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気性難の令嬢は白竜の花嫁を夢見る  作者: ねるこ
第一部
11/65

11. 侵された日常

 初夏の頃。私は、家から届いた手紙を見て、少しだけ憂鬱な気持ちになっていた。


『第一王子マーゼリック殿下が、ミシェルを婚約者に戻そうとする動きがある』


 母からの手紙に書かれていたのは、そんな文言。婚約解消とは違い、双方希望での婚約破棄だ。そんな横暴が罷り通ることはあり得ない。

 それでも、国王の命令であれば話は別だ。普通は常識的にあり得ないことでも、国の安定のために必要だと思えば、臣下は自分の意志を捨て、国のために受け入れるのが美徳とされている。

 それでも、私はマーゼリック殿下のことを認められない。彼を王太子とするくらいなら、第二王子ガブリエル殿下を王太子に推したい。


「そういえば、カルセル様が、第一王子の母と因縁があると仰っていたっけ」


 私は少しずつ、今の王室の系図を思い出す。今の国王には把握している限り、正妃と側室が一名ずつ、そして愛妾は不明。第一王子マーゼリック殿下は、正妃の子であり、正妃デナート様は、ヒューアストン侯爵家の出である。そして第二王子ガブリエル殿下は、側妃の子であり、側妃シュリーナ様は、イズラディア公爵家の出である。

 正妃が侯爵家の出で、側妃が公爵家の出であるのは理由がある。元々、現国王の婚約者はデナート様だった。そんなデナート様だが、王宮入りをする当日、賊の襲撃に遭い重傷を負って、目覚められたデナート様は記憶の混濁が激しかった。しかし、もうすでに籍は入れていて、国民にも発表済みであったデナート様を正妃から外すわけにはいかない。そうして、側室となるシュリーナ様は、婚約騒動で浮いた立場となり、これ幸いと王室に招かれたのだ。今は後遺症が残り、政務に支障が出るデナート様を、シュリーナ様が補助する異例の措置となっている。

 血統的には側室の方が圧倒的に高貴ではあるのだが、先王に望まれて正妃となったのはデナート様の方。であるので、結果的に王太子に推されているのは、マーゼリック殿下ということになっている。

 こう聞けば聞くほど、マーゼリック殿下がセラフィーナ様やガブリエル殿下を冷遇するのが訳が分からない。彼のことは考えるだけ頭が痛くなるので、脇に置いておこう。

 ちなみに、私にとっての王妃殿下とは側室のシュリーナ様のことを指す。王妃教育を手伝ってくださったのも、王城で私を気遣ってくださったのも、全てシュリーナ様だ。デナート様は後宮にずっと引っ込んでいて、お顔を見たこともない。政務のほぼ全てをシュリーナ様が行なわれているので、国民からはシュリーナ様が正妃だと思われていてもおかしくない。


(お父様から、当時正妃と側妃の扱いについては、揉めるだけ揉めたと聞いていたわ)


 カルセル様の言う「因縁」が何かを指し示すか分からない。けれど、少なくともあまり表沙汰にしたいことではなさそうだと分かる。

 王家のことを考えれば、マーゼリック殿下が暴君なのは同情するけれど、私にはもう関係のないことだ。今更王太子の座が必要となったからといって、冤罪でこちらに私刑を吹っかけておいて、今更婚約者に戻れだなんて、随分と恥知らずである。

 母からの手紙には、マーゼリック殿下が父に直接その旨を談判しに来たとあった。まぁ結果は書いていないことから察するに、そういう事なのだろうが、どの面を下げて父の前に来たのだろう、と思わず苛立ちが出る。しかし、ゆっくりと首を横に振った。


 ――王子の元婚約者ではなく、ミシェル・サファージ侯爵令嬢として生きていくと決めた。


 それでも、一応伝えておくべきだろう。今日は約束までに少し時間がある。私は立ち上がって、アルフィノ様の執務室を訪れた。


「アルフィノ様、お話よろしいでしょうか」

「ミシェル様。はい。少々お待ちください」


 彼を呼んで居間へ移動し、母からの手紙のことを伝えた。すると、アルフィノ様は苦笑した。


「……聞いております。マーゼリック殿下が、婚約のことを本当に軽んじられているようで、大変残念です」

「そうですね。私はもう、アルフィノ様と婚約を締結しているのに!」

「婚約とは、家同士の契約です。王命によって、確かに解除が可能なケースはありますが、今回の場合は大目に見られる枠を遥かに超えています」

「アルフィノ様……大丈夫、ですよね。王命で勝手に、私たちの婚約が解除されたりなんかは……」

「心配ありません。こちらでも手を回しているので。君は、何も気にしなくて大丈夫ですよ」


 アルフィノ様はそう告げて、微笑みを向けた。相変わらず頼りになる方である。彼に任せておけば大丈夫。そんな気さえした。

 きっとアルフィノ様なら、お父様と連絡を取って、うまく立ち回ってくださるだろう。今はアルフィノ様しか頼れる人がいない以上は、彼のことを信じる以外の選択肢はなかった。


