20. 誓い、ふたりで
私は、跪いて私を見つめるアルフィノ様を、潤んだ瞳で見つめ返していた。
「冤罪が認められ、サファージ家と君の名誉が回復した今、ぼくと婚姻するよりも遥かに、良い嫁ぎ先が目の前にたくさん現れ始めた」
私は、小さく首を横に振る。確かに、貴族の令嬢としてはそうだろう。
公爵家の嫡男、同格以上の侯爵家、事業が豊かな伯爵家。それらはどれもが、父が繋がりを持ちたいと考えてもおかしくない、名家だ。
けれど、彼らは私の醜聞を信じた。傷ものの令嬢だと、諦めて見ないふりをした。
そんな中で、一人だけ、私を幸せにしたいと願い出てくれたのが、目の前の彼。
「でも、ぼくは君が好き」
「……私も! 私も、あなたが好き」
「だから、誰にも渡したくない」
「あなた以外の、誰にも嫁ぎたくない」
彼は私を見てくれる。サファージ侯爵令嬢ではなく、私を。
貴族らしくない、と父に呆れられるかもしれない。けれど、もう私は「政略であればどこへでも行く」なんて言えない。
だって、好きな人に懸想をする楽しさも、切なさも、愛しさも、全部知ってしまった。目の前の彼に、全てをさらけ出す覚悟も、全部できた。
初めて、好きになった人。白竜様という雲の上の存在に懸想していた、そんな私の心を奪った、白竜様の分身の子孫。
「ミシェル・サファージ様。ぼくと――結婚してください」
彼が伝えるのを避けていた、直接的な愛の告白。今なら、仄暗い世界で生きる彼が、私を気遣って、必要以上に愛を囁くのを避けていたのだと分かる。
けれど、彼はそれを受け入れて、それでも私を護りたいと、そう言ってくれた。
私を幸せにしたいと、そう言ってくれた。
「……はい」
私は、彼の手を取る。彼はそっと私を抱き寄せて、その唇を重ねた。
紳士的で、穏やかな彼が求めた鮮烈なキス。それは思ったよりも力強く、獰猛で、熱いものが体の中に流れ込んでくる。
何度も唇を重ねて、呼吸ができないほどに愛される。舌を絡めて、温度を確かめ合う。
やがて、ゆっくりと唇が離れて、そっと目を開けると、頬を紅潮させて、いつも通り優しく微笑むアルフィノ様の姿が、そこにあった。
お父様の部屋に二人で向かい、礼を取る。父は、私たちの姿を見て、悟ったように頷いた。
「……式はいつにするんだ」
「え?」
「結婚式はどちらで挙げる? 王都か? イズラディア公爵領か?」
父の言葉に、アルフィノ様と二人で見つめ合って、そうして微笑む。
「では、お父様。学院を卒業したら、すぐに……でどうでしょうか」
「分かった。半年あるな。何でも間に合う」
「では、もしよろしければサファージ侯爵……いえ、義父上。我がルーセンの街を、案内させていただければと思います」
「……ふん。小僧が、あまり調子に乗るな」
父は、ふいと視線を背けた。私はそれが、父の照れ隠しなのだと、何となく分かった。父の机の上には、釣書の一つ一つに対して、丁寧に返事を書いている様子が見えた。
きっと父には、こうなることが分かっていたのだろう。そう思えた。
◆◇◆
アルフィノ様は、鴉の引継ぎのために、また数日姿を消すと言い残して、夜の闇の中へと消えていった。あんなにも純白の後姿なのに、本当は真っ黒な鴉。彼のギャップには、まだまだ慣れそうもない。
私は父の勧めで、建国王の生誕祭に出ることになった。新たな王太子の発表があるのだ。出ておくべきだと、そう言われた。
私は急遽夜会に出る準備をするために、エステをはしごして準備を整える。ここ最近、本当に社交界と疎遠だったので、また出る機会があるとは思わなかった。フレイザード伯爵家に嫁げば、社交界に出る機会はなくなるとはいえ、私はまだサファージ侯爵家の人間だ。これがもしかしたら、最後の大きな社交パーティーかもしれない。
(無理なことだと分かってはいるけれど、一度くらい……アルフィノ様と、踊ってみたかったわ)
そう思いながら、夜会当日、私は侍女たちによってこれでもかというほどに飾り立てられていた。復帰したレーラが、社交界での名誉復帰を喜んでくれて、とても楽しそうに準備をしてくれる。
父も母も兄も、とても気合を入れて準備をしている。国中の貴族が一堂に介し、先んじて王太子の発表があるとお触れがあった夜会だ。いつもよりも人も多いだろう。
