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気性難の令嬢は白竜の花嫁を夢見る  作者: ねるこ
第二部
32/65

10. 騎士姫の舞踏

 初夏の頃、私はとあるルーセン地方の興行のため、イズラディア公爵領領都・イズライールへと赴いていた。イズライールは、白亜の要塞とも呼ばれる巨大な要塞都市で、魔物の出現率が高い地方ながら、そのほとんどから旅人や住人を防衛している。騎士学校と呼ばれる国内最大規模の騎士養成施設を擁し、騎士たちが研鑽を求めて剣を向け合う闘技場(コロッセオ)も備え付けた巨大な都市へと入れば、王都とは異なった華やかさに思わず嘆息する。

 目的地である闘技場は、街の中心部にある。中央庁の傍へと付けられた円形の巨大な施設は、今日はとても賑わっていた。理由は一つ、今日は年に一度の「フォネージ王国騎士剣術武闘会」の開催日だからである。


 この国での騎士の称号というのは、教養と実技の試験によって獲得できるものだ。つまりは、騎士を名乗るにあたって必要な最低限の教養と、武器を持って戦える技能を示すことで、騎士という称号を得ることができる。この騎士という称号があれば、衛兵や近衛兵、騎士団への就職にかなり有利になるということで、仕官するにあたっては皆が登竜門として求める称号である。


「ミシェル様!」


 貴族用の観客シートへと顔を出せば、友人の一人が立ち上がって手を振ってくださる。座り心地が良く、初夏の爽やかな日差しを遮るシートへと腰を下ろせば、眼下には広い闘技場が広がっていた。芝、水、土。人工的な自然が映えるフィールドでは、今は子どもたちが剣を振っている。

 このフォネージ王国騎士剣術武闘会というのは、騎士の称号を持つ者たちが、剣の腕を競い合う、イズラディア公爵領でも最大規模の興行である。学生時代の友人たちが集まってこの催しの観戦に来ている理由は、ただ一つ。


「今年も勝利なされたら、五連覇ですの?」

「ええ、ええ! 素晴らしいわよね。王国史上初の快挙と聞きましたわ」

「もはやあの方に勝てる剣士は、国内にいらっしゃるのかしら――」


 子どもたちの剣術大会が終わり、いざ本番が始まろうかという頃。階下に現れた彼女の姿に、シートを埋め尽くす観客たちのわっという歓声が響き渡った。

 風になびく戦装束(バトルドレス)は、機能性と華やかさを同時に備えた特注品。腰に提げた銀色に輝く細剣(レイピア)は、使い慣れているのか、そこに何の違和感もなく存在している。いつもは下ろしている髪を後ろで一つに結って、穏やかな瞳は闘気に満ちている。


「セラフィーナ様!」

「きゃー! 素敵ですわ!」


 騎士姫、そう呼ばれるセラフィーナ様は、普段の装いからは全く想像の出来ない凛々しい様子で、闘技場の中央へと躍り出た。


 ――即妃殿下の第一子、セラフィーナ王女殿下は、何かと誤解を受けがちなお姫様だ。というのも、彼女の印象としては「お転婆」「天真爛漫」という印象が先行し、実に快活に過ごされているので、皆もそれを間違いだとは思っていない。もちろん、私はそれらをセラフィーナ様の長所として捉えているし、とても素敵だと思う。けれど、彼女の本質はそこにはない。

 生まれた時から、この王国で最も高貴な血統である王室に連なる女子。厳しい淑女教育を受けた彼女は、同年代の中ではもっとも淑やかで美しく、理想の淑女を体現したような女性である。花のようにたおやかで、陽だまりのような穏やかさを持つ彼女は、その淑女の像の上に、セラフィーナ様という「個」を築き上げることに成功している。


 彼女は「お転婆で剣が好きなお姫様」ではない。正しくは「淑やかで、美しく、剣術を嗜まれる王族令嬢」である。


 彼女が騎士の称号を賜ったのは、8歳の時だった。それも、王国史を遡っても例のない、史上最速の叙勲であった。幼い頃から、近衛兵たちが訓練をする詰め所へと忍び込んで、訓練用の木剣をこっそり持ち出しては、振って遊んで怒られる、ということを繰り返していた。

