく、私に直接、冤罪を吹っ掛けた謝罪をすること。その時に反省の色が見えなければ、この話は終わりです」

「……はい」

「そのうえで、彼自身が私へエリンとの場の取り持ちを乞うなら、その時に受けるかどうかを判断します。これでどうかしら」

「寛大なお言葉、本当に感謝申し上げます」


 自分がやらかしたことに「ごめんなさい」も言えない男に、何も施すことはない。私が申し上げた言葉を一つ一つ丁寧に記録して、ベスター子爵はスローンズフィール伯爵領へと帰っていった。私はアルフィノに今日話したことを報告するために、使用人が記録していたものを眺めていた。

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