気合を入れて、人を捌かねば。恐らく、縁談の打診のために言い寄ってくる男性を捌き切らねば、安寧は得られないのだ。そう思って、侯爵邸からいざ出ようとするときに、その方は現れた。
私のドレスと対になるかのような、白があしらわれた美しい礼服。少し背伸びをしたような、大人っぽいヘアメイクを施したアルフィノ様は、夜会に行くかのような姿で、私の前へと現れた。
「ミシェル様。どうか、あなたをエスコートする栄誉を、私にください」
そう告げて、彼は少しだけはにかんだように微笑んだ。私は、そこで固まって、顔を真っ赤にする。その様子を見た兄と母が「二人でごゆっくり」と告げ、父が「露払いは頼んだぞ」とアルフィノ様に伝えて、先に馬車へと向かっていった。私は口元をそっと押さえて、瞳を揺らした。
「どうして……」
「鴉の棟梁は、滞りなく他の者に譲りました。もうぼくは、潜入捜査員からは足を洗い――一度くらいなら、社交界に顔を出すことが許されるようになりました」
何度も出てはいけないのは、彼の虹彩異色が貴族社会に覚えられないように。けれどたった一度なら、それは奇跡にも魔法にもなる。
彼はまるで、物語の王子様のように、私へと手を差し出した。私は、その手をそっと取った。
王城へと向かう馬車の中で、彼は隣に座る私の手をそっと取ると、懐から取り出したそれを、私の薬指へとそっとはめた。透明な宝石が輝く、とても凝った意匠の指輪。一目見ただけでも、値打ちものだと分かる。私はその指輪を見つめて、アルフィノ様を見上げた。
「プロポーズの時に間に合わなかったのがカッコ悪かったですね。でも、今日までに間に合って良かった」
「嬉しいです……とっても綺麗な指輪。ありがとうございます」
「ふふっ」
彼はそう告げると、そっと自分の手を翳した。彼は武術の心得があると周りに知られるのが不都合なので、指が何本かだけ抜いてある、不思議な形の手袋をしているが、薬指は抜かれていて、私の指輪と同じデザインのものがはまっていた。
「アルフィノ様」
「呼び方、そろそろ変えませんか。夫婦となるなら、二人きりの時くらい、もっと気安く話してほしい、と思います」
「そうですか……でも、敬語はなかなか抜けないかもしれません」
「それはぼくもです」
敬語は必ずしも、距離を開けるためのものではない。ただ、相手を敬い、相手を尊重し――そんな関係を、二人でつづけた結果が今だ。私たちは他人行儀なのではなく、互いを想い合っているだけ。
「ミシェル」
名前を呼ばれるだけで、心が跳ねる。私はアルフィノ様を見つめて、口を開いた。
「アルフィノ……アル? フィー?」
「どちらでも。父上と母上は、フィーと呼びますが」
「では、私もフィーと。嬉しい。家族の一員となったみたい」
彼の母上であるナタリア様が、愛しそうに「フィーちゃん」と呼ぶのが少しだけうらやましかった。響きのかわいらしい愛称は、彼の雰囲気にぴったりだった。
「フィー」
「はい、ミシェル」
城に着くまでの時間、ずっとこうして二人で名前を呼びあって、過ごした。
城の大ホールで行なわれる、大仰な社交パーティー。普段は地方に引っ込んでいる貴族たちも顔を出す、一年で最も大きな行事と言ってもいい。物々しく騎士たちが警護にあたり、貴族たちは、王族の顔色を窺いながら、社交シーズンの締めくくりとして、世話になった家々の元を回る。
王宮音楽家たちが奏でる荘厳で穏やかな音色を聞きながら、歓談の時間が続く。国王が現れるまでの時間、しばし社交を楽しむ時間だ。
「アルフィノ様、大丈夫ですか? 社交パーティー、初めてなのでは」
「ふふ、そうですね。ですが、形を変えれば何度か経験はあるので、大丈夫ですよ。それに、君を今日エスコートするために、特技を使いましたから」
「特技?」
「お忘れですか。ぼくは、誰かに成りすますプロですよ」
そう告げられて、私は目を丸くした。けれど、確かに今日の彼の振る舞いは、どこぞの公侯爵家の令息だと言われても疑わない。先ほどから、ちらちらと令嬢方の視線を受けているのだって、気のせいではない。
