12. 白竜温泉ご案内!
セラフィーナ様が参加された剣術大会の後、各々方解散の運びと相成ったのだが、私たちの本番はさらにここから。セラフィーナ様、王太子ガブリエル殿下、そしてその婚約者のラトニー様を、領都とルーセンの間にあるとある観光地にお連れすることこそ、ルーセン地方の興行だった。
この日のために、一年近く前から貸し切りの手筈を整えてあり、出迎えはフレイザード伯爵家で行なうことになっている。実際には、イズラディア公爵やそのご子息にあたるまで、同様に出迎え――という名の、慰安に付き合っていただくことになっている。
此度の興行の目的は、王室の皆さまの「慰安」である。王太子として、ガブリエル殿下は成人次第、冠を戴くことが決まっている。王族の皆さまに関しては、普段はずっと王都で公務を行なっていらっしゃるので、なかなか休暇が取れないのが問題となっていた。
そこで、イズラディア公爵が主導となり、このイズラディア公爵領にある、静かな「温泉地」に慰安に訪れて貰うこととなったのだ。
領都を出て、ルーセン地方へ向けて出立し、およそ数時間。この地方は魔力の影響か、それとも枯れ果てた火山の名残か、地熱が残され、湯が湧き出ることで有名だ。そこに、アルフィノの先々代のフレイザード伯爵が、集合浴槽を作るというアイデアを出し、設立されたのが「白竜温泉街」と呼ばれる、ルーセン地方随一の観光地。
湯の水質を分析すれば、薬効も認められ、今やイズラディア公爵領中、どこからでも足が伸びる自慢の観光地だ。これができたことによって、ルーセンはより賑わい、多くの人が出入りするようになったという。
「ああ、極楽ですわっ! なんて心地よいのかしら……これが温泉というものなのね!」
初めの頃、貴族たちからは、屋外に浴槽があることが信じられず、受け入れられなかったと聞く。しかし、先々代のフレイザード伯爵の努力もあってか、今やそれこそが味となり、今は屋外に浴室を作る貴族も増えているそうだ。特に、イズラディア公爵領では。
セラフィーナ様は、腕に湯を懸けながら、気持ちよさそうに顔を紅潮させて、うっとりとしている。そんなセラフィーナ様を優しく見守るのは、即妃殿下――シュリーナ様だ。シュリーナ様は、急逝されたデナート様に代わり、正妃に召し上げられたものの、そもそも最初から政務を行なっていたのはシュリーナ様だったので、貴族たちの反応としては「今更?」という感じだったそうだ。
これを聞けば、デナート様がいかに貴族から認められていなかったかが、ありありと分かるようだ。
「セラフィ、剣術大会、見事だったと聞きます。ごめんなさいね、挨拶に忙しくて、間に合わず」
「いいえ、お母様! お母様がお忙しいことは、セラフィが一番よく分かっておりますわ。ソリュード様も、学友の皆さまも見届けてくださいましたので」
「ミシェルも、こうして話すのは久しぶりですね。お元気でしたか」
「はい、シュリーナ様。色々とご心配とご迷惑をおかけしましたが、今はフレイザード伯爵夫人として、一つも後悔のない生活を送っております」
丁寧に頭を下げようとしたけれど、温泉に浸かる私たちは一糸まとわぬ姿。礼をしようと思って手が宙を漂えば、シュリーナ様はくすりと上品に微笑まれた。
「本日から王都に帰る旅路までは無礼講としておりますから、肩の力を抜きなさい。ミシェル、此度は王室の横暴に振り回してしまってごめんなさい。私も色々と手を回したのだけれど、デナート様は声と存在だけは大きいもので」
シュリーナ様の言い草を考えれば、彼女も随分と正妃の横暴には手を焼いていた様子だ。公爵家の生まれである自分を差し置いて正妃の座にありながら、それだけを理由に見下してくる態度に辟易としていたのだそう。話を聞く限りだと、陛下の心は早々にデナート様から離れてしまったようなのだけれど。
