12. やさしいあなたの裏の顔
※性を思わせる描写が含まれる回です。
胸糞表現があるので、苦手な方はご注意ください。
上記当てはまる方は最初の区切り(◆◇◆)まで流し見、あるいは検索でスキップする等の対応をしていただければと思います。
覚醒は、大きな声と共に、だった。私は思わず目を覚ますと、口元を細い布で轡にされていて、腕を後ろ手で捕縛され、足も縛られている状態だった。
「――どうなってんだ! くそ、何でこんなに検問がすぐに……もうバレたのか?」
「仕方ねぇ。ほとぼりが冷めりゃ、この女捨てて外に出ればいい。なに、依頼ならここでもこなせる」
そんな会話を遠くに聞きながら、私は何とか脱出を試みる。しかし、こんなにしっかりと結ばれた状態で、私のような素人に、できることは何もなかった。
街中で、露店へ行ったルーティナを待っている最中、賊の襲撃を受けた。護衛が二人ほどいたはずにもかかわらず、それを潜り抜けてきたということは、これは計画的な犯行だ。それも、睡眠薬なんてものを使えるということは、背後に貴族以上の存在がいることはほぼ間違いない。
私は必死に考える。この状況で、得をする人物のことを。まず筆頭は第一王子だ。彼が無理やりにでも私を婚約者に戻そうとしたなら、攫う動機がある。ほかにも第二王子派の謀略も考えられるけれど、第二王子派の筆頭はイズラディア公爵だ。彼なら、フレイザード伯爵の婚約者にこんな真似をして世俗から遠ざけるようなことはしないだろう。だとすれば、やはり第一王子の仕業だと考えるのが自然だ。
彼なら、私をこんな目に遭わせることに何の躊躇いもないだろう。本当に迷惑な男だ。
近くには、ルーティナがいたはずだ。なら、彼女がきっとアルフィノ様に知らせてくれるだろう。だったら、助けを待つしかない。彼を信じて、耐えるしかない。
「よお、お目覚めか」
私にそんな言葉を掛けてきたのは、薄汚れた身なりの、右腕の辺りに大きな切り傷のある大男だ。その後ろにも、何人もの男たちがぞろぞろと付き添っている。数にして、およそ10人近く。人相と武装からして、恐らく盗賊の類であることは間違いない。
「へへっ。いい女だなぁ……本当にいいんですかい? この女」
「ああ、そうだよ。お貴族様も下衆いことをするよなぁ。けど、上流階級の方の考える薄汚い悪意のお陰様で、俺たちみたいなのがおこぼれを預かれるんだけどな」
「はぁ~かわいい。早く抱きてぇ」
私は、思わず思考が固まる。にちゃにちゃと、性欲を隠せないように下卑た微笑を浮かべて私を見下ろす男たち。男たちの口ぶりからして、男たちの目的は、私を誘拐して、誰かの元へ送り届けることではない。
私を犯して、純潔を失わせること。その考えに至ったとき、全身から血の気が引いた。
「全員で、いいんだよな?」
「ああ。ここにいる全員にその権利がある。そうでもしなきゃ、第一王子の元婚約者様に手を出すリスクに見合わねぇだろうが」
「ほら、さっさと済ませちまおうぜ。いつ嗅ぎ付けられるか分かったもんじゃねぇんだ。本当は、隣町まで行ってから安全にヤろうと思ってたんだがな」
男のうちの一人が近づいてきて、私の衣服を強引に破いた。びり、びり。嫌な音が響くたびに、私の肌が露になっていく。叫ぼうとするけれど、轡のせいで何もできない。あられもない姿にさせられて、足の縄を解かれた。一糸まとわぬ姿となった私を見て、興奮したように口から下卑た笑い声を漏らした男たちは、それぞれが服を脱ぎ始めた。
「んんんーっ! んんーっ!」
冗談じゃないわ! 気持ち悪い、気持ち悪い――そう叫んでも、私は何もできない。
目の前に、裸の男が並ぶ。途端に嫌悪感と共に、恐怖がぞっと押しかけて来た。冗談よね――こんな、こんなことって! 私は、目からボロボロと涙をこぼして暴れた。全裸になった男が私を抑え込んで「誰から行く?」などと言った下卑た相談をしている。
嫌だ、いやだ。気持ち悪い。気持ち悪い。触らないで、男なんて、嫌。気持ち悪い。