 そのお転婆さに手を焼いた母上――即妃殿下が、セラフィーナ様に剣術を覚えることを許可し、その条件としてちゃんと淑女教育を受けることを申し付けた。セラフィーナ様は、剣術を覚えるために、完璧な淑女となる努力をまったく欠かさなかったのである。

 第一王子、第二王子と、二人の世継ぎが生まれたこの世代、セラフィーナ様が冠を戴かれる可能性はほとんどないに等しい。何より、王国史を遡っても、女王となった人物は数えるほどしかなく、国王は男子が優先される習わしがあるので、セラフィーナ様も婚姻によって王籍から抜け、侯爵、あるいは公爵の夫人となるための教育が施された。

 その結果選ばれたのが、歴代の騎士団長の血筋である名門、ドロワープ侯爵家であった。騎士の名家へ嫁げることは、セラフィーナ様にとってはこの上なく名誉なことであったらしく、ドロワープ侯爵家は王家の血を欲したので利害が一致し、嫡男であるアシュレイ様と婚約が調った。


「あら。アシュレイ様も出られるのね」

「……廃嫡はされたけれど、家からの除名は免れたんだから、かなりの温情よね」


 しかし、アシュレイ様は残念ながらレティシア嬢に誑し込まれ、廃嫡へと追いやられた。彼も相当に心酔していたようなので、自業自得と言えばそうなのだが、やはりうまくいかなかったか、というのが私の感想だった。

 セラフィーナ様が騎士の名家へ嫁げるとなったとき、とてもお喜びになったセラフィーナ様から興奮したようにその様子を聞いていた私は、その後のセラフィーナ様の苦悩も、よく存じ上げていた。そっと目を伏せれば、あの頃のふさぎ込んでいたセラフィーナ様の姿が蘇ってくる――。


◆◇◆


「剣を持つのはやめてください」


 婚約者との顔合わせの日、セラフィーナが婚約者のアシュレイ・ドロワープから受けた第一声がそれだった。騎士の名家への嫁入りが決まり、きっと生涯ずっと大好きな剣に触れ続け、夫を支えていくのだと疑わなかったセラフィーナは、その言葉に焦ったように問いを投げかけた。


「な、なぜです、アシュレイ様! わたくしにとって、剣術はとても大切なものです。それを手放せだなどと……」

「女が剣など持って何になるというのです。我がドロワープ家は、騎士の名家。淑女の遊び程度の剣術など、恥にしかなりません」

「……そんな……」


 アシュレイは、かたくなにセラフィーナが剣術を続けることを拒んだ。それは、婚約が調った、セラフィーナが13歳の頃だった。アシュレイは騎士団長である父からその剣の才能を見出され、神童とすら呼ばれていた天才児だった。彼が騎士団長となるのならば、今代の騎士団も安泰だ。誰もがそんなことを信じて疑わなかった。

 そんなアシュレイから「遊びだ」と誹られては、さしものセラフィーナでもなかなか食って掛かれない。セラフィーナは、騎士の名家へ入るにあたって、剣を捨てることを迫られたのだ。

 けれど、セラフィーナにとって剣はもう一つの人生であり、セラフィーナがセラフィーナらしくいるために必要なものだ。セラフィーナの「個」とは、理想の淑女像の上に、セラフィーナが積み重ねて来た剣術の研鑽が載りかかったものだったからだ。


 母にも相談できずに、途方に暮れ、独り庭園で泣いていたセラフィーナに声を掛けたのは、ミシェルだった。


「セラフィーナ様、どうされたのですか? こんなところで……ほら、ハンカチを。かわいいお顔が腫れてしまいますわ」

「お姉さま……」


 幼い頃から、宰相である父と共に度々登城していたミシェルは、兄であるマーゼリックの婚約者となって以来、王妃教育を受けるために、城へと来る頻度が増えた。彼女はセラフィーナよりも少し大人っぽい雰囲気を持っていて、非常に頼りがいがある様子があり、そういう意味でも、兄が兄としての役割を果たさないセラフィーナにとっては、同い年でありながら本当の「姉」のようだった。

 セラフィーナはわんわんと泣きながら、涙ながらにミシェルに、アシュレイとの不和の原因を伝えた。ミシェルは、セラフィーナを宥めながら、その話を茶化すことなく最後まで聞いてくれた。