「シュリーナ様や陛下にその意思がなかったのは、自分なりに理解しているつもりです。第一王子殿下はとんでもない方ですけれど、国のために王家を揺らしたくなかったことは、一家臣として理解しているつもりでしたから」
それでも、非常識が過ぎるので浮気を告発し返してしまっただけで。私も王家を揺るがしたいというよりは、マーゼリック殿下に王位を与えたくないという気持ちの方が強かった。それに対して、王室に負担をかけてしまったのは、臣下として申し訳ないと思っている。
「結果的に、今は王室はとても落ち着いています。デナート様のご機嫌を窺っていた方々が王城から撤退し、ガブリエルの立太子が済んだので、今は新たな王の誕生を待ち望むばかりです」
「それは何よりでございます。ガブリエル殿下の立太子、改めてお祝い申し上げます」
ガブリエル殿下なら、きっと良き王となってくださるだろう。心からそう思う。
「ところでお姉さま。この温泉、白竜温泉という名なのですね」
「そうですね。この白濁した湯の色と、この地が白竜様ゆかりの地ということで、先々代のフレイザード伯爵が名付けられたのが、白竜温泉という名だったそうです。あとは、白竜様はお湯浴びがお好きだったそうですよ」
「そうなのですか!? お湯浴び……お湯浴びされる白竜様……かわいらしいですね?」
ラトニー様が、とても不思議そうな顔をして、想像をなさってくすっと笑う。私も、白竜様がお湯浴びを好きだという伝承が伝わっているのを聞いた時は、なんて愛らしいのかしらと思ってしまったものだから。
「白竜様への信仰は、時が経つごとに徐々に薄れているのを感じますが、フレイザード家はその信仰をお守りするのがお役目です。ですので、この地にいる間は、白竜様の息吹を感じていてほしい――そんな願いから、この温泉地にも白竜様のお名前を使わせていただくことを決めたのだそうですわ」
「まぁ。では、このお湯はきっと、白竜様も気に入ってくださったありがた~いお湯なのですね」
白竜様が温泉に入っているところを想像して、思わず口元を緩めてしまう。温泉での王室御一行とのひと時は、一つの思い出となった。
温泉の傍に建てられた巨大な宿の一室で、私たちは心休まるひと時を過ごしていた。シュリーナ様の前でこんなに気を抜くのも恐れ多かったのだけれど、本人が「今日はミシェルのこともラトニーのことも、自分の娘だと思わせてほしいわ」と仰ったので、私は家族と過ごすことを意識しながら、シュリーナ様の願いを叶える。
「少し、夫と話してきますわ。何か問題がないか」
私はそう告げて、シュリーナ様とセラフィーナ様、ラトニー様がいらっしゃる部屋から退室し、離れた棟にあるガブリエル殿下が泊まっている部屋の方へと向かう。アルフィノは、彼の傍で護衛についているので、外にいる侍従に声を掛けて呼んで貰おうとしたところ、中からこんな声が聞こえて来た。
「――そこを何とか。今後も、私の側近を引き受けてはいただけないのでしょうか」
それは、ガブリエル殿下の声だった。私は侍従と顔を見合わせる。そうしてその後で、アルフィノの少しだけ困った声が聞こえる。
「殿下……申し出は、たいへんありがたく存じますが」
何となく、間に入った方がいいような気がして、侍従の方を促して、中へと声を掛けて貰う。すると、アルフィノは少し助かったと言う様子で「失礼します」と殿下に断って立ち上がり、部屋の外へとやってきた。
「ミシェル。そちらは問題ありませんか?」
「ええ。シュリーナ様も、セラフィーナ様もラトニー様も、快適に過ごしていただいております。そちらは……」
と、そこまで口を開いたところで、ガブリエル殿下が顔を出して、そうして丁寧に礼をする。