これが、悪い夢なら覚めてほしかった。男が強引に私の足を開かせて、私へと迫ってくる。私は拒絶感と恐怖から、目をぎゅっと閉じた。
その瞬間だった。がらん、と高い金属音が響く。
「ん、ぎゃぁああああああああああああっ!」
ひどい絶叫が目の前で聞こえて、私は目を開けた。がたがたと震える視界の中で、見たのは、目の前に転がる通気口の蓋と――目の前で私に背を向けて、手に持った警棒で、私を犯そうとしていた男を叩きのめした、小さな人影。
白銀の髪を揺らした小さな紳士は、漆黒の外套を身に纏い、私を庇うように立ち塞がっている。
「下衆どもめ」
口から洩れた侮蔑の言葉が、吐き捨てるように告げられる。彼は瞬きをする間に私を襲っていた男との距離を詰めると、思い切りそのみぞおちに蹴りを入れた。男は一瞬で痛みのあまり意識を失って、床に倒れ伏せた。
アルフィノ様は、今までに見たことのないほどに冷たい色を湛えた瞳で男たちを睨みつけながら、脱いだ上着を、後ろ手に私へと放り投げて被せた。私は、上着の下を見てぎょっとする。
アルフィノ様が脱いだ上着の下には、隠しナイフ等の暗器類が大量に隠されていたからだ。
アルフィノ様が臨戦態勢に入ったと同時に、扉を開けて、全身を黒い外套で隠した人影が一人現れ、二人がかりで直ちにこの場を鎮圧していく。アルフィノ様の身のこなしは、完全に素人のそれではなかった。訓練を受けた人の技――それも、剣術や槍術ではない。
剣を拾い上げて襲い掛かってきた男の剣を、短剣で軽く受け止めると、そのまま返す手で利き腕を深く切り裂いた。血が噴き出してアルフィノ様の顔にかかり、男は絶叫をあげて床へと倒れ込む。後ろから襲い掛かってきた男に対してもまったく動じず、背中越しに振り下ろされた剣を軽々受け止めると、同じように利き腕を深く抉った。
それは騎士の剣というよりは暗殺者の武術だった。
アルフィノ様は、決して容赦をしなかった。殺さずとも、床を転がる賊たちはどこかしら大事な部分を傷つけられており、その間、アルフィノ様は一度も表情を動かさずに、ただ冷たく、淡々と賊を処理した。部屋の中の賊がすべて動けなくなり、アルフィノ様が武器を仕舞った時、私は、思わず震えが止まらなくなった。
アルフィノ様は、もう一人の外套の人に賊の捕縛と部屋から運び出すようにと指示すると、私の方へと向き直った。彼は血にまみれた姿で、いつものようにそっと微笑んだ。
「……遅くなってごめんなさい。助けに、来ました」
それはきっと、私を安心させるためにそうしてくれたんだと思う。けれど、私の頭の中は、別の感情に支配されていた。
犯そうと迫ってくる、男への恐怖と嫌悪感。返り血を浴びても穏やかに笑う、目の前の愛しい人の残酷さ。
私はそれらから、本能的な恐怖をアルフィノ様に感じ取って、びくっと体を揺らして、震えあがって、口の轡を外そうとしてくれた彼を拒絶した。彼はそれを見て、少しだけ悲しそうな顔をした後で「すみません」と消え入りそうな声でつぶやいた。
「すぐに、着替えを持って来て、あなたを屋敷に連れ帰って貰えるように、侍女を呼んできます。……怖がらせて、すみませんでした」
傷ついた表情のアルフィノ様が、そっと微笑んで、すぐに外へと飛び出していった。そのあと、やって来たフレイザード家の侍女に拘束を解かれ、服を着させてもらい、私はそのまま馬車でフレイザード邸へと送られた。
◆◇◆
帰ってきて、レーラに泣きつかれて、私は全然落ち着かなかった。目を伏せれば、嫌なことばかりを思い出してしまう。動けない私を無理やり犯そうとする、十人近い男たち。一糸まとわぬ姿へと変えられ、拒否もできないまま、私は男に強引に犯されようとした。
どれだけ抵抗しても、まるで敵わなかった。アルフィノ様があと数秒来るのが遅かったら、私はもう犯されていただろう。私は、女は、それだけ無力だった。
「アルフィノ様……」
