01. 辺境を襲う魔の手
風呂敷の畳み方がだいぶ固まってきたのでとりあえず隔日投稿で頑張ってみます。
無理そうだったら二日おきにするかもしれません。
また、あの夢を見た。真っ白な少女が、歌う夢だ。
懐かしい響きを持って響く歌の奥で、微かに、何かが咆哮するような巨大な音が響いたような気がした――。
◆◇◆
イズラディア公爵領、ルーセン地方。
賑わう交易都市の外れ、穏やかな牧草地の傍を抜けて行ったところに、その大きな屋敷はある。
フレイザード伯爵家。この国の守り神、白竜の降臨の地に建てられた荘厳な屋敷の中を、私は歩いていた。すれ違う使用人たちが「おはようございます、奥様」と頭を下げる。
私、ミシェル・フレイザードはほんの数週間前に、当主であるアルフィノ・フレイザードと籍を入れ、無事に伯爵夫人として迎え入れられた。成人したての小娘ではあるが、婚約期間に育んだこの家の人たちとの絆があったので、特に軋轢もなく、私は穏やかに毎日を過ごしている。
食堂へと入れば、そこにはすでに彼の姿があった。愛らしい美少年の美貌に、大人な紳士の心を持つ、私の愛すべき夫。アルフィノ・フレイザードは、私の姿を見れば、美しい虹彩異色の瞳を細めて、歌うように告げる。
「おはよう、ミシェル」
「おはようございます、フィー」
そっと向かい合うように腰かけて、微笑みあう。新婚の私たちは、使用人たちから見ても仲睦まじく、互いに時間が出来れば、四六時中共にいるような間柄。
こんなに熱い関係をいつまで続けられるのかという惰性に恐怖はあれど、今はとにかく彼の顔を眺めて、彼の声を聴いて、彼と心を通じ合わせる日々が幸せだ。
地方で取れる食材をふんだんに使った料理はおいしい。都会とは違った良さがある料理にも、随分と慣れた。和やかな会話をしつつ、食事を終え、食後の紅茶をいただき始めたころ、セバスが食堂へと姿を現して、アルフィノの傍で一礼をした。
彼は未だに、鴉の幹部として働きながら、アルフィノの秘書をしている。そんな彼が、そっとアルフィノに耳打ちをした。アルフィノは、少しだけ困った顔をした。
「……無関係ではありませんから、皆に共有を」
「は。家令にはすでに伝えてあるので、使用人にはすぐに詳しい情報が行くと思いますが、ルーセン北方にて、魔物の群れが発見されました」
私は、紅茶を飲んでいた手が止まる。部屋の中の使用人たちが、少しだけ顔色を悪くして、顔を見合わせる。
魔物。それは、歩く災害。生態については謎な部分が多く、ただ豊かな自然の中で育ち、時折人里へと降りてきて、災厄を振りまいていく恐るべき存在。本能的に他の生物と相いれず、いとも簡単に命を刈り取ってしまう。
私が幼い頃、襲われた飛竜も、この魔物である。
「確認できたのは、銀牙狼の群れです。ルーセン北方にある小さな村落の住人は、いち早く状況を察知したロータント子爵によって避難が済みましたが、銀牙狼はあっという間に村落を蹂躙しました。建物の損壊状況はひどく、畑はすべて荒らされました。ルーセンの街の警備隊だけでは対処が困難なため、領都まで救援を要請しました」
「ご苦労様です。皆も、十分に気を付けてください。用がなければ、魔物の対処が済むまでなるべく出歩かないこと」
「はい」
使用人たちが一斉に返事をする。私も、少し遅れて、震える声で返事をした。すると、その様子を見て、アルフィノは微笑んだ。
「王都で暮らしていた君は、魔物をあまり見たことがないですよね。あれらは恐ろしい存在ですから、対処が終わるまではこの屋敷から出ないようにしてください」
「はい……ありがとうございます」
「君の安全が第一です。少し窮屈かもしれませんが、しばらくは我慢をお願いします。ぼくはこれからルーセンの街へ行って、状況を確認してきます」
そう告げると、アルフィノはセバスを伴って、屋敷を飛び出していった。
