07. アムール家
「帰って来てたって聞いてたけど本当だったんだ」
その言葉に、私は思わず尋ねてしまった。
「……あの子は」
「ああ。ええと、エリン・アムール様ですよ。領主の娘の」
「領主の?」
私は、内心訳が分からないという気持ちでいっぱいだった。てっきり、エリンは架空の人物だと思っていたのだ。戸籍としては存在しないと思っていた彼女が、まさかこの街の領主の娘だったなんて思わなかった。
「アムール伯爵は18年くらい前に、イズラディア公爵に言われてこの街の統治を任されたんです。ただ、12年くらい前だったかな……急に伯爵と夫人が病気で寝込んでしまって、この先の森の中にある屋敷で療養してるって話です。長らく領主の業務はアムール家が雇った執事が代行してたんだけど、こういう重要なイベントの時は、エリン……様が親の代わりに表に出て、仕切ってくれてるんですよ」
「そうなの……」
「エリン様は王都とか他領の方に勉強に出ていて、ミローシュには普段は滞在してないんだけど、ついに跡取りが見つかったから、そのお披露目に戻ってきてくれたんだな……」
アムール家に関しては、私も前に調べようと思ったけれど、地方貴族で国仕貴族だからか、ほとんど情報がなかった。父に相談すれば「やめておきなさい」と言われて、結局そのまま調べられずじまいだった。分かったこととしては、イズラディア公爵傘下の家ではあるが、20年ほど前までは王城の近くで、時折政治に口出しをするほどに王家に近しい家だったということだろうか。
そんなアムール家が、辺境の街の領主へ送られた理由は、考えれば考えるほどろくなことではなさそうだ。私は少しでも情報が欲しくて、続いて自警団の方に話しかける。
「跡取りが見つかった、とは?」
「ええ。エリン様は一人娘ですが、家を継ぐ気はないらしかったから、遠縁から養子をとったんですよ。それが、ほら。エリン様の隣にいる、ローザン様。エーベスラン子爵家の次男で、つい先日、正式に養子に取られたから、婚約もすごい勢いで調ったらしいですよ。残念ながら、婚約者は花まつりに間に合わなかったようなんですけど」
「では、ローザン様がご結婚為されたら、もうアムール伯爵位はローザン様に?」
「ということらしいです。もう伯爵夫妻は人前に出られないほどに弱っているらしくて、後のことを全てエリン様に任せて、もう12年。エリン様は、領主の代行を執事に任せて、長くこのミローシュを任せられる領主となれる子を探して、ずっと国内を探していてくださったらしいです」
女が家を継ぐのは、無いわけではないがかなり稀だ。家に女しか生まれなかった場合は、婿養子を取って家を継ぐのがほとんどだが、女一人しか生まれなかった家だと、血筋が近しい家から男を養子をとるのはよくある話。
「今回の花まつりは、領主の就任式も兼ねてるんです。だから、今されているのは、新領主ローザン様のお披露目ってわけですね」
なるほど、と納得する。そうして、もう一度エリンの姿を見やった。
エリンは今日も相変わらず、金の長い髪を丁寧に結い、左目は長い前髪で隠している。今日はまるで花の精のような、薄桃とヴァイオレットの、裾が花びらのように広がった清楚なドレスを身に纏い、気持ちいつもよりも飾り立てている。アムール家の色は薄桃色なのだろう。化粧もそちらの色でまとめられていて、今日のエリンは「アムール家の代表」なのだ。
その傍に寄り添うようにして背筋を伸ばして立っているのは、まだ若い、金の髪に青い瞳の美丈夫だ。どちらかと言えば文官という印象を受けるはかなげな男は、エリンと義兄妹と言われても納得できるほどに洗練された振る舞いをしている。
「皆様! 本日より、ミローシュの領主として就任しました、ローザン・アムールです。父――アムール伯爵よりその爵位を受け継ぎ、ミローシュの発展を支えるべく、努力してまいります。アムール家がこのミローシュの街の領主となってまだ15年、街の皆さまは、未だアムール家の能力に疑問を持たれていることでしょう」
優秀な執事が領主を務めていたとはいえ、アムール伯爵夫妻は、12年も前から領民の前に姿を現していない。であるからこそ、まだ彼らは領民に受け入れ切られていないのかもしれない。