「わたくし、ドロワープ侯爵家に名を連ねられるのは、本当にうれしいことですの。歴代でも、とても素晴らしい騎士を輩出している名家ですもの。わたくしが尊敬している剣豪も、皆ドロワープの名を戴いていますわ」

「そう……でも、アシュレイ様は、セラフィーナ様が剣を持つのがお嫌なのですね」

「わたくしの剣術は、アシュレイ様からすれば、淑女の遊び程度らしいのです。見苦しいからやめろと、そんな風におっしゃられて……」


 けれど、結局、アシュレイに言われてからも、一日も剣を手放すことはできなかった。セラフィーナにとって、剣の鍛錬は日々の日課に組み込まれていて、もはや呼吸も同然のものだったのだ。


「でも、わたくし、剣を捨てることなどと……」

「セラフィーナ様……」

「ですが、淑女は紳士を立てるもの。ならば、夫のために涙はのみ込まなくては。うう、うう……」


 それは、この国で美徳とされる、淑女の思想だ。女は男を立てるもの。彼らを陰から支え、その傍に寄り添うことこそ、貴族女性の誉れと、そう教えられる。

 けれど、ミシェルはその思想にうんざりしていた。というのも、彼女の婚約者もまた、アシュレイと同類のとんでもない男だったからだ。


「……伴侶となる者の意見も聞かずに、一方的に自分が嫌だからやめてほしいなんて、男のエゴですわ」

「お姉さま?」

「今日もマーゼリック殿下と喧嘩いたしましたの。王太子教育で出された政務の課題で、意見を申し上げたら、お前は黙って私を立てて居ろ、意見など聞いていないと言われてしまいました。うふふ、明らかに私の施策の方が効率も利益も上がることが客観的に証明できるのに、マーゼリック殿下は自分がこれが最善と思えば周りの話に耳を傾けてくださいませんもの」


 ミシェルとマーゼリックが喧嘩をするのも、もはやいつものことだった。セラフィーナは、マーゼリックが苦手だ。自分が側妃の子だからという理由だけで、何かと理由を付けて下に見ようとする。母の家門的には、圧倒的にセラフィーナの方が優位なのに、自分が嫡男だから、セラフィーナが女だからと何かと理由を付けて見下すあの男のことを好きになれなかった。

 マーゼリックは王宮内でも筋金入りの問題児で、優秀だが何しろ人の話を聞かない。諫言をしても逆にキレ返される、臣下からすれば理不尽極まりない暴君である。そんな彼に唯一逆らい、物を厳しく言う婚約者のミシェルに、セラフィーナが憧憬の気持ちを抱くのはそれほど不自然なことではなかった。


「お姉さまはすごいですわ。お兄様は本当に話を聞いてくださらないのに、諦めずに諫言なさって」

「婚約者の義務を果たしているだけです。あのお方が、何でも自分の思い通りになると思い込んでいたら国が傾いてしまいますもの。だったら、どんなにかわいげがないと言われても、マーゼリック殿下に疎まれようとも、私は私の信条を貫き通すだけです」

「わたくしの、信条……」


 ミシェルは、どこに出しても痛くないとても立派な淑女であり、王妃教育をしているがゆえに、国の王配としての貫禄も身に付きつつある。けれどミシェルの振る舞いは、王国の常識から考えれば、男を立てない無礼な女と思われてもおかしくはないのに、マーゼリック以外の誰もが、ミシェルの振る舞いを見咎めない。

 それは、ミシェルがミシェルらしさを持っているからだろう。彼女は外に何を言われようとも、自分の忠義を尽くして王を支えようとしている。それを周りも分かっているから、苛立つマーゼリックに比較して、彼女を信頼する臣下が多いのも事実だ。

 では、わたくしは? セラフィーナは胸にそっと手を当てて、そっと机に立てかけた細剣に手を振れる。アシュレイの言うとおりに剣を捨て、王国が謳う理想の淑女の顔を見せて、セラフィーナという女は生きていると言えるのか。


 ――そこまで考えて、セラフィーナは首を横に振った。やはり、もっとちゃんとアシュレイと話し合おう。自分にとって剣がどれだけ大切なものかを説明して、分かり合おう。きっと、分かってくれる。夫婦になるのだから、心の内を話さなければ。


