06. 花の都
花の季節の中頃、家の前にある花壇で色とりどりの花が咲いていた。牧草地の真ん中にある屋敷は、都会のように洗練された庭という感じではないのだが、ガーデニングを趣味にしている使用人たちが、共同で庭に大きな花畑を作っている。私は、孤児院の子どもたちと一緒に、それを見て回っていた。
「ミシェル様! あの花、きれい!」
「本当ね。昨年はなかなか花開かなかったみたいだけれど、今年は綺麗に咲いたわ」
「あのピンクの花きれい~」
「うふふ。ヨルはマーガレットが好きなのね」
孤児院の子どもたちにもすっかりと懐かれ、庭を一緒に散歩したり、川辺に出かけたり、厩務員さんに馬に会わせて貰ったり、一緒に歌ったり。それと、読み書きや歴史などを教えたりと、交流が増えた。
世話係に連れられて、孤児院に戻っていく子どもたちを見送って、私はそっと花壇を見やる。花は好きだ。こうして色とりどりの小さな花々を見ているだけで、数時間は過ごすことができる。そう思っていると、馬の蹄の音がして、アルフィノが帰ってきたのが見えた。
アルフィノは、庭に出ている私を見つけると、駆け寄ってくる。
「お帰りなさい、フィー」
「ただいま戻りました。……すみません、ミシェル。君に話しておきたいことがあります」
「話しておきたいこと?」
アルフィノは、夫婦になっても、こうして丁寧に順序立てて話すことを止めない。きっとこれが、彼の癖なのだろう。そう思って、私は姿勢を正して耳を傾ける。すると、彼は少しだけ言葉をまとめる時間を取ってから、ゆったりと話し出した。
「週末から二週間、仕事で家を空けることになりました」
「まぁ。珍しいわね」
「ええ。最近は外出はほとんど日帰りでしたし、遠出も首都まででしたから。行き先はミローシュです」
「ミローシュ……」
私は、頭の中に地図を呼び出して、位置を確認する。確か、ミローシュというのは、このイズラディア公爵領のかなり辺鄙な場所に位置する、小さな街だったはずだ。気候は温暖で、この季節になると花が咲き誇ることから、小さいながらも「花の都」と呼ばている。この地域で行なわれる「花まつり」というお祭りは、若い男女には人気だ。
そういえば、もうすぐ花まつりの時期だ。ルーセンの街が、最近賑わっているのはそういうことかもしれない。ちょうど、アルフィノが週末から出発して、ミローシュに着いて、花まつりが一週間行なわれ、戻ってきて二週間、と考えれば辻褄は合う。疑問なのは、彼がどうして花まつりに「仕事」をしに行くのかぐらいだが。
「花まつりですか?」
そう尋ねれば、彼は少しだけ体を揺らして、そうしてそっと息を吐き出す。
「流石、よく知ってますね」
「ええ。……王都の淑女の憧れですから。あの花の街に、想いを捧げる殿方と訪れるのは」
「……そうだったんだ」
彼は、少しだけ驚いたように目を見張る。私は白竜様に懸想を抱いていたことがバレているので、恐らくアルフィノからすれば意外だったのだろう。白竜様に花冠を被せてあげたい――なんて考えたのは昔の話。
すると、アルフィノはばつが悪そうに頬をかいた。
「……すみません。今年は仕事だから、一緒に行けるとすれば来年かもしれません」
「いいえ、そんな。まだ結婚したばかりですし、この先何度でも行く機会はあります。お仕事優先です」
「ありがとう」
そう告げて、アルフィノはそっと私を抱きしめて、髪をそっと撫でる。私は、少しだけ彼から花の香りがしたのを感じた。
(――香水?)