そうしていると、間もなく国王陛下のお成りである。彼は王妃殿下――側妃殿下に付き添われて、階段をゆっくりと降りてくる。最近は随分と悪評が続いたからか、私が知っている陛下よりも十歳ほど老け込んでいるように思う。
しん、と静まり返ったホール内を見渡して、国王は挨拶の言葉を述べる。階下の貴族たちは、一様に頭を垂れる。
現国王には、即位時に妃関連のいざこざがあったせいか、少しだけ叛意を持つ者が多いと聞く。であるが、国の貴族にとっては、至高の方々。私のように楯突こうとする人間の方が珍しい。
「――さて、皆も知っている通り、正妃デナートと、その嫡子マーゼリックが、国を騒がせた。此度の件は我の力不足であり、そなたらに叛意を抱かせるに十分な出来事であったと思う。よって、我は第二王子ガブリエルを王太子に任命し、ガブリエルの成人をもって、王位をガブリエルへと譲り退位することを決定した」
その言葉を聞いて、ガブリエル殿下が、婚約者のラトニー様をエスコートし、皆の面前へとやって来る。そうして、丁寧に紳士淑女の礼を取った。
「王太子の任命式は、一か月後。如何なる者にも覆せぬ、これが王家の総意である」
その言葉に、階下から拍手が溢れる。これが、臣下の意志であると示すように。
しばらく鳴りやまぬ拍手が続き、側妃殿下がそっと右手を挙げる。拍手はまばらに止み、国王陛下は威厳のある声で、告げた。
「フォネージ王国に、栄光あれ」
「フォネージ王国に、栄光あれ」
国王の言葉を、全員で復唱する。そうして、また社交界は再開された。国王陛下と側妃殿下は階上の椅子へと腰を下ろして、ガブリエル殿下は階下へと降りてくる。彼らは、立太子にあたって世話になった人の元を回って、挨拶をするのだ。
アルフィノと共に歓談を楽しみながら、挨拶にやって来た同級生たちと話していると、声を掛けられる。
「失礼。ミシェル・サファージ侯爵令嬢ですね」
「はい。あなたは、確か……スレンザ・カトルーゼ侯爵令息ですね」
「知っていただけただなんて、光栄です。サファージ嬢」
見目麗しい紳士に声を掛けられ、私は笑顔で返す。父の知り合いだろうか。そう思っていると、彼がやって来たのをきっかけにして、さらに3名の男性が歩み寄ってきた。
それぞれ、アクタール侯爵家次男、テッゾ伯爵家嫡男、ルーヴィウス公爵家嫡男の方々だ。私が目を瞬かせていると、最も先に声を掛けてきたカトルーゼ卿が、少しだけ鬱陶しそうに彼らを見やって、私へと歩み寄った。
「サファージ嬢、此度はサファージ侯爵家の誤解が解けて、たいへんようございました。しかし王子殿下から不名誉を受けた御身です。どうでしょう、ここは私めの求婚を、受け入れていただけませんか」
「まぁ」
意外と、婚約者がいることは知られていないのだ。恐らく、アルフィノが父に止めていたのだろう。仄暗い世界で生きる彼に嫌気がさして、私がいつでも逃げられるように、逃げ道を作っていた。それが今、かえって縁談を求めるご子息たちの勢いを増長させてしまっている。
カトルーゼ卿の勢いに押されるようにして、ほかの子息も求婚を申し入れてくる。ルーヴィウス卿だけが、とても冷静に出方を窺っているように思えた。私は淑女の礼を取ると、そっとアルフィノの腕を取って、微笑んだ。
「大変申し訳ございません。すでに、こちらのフレイザード伯爵と婚約が調っておりますわ。お気持ちはありがたく思いましたが、もうすでに婚約を結んでいる身ですので、慎んで辞退させてくださいませ」
「な、なに……き、貴殿は。フレイザード伯爵? 聞いたこともないが、地方貴族か?」
「はい。イズラディア公爵領にて、交易都市の統治を任されております。フレイザード伯爵位を賜っております」
アルフィノは柔らかく微笑んで告げる。しかし、カトルーゼ卿は、侮ったような笑みを浮かべたのを、私は見逃さなかった。
アルフィノ様はこの幼げな見た目で、雰囲気も柔らかい。けれどそれは、気位の高い貴族に舐められやすいと言うことでもある。マーゼリック殿下のように。