「私はアムール家の外からやって来た養子の身ですが、この美しい街を、少しでも住みやすく、少しでも盛り立てて、皆さまの生活を豊かにしていきたいと、心から思っております。幼いころから領を支え続けてくれた妹に託されたこの地を、全身全霊で守っていきたいと思っています」
そう告げて彼が頭を下げ、エリンも丁寧に淑女の礼を取れば、ぱちぱちと拍手が巻き起こっていく。この様子だと、アムール家はそれなりに受け入れられているのかもしれない。
「アムール家がまだよそ者だと思ってるのって、アムール家の人だけなんだよな。こんな寂れた地に貴族様が来てくれて、祭りを外に喧伝して人を入れてくれたおかげで、街の開発費もどんと増えたし、水路や道もかなり整備された。それなのに、人前に出られないってだけで謙虚なもんだよ」
「皆さん、アムール家の方々には感謝されているのですね」
「豊かな暮らしなんて、慣れちゃえば元には戻れませんからね。外から人が出入りするようになるだけで、こんなにも変わるもんなんだって思ったら、年に一回これだけの人を捌くくらい、大したことないって思います」
街に貴族の領主がいるかどうかで、その地域の発展具合は大きく変わる。もちろん、領民を苦しめるとんでもない領主がいるので、一概に良くなるとは言えないのだが、まともな領主が運営をすれば、街は自然と豊かになっていく。貴族とは、発展のための財を国から与えられ、それを使って街で収益が出るように開発をする権限と知識を持っているのだ。
どうやら、今は挨拶回りをしていて、正式な就任式は最終日に行なわれるそうだ。彼らはいくつかのポイントを決めて、そこへ移動して先ほどのような演説をしているようだ。ふと視線を感じると、エリンと目が合う。すると、エリンは少しだけ困った様子で、そっと微笑んでくれた。
アムール兄妹が立ち去って行った後で、人々はアムール家の話をする。概ね良さげな反応だった。表に出られない夫妻と違い、これからはローザン様が表立って領主業を行なってくれるのだろう。
「……エリン、変わったな」
ぼそっと呟かれた言葉に振り向けば、自警団の二人は、どこか寂し気な様子で立ち尽くしていた。その言葉に首を傾げれば、彼らは少し慌てた様子で背筋を伸ばした。
「ああ、いえ。実は、私と兄は家が伯爵邸に近かったので、幼馴染と言いますか……幼い頃に、何度か顔を合わせたことがあるので。その時は、ちょっと夢見がちな普通の女の子だったのに……気が付いたら、立派な淑女になっているんだなぁって」
「……女の子ですもの。きっかけがあればいつだって変わるわ」
「そ、そういうもんですか……失礼。すみません、長々と。じゃあ、俺たちは仕事に戻りますんで、また悪ガキに囲まれたら、すぐに自警団の奴ら呼んでください」
そう告げて、自警団の兄弟はその場を去っていった。侍女たちが私の友人の「エリン」にきゃぁきゃぁと盛り上がっている中で、私は首筋に汗が流れるのを感じていた。
どうして、エリンに――幼少期が存在するのか。それが、何度考えてもしっくりとくる理由が存在しない。もう少し先ほどの自警団の方々と話せばよかった。とはいえ、彼らも仕事中なので、そういうわけにもいかないだろう。
「――様。奥様?」
「あっ。ご、ごめんなさい。何かしら」
「い、いえ。エリン様は久しぶりにお見かけになられたのでしょう? お会いしなくてもよろしいのですか?」
私は思わず言葉に詰まる。私は「えーっと」と呟いて、言葉を飲み込む。私の世話係をしている侍女たちは、一様にアルフィノからの気遣いで、フレイザード家の裏家業については明るくないのだ。であるからこそ、もちろんエリンのことも彼女らは知らず、私の大切な友人であると思っている。
彼女らの気遣いはありがたいのだが、私は少しだけ困ったように微笑みを浮かべて、首を横に振った。
「今は領主業で忙しいようだし、私たちの帰宅予定は花まつりが終わったらすぐにでしょう? 時間が取れないと思うわ」
「そうですか……残念です。私も噂のエリン様、もっと近くで見てみたかったなぁ」
たぶん、アルフィノが考えることが増えてしまうので、やめてあげて欲しい、とは言いづらい。
結局、アムール家についても、エリンについても謎が増えたまま、私たちは先ほどの軽薄な男性に捕まらないように、買い物を終えて宿へと戻った。
もやもやは残るけれど、またアルフィノが話してくれる気になったら聞こう。それと、香水のことを疑ってごめんなさい、という気持ちを抱いたまま、ふかふかのスイートルームのベッドで顔を埋めて、眠りについた。
