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気性難の令嬢は白竜の花嫁を夢見る  作者: ねるこ
第一部
22/65

ex02. レティシア・メフィストという女

 立太子を見届けてフレイザード伯爵領へ帰ってきて、しばらく経ったある日。私は、アルフィノからとある資料を渡される。


「これは?」

「確認する必要がなければ、そのまま返していただいて結構です。ですが、君には知る権利があると思って」


 そう言われて、資料が入った封筒を開けて中を少し確認すれば、そこには「レティシア・メフィストに関する調書」という表題で始まっていることに気づく。どうやら鴉の報告用の非公式な資料のようだ。羊皮紙に丁寧に書かれたその文字を見て、私は目を瞬かせた。


「君は彼女の狂言に付き合わされた被害者です。加害者の思惑を知る権利がある。ただ、別に知らなくてもいいことだとは思うので、確認するかどうかは君が決めてください。もしも不要な場合は、そのまま読まずに返してください」


 そう言われて、私は少しだけ沈黙した後で、ありがとうございます、と告げて、いったん封筒を預かることになった。


(レティシア・メフィスト……)


 私を勝手に巻き込み、国の中央で派手に踊った後、勝手に自滅して投獄された女。

 国の平穏を維持するため、彼女にはいくつかの罪を大仰に被された、という話は少しだけ耳に挟んだ。その辺りはアルフィノの管轄ではないのか、彼はあった罪を暴いただけで、それ以降のことは政治を担う王都貴族たちや王室の判断だと言っていた。

 けれど、彼女はそれだけのことをしたのだ。多くの人を惑わせて、多くの人を不幸にして、自分だけがその甘い蜜を吸うことを企てていた。悪役として仕立て上げられるに十分なことをした。


 私は自室で封筒を見つめながら、頷いた。せっかくの厚意だし、確認しておこうと思ったのだ。

 私はレーラを呼んで温かい紅茶を貰い、資料を丁寧にめくり始めた。


◆◇◆


 レティシア・メフィストは少し夢見がちな少女だった。


 そんな始まりから成った調書を読み進めていくと、彼女の生い立ちに目が留まる。

 当時まだ男爵家だったメフィスト家に生まれた彼女は、男爵家の父と子爵家の次女である母の間に生まれた娘だった。母はちょっとした有名人で、その美貌は高位貴族の間でも噂になるほど。桃色の瞳は国でも珍しく、レティシアはそんな美しい瞳を受け継いで生まれた。

 幼いころから少しばかり夢見がちなところがあり、同時に被害妄想や思い込みも激しい少女だった。この辺りから嫌な予感はしたのだが、決定的だったのはその後に、とある人物の話を聞いたことで、彼女の価値観は狂ったのだという。

 母の実家は子爵家で、その兄の伴侶は、とある伯爵家のご令嬢。その伯爵家のご令嬢を辿っていくと、王家の血筋に至る。それは、この国の貴族制による婚姻のシステムを紐解けば、高位貴族のどこかでは王家の血が混ざっていることになる。だから、王家の血が混じっていることはそれほど珍しいことではない。

 けれどレティシアは、そんな()()()()()()()()()身近な人物の話を聞いたことで、なぜか自分も王家に連なるものなのだと勘違いしていたらしい。

 少し呆れてしまったけれど、メフィスト男爵の事業が上向きになり、子爵へと昇格したのもつい最近の事。レティシア嬢に、あまり大した教育を受けさせてあげることはできなかったようだ。けれど、母に甘やかされて育ったレティシアは、周囲の母への羨望や憧憬から態度に出ていたそれを、自分が高貴な血統だからと勘違いするようになった。

 この辺りは、レティシア嬢の教育を間違えた父母の怠慢だと思う。子どもなんて、育つ環境で性格が変わるのだから、特別気を配らなければならないのだ。

 美しい母の背を見て育ったレティシアは、男から言い寄られることこそ、貴族の女子として最高のステータスだと思っていたという。母が亡くなった後、レティシアは父に男性の落とし方を学びたいと直訴したのだそうだ。

 男爵家であるメフィスト家にとって、長女のレティシアが格上の貴族の嫡男でも捕まえられようものなら、大いに玉の輿である。母譲りの美貌を持つレティシアがその気になってくれたことを男爵は喜んだらしく、知り合いの娼館から娼婦を呼んで、レティシアに男の落とし方を学んで少年期を過ごしたようだ。実に淑女らしくない歪んだ教育だが、男爵家が成り上るためにはかなりの近道だ。野心家の下位貴族が、娘の美貌にあてられて欲に眩んだとしても、責められるものはほとんどいないだろう。