「サファージ嬢、あまりこのようなことを言いたくないが、ご自身の立場を考えられるべきだ。あなたのような才気あふれる方を辺境になど。我が家と紐づけば、父上の城内での地位もさらに安泰となるであろうし、我が家は三世代前に王家の血筋を引いている。由緒ある、古く、正しい家だ。どうだろうか」
「どう、と申されましても……」
私は首を傾げた。アルフィノを見上げれば、アルフィノは優しく私の肩を抱いてくれた。それを見て、カトルーゼ卿は、イラっとしたようにアルフィノを睨みつけた。
「貴殿も立場を弁えるべきだ。サファージ嬢は、妃教育を受けたほどの誇り高き侯爵家令嬢。その素晴らしい才を、よもや地方で埋もれさせて使い潰すのではないだろうな。貴殿にとっては高嶺の花だろう。早々に身を引いたほうが、身のためだぞ」
あまりにも目に余る振る舞いを咎めようと口を開きかけたところで、アルフィノがそっと穏やかに微笑んだ。
「確かに、彼女は素晴らしい女性です。才気は唯一無二、美貌は宝玉のよう。それは疑いようのない事実。彼女は優れた忠義を持ちながら、この最近になるまで、その真の忠義を理解されることなく、疎外されていました」
私は俯いた。目の前のこの男も、私を疎んでいたのだろう。少なくとも、こんな男が落ち込んでいた私に声を掛けに来てくれた覚えはない。
「私は国の守護者たる白竜の血を持つ一族。真の忠義を持つこの方を、誠心誠意お守りし、幸福を齎すことこそ、我が使命。何人にも代わりは務まらないと存じます」
「白竜の血……?」
ルーヴィウス卿が、ぼそりと呟いた。しかし、カトルーゼ卿は、未だに立場を理解せずに吠え続ける。
「古いだけの血統に、何の意味もない!」
「……控えなさい、カトルーゼ卿。そうか、フレイザード伯爵家……叔母上の嫁いだ家だね」
ルーヴィウス卿は、強めの口調でカトルーゼ卿を制する。ルーヴィウス公爵家は、ナタリア様のご実家である。つまり、アルフィノとルーヴィウス卿は――そう思っていると、ルーヴィウス卿は丁寧に礼を取り、口を開いた。
「私の祖母は先王の妹だ。叔母上のご子息ならば、カトルーゼ卿よりも近しい王家の血と、我がルーヴィウス公爵家の血をお持ちだ。血統への侮辱は、我が公爵家の血への侮辱と受け取ろう」
予想外の場所からの援護射撃に、先ほどまで気が逸るようにアルフィノを下に見ていたカトルーゼ卿が目に見えて焦りだす。私はそれに上塗りをするように、にこりと笑って告げた。
「アルフィノ様は、私が第一王子から冤罪を受け、社交界から爪弾きにされている頃から、寄り添い、その傷を癒してくださった御方です。私はこの方以外に愛を捧げる気はありません。あなたのように、それが撤回されたからと、婚約者の前で求婚をするような非常識な方、こちらから願い下げですわ」
そう告げれば、カトルーゼ卿はみるみるうちに顔を青くして、逃げるようにその場を立ち去っていった。その場にはルーヴィウス卿だけが残された。彼は、私とアルフィノを見渡して、口を開いた。
「私も、サファージ侯爵令嬢に近づこうというあさましい考えを持つ者の一人だったが、まさか社交界に出てくることのないと言われていた従兄と出会えるとは」
「ルーヴィウス公爵家嫡男、ゲオルグ様ですね。フレイザード伯爵、アルフィノです」
「お会いできて光栄だ、フレイザード伯爵。……彼女の指と、君の指に輝くリング。それを見て求婚しようなどという馬鹿な気は起きなかったよ」
ルーヴィウス卿は苦笑をして、そうしてアルフィノへと手を差し出した。アルフィノはその手をそっと取って、握った。彼は爽やかな笑顔を浮かべて、礼をした。
「ご婚約おめでとう、フレイザード伯爵、サファージ嬢。願わくば、母上の生家として、今後も君と良好な関係を築ければ嬉しく思う」
「ありがとうございます、ルーヴィウス卿。母上は元気に過ごしていますと、ルーヴィウス公爵閣下にお伝えください」
「ありがとう。では、邪魔をしたね。今後とも、よろしく頼むよ」
そう告げれば、ルーヴィウス卿は優雅に立ち去っていった。やはり公爵家の方は一味も二味も違う。ひとまず、あのカトルーゼ卿という人物のことは、父に報告申し上げておこう。そう思っていると、アルフィノは少しだけ不思議そうに笑っていた。
「どうしたんですか?」
