05. 酔いどれフィーちゃん
※恋をしている相手であっても酔っぱらって襲われるのが苦手な方はご注意ください※
年齢制限ないですがちょっとえっちな描写があるのでお気を付けください。
兄がルーセン地方を訪れた夜、私は上機嫌な兄に言われた。
『じゃあ、ちょっとアルフィノくん借りるな。男同士でちょっと話がしたくてさ』
彼はアルフィノを引き摺って、彼の私室へと籠っていった。どうやら街の方から何やら大量の物資を持ち込んでいたのだが、何をしているのだろう。それが気になりつつも、アルフィノが「お義兄様と少しお話をして参りますね」と笑顔で応じていたので、私が心配することは何もないのだろう。
湯あみを終えて美容のために、レーラにマッサージを受け、さぁいざ寝るだけというとき。私の私室をノックする音が聞こえて、レーラがドアを開ければ、侍女が一礼をした後に、セバスが横から顔を出した。
「奥様」
「どうしたの、セバス。兄が何か粗相をしました?」
「いえ。ユーリス様ですが、酔いつぶれてお休みになりました」
「……え?」
私は一瞬、言われたことを理解できなかった。二人で酒盛りをしていたことではなく、兄が酔いつぶれて寝てしまったことが信じられなかった。
「兄が、ですか?」
「はい」
「あの兄がですか? 胃の中に入ったはずのアルコールが、呼吸をすれば宙に消えるとまで言われたほどのあの兄が。一晩に飲む量だけで花壇を満たせると言われたほどのありえない量を飲む兄が?」
「左様でございます」
私は頭を抱えた。一体どれだけ羽目を外せば、あの兄が酔いつぶれるほど飲むことになるのだろう。むしろ健康面に心配を覚える。
緊張した面持ちのセバスから察するに、用はそれだけではなさそうだ。客室へと兄を運んでくれたことに礼を述べて先を促せば、セバスは少しだけ言いづらそうに、口を開いた。
「坊ちゃんが、酔っ払いました」
「……はい。まぁ、兄に付き合っていたのなら、酔ってもおかしくないと思いますが」
「いえ、そうではなく。ユーリス様にどんどん酒を入れられて、先に酔いつぶれる予定だった坊ちゃんはその戦いに勝利してユーリス様を酔いつぶした後、自分でも訳の分からないほどに酩酊して、先ほどから世話をしに行く侍従にひどく甘えておいでです」
私は手にしていた櫛を落としてしまった。音を立てて、木製の美しい櫛が床を転がっていく。
セバスは耐え切れなくなったのか、自分の顔にわなわなと手を当てて、顔を赤くしながら囁いた。
「かくいう私も、語尾が上がるほどの愛らしいお声でセバスと呼ばれ、腰に抱き着いていただきました。私の墓はできれば敷地内の邪魔にならないところに立てていただけますと幸いです」
「そう……あなたがご存命で何よりだわ。アルフィノは大丈夫なの?」
「大丈夫かと言われれば、まぁ悪酔いしてひどい酩酊状態にあるくらいなので、お寝かせすればきっと明日には最悪な寝覚めが待っているかと思います。ただ、もう先ほどから人を捕まえては甘える動作を繰り返すため、そろそろお世話してくれる人が必要なのではと思いまして」
セバスは真顔で親指を立てて、微かに鼻から血を流しながら、耳を撫でるような蠱惑的な声で告げる。
「幼児退行中の甘えん坊ちゃんのお相手、かわいいのでお勧めです」
「行くわ」
私はさっと立ち上がって髪を結うと、そのまま勇み足でアルフィノの私室へ向かう。部屋のドアをノックすれば、呂律も若干怪しい声が返ってくる。
「フィー? 私よ」
「ミシェル!」
弾む声が聞こえて、がちゃっとドアが開くと、まず私に飛びついて抱きしめてくる。顔は真っ赤になり、少しだけ胡乱な瞳を向けながら、アルフィノは私を大事そうに抱きしめる。
「会いたかった、ミシェル」
「もう。本当に酔っているのね。大丈夫?」
「だいじょうぶ」
そう言いつつも、足元は千鳥足で覚束ない。私は彼を連れて、そのまま二人の寝室へと向かう。そうして、ベッドへと腰かければ、彼は横に座ってにこにこと私に引っ付いてくる。
「ぎゅーしていい? ぎゅ」
「いいわよ」
「ぎゅ~」
アルフィノは幼い口調で私に甘え、容赦なく抱き着いてくる。これは確かに、セバス辺りは心臓がもたないかもしれない、と思った。体温も高いので、本当に子どもみたいだ。
以前に度数が強めの酒を、私の成人祝いに飲ませて貰った時に、すぐに頭が痛くなった私の前で、アルフィノは同じ量を飲んでいるのにけろっとしていた。その際に、諜報活動には酒を飲む機会がつきものなので、しっかりとアルコールへの耐性を付けられていたのだと聞いた。
そんな彼がここまで酔いどれるなんて、お兄様は一体どれだけの酒を浴びるように飲ませたのかしら。そう思いながら、彼の髪をゆっくりと撫でる。
兄よりも年上なのにそう見えない彼が、兄と酒を飲み交わして飲みすぎてしまったのは仕方ないことなのかもしれない。同年代なので、弾む話もあったのだろう。
「それにしたって、諜報員のフィーを酔いつぶすだなんて、お兄様……やりすぎよ」
「抱っこして、抱っこ」
「だめ。私じゃフィーを抱っこできないわ」
まさか、酔うと幼児退行するタイプだと思わなかった。ただ、心当たりはある。12歳という若い頃から諜報員という危険な職に就いていて、さらに彼は跡継ぎとして、ただ一人のフレイザード家の子として、甘える暇などなかったのかもしれない。