 ただ、すれ違ったのだ。ただ一人の玉の輿相手を見つけて欲しい父と、男を侍らせることこそステータスだと思っている娘の思惑が。


 高位貴族の玉の輿を狙うなら、略奪が基本になる。娼婦たちはあの手この手で、レティシアが高位貴族を落とせるように様々なことを教え込んだ。レティシアのことを「娼婦みたい」と称した同級生の言葉は合っていたのだ。彼女にとって、学院は自分のステータスを上げてくれる男を侍らせるための娼館に等しかった。

 そんな中で、最も落とし甲斐のある上客が、マーゼリック殿下だった。目の前に現れた、同い年の王子。気位が高く、見目麗しく、レティシアの世界で最も輝いて見えた存在は、一瞬でレティシアの琴線に触れた。マーゼリックは同じく気位の高い婚約者にうんざりしていたようで、その隙間を埋めるように従順な女を演じれば、彼は簡単にレティシアを都合の良い女と考えるようになった。

 けれどレティシアにとって、その婚約者の女が、すさまじい恐怖の対象に思えた。侍らせた王子の側近をけしかけて脅しても、まるで動じないどころか彼らが尻に敷かれる始末。これは徹底的に排除しなければ、報復で子爵家など一瞬で消し飛ばされてしまうことは、流石のレティシアにも分かってしまった。

 マーゼリックの力があれば簡単だと思ったのだ。ミシェルを陥れて、サファージ侯爵家をおさえれば、もはやレティシアの道を阻む者は誰もいない。国一番の美男子、国一番の権力者を隣に置き、見目麗しい高位貴族の嫡男たちを傍に侍らせる。それこそが、母でも成しえなかった貴族の女子としての最高の幸せだと、レティシアは信じていた。


 しかしミシェルを嵌めようとした夜会で、ミシェルは王子の威光に晒されて何もできずに惨めに婚約者から追いやられると思っていた思惑はすべて転んだ。ミシェルが容赦なく、マーゼリックの不貞を公衆の面前で叩きつけたからである。

 マーゼリックから貰った宝飾品を身に着けていたことと、まだ婚約破棄が成立していない状態でマーゼリックに肩を抱かれていたことを指摘されて、マーゼリックは浮気という醜聞を抱えることになった。

 そこからは、何もうまく行かなかった。輝かしい王妃としての生活を夢見ていたレティシアの夢は粉々に砕かれ、マーゼリックは国王になるのも絶望的だと、側近たちが話していたのを聞いた。父が、マーゼリックが婚約破棄さえ成立させれば妃にする準備ができたと言っていたのに、父の協力者たちは、王太子の資格を失ったマーゼリックから身を引いて逃げ出したのだと。

 ――こんなはずじゃなかった。レティシアの歪んだ想いは、ミシェルへの恨みへと変わったのだ。ミシェルが余計なことをしなければ、幸せになれるはずだった。


 ここまで読んで、頭が痛くなる。ただただ陥れた相手が邪魔者でしかないという思考に、この人間が王妃の座に座る可能性が存在していたと思うと、身震いをする。

 きっと鴉なら、彼女が玉座の隣についた瞬間に、良くて暗殺、悪くて大きな謀反が起きていたと思うけれど。それくらい、王妃の座につくべき人物でないのは確かだ。


 マーゼリックの転落を決定的に感じたのは、エリンという国仕貴族に、完膚なきまでにマーゼリックが打ちのめされてしまった時だった。伯爵家という、あの場で最も格下の家格――正確に言えば、レティシアがそれなのだが――の女に、一国の王子どころか、高位貴族の嫡男たちが手も足も出なかった。

 このままでは幸せになれない、と感じたレティシアは、ミシェルを陥れることでマーゼリックの名誉回復を企てることにしたのだそうだ。


 哀れ、としか言いようがなかった。私を陥れたって、浮気という醜聞は無くならない。

 私が悪女になったって、それは浮気をする理由にはならないのだ。それならば、浮気をする前に私を糾弾し、婚約破棄をしてから付き合いをすればいいのに。

 レティシアが逸る気持ちで王子たちに手を出したのだ。娼婦たちに「既成事実は大事」と教わったのも仇になったのだろう。

 結局、彼女が企てたのはすべて空回りに終わった。それどころか、鴉の策謀の標的にされて、見事に追い込まれて自滅の道を辿った。


 彼女自身のプロファイリングには「極めて怠惰な人物」とあった。煩わしいと感じることをするのが苦手で、侍らせていた側近に代わりにやらせるような人間だった。

 食事をとってくるのも、忘れ物を取りに行くのも、約束を取り付けに行くのも、移動して誰かに何かを伝えに行くのも、全て侍らせた男任せだと書かれていた。これを利用されて、工作がはまったのだろう。

 彼女は側近たちが手に入れてきた噂を全て信じた。その中に、鴉の間者がいたことにも気付かずに。

 それで、私がまだ学院に滞在していると勘違いして、今回の大胆な偽証を計画し、実行に踏み切った。盲目的に彼女を愛していた三馬鹿たちはそれを突き止めることができず、間者まみれの騎士たちに騙され、彼女はまんまと偽証を公衆の場で行ない、それを糾弾された。

