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気性難の令嬢は白竜の花嫁を夢見る  作者: ねるこ
第二部
37/65

15. セバスとアルフィノ

 白竜神楽を練習し始めて、一週間ほどが経った。ひとまずは古い言葉で書かれた書物から、何とかして楽譜の読み取り方を見出した私は、ピアノを奏でながら、リズムを取って口ずさんでみる。

 今の常識から考えれば、音楽理論を無視したとても不思議なメロディー。けれど、それらには不思議と調和があり、芸術としての美しさがあった。


「奥様! ほんとに奥様の演奏って素敵です!」

「ありがとう、キャロ」


 すっかりとレーラと並んで私のお付となってくれた、ミディース子爵家三女のキャロは、私と同い年ということもあり、レーラよりもさらに近しい姉妹のような関係だ。レーラは少しだけ大人びていて、私は窘められてしまうことも多いけれど、キャロはよく私に乗っかって楽しそうにしてくれるので、話していてとても楽しい。

 キャロと微笑み合っていると、ガラスの方からとんとん、と音がしてそちらを振り向いた。すると、孤児院の子どもたちがにこりと笑顔を浮かべて、そこに立っていた。それに気づくと、キャロがそちらへ歩み寄って、窓の鍵を開ける。子どもたちはホールへやって来て、口々に挨拶を口にした。

 私はそっと白竜神楽の楽譜を閉じて仕舞い、子どもたちと共に楽しい音楽の時間を過ごした。


 孤児というのは、どの時代にも決して少なくはならない。どれだけ豊かになろうとも、人間の根本には、自分を苦難に立たせようとする原因を排除する動きがあるのだろう。

 子どもというのは、精神的・経済的に自立していない親の苦難になりやすいのだろうか。捨てられたり、置いていかれたり、虐げられたり――そういった理由で、孤児院へやってくる子どもは後が絶えない。


「奥様」


 キャロが子どもたちに庭を案内しに行き、私は一息ついていた。入り口の方から声を掛けられて振り向けば、そこにはセバスが立っていた。


「セバス。どうしたの?」

「いえ。仕事が終わったので、少し様子を見に」

「珍しいわね。アルフィノは?」

「魔法の鍛錬中ですので、私にできることは何もなく」


 そう告げて、どこか寂しそうに眉根を下げるセバスは、ゆっくりと部屋の中へとやってきた。

 彼には、アルフィノに少しばかり強い執心がある。それがアルフィノに迷惑をかけているシーンはほとんど見ないが、しかし時折自制が聞かずに、頭を壁にぶつけて理性を取り戻そうとしている姿などをよく見かける。


「――懐かしいですね」

「懐かしい?」

「私も、ここでよくナタリア様の世話になっていました」

「セバスは……クレサンス孤児院の出身だったのね」


 問いかければ、セバスはこくりと頷いた。彼は、少しだけ珍しい瞳の色をしている。あの瞳は、この国の貴族にはない色だった。だから平民か、もしくは隣国の人間なのではないか、とは少しは思っていた。

 けれど、彼は私の知らないアルフィノを知る人物。せっかくの機会だから聞いて見たくて、私は問いかけた。


「ねぇ、セバス。アルフィノって、小さい頃はどんな感じだったの?」

「語ってよろしいのですか?」

「ええ、好きなだけどうぞ」

「では遠慮なく」


 主を語るときの彼は、いつもは無表情で冷徹な印象を感じる仮面がいとも簡単に壊れる。早々に本性をばらされた私としては、彼のことがアルフィノに付き従う大きな犬に見えて仕方がなかった。つまりは、それくらいの愛嬌が彼にはあるのだ、ということである。

 セバスは少しだけ興奮したように、口を開いた。


「私がアルフィノ坊ちゃんに出会ったのは、私が9歳の頃――アルフィノ坊ちゃんがまだ4歳だった頃でした」


◆◇◆


 まだ10にも満たない年のうちから、絶望という感情を覚えるだなどと思わなかった。

 隣国からこの国に旅行に来ていた両親と共に、このルーセンの街へとやってきたセバスは、両親から様々なものを買い与えられた。

 珍しい話だった。セバスの家は貧乏で、親の酒癖が悪く、元居た街を追い出される形で隣国に逃げて来たということは、幼いながらに何となく理解していた。借金もあったおかげで家の資産は火の車で、贅沢など一度もしたことがなかった。