「フレイザード夫人。本日は、もてなしていただきありがとう存じます」
「とんでもございません。何か不都合等ありませんか?」
「いいえ。ただ、フレイザード伯爵と一緒のお部屋で休んでも構いませんか?」
にこりと笑ってそう告げるガブリエル殿下。真意は、先ほどの一件だろうか。そう思ってアルフィノを見ると、彼は少しだけ困り顔である。
ただ、接待している殿下に頼まれれば断れないだろう。殿下はきらきらとした笑顔を浮かべ、純粋にアルフィノを好ましく思うような姿勢を見せている。
そこまで考えて、アルフィノがこんな顔をしている理由に思い当たる。確か、アルフィノはガブリエル殿下の護衛を務めていた時期があったはずだ。黒い長い髪を結って眼鏡を掛けた、少しだけ不機嫌そうに見えた彼だ。恐らくほぼバレかかっているのを何とか誤魔化している状態、といったところだろうか。
「アルフィノ様は、あまり王族の方と顔を合わせる機会はありませんものね」
「そうですね。ぼくとガブリエル殿下ははとこの関係に当たりますが、基本的には王族の方とは関わりません、地方の国仕貴族ですので」
「はとこ……そうでしたか。それはそれで不思議な感じです」
ガブリエル殿下に促され、私たちは部屋の傍につくられた、吹き抜けのある広間へと移動し、ソファへと腰を下ろした。貸し切り状態の宿では、どんな話をしても外に漏れることはない。
「先王の妹君、ベルンティア様が、母上の母上――つまり、祖母にあたりますね」
「ベルンティア様! 左様でしたか、彼女は高名な音楽家でしたね。素性を隠して宮廷音楽家の試験を受けようとしたお転婆な王女殿下だったと聞いたことがあります」
「うふふっ。そうだったのですか?」
「ええ。ぼくも、初めて聞いた時には驚いてしまいました」
そういえば、先王の王妹殿下の話はあまり聞いたことがなかった気がする。アルフィノの父方の母はまだご存命で、遠い地で余生を過ごしていると聞いたことがあるが、母方は父上も母上ももう亡くなっていると聞く。ベルンティア様とお話をしてみたかったな、と今更ながらに思う。
「そのような血統のつながりがあるなら猶更、側近の話を受けていただけませんか」
「……それは、難しいかと存じます。私は地方の伯爵家。確かに、祖母、そして母から受け継がれた王家、公爵家の血はとても尊いものですが、王都の臣下の皆様方に比べれば、私の経歴はあまりにも側近に向いておりません」
「国仕貴族であるあなたが、あまり表舞台に出たくないのは重々承知の上です。ですが、それでも私は、あなたに王となる私のことを見守っていてほしいのです」
「それは、もちろん。ですが、殿下も仰ったとおり、私は表舞台に出るわけには参りません。ですからどうか、影からこの国のことを見守らせてください。私は国仕貴族。王ではなく、国に仕える影の貴族です」
そう告げて、アルフィノは困ったように微笑み、丁寧に礼をする。ガブリエル殿下は、少しだけ寂しそうに目を伏せた。
「……分かりました。フレイザード伯爵、最後に一つだけ、聞かせてください」
「はい」
「……ジュード・セインディアという名前に聞き覚えは?」
「いえ、ありません」
アルフィノはにこりと微笑むと、少し警備の状況を確認してくると立ち上がって、私にガブリエル殿下の相手を任せて、一度外へと向かって行った。そんな後ろ姿を見つめて、ガブリエル殿下は小さく息を吐き出した。
「フラれてしまいました……」
「申し訳ございません、殿下。ですが、夫には地方で、白竜様への信仰を次代へつなぐという、夫にしかできない使命を帯びているのです。とても穏やかで、国政の闘争には向いていない方かと存じますので……」
「穏やか……そう、ですよね」