消え入りそうな声で、あの人の名前を呟いた。アルフィノ様は、助けに来てくれた。けれど、アルフィノ様の様子は、いつもとは違っていた。いつもは穏やかで丁寧で紳士的で、争いなどとは程遠いところにいそうな彼。けれど、本当はあの穏やかな姿の下に大量の武器を隠し持ち、暴力で理不尽を押し付ける男たちを、更なる暴力ですべて返り討ちにしてしまった。
鮮血を浴びて微笑む彼を見て、私は彼が必要とあらば他人を傷つけることを躊躇わぬ人なのだと、初めて知った。幻滅したわけではない。犯罪行為に及んだ賊を相手に、それが間違っているとも思わない。
ただ、怖かった。あのおぞましい世界の中で、優しく天使のように微笑む彼に、恐怖を感じた。
私とは、住む世界が違うのだ。それをありありと感じさせて、私は俯いた。
ぼろぼろと涙が零れ出す。違うのに――頭では、分かっているのに。アルフィノ様は、私があんな目に遭って、憤ってくれたのだ。彼は私が尊厳を捨てさせられる前に何とか滑り込んで、私を護ってくれた。それなのに、私は拒絶してしまった。命を賭して助けに来てくれた彼に、恐怖を感じて触れられるのを嫌がってしまった。
何も関係がないのに、男たちに植え付けられた恐怖と嫌悪感が入り混じってぐちゃぐちゃになる。こんな感情を彼に向けたいわけではないのに、心がどろどろと溶けあって落ち着かない。
ベッドの中で震えて丸まって、まるで眠れない。ちゃんと眠ってすっきりして、次の日になればちゃんと謝って――そう思っているのに、目を伏せれば恐怖が襲って来て、私は思わず口元を覆う。
レーラがベッドの脇に残して言ってくれた袋の中へと、胃の中のものを吐き出した。
「げほっ……ごぼっ……ぅう……」
涙があふれ出して止まらない。私は、そのまま一睡もすることはなく、朝を迎えてしまった。
レーラが迎えに来て、ベッド周りの惨状を見て、泣きそうになりながら世話を焼いてくれる。私はその間も、布団を頭からかぶってベッドの上に丸まり、何もできずに震えていることしかできなかった。
「お嬢様、お食事は……」
「……いらないわ」
「わ、分かりました……今日は無理に食べなくても構いません。シェフの方に、お嬢様が食べられそうなものを作って貰えるようにお願いしておきますから……落ち着いたら、ゆっくりでいいので食べてくださいね」
食欲なんて、微塵も湧かなかった。胃の中のものを全部吐き出したのに、まだ胃液が逆流している感じがして気持ち悪いのだ。きっと今食べれば、全部吐き出してしまうだろう。そう思って、ぎゅっと布団を握りしめた。
レーラが部屋を片付け、甲斐甲斐しく世話を焼いてくれていると、部屋のドアがノックされる。
「ミシェル様。……ぼくです」
声が聞こえて、私はびくっと肩を揺らした。レーラが、私とドアを見比べて、返事をしない私を見て、ゆっくりとドアの方へと近づいていくと、ドア越しに声を掛ける。
「アルフィノ様。レーラです。お嬢様はまだ体調が優れないようで、申し訳ありません」
「そうですか……分かりました。きっと、多くの出来事がショックだったと思います。落ち着くまでゆっくりしていてください。話したいことも、話さなきゃいけないこともたくさんあるので……落ち着いたら、話をしましょう。では、失礼します」
アルフィノ様はそれだけを告げると、そのまま部屋から遠ざかっていった。優しく紳士的な彼の性格だ。私が自分からドアを開けない限り、彼が部屋に入ってくることはないだろう。
それに安堵感を覚えているのは、今の私に、彼に合わせる顔がないから。彼に薄暗い感情を抱いているわけではないけれど、今は彼と会いたくない。
彼と顔を合わせるのが怖い。彼に、何かを言ってしまいそうな自分が怖い。
彼を傷つけるのが怖い。彼に嫌われるのが怖い。
そう思いながら、私はベッドの中で、膝を抱いた。
――五日が経った。食事はまともに喉を通らず、部屋から一歩も出られない生活。レーラは日に日に弱っていく私を見て、泣きそうな顔をする。ごめんなさい、でも部屋から出られないの。アルフィノ様の顔が、見られない。