魔物被害は、歴史書を遡っても、この国で最も対処が難しく、被害が大きな災害だ。フォネージ王国は白竜の庇護下にあり、自然災害は比較的少なめで、古い国なので、あらゆる災害対策に手を打ったおかげで、今はかなり平和である。にもかかわらず、隣の諸国への侵略をする気もないのに、騎士などの軍事力を縮小するどころか拡大する必要があるのは、この魔物への対抗策が必要となるからだ。
この辺りはまだ平和な方だが、魔物被害が頻発する地域では、騎士団が常駐し、毎日どこかで誰かが血を流している。
「奥様、お顔色が悪いですが、どこか悪くされましたか……?」
侍女長のロナが、少し顔を青くして問いかけてくる。私は、首を横に振った。
「いえ、大丈夫よ。少し昔のことを思い出しただけ。ロナ、この付近では、魔物被害はどれくらいあるの?」
「小さなものなら、年に一度くらいは。しかしそれは、街にいる警備隊でも対処できるほどのものですので、旅人が襲われるくらいです。ここまで大きいのは、そうですねぇ……」
ロナは、少しだけ思い出すようにうーん、と悩んだ後で、その言葉を告げた。
「飛竜が出た時以来でしょうか」
「……えっ」
私はその言葉に、心臓の音がうるさくなったのを覚えた。そうして、少しだけ震える声で、その先を聞いた。
「それって、いつのことかしら」
「あれは確か……坊ちゃんが13歳の頃だったから、10年ほど前でしょうか」
10年前――私が、8歳の時。私が飛竜に襲われたのは、この街と山脈を挟んで西側。
きっとその飛竜は、私の所へと現れる前に、この地方を荒らしたのだ。
「そのときって、どんな感じだったの?」
「空を自在に舞う飛竜は、それはもう暴虐の限りを尽くしました。家畜を食い荒らし、作物を踏みつぶし、旅人を襲い、ルーセンの街の建物も、いくつか倒壊させられました。いつどこから現れるか分からない暴虐の化身――皆、震えて屋内に閉じこもっていましたもの。領都から派遣された騎士たちも、何人も亡くなられて」
「……っ」
「ああ、ごめんなさい、奥様。きっと大丈夫、あの頃よりも領都への連絡網は整備されたし、きっとすぐに助けに来てくださいます。坊ちゃん……旦那様も動かれているし、大丈夫ですよ」
あの飛竜は、きっと私の所へ飛んでくるころにはもう満身創痍だった。きっとこちら側で、皆が血を流しながら必死に戦ってくれたからだろう。しかし、飛竜は山脈を超えて、私の元まで逃げおおせてきたのだ。
その飛竜を、白竜様が完膚なきまでに叩き潰した。
私はレーラと一緒に部屋に戻って、ゆっくりと執務机へとついた。けれど、今日は何も手に付きそうもない。
アルフィノから渡されたのは、この地に伝わる白竜伝説の資料だ。フレイザード家の夫人として、これらには一通り目を通しておいてほしいと言われて預かったのだ。私はもちろん、嬉々として読み漁り始めたのだが――私の心は、それどころではなかった。
あの時は、白竜様が助けてくれたから、事なきを得ただけ。本当ならば、あそこで私も兄も殺されていたかもしれないのだ。だからこそ、魔物災害には、人一倍恐怖を抱いているのだと思う。
目を閉じれば、あの恐ろしい飛竜の咆哮が耳に蘇ってくる。
結局、気分が優れずに、私はベッドに腰かけて、しばらく体を休めていた。すると、夜になって、どうにも外の方がざわざわと忙しいことに気が付いて、私は外に顔を出した。
すると、家令を取り囲んで、使用人たちが浮かない顔をしていた。
「何かありましたか?」
「奥様。それが……領都からの連絡用の橋が、水棲の魔物によって落とされてしまったと、そう聞いて」
「……え……」
イズラディア公爵領の主都へは、北上したところにある川にかかる橋を渡って、ようやく一日。迂回すれば、もっと時間がかかるのだ。
まだ救援が来ていないので、このままでは数日は救援が望めなくなる。急遽、他領へ応援を求める算段も立て始めているようだが、それもいつ来るか。
「もしかしたら、魔物の大量発生が起きているのかもしれません。奥様、決してお外には出られませんように」