「お姉さまはやっぱり素敵です。わたくし、少し元気が出ました。わたくしにとって剣は、わたくしがわたくしであるために必要不可欠なもの。やっぱり、捨てることなんてできませんわ」

「そうですか。応援しておりますわ、セラフィーナ様。どうしても分かってもらえないのなら、一合打ち合ってみれば通じ合えるかもしれませんわね」


 セラフィーナはミシェルに背中を押されて、アシュレイとの和解を目指すことを決めた。剣を手放さずに、夫を支える妻を目指すために。

 ――けれど、そんなセラフィーナの献身が、実ることはなかった。何度話し合ってもアシュレイはかたくなにセラフィーナが剣を握ることを拒む。その様子は、周囲も知ることとなった。

 そんな時、アシュレイをライバル視する子息から、こんな言葉を聞いてしまったのだ。


「セラフィーナ殿下。アシュレイは、セラフィーナ殿下に、自分の理想の夫人になってほしくて剣を諦めてほしがってるわけではありませんよ」

「……どういう、ことですか」

「あいつはただ、脅かされるのを恐れてるんです。天才と呼ばれるセラフィーナ殿下が剣を握れば、神童と呼ばれる自分の立場がなくなってしまうかもしれない。それが怖いから、あなたから剣を奪おうとしているだけなんですよ」


 セラフィーナは、がつんと頭をぶたれたような感覚に陥った。――今まで、セラフィーナがアシュレイとの和解を目指していたのは、ただ、考え方の違いがあったからだと思っていたからだ。

 けれど、実際には、アシュレイはセラフィーナとの夫婦生活を考えて諫言していたわけではなかった。ただ、自分が見栄を張れなくなるから、セラフィーナに大切なものを捨てさせようとしているだけ。それを知って、目の前が真っ暗になった。


(では、わたくしは今まで、何のためにアシュレイ様と――)


 どれだけ訴えても無駄な理由が分かってしまった。セラフィーナが剣を握ることは、そんなにいけないことなのだろうか。セラフィーナは無我夢中で走り出して、ミシェルの元へと泣きついた。ミシェルは驚いていたが、セラフィーナがぼろぼろと涙をこぼして、崩れ落ちたのを見て、泣き止むまでずっとそばにいてくれた。

 セラフィーナが気づいてしまったその事実を伝えれば、ミシェルは顔を顰めた。そうして、ぼそりと呟いた。


「主が主なら、側近も側近なのね。ほんと、根性もないのかしら」

「お姉さま……私、嫌です。アシュレイ様と穏やかに暮らすためなら、剣を控えようとも思ったけれど……ただ、あの人が嫌だと言う理由だけで、私だけに剣を捨てさせようとするなんて、納得できません」

「セラフィーナ様は、どうしたいですか?」


 ミシェルが問いかければ、セラフィーナはぐっと涙を拭って、そうして告げた。


「わたくし、認められたいです。アシュレイ様に、わたくしの剣は、あなたを脅かすものではなく、あなたを支えられるものだと」


 セラフィーナの決意に頷いたミシェルは、フォネージ王国騎士剣術武闘会への出場を勧めた。そこでアシュレイと剣を交えて、はっきりさせればよいと。それでも向こうが拒否するならば、その時は、セラフィーナはちゃんと即妃殿下に想いを伝えたほうがいいと。

 そうして、セラフィーナは研鑽を積み、フォネージ王国騎士剣術武闘会への参戦を行なった。セラフィーナの卓越した剣技は、瞬く間に目の前の相手を蹴散らして、初出場ながらに決勝戦への出場を決めた。

 鮮烈で派手な剣技。セラフィーナは踊るように足を捌き、恐るべき精度、目を見張る速度で高速の突きを的確に急所に打ち込んでいく。セラフィーナに負けた者や、ただ見ているだけのオーディエンスは、それを見て「王女殿下に本気なんて出せるわけがない」と言い訳をしたが、剣を窮めんとする者が見れば、セラフィーナの実力はそんな言い訳を笑い飛ばすほどには、確かなものだった。