彼は普段は香水などはつけないので、ついてくる匂いは、誰かに付けられたもの。つまり――彼は、女性とそれなりに親密にして帰ってきたのだろうか。
諜報員として、女性と接触する機会はかなり多いと聞いた。高位貴族と懇意にしている女性なんかは、不満が多くて贅沢好きでおしゃべり好きなので狙い目なんです、なんて身も蓋もないことを言われたこともある。
――浮気なんて、絶対に疑うことはない。それでも、少しだけ不安に思うことがあるのは、本当に彼のことが好きだから、だと思う。だから、私は口からその言葉が滑り出していた。
「あの……お仕事の邪魔はしませんから、私もついて行ってもいいですか」
「……えっ」
彼は、声を漏らして目が泳ぐ。どうしてだろうか。何か、見られたくないことでもあるのだろうか。そう思ってしばらくの間、彼の瞳を見つめると、彼は「えーっと」と曖昧な前置きをしてから、困ったように笑いかける。
「……期間中は、多分一度も時間が取れないと思うけど……いいの?」
「はい。私も一度、ミローシュには観光に行ってみたくて」
「そ……っか。分かった。じゃあ、宿の手配を頼んでおくよ。その、ぼくは宿も別になるんだけど……」
何か隠している。それも、何か後ろめたいことを。そう思ったけれど、私は彼を信じているので、それを問い詰めるような真似はしない。それでも、彼がこんな態度をとるのだから――ミローシュに滞在することくらいは、許してほしい。私が俯けば、彼は焦ったように手を握る。
「不安にさせたのなら、ごめんなさい……」
「ち、違うわ。ミローシュには本当に観光で行ってみたかったの。本当よ?」
「誓って、不貞を利用するような仕事じゃないよ。そこだけは信じて欲しい」
彼はそっと私の額にキスを落とす。私もまだまだだ。彼は嘘を見破るプロだけれど、私だって嘘を隠すプロとして教育されたのに、こうして心の中を見せてしまうだなんて。
私たちは週末、ミローシュへ向けて出立した。ミローシュまでは、街道を進んで三日。実はまだ新婚旅行にも行ったことがないので、こうして二人で遠出をするのは初めてだ。ただ、今回は彼は完全に別行動なので、旅行というふうではなかった。
私はそっと手元の本を開いた。そこには、ミローシュの花まつりについての記述があった。
花まつりも、実は白竜様ゆかりの祭りだ。最初は、白竜様が春を長閑に過ごす寝床のために、たくさんの花を育てて、白竜様に捧げた。けれど白竜様は、その花が自分の重い身体で潰れてしまうのを悲しみ、花を持って次々にやって来た信奉者たちに「その花は私ではなく、大事な人に贈りなさい」と言ったのが始まり。
ミローシュの街があったのは、白竜様のお気に入りの寝床だった場所だと書いてあってくすりと笑う。そんな白竜様の加護のある陽だまりの街では、毎年多くの種類の花が育つ。そんな花々を並べ、男女がその花を取り、女性の髪へと花を挿す。それが、花まつりの主な行事である。その花によって、色々な意味があるという。
この時期になると、ミローシュと、その周辺にある小さな宿泊用の集落は人でいっぱいになる。その規模は、王都の市場と比べても遜色ない。今はほとんどが平民の祭りだが、年々、お忍びでやってくる貴族の数が増えているとも聞いている。
ミローシュに辿り着けば、水路沿いに多くの花壇が立ち並び、色とりどりの花が咲き誇る華やかな街だった。生活用水の行き先を切り離し、植物を育てるための水路整備が行き届いた小さな都は、すでにたくさんの露店が準備されていて、人々が忙しなく走り回っている。
貴族が宿泊する高級宿の前まで行くと、私はアルフィノにエスコートを受けて、馬車から降りる。そうして、そっと彼は指にキスを落とすと、申し訳なさそうに笑った。
「じゃあ、ぼくはここで。護衛もたくさん連れて来たし、侍女も不自由にさせないくらいには連れてきたから……観光を楽しんでね」
「ええ。あなたも、お仕事頑張ってね」
笑顔を返せば、彼は少しだけ安心したように息を吐き出して、また馬車へ乗り込んでどこかへ去っていった。私はそれを見送って、侍女たちと共に宿へと入り、宛がわれた部屋へと入った。
その日は旅の疲れからか動くことができずに、そのまま宿で休むことになった。外を見れば、夜闇の中で静かに花びらが舞っている。何だか、不思議な物語の世界のような美しい街。それが、ミローシュだった。
次の日から花まつりが始まり、私はレーラやほかの侍女たちを連れて、お忍びの変装をして市街を歩いていた。アルフィノが付けてくれた護衛の方もどこかから見ていてくださるらしい。私はと言えば、侍女たちと共に、花を利用した美容グッズの掘り出し物を探していた。
ミローシュの名物の一つに、花を使った美容グッズがある。浴槽に浮かべるものや、肌に塗りこむもの、爪に塗るものや石鹸など、その数は多岐に渡る。それと、花の香水も。
「奥様、こちらの石鹸、いいにおいですよ」
「まぁ、本当。うふふ、こんなにたくさん浴室に置くグッズを買ったら、帰ってしばらくはずっと浴室から花の匂いがしそうね」