「セバス、何か欲しいものがあるかしら」

「何でも買ってやるぞ。言って見なさい」


 両親がそんな言葉を口にしていた気がする。けれど、セバスは――ただ、欲しかった一つのものをねだれずに、俯いた。


(僕が、欲しいのは――)


 結局、何も言い出せずに、宿へと泊まった。何となく、父と母の態度が、どんどん他人のように――伯父と伯母のようになっていったのを覚えている。

 翌朝、目を覚ますと、両親はどこにもいなかった。セバスは慌てて探しに出たが、両親は見つからなかった。宿には10日分の宿泊費が前払いされていて、もしかしたら両親は二人で出かけたくなって、出かけて行ったのかもしれない。そう思って部屋で待ち続けたが、一日、二日と経っても、両親が戻ってくることはなかった。

 五日ほど経った日、セバスは宿の主人に相談をすることにした。主人は他人ではあったが、熱心に話を聞いてくれたと思う。しかし、セバスの話が家庭環境にまで及ぶと、彼は気まずそうに目を逸らした。


 その時、セバスは、自分が捨てられた、ということを自覚した。


 父と母が消えて七日。戻ってくる気配はない。荷物もほとんどが持ち出されていて、セバスに残されたのは、あと三日間の宿の猶予のみ。それが終われば、宿を追い出されて、自分はみなしごになって、どこへ行けるわけでもなく、彷徨うことになる。

 どうしよう、と思っていると、どたどたと足音が響いて、部屋のドアが強引に開け放たれた。セバスは驚きのあまり、布団をかぶって、震えてしまった。

 けれどすぐに布団は引っぺがされ、ガタイの良い男に摘まみ上げられると、目の前の男は下卑た笑いを浮かべて告げた。


「こいつで間違いないな?」

「ああ、聞いた通りの特徴だ。この瞳の色はこの国じゃ珍しいから、きっと高く売れるぜ」

「よし、連れていけ」


 セバスは手足を強く縛られて、恐怖に震えながら、口を開いた。


「お父さんと、お母さんは……どこ……」

「ああ、あのクズどもな。お前を売って、大金手に入れてとんずらしたよ。いい子に教育しておいてくれて助かったぜ。まだ、あのクズどもを信じて待っているなんて、泣けるじゃねぇか」


 がん、と頭を殴られるような絶望を覚えて、セバスは口を閉じた。父と母は、最初からこのつもりだったのだ。自分をこの街に捨てて、奴隷商に売りつけること。

 体から力が抜けた。もはや、何も感じなくなっていた。ケースの中に詰め込まれ、押し込められても、動けないほどには無気力になっていた。


 奴隷として、どこぞの貴族に売られるのだ。それを心のどこかで思いながら、しかし逃げ出す気など起きなかった。

 信じていた両親に裏切られ、捨てられただけならいざ知れず、奴隷として売り飛ばされるなんて。

 運命を受け入れたくはないけれど、抵抗することもできない。そんなセバスの前に、彼は現れたのだ。


「な、なんだお前! ぐわっ!」

「うわぁああっ!」


 目の前で翻る純白の裾。奴隷商たちは、突如として踏み込んできた白銀の髪を揺らした男とその従者によってあっという間に制圧され、捕縛された。

 彼は部屋の中で震えていたセバスへと歩み寄って、縄を解くと、残酷な世界の中で、とてつもなく美しく微笑んだ。


「怖かったね。もう大丈夫だよ」


 見た目としては18歳くらいにしか見えない若い男に抱き上げられて、セバスは泣きじゃくっていた。

 その後、両親に捨てられ売られたことを話せば、彼はセバスを連れて、孤児院へ向かった。自分が経営している孤児院だから遠慮せず、ここで過ごしてくれと言われた。

 それが、フレイザード前伯爵、カルセルとの出会いだった。


 孤児院での日々は、セバスの心を少しずつ癒してくれた。孤児たちは互いにいがみ合わず、互いの傷を丁寧に把握し、寄り添って暮らしていた。ここは、親がいない子どもたちが、身を寄せ合って生きている場所。