「今日は、確か街へ買い物に行くんでしたか」

「はい。ティナとお買い物に行って参ります。夕方には戻る予定なので」

「分かりました。気を付けて行ってきてくださいね。楽しんで」


 今日は、ルーティナと一緒にルーセンの街でショッピングだ。過去を振り払うと決めた時、同じ年ごろの女の子とショッピングに出かけてみたいと思い、ルーティナを誘ったのだ。ティナは快く承諾してくれて、今日は二人でお出かけである。

 アルフィノ様も、私とルーティナが仲良くなったのを見て微笑ましく思っていてくれたらしい。彼にとっては妹分であるので、今後のためにも私が彼女と打ち解けたのは好ましかったようだ。

 アルフィノ様に見送られて、私は迎えに来たルーティナと共に、侍女と護衛と共に街へ向けて繰り出した。


「今日はお誘いありがとうございます、ミシェル様! 私、楽しみです!」

「ええ、私も楽しみだわ。ルーセンの街、何度かアルフィノ様に連れて来ていただいていることはあるのだけれど。女の買い物は長いから、アルフィノ様を付き合わせるのも申し訳ないし……」

「ですね! 今日はたくさん、買い物をしましょう」


 私はルーティナと共に、まずは高級ブティックへ。色とりどりのワンピースや、ドレスがたくさん飾られている。交易の拠点であるこの街には、四方八方から様々な場所から、様々な職人のものが入ってくる。ブランドを統一するとなると少し物足りない品揃えだが、逆に多数のものから気に入ったものを選ぶ場合には、とても良い店である。

 ルーティナと共に服を広げたり、色を合わせたり。そうやって、熱を入れて二人で楽しく買い物を続ける。王都では見られなかった衣服、装飾品。それらを一つ一つ見ているだけで楽しい。ルーティナはおとなしい感じのファッションではあるが、少し明るい色のワンピースなどを勧めてみれば、少しだけ照れながらも「かわいい……」と呟いていた。ルーティナは髪を下ろしたり、メイクの雰囲気を変えるだけでかなり印象が変わりそうなので、色々なことを試してほしいところだ。

 ブティックで両手に抱えるほどの紙袋を抱えて出て、次は化粧品店へ。化粧にあまり詳しくないルーティナの手を引っ張って、店内に入る。ルーティナは目を回しながらも楽しそうにしてくれて、本当に楽しい。


「ああ、たくさん買ったわ。しばらく買い物はしなくて良さそう」

「ほんと! 私、いつも躊躇っちゃうから、ミシェル様の豪快な買い方を見て、少しすっきりしました。躊躇う理由が値段なら買ってしまえって、いい言葉ですね」

「だって、洋服なんて本当にそうよ? 今逃したら次はもう出会えないかもしれないんだもの。後悔しないように買い物をするなら、値段ではなく商品を見て買い物をしなさいと、お母さまが」


 ブティックに置いてあるような商品なら、まずはちゃんと商品を見なさいと仰ったのはお母様。布地は、デザインは、作りは、サイズは、色合いは。それで気になったものがあれば、そこで値段を見なさいと言われた。あなたの考えた値段が、実際の値段よりも高ければ、躊躇いなく買いなさいと言われたのを思い出す。

 長閑な場所であるあの屋敷で過ごすにあたって、ある程度着やすくて動きやすいワンピースが何着か欲しかったので、今日は本当にいい買い物をしたと思う。そんな私に触発されて、ルーティナの紙袋の中には、あの「かわいい」と言っていたワンピースが放り込まれていた。


「少し、休憩しませんか」

「賛成。少しはしゃぎすぎたわね」

「ミシェル様、あそこの出店で売ってるスイーツ、とても美味しいんです。良かったらいかがですか?」

「あら。もしかして、食べ歩きというものかしら……!」


 私は目を輝かせた。庶民の方たちが、出店や露店で、すぐに食べられるものを購入して、それをその場で食べるという「食べ歩き」。私が気になっていた庶民の文化の一つである。

 貴族女子である私がすればもしかしたら冷めた目で見られるかもしれないと思いつつも、馬車の中でなら良いのでは、と言われて、私はご馳走されることにした。


「では、私が買ってきますね! ミシェル様はそちらでお待ちください!」


 ルーティナは上機嫌に馬車から降りて、侍女と護衛のうちの何人かを連れて露店の方へと走って行った。馬車の停留位置からは露店が見えないが、それなりに並んでいたので、十分くらいはかかるだろうか。

 そう思いながら、息を吐き出して、待っていると、ふと外から声が聞こえてきた。


「お嬢様……っ」


 レーラの声だ。どうしたのだろうと、声を発しようとしたところで、はっと息を飲んだ。


「逃げ……」

「レーラ!?」


 がちゃん、とドアが開いた。すると、押し入ってきた男の一人に、布を口元に押し当てられる。精いっぱい抵抗するけれど、男の人の力に勝てるはずはない。私はそのまま、微睡の中へと意識を持っていかれてしまった。


◆◇◆


 ルーティナが露店での買い物を終えて、うきうきしながら馬車へと帰ると、そこには異変があった。護衛の男たち、そして馬車の外で待機していたミシェルの侍女がその場に倒れて意識を失っているのだ。