「……アシュレイ様」


 セラフィーナの決勝の相手は、アシュレイ・ドロワープ。彼は明らかに不機嫌な様子で、セラフィーナを睨みつけていた。


「どういうことです、セラフィーナ殿下。私は何度も申し上げたはずです。剣を握るのはやめてほしいと」

「……何度もお願いしました。私にとって剣はすべてだから、どうか剣術を続けることを許してほしいと。けれどその言葉は、あなたには響きませんでした。ですから、私は証明しに来たのです」

「……証明?」


 セラフィーナはキッとアシュレイを睨みつけると、細剣を構えて、静かに呼吸を落ち着けた。その研ぎ澄まされた闘気は、アシュレイを侵してぞくっと肌を粟立たせた。


「アシュレイ様、わたくしと本気の勝負をしてくださいませ。あなたが勝ったならば、わたくしは二度と剣を握ろうとは思いません。あなたの願いに従います」

「……っ」

「ただし、わたくしが勝った場合は、二度とわたくしの想いを否定しないでくださいまし。この雌雄を決するならば、この場はこの上ない機会でございましょう」


 アシュレイは、手が震えていた。――セラフィーナの才能に嫉妬し、それが自分を脅かすことのないように、厳しい言葉を掛け続けて来た彼。その様子は、周囲の人間が幾度となく見続けていた。

 セラフィーナの剣を、淑女の遊びだと見下して来た彼が、もしもこの場で、セラフィーナに敗北を喫したなら。

 ――そんな恐ろしい想像が胸を過って、アシュレイは壊れそうになっていた。けれどそれは、アシュレイがセラフィーナとの対話から逃げ続けて来た「ツケ」であった。

 アシュレイが、この勝負を受けない理由はないのだ。なぜなら、彼はずっとそれを望んでいたから。自分がセラフィーナよりも優れているから、遊びの剣技はやめろとセラフィーナに迫り続けてきたのだ。ならば、その現実を示せば、セラフィーナは剣を手放すとまで言っている。

 完全に八歩塞がりとなったアシュレイは、目の前で煌めく剣閃に、目を奪われた。


 踊るように足を運び、限りなく正確に剣を捌き、圧倒的なまでの美しさ、緻密さでアシュレイを追い詰める剣技は、アシュレイが恐れた現実そのもの。

 ――騎士の名家の男子が、婚約者となった王女に、剣で打ち負かされる最悪の結末。

 気が付けば、アシュレイの手から剣が離れて、床を転がる。目の前には、息を切らせながら、それでもアシュレイを強く睨む、強い意志を持つ金のまなざし。


(やめ、ろ――俺を、そんな、そんな目で、見るなっ)


 この日を最後に、アシュレイの騎士としての矜持は、全て叩き折られてしまったのだ。


◆◇◆


「あらら……負けてしまいましたわね、アシュレイ様」

「かつての神童も形無しですわ。セラフィーナ様に完膚なきまでに叩きのめされて、自信がなくなってしまったのかしら」


 アシュレイ様は、二回戦で負けて敗退となった。彼は負けたことに対して、取り乱すでもなく、ただ淡々と、礼をして会場を去っていった。

 ――騎士姫に完膚なきまでに打ち負かされた婚約者は、もはや気力を失い、惰性で婚約を続けるだけの腑抜けへと落ちた。

 それに対して、騎士団長である父は、アシュレイに厳しい目を向けた。婚約者に嫡男の自信を叩き折られたことよりも、誠実に向き合おうとしていたセラフィーナを、邪険にし続けた息子の行為に対して、顔を顰めていたのだ。


「新しい婚約者のソリュード様は、セラフィーナ様より5つも下なのですよね。ちょうど、ミシェル様とフレイザード伯爵くらいの年の差ですわ」

「うふふ、5歳くらい大した差ではありませんわ。と、言いたいところですけれど、私の旦那様はとても大人ですから、私はまだまだ子どもだと思わされることも多いですけれど」

「まぁ!」


 アシュレイ様の弟のソリュード様は、今年14歳になる若き騎士だ。彼もアシュレイ様ほどではないが神童と持て囃され、剣の訓練に打ち込む日々を送っている。残念ながら、まだ未成熟な剣では、1回戦の突破もままならないところではあったが、けれど彼は執念で勝ちを取ると、それは嬉しそうにセラフィーナ様へ報告へ向かうのだ。