「いえ。社交界に、アルフィノ・フレイザードと名乗って参加することなど、一生ないことだと思っていましたから。だからまさか、従弟と会えるだなんて思わなくて」
「そうですわね。これが、アルフィノ様と参加できる、最後の夜会なのですね」
それは、少しだけ寂しい。もっと、私の自慢の旦那様を、皆に見て欲しい。彼のその温和な人柄で、多くの繋がりを持ってほしい。そう思う気持ちはあれど、フレイザード家の使命を考えれば、それは叶わぬ夢だ。
そう思っていると、目の前にそっと手を差し出される。目の前で美しい笑顔を浮かべて微笑むのは、私の大切な人。
「ミシェル。私と踊ってくださいませんか」
「……はい。喜んで」
私はその手を取って、音楽が変わったホールの中心へと飛び出した。彼と息を合わせて、ダンスを披露する。
彼は本当に何でもできるのだ。妃教育として躾けられた、私の相手を何の苦労もなさそうにする。きっとこの裏には、しっかりと練習してくれたのだろうけれど、本番の舞台に立つ彼はあまりにも洗練されていた。
私は気が付けば何も心配せずに、彼に身を委ねて、彼と共にダンスを楽しんでいた。たとえ、これが一夜限りの夢であろうとも――それでも、今後も彼の傍にいられるなら、何もいらなかった。
――曰く、夜会での出来事を、見ていた人はこう語ったという。
あるところに、国に身を捧げる一人の忠臣の少女がいた。彼女は国のためを想い、忠義を捧げて、しかしそれを手ひどく裏切られた。
王の威光を恐れた人々は少女を迫害し、その居場所を奪った。けれど、それは王の間違いであった。
忠義を示し、国へと戻った少女の傍らには、おぞましいほどに美しい、神秘的な少年が寄り添っていた。
その少年の髪は、神話にある白竜の鱗と同じ色をしていた。瞳は、白竜と同じ虹彩異色をしていた。
少女に寄り添う少年を見た人々は、この国の神である白竜様が、その忠義を認め、少女を護るため、その神秘的な少年を遣わしたのだという。
それほどまでに、あの日、私に寄り添い、私の相手をする白竜様の特徴を持つ少年は、この一連の事件を知る者の目に、神秘的に映ったらしい。
夜会が終わって以来、父のもとにとめどなく届いていた縁談はぴたりと止まったそうだ。正確に言えば、カトルーゼ卿のように身の程を知らない男からはしつこく釣書が届いていたようだが、父が相手にしなかった。
サファージ侯爵令嬢は、白竜様の使いに連れられて、この世のどこかにある楽園へと向かった、なんて。そんなおとぎ話のような噂話が囁かれるようになって、数か月。
ガブリエル殿下の立太子を見届けた私とアルフィノは、フレイザード伯爵家へと戻った。卒業式にだけ出れば、私は学院から卒業だ。鴉の棟梁を譲った彼は、残り少ない婚約期間を、なるべく私を甘やかすための時間に使ってくれた。馬にも乗れるようになったし、ルーティナを王宮音楽家の試験に送り出したりもした。
この穏やかな日々が、私にとって、新しい日常なのだ。そう思いながら、私は隣に座るアルフィノへと、身体を寄せた。
「ウエディングドレス、本当にいい感じに仕上がって来てるみたい。早く、ドレスを着た君の姿が見たい」
「ふふ、フィーったら。私も楽しみ。あなたと夫婦になれるのが、待ち遠しい」
「あと少しの我慢だよ。これで、君は名実ともにぼくの妻か……なんだか、照れるな」
そう告げて、彼はそっと私の腰に手を回して、そっと体を密着させる。こうして、たくさん触れてくれるようになったのも、きっと彼が私を信頼してくれたから。
「ぼくは、多分君が思うよりもずるい人間だ」
「はい」
「ぼくは、多分君が思うよりも嫉妬深い」
「はい」
「ぼくは、多分君が思うよりも残酷だ」
「はい」
「……ぼくは、多分君が思うよりもずっと、君のことが好きだ」
「負けません」
私はそっと、背を伸ばして、彼の頬へとそっと口づける。するとその瞬間、どこからかセバスが転げ落ちてきて、私は目を見張る。アルフィノはやれやれと頭を痛めて、ため息を吐き出した。
「セバス。また盗み見?」
「も、申し訳ございません坊ちゃん。ですが私、もう耐えられません……坊ちゃんがあんなに蕩ける顔をしていらっしゃるなんて、眼福すぎます。ありがとうございます」