 ルーティナは顔を青くする。そうして、急いで馬車のドアを押し開けた。すると、そこはもぬけの殻になっている。ルーティナはふらりと足を引いて、そのまま馬車の下へと転げ落ちた。


「ど、ど、どうしよう……えっと、こういう時は……」


 おそらく、何者かにミシェルは連れ去られたのだ。ルーティナは首を横に振ると、侍女を傍へと呼んだ。


「コロン。お父様に連絡をして。すべての出入り口を封鎖するようにって」

「かしこまりました、お嬢様」

「私はアルフィノ様に伝える。アルフィノ様から許可が出るまで、絶対に誰も外に出さないで」


 けれど、国仕貴族の忠臣であるロータント子爵家の息女としての役割を果たす。ルーティナは思ったよりも数倍冷静だった。


「護衛の皆は、同僚を起こし次第捜索にあたって。ミシェル様の侍女は、私がフレイザード邸まで運んで、アルフィノ様に話を聞いて貰うわ」

「は!」

「あとは……何かやり忘れてないかしら。うん、大丈夫ね。とにかく、時間勝負よ。ミシェル様、絶対に助けて貰うからね……!」


 ルーティナはレーラを連れて、侍女の一人に御者を任せ、フレイザード邸へ向かった。

 夕暮れ時の少し前、フレイザード邸に辿り着くと、従者を捕まえて、アルフィノを呼んで欲しいと伝える。アルフィノは呼ばれてすぐに降りてくると、眠っているレーラを見て、表情を険しくした。


「……ミシェル様は」

「申し訳ありません、アルフィノ様。私がついていながら、賊に攫われてしまったようです」

「……。分かりました。出入り口の封鎖は」

「お父様にお伝えしたので、もうすでに行なわれていると思います」

「分かりました。ありがとう、ティナ。君がいたお陰で、最悪の事態にはなっていない」


 ルーティナは項垂れる。それでも、ミシェルは今、賊の手中にある。アルフィノは後ろにいた家令に視線を向けると、素早く指示をした。


「街にいる鴉に連絡を。もうすでに誰かが何かを掴んでいるはずです」

「かしこまりました」


 彼は素早く屋敷の中へと戻っていった。アルフィノは眠っているレーラにゆっくりと近づくと、少し状態を確かめた後「ごめんなさい」と呟いて、手を首元へと翳した。アルフィノの瞳が怪しく煌めいた。すると、ばちっという小さな音と共に、レーラは飛び起きる。


「っ!? お嬢様!?」

「……すみません。手荒な起こし方をしました。ミシェル様を助けに向かいます。あなたに分かる限りのことを教えていただけますか」


 すると、レーラは縋るようにアルフィノへと顔を向けて、口を開いた。

 突如、死角から隙をつくようにしてレーラを人質にしたあと、警戒する護衛の後ろから薬を嗅がせた男たちがいたこと。レーラも間もなく口に布を押し当てられ、意識を失ったこと。

 襲撃時に見えた人数は、およそ10人程度。ルーティナが説明した状況から察するに、賊の目的はミシェルの誘拐であったようだ。


「分かりました。あなたはこちらで休んでいてください。後は当家にお任せを」

「で、ですが……お嬢様、お嬢様がっ」


 レーラはひどく取り乱したように叫ぶ。けれど、アルフィノの表情は「無」だった。それは、怒りを無理やりに抑えつけたようにも思える。レーラは、いつもは穏やかなアルフィノのただならない様子にびくりと肩を揺らした。


「相手は素人のようです。何故なら、その手の社会に通じている者なら、鴉の庭たるこのルーセンの街で、事に及ぶことなどありえない。もしも知ったうえでそれを選ぶなら、随分な命知らずです。鴉たちが目を光らせるこの街で狼藉を働いたことを、後悔させて差し上げます」

「……アルフィノ様……」

「……それにしても、まさか包囲網を抜けられるとは。いや、さては知っていて見逃したな。泳がせれば何か出ると思ったのか。……結果を出すための効率として悪くないのは認めるが、ぼくの婚約者を囮にしようとするなんて、やってくれる。あとで仕置きが必要だな」


 アルフィノは珍しく苛立ったように早口でつぶやいて、ぐっと手を握った。鬼気迫れば迫るほどにおぞましく静かに、冷静になっていくアルフィノを見て、レーラは呼吸をするのも恐ろしくなってしまった。

 家令が戻ってくると同時に、厩務員たちが複数頭の馬を連れてやってくる。この家にいる人間たちは、アルフィノの一声で、全員が自分のやるべきことを理解している。それは、普段の和やかな様子の屋敷からは想像ができないほどに「機能的」だった。


「ティナ、彼女のことをよろしくお願いします。次に戻ってくるときには、必ずミシェル様をお連れしますので」

「はい。アルフィノ様、ご武運を」


 その言葉にアルフィノは頷くと、家令を伴って馬に跨り、ルーセンの街の方へと駆けて行った。


(――ミシェル様。必ず、お助けします。どうか、ご無事で)


 そう、強く決意して、手綱を握った。

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