 孤児院の経営者であるカルセルがやってくると、子どもたちはまるで兄を慕うように走っていく。そんなカルセルの影に隠れるようにしている、カルセルと同じ髪と瞳の色をした小さな子どもがいることに気が付いた。


「皆、紹介するよ。この子はアルフィノ。私の息子だ」


 ――衝撃だった。カルセルはどう見てもまだ成人したての若い男なのに、もう4~5歳になるような子どもを連れていることが。あとから聞いた話だが、カルセルはその時にはすでに27歳だったらしい。

 少しだけ恥ずかしがっているけれど、背筋を伸ばしてちゃんと挨拶をする少年を孤児たちが取り囲むと、彼ははにかんだように笑った。

 自分を救ってくれた温かい手の持ち主と、同じ色を持つ少年。その日から、セバスにとってその少年は、憧憬の対象となった。


(なんと、愛らしい――)


 フレイザード伯爵邸の庭で、同い年くらいの子どもたちと、髪を揺らして楽しそうに走り回るアルフィノを見て、セバスには強い庇護欲が湧いて来た。あの白い肌にも、あの美しい髪にも、何一つとして傷を付けたくない。セバスにとって、アルフィノは完成された天使の彫像のような子だった。

 セバスは、孤児院の中でもそれなりに年上の方だった。最近になって、多くの子どもたちが貴族によって養子に貰われていったので、残った中では年長の方だったのだ。

 だからか、兄弟のいないアルフィノもまた、セバスを兄のように慕っていた。アルフィノは、新しいことができるようになるたびにセバスに駆け寄って来て、そうしてへらりと笑って告げるのだ。


「セバス! 見て、ぼく、これができるようになったんだよ!」

(――ッ! 天使……)


 かわいくて仕方がなかった。両親に手ひどく裏切られ、孤独になったセバスにとって、こうして寄りかかって甘えてくれるアルフィノがかわいくて仕方がなかった。褒めれば嬉しそうに笑う。撫でれば、気持ちよさそうに目を伏せる。厳しい貴族教育で父にはそれなりに怒られることが多い中で、こうして兄代わりのセバスに褒められることは、アルフィノにとっても大切な癒しだったのかもしれない。

 ふわふわの髪を揺らしながらにこにこと笑うこの絶世の美少年を、天使以外のどんな言葉でも表現できなかった。

 甘やかしていたからかとても懐かれたセバスは、ナタリアの教室が開かれている間ずっと、アルフィノに手を握られていた。それも、激しい庇護欲を掻き立てる一因となったのだろう。この幼い小さな手を傷つけることだけはしたくないと、そう切に願ったのだ。

 セバスがフレイザード邸を訪れると、アルフィノは必ず走って来て、セバスの腰にぎゅう、と抱き着いた。セバスはそのたびに、この小さな恩人の子が愛しくなった。

 カルセルもナタリアも、孤児院の子どもたちに家族のように接してくれた。だからか、セバスもいつの間にか、家族に捨てられた傷を、忘れ去っていったのだ。

 中でもカルセルとアルフィノは、セバスが一番欲しかった、愛し愛される家族という関係を、いとも簡単にセバスに差し出してくれた。カルセルはたくさんの愛を注いでくれたし、その注がれた愛をアルフィノに返すと、言いようのない幸福感に満たされる。セバスにとって、この人生の中で、一番幸福だったと思える時間だった。


「カルセル様」


 だから、セバスは、とある決意をして、カルセルに頭を下げに向かった。カルセルは優し気な微笑みを浮かべて「どうしたんだい」と尋ねる。


「将来、坊ちゃんを守る立場に就きたいです。どうすればいいか、教えていただけませんか」


 その言葉に、カルセルは目を丸くした。けれど彼はまた穏やかに笑みを浮かべると、問いかけた。


「それはどうして? うちはこんな感じだけど一応貴族だから、平民の出の子が働くことになると、つらいことも多いと思うけれど」

「承知の上です。坊ちゃんを守るためなら、何でもできます。何でも覚えます」

「セバス……」


 孤児院の子どもたちの行く先は、主に二つ。一つ目は、フレイザード伯爵家を通して、地方の下位貴族に養子として貰われていくこと。跡取りをうまく作れなかった家や、教育に失敗した家などに養子に取られて孤児院を出る子どもたちは、結構多いのだ。男爵家がほとんどで、稀に子爵家がある。