ティナが訪ねて来てくれた時も、結局ちゃんと顔を見ることができなかった。ティナが悪いわけではないのに、たくさん謝られてしまった。
時間が経つごとに、私の足は遠のいていってしまって、時間が解決してくれると思っていたことは、時間が経てば経つほどに、焦りと昏い絶望感に襲われてしまう。早く謝って、彼が何も悪くないことを示さなければならないのに、私にはその勇気が出なかった。
我ながら情けないことこの上ない。けれど、あの日のことを思い出すたびに、震えが止まらなくて、目元から熱い涙がじわりと浮かんでしまう。
助けてほしい。誰かに、私の手を引いてほしかった。前を向くための勇気をくれる、誰かに。
(……エリン)
私の頭の中に浮かんできたのは、一人の友人の姿。分かれて数か月経った、大切な友人。
アルフィノ様に少し似ている少女。私が悩んだときや苦しんでいるとき、気持ちの良い物言いで、私の気持ちを上向きにしてくれる人。
こんな時、エリンならどう言うかしら。私の情けない姿を見て、怒ってくれるかしら。そう思った時、私は願ってしまった。
(エリンに、会いたい)
彼女なら、今の私を叱り飛ばして、前を向けるようにしてくれる気がする。けれど、彼女の所在――どこにいるか、分からない。
「エリン、どこにいるの……」
消え入るような声でつぶやいた。枯れ切った涙の痕に指を添えて、腫れた瞳を隠すように、深く呼吸を繰り返した。遠くで、ドアの閉まる音を聞いた。
しばらくして、ドアが開くと、私はそっと顔を上げた。
「レーラ?」
レーラは、いつもより帰ってくるのが少し遅かった。レーラは眉根を下げながら、そっと寄り添って、ずっと世話をしてくれる。
彼女は文句ひとつ言わない。けれど、時折とても悲しそうな顔をして、私を慈しむように見つめる。
「お嬢様、どうですか。お体は」
「……大丈夫」
「お食事は?」
「……スープのようなものがあれば、戴きたいわ」
「すぐにお持ちしますね!」
レーラはすぐに、食堂まで飛んで行って、たっぷり野菜が入ったスープを持って帰ってきた。私は、震える手で、ゆっくりとスープを掻き込んだ。吐き気は多少は収まったけれど、全然良くなっている気がしない。私は、元の生活に戻れる日が来るんだろうか――そんなことを、漠然と思っていた。
野菜スープをやっと半分ほど食べたところで、一息を吐いた。少しでも、食事を摂れたことに、レーラが安堵して息を吐き出す。
とんとん、と扉がノックされて、私は思わず肩を揺らした。その奥からは、いつもの声が聞こえてくる。優しい、彼の声だ。
「ミシェル様。アルフィノです」
「……っ」
「……。あの……君の話を聞いてくれる友人に、連絡をしておきました。だから……もし、君にその気があるのなら」
少しだけ歯切れの悪い、彼の声。けれど、彼の言う「友人」の正体に、私は心当たりがあった。
「夕方頃、こちらに来るので、迎えてあげてください。……ぼくが言えるのは、それだけです」
失礼します、という言葉を最後に、アルフィノ様はそのまま部屋の前から離れていった。私は、口元を押さえて、瞳を揺らしていた。
落ち着かない気持ちのまま、日が傾いていく。夕暮れ時、扉のドアが、ノックされた。
「ミシェル?」
聞こえた声は、懐かしい響きをしていた。私はゆっくりと起き上がって、スリッパを履いて、震える足で、ゆっくりとドアへと歩いていく。それを見て、レーラは口に手を当てて、涙を流していた。
私は、ゆっくりとドアノブに手をかけて、それを押し開ける。その外にあった人影を見て、私は目を丸くした。
金色の長い髪を後ろへと流し、左の瞳を長い前髪で隠している。青い瞳は大きく輝き、私よりもやや上の目線。菫色のドレスを身に纏って、後ろには見覚えのある従者を連れている。
そこに立っているのは、記憶の中の人物と寸分たがわぬ、大切な友人――エリン・アムールその人だった。
「こんにちは、ミシェル。あなたが落ち込んでいると呼ばれたから、来たわ」
そう告げて麗しく微笑むエリンの姿を見て、私は思わず涙を流した。