「は、はい」
「旦那様は、裏山に使命を果たされに行きました。もはやそうしなければ街まで多大な損害が出ると判断されたそうです」
「裏山……?」
白竜様の神殿があると聞いた場所だ。そこへ、彼は一体何をしに行ったのだろうか。それを問いかければ、家令は少しだけ汗を拭きながら告げる。
「私どもも詳しくは知らないのですが、フレイザードの一族には、どうしようもない災厄に襲われたとき、白竜様のお力を借りる秘奥が伝わっているとされているのです」
「白竜様の……」
「以前に飛竜の被害があった際も、対処に走り回る前伯爵に代わり、まだ幼かった坊ちゃんが一人で、神殿に祈りを捧げに行きました」
もしかしたら、白竜様は、アルフィノの祈りに応えて降臨したのだろうか。それで、サファージ侯爵領の方へと山脈を超えて、私たちの前へと現れたのだろうか。
普通だったら非現実的だと一蹴するようなことだけれど、フレイザード家は謎の多い魔法血統だ。もしかしたら、そんなありもしない現実が、存在するのかもしれない。
そんなことを考えていると、メイドの一人が顔を青くして、家令につかみかかった。
「そんな、坊ちゃんは大丈夫なんですか!? だって、前に坊ちゃんが裏山へ祈りを捧げに行った際には――」
続くメイドの言葉に、私は目を丸くして、口元を押さえた。
「坊ちゃんは全身に大怪我をして、一か月もの間、目を覚まさなかったではありませんか!」
その言葉を聞いて、私は小さく動揺の声を漏らして、ふらつく足を何とか支えると、思わず裏口の方へと走り出した。裏山へ行くためには、この屋敷の裏口を通らなければならないから。
「奥様!」と使用人たちが追いかけてくるのを振り切って、私は裏口から外へと飛び出した。その瞬間だった。
空が、微かに数秒だけ翳る。私は思わず、上を仰ぎ見た。するとそこには、巨大な影が見えた気がした。その巨大な影は、裏山の方から凄まじい速さで飛び去って行って、瞬く間に姿を消した。私はその場にへたり込み、追いかけてきた使用人たちに助け起こされて、自室へと戻らされた。
私は恐怖で体を震えさせながら、何とか祈りを捧げた。無事に彼が帰ってくることを祈って、涙を流しながら、自室にこもっていた。
――深夜。外がまた騒がしくなり、私は震える足で、部屋を飛び出した。入り口のホールへと駆けていけば、途中ですれ違った侍女が、青い顔をして追いかけてくる。「ダメです、奥様。今、行っては!」そんな言葉を背中に受けながら、入口へと至ると、私は目を丸くした。
そこに立っていたのは、セバスだ。彼は顔色を青くして、両手に彼を抱えていた。けれど、明らかに、異変があった。
セバスの腕の中で横抱きにされた彼は、ぐったりとしたままぴくりとも動かない。全身が傷だらけで、血がしたたり落ちている。両目が伏せられ、死んだように眠る彼を見て、私は震える足で駆け寄った。
「フィー!」
セバスははっと顔を上げて、私を申し訳なさそうに見た。家令たちがかき集めてきたシーツで、簡易的な担架を作りながら、彼を横たえて、素早く応急手当てする。街から連れてきた医師が包帯を巻いて、血を止める。私が床に座り込んで、彼を見つめても、彼は目を開けない。
そうしている間に、応急手当てを終えたアルフィノは、そのまま自室へと運ばれていく。私は震える足で、その後に続こうとして――足に力が入らず、その場にへたれてしまう。駆け寄ってきたレーラに、助け起こされる。
「奥様」
セバスの声が聞こえて、顔を上げた。彼は、切実そうな表情を浮かべて、そうして一礼をした。
「お部屋にお戻りください。旦那様の容態が安定したら、すぐにお知らせに向かいます」
そう告げて一礼をすると、運ばれていったアルフィノの後を追った。私はその後姿を、茫然と見送ることしかできなかった。
数日前にいいね機能というのがついたのを知りましたのでつけておきました。
好きな話があれば教えてください。