二日後の朝、滞在四日目。紅茶を戴いていると、部屋の方へと来訪者があった。取り次いでもらえば、そこに立っていたのはセバスだった。私は目を丸くしてどうしたの、と尋ねれば、セバスは懐から、とある小さなメモ用紙を私へと渡した。
「これは?」
「そこに、アムール家の事情を知る方がお住まいです。もしも奥様がお知りになりたいなら尋ねてみると良いと、あなたの友人が」
「……! そう……分かったわ。ありがとう」
セバスはそれだけを伝えると、そのまま一礼をして、宿を後にしていった。後姿に「お仕事頑張ってね」と声を掛けて、メモ用紙をそっと開いた。そこには、住所が示してある。しばらく住所を見つめて、私はそちらへ向かうことにした。
支度をして出かけ、自警団の方を捕まえて住所を聞きながら、その場所を目指した。すると、そこにあったのは質素な一軒家だ。平民の住居としては普通くらいの大きさで、一世帯程度なら不自由なく暮らせるであろう大きさがある。
私がドアのベルを鳴らせば、中からは一人の少女がドアを開けた。金色の髪に、青い瞳をした、私と変わらない歳の女の子だ。
「はい。どちら様ですか?」
「失礼いたします。ジュリ様というのはこちらのお宅にお住まいですか?」
「あ、はい。おばあちゃーん。お客様!」
彼女は家の中へと呼びかける。すると、彼女はゆっくりとした足取りで、私の前へと現れた。老齢だろうに、まだぴっちりと伸びた背は、彼女が理知的で健康的な女性であったことを思わせた。白髪交じりの金色の髪を揺らした、温和な女性は微笑んで、私を見た。
「あら、どちら様かしら……?」
「突然お伺いして申し訳ございません」
「おばあちゃん、じゃあ私花まつり行って来るから」
「ええ。気を付けて行くのよ、エリアーヌ」
ちょうど、彼女は家を出るところだったらしい。引き留めてしまって申し訳ないと丁寧に礼をして、私はジュリ様に向き合って、メモを見せる。すると、彼女は訳知り顔で頷いて、どうぞおあがりになって、と告げた。侍女と護衛は外で待機することとなり、私はジュリ様に居間へと通された。
ソファに腰を下ろせば、ジュリ様は紅茶を淹れてくださった。その手際と味から、この方が素人でないことが分かる。ジュリ様は、丁寧に頭を下げて、そうして告げた。
「……あなたは、エリンお嬢様のお知り合いね?」
「はい。友人、なんです。王都の学院で出会いました」
「そうですか。お嬢様の紹介でここにいらしたということは、今のお嬢様の事はご存知?」
その言葉に、私はすぐには答えられなかった。けれど、彼女の問いかける意図が、私の出会ったエリンは架空の人物だと思っていた――という旨と統合して、私は頷くことに決めた。
「そう。じゃあ、エリンお嬢様があなたに聞かせてほしい話というのは、きっとあの事なのね」
「……あの事」
「ひとまず、自己紹介をさせていただこうかしら。私はジュリ・レミエール。一応ね、レミエール子爵家の末娘だったの」
「……ミシェル・フレイザードと申します」
「フレイザード……なるほどね」
この短いやり取りで、目の前の女性は私のことをだいたい読み解いたらしい。その手際と、自分のことをほとんど知らせない用心深さ。私は、この女性の正体に思い至った。
「……ジュリ様は、もしや鴉の……」
「ええ、そうですね。もう12年ほど前に、足を洗いましたけれど」
「やはり、そうでしたか」
「ええ。そんな私の鴉としての最後の任務は、アムール家に、乳母として潜入することでした」
私は目を丸くした。彼女は、思い出すように、少しだけ遠い瞳を浮かべながら、紅茶のマドラーを丁寧に置いた。
「今から18年前、アムール伯爵家にエリン様が誕生されて、私は乳母として雇い入れられました。それは鴉の工作で――本当の目的は、アムール伯爵家の監視でした」
「監視……」
「ご存知かしら。今の国王が戴冠する際、妃関連で随分と揉めたと」
「はい。聞いたことがあります」
「その時、アムール家は、あろうことか妃の一人に強く肩入れをしたそうなの。鴉の掟を破ってね」
妃の一人に、肩入れ。確か、正妃デナート様は政務を全くせずに、王宮の権力や国庫を貪っている、という話は忌々しそうに父から何度も聞いたことがある。鴉がいながらそれを許しているというのは違和感があったが、まさか――。