さりげなく、フォローを入れてみることにする。夫は、表面上はとても穏やかな人として通っているので、それを押し出してみる。本当は仕事とあれば笑顔で人を陥れられる人だけれど、そんな隠している一面を、妻の私が肯定するわけにはいかない。
「フレイザード伯爵夫人。少し、独りごとを聞いていただけますか」
「……はい。殿下の仰せのままに」
「私への王太子が内定したときから、イズラディア公爵は私に専属の護衛を付けてくださったのです。元はとある没落貴族の三男で、腕っぷしが強い、公爵が後見となっている従僕として紹介されたのが、ジュード・セインディアという少年でした」
それが、恐らく変装して、ガブリエル殿下の護衛に潜り込んだアルフィノの事なのだろう。この様子では、ほぼほぼ同一人物だと気づいているが、アルフィノはそれを決して肯定しないので、確信にまでは至っていない、という様子だ。
ほぼ間違っていないと直感しても、肯定されない限りは疑惑のままだ。となれば、私も肯定してはいけないということだ。
「ジュードはいつも不愛想で無口で、にこりとも笑ってくれないのですが、本当に腕っぷしが強いのです。何度か王城内でも私に近づく不逞の輩がいたのですが、ジュードがすべて返り討ちにしてしまって」
「そうだったのですね」
「ジュードは15歳の少年で、まだとても幼い見た目をしていました。そんなジュードは、立太子が終わると、まるでそこに存在がなかったかのように私の傍から消えてしまったんです。ですが、私は彼のことを気に入っていて、ずっと探しているのです」
どうやら、アルフィノはガブリエル殿下からある程度の信頼を勝ち取ってしまったらしい。きっと、あっさり別れられるために不愛想で無口な人間を演じていたのだろうが、ガブリエル殿下にとっては、問題にならなかったらしい。
「フレイザード伯爵と初めてお会いしたとき、とても柔らかく、穏やかに微笑みかけていただきました。雰囲気は全然違う方なのですが、気遣いと横顔が、彼によく似ていて。だから、気が逸ってジュード、と呼んだらとても困らせてしまいました」
「うふふ。夫は確かに愛らしい見た目をしておりますが、私より5つ上ですのよ。15歳の少年と間違えてしまったら、流石に拗ねられてしまいます」
「そうですよね。けれど、私もずっと探していた人だったので、気が逸ってしまって。フレイザード伯爵は優秀な方だと、イズラディア公爵に聞き及んでいたので、つい勢いで側近に勧誘してしまいました。反省しています」
ガブリエル殿下も、きっとアルフィノとこの問答をするのは平行線だと思ったのだろう。彼がジュードに話しかけても、アルフィノはずっとすっとぼけている。見た目も性格も違うなら、それを断定できる証拠はどこにもない。
「フレイザード伯爵夫人。もしもどこかでジュードを見かけたら、私が探していたことを伝えていただけませんか」
「……ええ。ルーセンの街は、多種多様な方が訪れる街。もしかしたら、いつかどこかで会えるかもしれませんね。その時には、お伝えしておきます」
「ありがとうございます」
そうして、その会話が終わった頃、アルフィノが戻ってきた。彼は異常がないことを丁寧にガブリエル殿下に報告すると、また微笑みかけた。
彼の得意の印象操作だ。ジュードという少年は、不愛想で笑いもしなかったという。だから、敢えてにこにこすることで、アルフィノは他人である可能性を抱かせようとしているのだ。
「ミシェル。そろそろ、王妃殿下の元へ戻ってください」
「そうですね。つい、話し込んでしまいましたか」
「申し訳ございません、夫人。どうぞ、母と姉と婚約者をよろしくお願いいたします」
「はい、お任せください」
私は後をアルフィノに任せて、部屋へと戻った。分かってはいたけれど、国の中枢部に潜入する潜入捜査員というのは、大変な仕事なのだと実感したのだった。