 遠くから見れば姉弟のようにも見える二人は、仲の良い婚約者である。自尊心が高いアシュレイ様とは違い、素直なソリュード様は、セラフィーナ様に剣の教えを乞うているそうだ。


「セラフィーナ様ったら、ソリュード様に師匠と呼ばれてしまうんです、と少し困ったように話されていましたわ。けれど、毎日二人で剣の訓練をして、とても幸せだと話されていました」

「そうなのですね。うまくいっているようで何よりですわ」

「ソリュード様にはアシュレイ様ほどの貫禄はないけれど、ドロワープ侯爵家の男子としては十分に及第点だそうです。騎士団内での評価は、今は兄よりも高いそうですわ」


 アシュレイ様は、騎士としてのやる気を折られた上に、レティシア嬢の不貞事件によって嫡子の立場を追いやられた。それによって、次期騎士団長への出世街道は閉ざされ、騎士団への在留は許されたものの、下っ端がいいところだという。

 私自身、彼には複雑な感情を抱いている。直接的に害されたことはないが、冤罪を吹っ掛けられた二度の機会において、彼は手が届く場所にありながらその行為を咎めることなく見逃した。それでも、事件の後の誠意という点においては、マーゼリックやほか2人の元側近よりは誠実だったと思う。

 レティシア嬢が正式に王家から罪人として投獄された後、マーゼリックやほか2人の元側近は、謝罪状という形で――誰でも代筆ができる形で、私へと謝罪を寄越した。マーゼリックは王領に伯爵位を与えられ放逐され、ほか2人は臣下に下り平民として領地に幽閉同然で働きに出されたと聞いた。ほか2人はレティシア嬢が偽証を行なっているのを知っていながら、私を悪意を持って貶めることに加担したのだという。

 それに比べて、アシュレイ様はどうやら本気で私にレティシア嬢が虐げられていると思い、自身の正義のままに振舞った結果、政治犯罪の片棒を担がされたそうだ。屋敷へと謝罪にやってきたかと思うと、屋敷に入る前の玄関で芝に膝をつき、額を地面に擦り付けて謝罪された。自分には、サファージ侯爵邸に入る資格がないからと。

 哀れというほかないし、自業自得ともいえるのは事実だが、それでも彼が騎士団に在籍し続けることで罪を償うというのならば、私に言えることは何一つとしてなかった。


「ソリュード様はまだ成長期ですし、まだまだ伸びますわね。セラフィーナ様も、ソリュード様が自分よりも強くなってくださるのを楽しみにしているそうですわ」

「うふふっ。いいですわね、何だか楽しそう。アシュレイ様も底意地を張らずに、セラフィーナ様のことを認めて、共に研鑽に励んでいれば、今頃はいいパートナーとなれていたかもしれませんのに」


 その言葉に、私は俯いた。きっと、それは難しかったのだろう。

 セラフィーナ様にセラフィーナ様の矜持があるように、アシュレイ様にはアシュレイ様の矜持があったのだ。婚約者にかっこいいところを見せたいのは、男子としては理解ができる範疇ではあるし、婚約者が自分よりも剣の腕が優れているというのが、複雑なのもよくわかる。

 ただ、相手の気持ちを蔑ろにして、ただそれを止めさせるという行為が、二人の関係に致命的な亀裂を入れてしまったのだ。それに関しては、アシュレイ様の自業自得と言える。

 王国の紳士教育において、夫が妻よりも優れた存在であれと教えられるのは、妻が自分よりも優れていると醜聞になるという意味ではない。ただ、家を守っていくにあたって、当主という存在になるにあたって、それくらいの心意気でいなさいという話だ。決して、自分よりも妻が優れていたら、その妻の力を削ぎなさいという教えではない。


 きゃぁっという黄色い歓声が上がって、私は顔を上げた。闘技場の中心では、セラフィーナ様が桃色交じりの銀色の髪を揺らして、目の前で膝をつく男を見下ろしていた。自分よりも遥かに大きな男を、あっという間に打ちのめしてしまうほどの、優れた剣士。


「セラフィーナ様の剣技は、まるで舞踏会で踊っているみたいだわ」


 その流麗さと美しさに目を奪われた人は、年々増えてきているそうだ。彼女は会場の中心で、歴代最強の女騎士の名をほしいままにしていた。

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