「アムール家は、鴉の裏切り者と呼ばれていたの」
「裏切り者……」
「国の治安維持を謡う組織の一部でありながら、金と権力に目が眩み、間違った妃を玉座に据えたと。鴉を欺くための偽装工作に関与した疑いがあった。ですから、イズラディア公爵は、お嬢様が生まれて……アムール家を、この辺境の地に閉じ込め、動きを見られました」
「……」
「その結果、アムール家は鴉の内部で偽装工作を多数行なっていたことが判明して、制裁を受けることになったのよ」
国仕貴族は、国に仕えるための存在。彼らは決して自分の欲のために国を揺るがしてはならない。王命を無視できるほどの存在である彼らは、しかしどうやって規律を守っているのかと言えば、鴉が相互に監視をしているからだという。
もしも裏切り者が出たら、内々に制裁する。それによって、鴉は組織の形を保ち続けてきた。そこまでは、何となく鴉という組織の存在を知って、予想が着いたところだ。
「何せ、こんな辺境に押し込められても、必死に、それまで一切関係がなかったはずの高位貴族たちと連絡を取ろうとしていたんだもの。それらは、全て届かなかった救援要請だったのだけれど」
「……その後、アムール家はどうなったのですか?」
「一族郎党、皆殺し。それが、鴉の選んだ制裁だった」
私は思わず口元を押さえて、瞳を揺らした。けれど、鴉の恐ろしいのは、恐らくそこではない。
一伯爵家が滅びれば、必ず国のどこかに綻びが出る。だからこそ、鴉はその綻びを埋めるために、何かをしたはずなのだ。そしてそれが、今のエリンに関わっている。
私がその結論に至ったとき、それを分かっていたかのように、ジュリ様は語りだした。
「私はね、エリンお嬢様の子育てを全て任されていたの。鴉に厳しい監視の目を向けられ、辺境に追放された伯爵夫妻は、子育てをしている暇なんてなかったの。何とかして、鴉から自分たちの潔白を示さなければならなかった。自分の子どもの顔も知らないんじゃないかしら」
彼女は、当時の痛ましさを思い出すように、少しだけ身震いをしながら、口を開いた。
「私は考えてしまったの。きっとこのままでは、あの愚かな夫妻だけでなく、まだ何も知らぬ無垢な子も巻き添えにしてしまうんじゃないかって。乳母として彼女のゆりかごを揺らしたんだもの、情が湧いていたわ」
「……当然だと、思います」
「ですから、私は独断で、夫妻が子どもを見に来ないのをいいことに、私は彼女の教育をかなり曖昧にしたわ。アムール伯爵家のことは、何一つ教えずに育てた」
彼女はそっと瞳を伏せてから、明瞭に告げた。
「あなたの名前はエリアーヌ。愛称はエリンっていうのよ。だから、きっとあなたと仲良くなりたい人はエリンと呼ぶわって」
「それって……まさか……」
先ほど、すれ違った少女のことを思い出す。エリアーヌと呼ばれた彼女は、エリンと同じ金の髪に、青い瞳を持つ少女だった。私は、どきどきと心臓が激しくなるのを覚えて、ジュリ様に目を凝らす。
彼女は、どこか罪悪感を抱えるように、しかししっかりと決意を持つように、昏い瞳をしていた。
「私はフレイザード前伯爵カルセル様に、懇願したの。私の孫娘として育てたから、アムール伯爵家に関わらせないから、この子を見逃してほしいって」
「……っ」
「カルセル様は、かなり悩まれたみたいだけれど、エリアーヌの様子を見て、それを飲んでくれた。……もともとは、二つほど離れた国の辺境の孤児院に預けるために、準備を色々と進めていたそうなのだけれど。訴えを通した私は鴉から足を洗って、今はあの娘を育てているの」
アムール家の、裏切りに対する制裁。一族郎党皆殺しにするその制裁に、フレイザード伯爵家が関わっていた。それが、この両家の間にある、仄暗い関係。
「そうして、フレイザード伯爵家によって、アムール伯爵家は、この12年間、ずっとあるものとして運営されてきたのよ。領主邸に、適当な領地運営ができる人間を置いて、領主夫妻は病気で人前に出せないとして存在を隠したのよ。それが、今のアムール家の真実」
「……じゃあ、今のエリンの役目は……」
「完全に成りかわったアムール伯爵家を、養子によって完全に別の家へと変える工作を担うこと。……本当にご立派よ。関わった人間以外は、誰も疑ってないわ」
その言葉が、重く響き渡って、私は俯いた。きっと、私が思っていたよりも、エリンは大変で大切な役目を担っていたのだから。