 もう一つが、成人と同時に孤児院の自立支援を受けて、ルーセンの街や、領都で働き口を見つけて自立すること。クレサンス孤児院はこのあたりの支援も非常にしっかりとしてくれて、子どもたちが自立するのを推奨してくれる。

 だとすれば、セバスがフレイザード伯爵家に就職することも、支援して貰えるはずだ。そう思って、セバスは口を開いたのだ。


「私には、家族がいません」

「……うん」

「それでも、フレイザード家の皆さんにはとても良くしてもらいました。坊ちゃんが私に甘えてくれるたびに、家族に裏切られた傷が癒えていきます。もしも私に守るべき家族がいるとすれば、それは坊ちゃん……そして、旦那様たちフレイザード家の皆さんです」

「私こそ、感謝しているよ。アルフィノは、セバスと出会えてからとてもうれしそうだ。うちはアルフィノ以外に子どもがいないから、兄弟がいなくて寂しがっているのは知っていたんだ。だから、セバスがアルフィノの兄代わりをしてくれるのは、とてもうれしい」


 カルセルの言葉に、セバスはぐっと胸の内が熱くなった。家族として彼らに認めて貰えるのが、とてもうれしい。だからこそ、セバスは自分の決意が間違っているとは思えなかった。


「フレイザード家が貴族のお家であることは分かっています。坊ちゃんが成長なさったら、きっと家族として支えることは難しくなるでしょう。だから……私は、坊ちゃんを守れるような立場の人間になりたい。フレイザード家の使用人になるためには、どうすればいいでしょうか」


 カルセルはしばらく考え込んでいたが、やがてそっと立ち上がると、セバスについてきなさい、と告げる。セバスはカルセルの後を追って、裏庭へと出た。

 すると、そこで――セバスは、目を丸くしていた。


「アルフィノ」

「はい、父上」


 小さな少年であったアルフィノは、筋肉を鍛えるトレーニングを止めて、そっと立ち上がった。カルセルの隣にいるセバスに目をやって少し驚いた様子だったが、いつものように駆け寄って来て抱き着くということはなかった。

 目の前にいるアルフィノは、どこか強い意志を秘めた瞳で父をまっすぐに見上げていた。


「セバスが、お前の侍従になりたいそうだ」

「……セバス、が」


 どうしてだろう。セバスはきっと、アルフィノは喜んでくれると思っていたのだ。けれど目の前のアルフィノは、どこか迷ったように瞳を揺らしている。そうして、やがて俯いてしまった。


「父上、それは――」

「お前が選びなさい。セバスはお前のためなら何でもやると言っている。アルフィノ、これが次期当主としての仕事だよ」


 カルセルは静かに、冷えたような声音で、アルフィノへと告げて、そのまま屋敷へと戻っていった。取り残されたセバスは、どう口を開いていいか分からない様子で、しかし何とか声を掛ける。


「アルフィノ坊ちゃん――私は」

「セバス。あのね……あの。ぼく、嬉しいよ。でも……フレイザード伯爵家に関わらないほうが、いいと思う」

「な……」


 断られると思っていなかったセバスは、思わず絶句してしまった。けれどアルフィノは相変わらず、少し視線が泳ぎ気味で、瞳は苦しそうに揺れている。

 喜ばせたいと思ったのに。ずっと一緒にいたいと思ったのに。アルフィノは、そうではなかったのだろうか。セバスは、思わず胸のあたりを押さえた。

 初めてだったかもしれない。アルフィノに拒絶されるような言動をされたのは。


「ごめん」


 その言葉を最後に、アルフィノはその場から立ち去っていった。セバスは、呆然とその後ろ姿を見送った。

 その後も、アルフィノは以前のようにセバスに甘えてくれなくなった。顔を合わせると少し気まずそうに目を逸らすばかりで、結局、その後数ヶ月は、そんな状態が続いたのだった。

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