 何となく察せられた話ではあるが、あの日偽証をした人物のうちの数割は、鴉の息がかかっていたと思われる。偽証を否定して泣きついてくる人間は随分と思い切りのいいものだと感心したが、どうやらあれもサクラだったらしい。それがおよそ何割だったのかは、予想もつかないが。


 つくづく、鴉とは恐ろしい組織なのだと感じる。けれど彼らが国を見守っていてくれる限り、とんでもないことにはならないのだという安心感も覚える。


 彼女はほかの婚約者候補を排除するために、賊を雇ったり、高位貴族の嫡男を操って圧を掛けたりと、マーゼリックの隣に座る工作には余念がなかったらしい。結局、調査報告書の上では、彼女が本当にマーゼリック殿下を愛していたかどうかは分からない、という結論であったらしい。


 彼女にとって、王妃という椅子は座る価値がある場所。そして、彼女が男に愛されるのは()()()()。マーゼリック殿下もその限りではなかった。結局、マーゼリック殿下でさえ、彼女が追及した歪んだ幸せのパーツの一つでしかなかった。

 こんなことを彼が知ったら怒り狂うだろうか。今、マーゼリック殿下は、与えられた領地に建てられた邸宅にて、元側近から再教育を受けているそうだ。結局、マーゼリック殿下を見限ったと思われていたあの二人は、あれからもマーゼリック殿下を支えているそうだ。

 彼は決して悪人ではない。ただ、どうしようもなく子どもなだけなのだ。王子という立場を失い、自分の思い通りに事を運ぶ傲慢さを思い知れば、まだ更生の機会はある。願わくば、自分本位ではなく、領地という小国の民を護る立派な王になってほしいものだ。


 結論、マーゼリックもレティシアも似た者同士で、自分以外の人間を蔑ろにした結果、足を掬われて自滅した。それが、この事件の顛末だった。


◆◇◆


 私は資料を丁寧に整えて、封筒の中へと戻した。結局、この三年間の事件は、とてもではないが貴族としての責務を果たせない人たちが起こした、ただの狂言だった。それに虚しさは覚えたけれど、この事件に巻き込まれたお陰で、今は彼の傍にいられるのだ。

 私は使用人にアルフィノへの言伝を頼み、居間へと移動した。間もなく彼もやって来て、あの優しい声で私を呼んでくれた。


「ミシェル」


 彼はそっと私の隣へと座る。私は、封筒を丁寧に手渡した。それを見て、アルフィノは困ったように笑った。


「読んだんですね」

「はい。彼女の考えが知りたかったので。あまり、掴めませんでしたが」

「そうですね。彼女やマーゼリック殿下……もう王籍を抜かれたので、スローンズフィール伯爵と呼びましょうか。彼らは、ぼくたちとは価値観が違ったんですね。それが間違っているとは言いませんけれど、少なくともこの国の多様性の中においては、劣勢だったのだと思います」


 とても言葉を選んだ結果だった。ただ、彼らの自分勝手さが、この国の民の価値感には受け入れられず、はじき出されてしまったのだ。


「ただ、他人と向き合ってなかっただけだと思います」

「それも正しいと思います。結局は、多くの人と関わる貴族社会で、他人の話に耳を傾けられない人から、滑り落ちて行ってしまうのが、今の世界の形なんですね」

「それを変えるには、彼女やスローンズフィール伯爵では力不足だったということだと思います。国とは、民の集合ですから。結局、民に受け入れられないことは、国では流行らないものです」


 略奪愛であっても、そこに共感を得られたなら。彼らはそれを美談として受け入れられたかもしれない。

 けれど、実際にはただ自分が望むものを手に入れるために、何の落ち度もない人間を陥れ、美学を感じられなかった簒奪は、民衆から忌み嫌われた。

 それが、今の世の中なのだ。


「ひとまず、すっきりはしませんでしたが、納得はしました。理解しようとしても、私には恐らく無理だろうと」

「そうでしたか。では、こちらは鴉の方に返しておきますね」

「もう私は、王室の関係者ではないのです。悲劇のヒロイン気取りの悪女を潰したので、後はお若い二人にお任せしますわ」


 私が肩を竦めれば、彼は苦笑した。けれどアルフィノは、私を傍へと呼ぶと、委ねた体を抱きしめて、たくさん愛してくれた。

 幸せの形なんて人それぞれ。だから、私はレティシアの幸せの形に、何も物申すことはできないけれど。

 自分の幸せを侵して、そこに成り代わろうとする人間に反撃するのなんて、人間の性だろうと思う。


 私の人生は、都合の良いレティシア嬢の物語ではないのだから。

この話で、第一部は終了となります。


完結までは頑張って書く予定なので、お待ちいただける方がいらっしゃいましたら、お付き合いくださいませ。

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