その結果がこの発露だというなら、私くらいは受け止めて慰めてあげたい。そう思って頭を撫でれば、彼はほろっと表情を崩してへにゃりと笑う。
「ひざまくら」
「仕方ないわね。はい」
「えへへ……ミシェル、すき」
彼は私の膝の上に頭を倒して、その頭を撫でてあげれば、すごく幸せそうに笑っていた。いつもこれくらい甘えてくれてもいいのだけれど、アルフィノは自分が年上であるという自覚があるので、このかわいらしい見た目で、してくるスキンシップは、一人前の紳士の所業ばかりだ。
膝枕くらい、いつでもするのになぁ、と思いながら、彼を撫でていると、アルフィノはそっと私の頬を両手で挟んだ。
「ちゅ」
「……お酒臭いわよ、フィー」
「だめ?」
「いいけど」
そうして、キスを交わす。婚姻を交わすと決めてから、何度も重ねたあのキスの中で、まさかこれほど酒臭いキスは今までに存在しなかった。けれど、いつものあの強く獰猛で、私の理性を奪おうとする強烈なキスとは裏腹に、今の口づけはまるで甘噛みだ。ふにゃふにゃと動く口元は少しくすぐったくて、軽く何度もされるキスは、ただの遊びのようで。
けれど本人がこれほど幸せそうに顔を歪めるので、私は全部許してあげたくなる。すると、私は急に起き上がったアルフィノに、今度は押し倒された。ベッドの上で、彼は私の首元をすんすんと嗅ぐように顔を近づける。
「いいにおい……んっ」
「ん……やだ、フィー。くすぐったいわ」
アルフィノは、そっと首筋を舐めた。そうして、その場所に愛しむようにキスを落としていく。まるでマーキングするように。続いて、私の腕を押さえて、耳を舐め始めた。くすぐったい感触に少しだけ暴れるけれど、酔っ払って力の加減がうまく行かないアルフィノの力は強くて、私はずっと耳を舐められた。
「……っ。あはっ。うふふっ。フィー、くすぐったいわ」
「ミシェルはぼくのだから。ほかのひとにはあげない」
「あなただけのものよ。私は、あなた以外興味ないわ」
「ほんとぉ?」
そのまま、瞼へとキスを落とす。それが終わると、また首筋と耳に行く。私がびくびくと揺れる感触を楽しむように。それが終わると、私の胸元に顔を埋めて、しばらく満足そうにしていた。
しばらく経って、アルフィノは瞳を揺らしながら、顔を上げて、私の瞳を見つめた。
「ぼく、ずっとミシェルと一緒がいい」
「……大丈夫よ。ずっと一緒よ」
「ほんと? いなくならない?」
「ええ。あなたを置いていなくなったりはしないわ」
むしろ、あなたがいなくなってしまわないか。そちらの方が心配――そう思っていると、アルフィノはそのまま私を巻き込んで、布団の中へと入りこんだ。アルフィノの真っ赤な顔と、濡れた子犬のような目を見ていると、ずっと甘やかしたくなってしまう。頭をそっと撫でれば、彼は目を伏せて、口元を緩めてへにゃっと笑う。そのまま、彼が眠るまで子守唄を歌ってあげると、彼はゆっくりと眠りに落ちていった。すぅ、すぅと寝息を立てる彼を見やりながら、私もそっと目を伏せた。
次の日は、だいぶグロッキーだった。アルフィノは涙目になりながら、痛む頭をそっと押さえて、ベッドに寝転がっている。先ほどからセバスを始めとした侍従たちがせわしなく出入りして、程よい温度の水や、酔いに効く薬草を煎じたものなどを持って来る。
「……昨日の記憶がなくて、朝目を覚ましたら君が傍にいたんですけど……ぼく、何も、してないですよね?」
私は一瞬言葉に詰まる。首や耳を舐められたことや、抱っこを要求したことを伝えると、きっと彼はしばらく口を利いてくれなくなるだろう。恥ずかしくて、私の顔を見られなくなるのだ。
私が首を横に振って「ちょっと甘えん坊になってただけよ」と伝えれば、彼は青白い顔で安堵したように息を吐き出した。
「まさか、アルコールに訓練を受けたこの身で、記憶が無くなるほどに酩酊するとは……お義兄様は、すさまじい酒豪ですね」
「きっと兄は、あなたに同じことを言うわ」
「お義兄様は?」
「今朝から同じように動けずに、何度か吐いたと聞いているわ。本当にごめんなさいね、うちの兄が」
「いえ。ぼくも、羽目を外しすぎてしまいました。……幼い頃の君の話とか、聞けましたし」
「なっ」
何を話したのかしら。あとであの兄を絞らなければ。そう思いながらも、時折「ぐっ」と声を漏らしながら、頭痛に耐える彼の傍を離れる気にならなかった。私がちらりと彼の方を見ても、彼は私に甘えようとしない。酔った時と、余程弱ったときにしか、あんな姿は見られないのだ――と思いながらも、少しだけ膝が寂しくて、そっと彼に膝枕をして、頭を撫でる。すると、彼は目を丸くした。
「ミ、ミシェル? どうしたんです、急に」
「フィーが弱ってるときくらい、甘えて欲しいなって思っただけよ」
「……ダメ、ですよ。もう……癖になっちゃうから、我慢してたのに」
アルフィノは顔を真っ赤にしながら、そんなことをいう。やっぱり、私の旦那様は世界で一番かわいらしい。
そうして、一日しっかりと休んだ結果、アルフィノも兄も共に回復し、私によってこってりと絞られた兄は、背中をさすりながら、領地へと帰っていったのだった。