「もう……」
「旦那様ー! 奥様ー! 街の衆から結婚祝いです!」
「はーい、今行きます!」
賑やかなフレイザード伯爵家。ここが、私の帰るべき場所になる。愛しい皆のためにも、私は立派な夫人にならなければ。そう思う。
ふと、裏庭の四阿に目をやった。瞼を伏せれば、いつだって、彼と出会うきっかけをくれた、大好きな親友の姿が目に浮かぶ。
「エリン……」
彼女の真実を知ったって、私の想い出が無くなるわけじゃなかった。たまに、どうしようもなくエリンに会いたくなる時がある。私がそっと目を伏せて立ち尽くしていると、背後から声が聞こえた。
「あなたが幸せになってくれるなら、私は何だっていいわ。だって、私にとってはそれがいちばん大事なことだもの」
私ははっと目を開いて、そうしてゆっくりと振り返った。そこには、愛しいあの人の姿があった。
私はそっとその胸に飛び込んで、温度を感じ続けていた。
◆◇◆
教会の鐘の音が鳴った。悲鳴にも近い、人の声が聞こえる。
荘厳で神聖なルーセンの街の教会。参列者たちを見渡して、安堵する。
お父様、お母様、お兄様と奥方。カルセル様、ナタリア様。セラフィーナ様を始めとしたご学友に、その婚約者様。
ロータント子爵にアズラ様、ルーティナ。孤児院の愛らしい子どもたち。イズラディア公爵家の方々に、ルーヴィウス公爵家の方々。
祝いの手紙は、ガブリエル王太子殿下にラトニー様、そして国王陛下ならびに側妃殿下から。
ほかにも、様々な方がお祝いを持って駆けつけてくれた。私は、とても恵まれている。中には、お祝いをしてくださると思っていなかった意外な方もたくさん。
ナタリア様の言葉が、頭を過る。私の幸せを願ってくれる方は、私が思うよりもたくさんいると。
それを噛みしめて、私は今、この場に立っている。
「フレイザードの花嫁は、白竜の花嫁と呼ばれるんです」
アルフィノは、純白のタキシードに身を包み、私の手を取りながら、そう告げた。
私はそっと微笑みながら、告げた。
「幼い頃の夢が、一つ叶いましたわ」
「ふふっ。まさか白竜様に嫉妬する日が来るだなんて思わなかった」
「ですが、大きくなってからの夢は……今、あなたが叶えてくれようとしています」
私の夢は、アルフィノのお嫁さん。そうなったのはいつからだろう。
けれど、その問答に意味はなかった。私にとって、彼が傍にいることが何よりも大切だ。
「汝、病める時も健やかなる時も、この者を愛し抜くことを、誓うか――」
私はその問いに、しっかりと頷いた。ふたりで、誓いを立てた。
白竜の花嫁となった私は、ゆっくりと、目の前の彼と、口づけによる契約を交わした。
これにて第一部完となります。
この後、2つほどおまけの話を投稿して、第二部となる予定です。
人を選ぶ要素もあるでしょうし、拙い文章力と構成力で、斬新とは言い難い作品かと存じますが、ここまで読んでいただけたことに心より感謝申し上げます。誰かの「好き」に刺さってくれれば、それだけで感無量でございます。
さて、第二部に関して少しだけ言及します。
第二部はいわば真相編、兼スピンオフの詰め合わせといった内容になる予定です。
本編ではもうヒロインとヒーローの結婚まで漕ぎつけてしまったので、その後の結婚生活を描きながら、第一部では回収しきれなかった伏線や、それにまつわる真実が明らかになったり、第一部では描けなかった、ヒロインとヒーロー以外のキャラクターの掘り下げ等を行なう予定です。
現時点で掘り下げ予定があるのは以下の項目です。
白竜、アルストロメリア号、エリン、セラフィーナと婚約者、国王と王妃、マーゼリック、セバス、ガブリエルとラトニー
ほかにも投稿すべきものが思いついたら書く予定です。
一応はここで恋愛編は完結ということなので、この後のことは、人によっては蛇足となるかもしれません。ただ、第一部で拾う予定のなかった伏線等がたくさんあるので、第二部は仮として「真相編」と呼ぶことにいたします。
この先もお付き合いいただける方がいらっしゃいましたら、どうぞよろしくお願いいたします。
読んでくださった方、評価くださった方、ブックマークくださった方、ありがとうございます。
ねるこ