「奥様には甘ったるい香りよりは、すっきりとした匂いの方があうと思うんです! だからこっちの真っピンクのものより、少しヴァイオレットのパッケージのものの方がお勧めです」
「ありがとう。本当にいい香りね。確かにこちらの方が好きかもしれないわ」
歳の近い侍女たちは、私が遠慮しないでと言ったからか、こうして主従の関係は保ちつつも、友人のような距離感で話しかけてくれる。それを、年配の侍女長が優しく見守ってくれる。ミローシュについていく話をしたら、彼女たちは口々に同行を申し出てくれた。彼女たちも、ミローシュへ行ってみたかったらしい。
人であふれる往来の中で、花びらがそよ風に舞う。店頭では丁寧に棘や葉の処理をした色とりどりの花が並べられ、仲睦まじい男女が腕を組みながら、花を選んでいる。男が花をそっと女の髪に差して、楽しそうにまた人混みの中へ消えていく。
「もうっ。旦那様ったら、奥様を置いておいて仕事だなんて……」
侍女の一人が、そんな風に言ったので、意識を元に戻して微笑んだ。そんなことを言ってはダメよ、と窘めれば「奥様がそう言うなら……」と、彼女たちはそれ以上にそのことを指摘しなかった。もちろん寂しさも、花まつりへの憧れもあるけれど、そもそも今回の観光は、仕事に訪れた彼に引っ付いてきているだけなのだ。多くを望んではいけない。
「ほら、もっといろんなお店を見てみましょう? きっといいものが見つかるわ」
「はい!」
そうして、3人の侍女たちと共に、往来を楽しく歩き回っていると、ふと周囲を人に囲まれた気配がして、私は身構え、侍女たちは私を庇うように立ちふさがる。すると、いかにもと言った様子の若くて軽薄そうな、見目麗しい男たちが4人で、私を囲んでいた。
「お姉さんたち、男連れじゃないんだ。珍しいねぇ」
「俺たちも男だけなんだ。良かったら、一緒に花まつり楽しもうよ」
よくあるナンパの様子だ。侍女の中で、一番好戦的なキャロがきっと眉を吊り上げて、腕を組んで怒鳴る。
「おあいにく様ですけど間に合ってます。奥様、行きましょう?」
「ええ」
「待ってよ。そんなつれないこと言わないでさぁ。俺たち、花まつりを一緒に楽しむ相手がいなくて困ってるんだよ~。ちょうどこっちもそっちも4人だし、きっと楽しめると思うんだ」
「しつこいですよ!」
私は、目が合った護衛の方に、とりあえずいったん待つようにと目で合図する。護衛が出張ってくると、お忍びで来た意味がないし、騒がせるのはできるだけ避けたい。若く強気な少女であるキャロが彼らを追い返してくれるなら、それで済むのだ。もしも強引に来ようとすれば、護衛達は容赦しないだろう。
「こっちの娘かわいい~。ねぇ、君いくつ? 彼氏いる?」
私の顔を覗き込んで来た男がにたにたと笑いながらそんなことを言うので、私はそっと腕を組んで、睨み返して告げる。
「夫がいますけれど」
「嘘だ~。だって夫がいるんだったら、こんなお祭りに女の子だけで来ないでしょ? ほら、見栄張らなくていいんだよ」
「奥様! ちょっと、奥様に触らないでよ!」
「しつこいって言ってるでしょ!」
――これは無理かもしれない。護衛に合図を出そうとしたその時、こちらに向かって大声が響いた。
「こらぁ! 悪ガキども!」
「げっ。自警団だ。逃げろ逃げろ」
二人の男が駆け寄ってきて、それを見た男たちはへらへらと笑いながら「またね」と告げて立ち去っていった。彼らは、右の二の腕の辺りに腕章を掲げている若い青年だった。見た感じ、兄弟だろうか。そう思っていると、彼らは頭を下げる。
「大丈夫ですか? あいつら、こっちじゃ有名な悪ガキどもなんです。何かされませんでしたか?」
その答え方に、私は大丈夫だと判断して護衛にストップをかけると、警戒する侍女たちを宥めながら、丁寧に伝える。
「ええ、大丈夫です。助かりました」
「良かったです。ああ、もしまたあいつらに変なことされそうになったら、この腕章付けてる自警団の奴に言ってください。皆あいつらには迷惑してるんですよ」
そう告げて、彼は腕章を指さした。桃色の花の文様が描かれた腕章を指さして、彼はぺこりと頭を下げる。私は丁寧に頭を下げ返せば、彼らは少しだけ驚いたように目を丸くする。
ミローシュは、衛兵が駐在するような大きな街ではない。だから、自治は自警団に任せているのだろう。彼らは衛兵のように、犯罪の調査を行なったり、検挙したりする権限はないものの、暴力沙汰や詐欺などに対して民間で動ける組織だ。こういった街で治安を守るためには必須のものになってくる。
そうして、彼らに礼を伝えていると、ふと周りがわっと湧いたことに気が付いた。何かがあるのだろうか、と思っていると、同じく周囲を見渡した自警団の男が、あっと小さな声を漏らして、とある一方を見ていた。私はつられてそちらを振り向いて、目を丸くする。
「エリン……」
その声は、私の声ではなかった。私の視線の先では、あの娘が――エリンが、一人の青年を傍に立たせて、大きな花束を持っている光景が目に入った。エリンは多くの人に囲まれて、その中心で静かに微笑みを浮かべていた。