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気性難の令嬢は白竜の花嫁を夢見る  作者: ねるこ
第一部
1/65

01. ただで婚約破棄させるのは許さない

初めての連載作品になります。よろしくお願いいたします。

「ミシェル・サファージ。貴様の振る舞いにはとうとう愛想を尽かしたわ。我が婚約者の座に甘えおって」

「……?」


 それは、終業パーティーでの出来事。私が通うフィッシェル貴族学院には、一年の節目として終業パーティーと呼ばれる行事が存在する。表向きは社交にまだ慣れていない紳士淑女のための学院の催しであり、その実態としては、平等を謳う学院内において、家格が上の者を軽んじる悪癖を持つ者に対する、父兄の施策でもある。

 第一学年での学業を修めたこの春先の良き日に、鉄面皮のこの男はホールの中央で声を荒げた。


 青が混じる銀色の髪は珍しい色で、より一層目立つ。漆黒の礼服がそれとのコントラストでさらに映えるようだ。煌めく黄金色の瞳は王族の証とされ、市井にはない珍しい色とされるそれを怪訝に歪めて私を睨みつけるこの男の名はマーゼリック・フォネージ。このフォネージ王国の第一王子である。


「殿下、恐れながら申し上げますが、此度は饗宴の最中。唐突に大声を上げることはお控えください」

「はん、相も変わらずかわいげのない女だ。貴様のごとき凍える心を持つ者を王妃に据えよとは、父上も酷なことをなさる」

「それで、殿下。お聞きしますけれど、このミシェルに何を仰いましたの?」


 私が怪訝に眉を寄せれば、マーゼリック殿下ははん、と鼻を鳴らして顎をしゃくり上げ、私を明らかに見下す態度を取った。その周囲を、取り巻きともいうべき側近たちが囲む。こつ、こつと靴の音がして、一人の令嬢が遠くの輪を離れてこの物々しい集団へと近寄ってくると、彼女はかくあるべしとでもいうように、マーゼリック殿下の空いた右腕の中へとそっと潜り込んだ。

 見覚えのある艶のあるハニーブロンドを揺らし、濃い桃色の瞳をした麗しいこの令嬢は、陞爵されたてのメフィスト子爵が長子のレティシア様。残念ながら、同年代の女子の中ではひときわ悪評が高い御仁である。


「貴様、我が婚約者の立場を隠れ蓑に、家格が下のこの娘、レティシアに悪辣な行いをしていたらしいな。レティシアから、このか弱き身に降りかかった残酷な所業をすべて伝え聞いた。これを糾弾せずに何とする。貴様の横暴には私も愛想が尽きた。今ここに、貴様との婚約破棄を宣言する」


 私ははぁ、と息を吐き出した。レティシアという子爵令嬢は、以前より婚約者のいる見目麗しい令息に声を掛けては誑かし、その縁を切ることにたいへん長けた人物であることは有名な話だ。下町の出であるとある男爵子息によれば、彼らの間ではその傲岸不遜な振る舞いを「当たり屋」と揶揄されているとか。


 私の殿下に対する冷たい態度には自覚があった。そもそもが家の決めた政略である以上、そこに愛情というものは存在しないのは説明するまでもないけれど、確かにそこに関しては私にも非があったかもしれない。

 私の心は殿下には存在しない。であるからこそ、殿下の心が他のご令嬢にあっても別に構わないと思っている。側妃も愛妾もいくらでも取って貰って構わない。私にとっては、この婚姻は次期王太子を安定させるための政略で、国の宰相を担う父の立場を安定させるためのただの生贄(スケープゴート)

 普通の人間よりもとても豪勢な暮らしを送らせて貰った分、使命を果たすのが貴族として生まれた以上は運命と受け入れるほかない。だから、愛がない結婚だろうが何だろうが、私を正妃にと望んだ国王陛下に王妃殿下、そして父の想いに応えることこそ、私がこのサファージ侯爵家に産まれた定めだと受け入れて来た。


 ――なのに、目の前のこの男は。あろうことに、私の過失によって婚約を破棄させ、国を揺るがそうとしている。人より恵まれた生まれの、王族の立場でありながら。


(あなたがそのつもりなら、私にだって考えがある)


 彼は周囲の側近と協力して、長い長い罪状をつらつらと並べ立てる。けれどそれに対してこう問いかければ――。


「……証拠は?」

「レティシアとその周囲の人間が見ている」

「つまり、証言でしかないと」


 このような回答が返ってくる。糾弾と銘打っておいて聞いて呆れる。残念ながら、私はこれらの罪状に一切かかわっていない――中には、婚約者に言い寄る彼女に苦言を呈したものが、事実とはかけ離れるくらい虚飾に塗れているものが含まれていたが――ので、確固たる証拠など出るわけはない。このマーゼリック殿下がやろうとしているのは、側近と共に私に罵詈雑言を浴びせて精神的な衰弱を狙い、それに付け入って自分の我儘を通す極めて稚拙な計画だ。

 それが罷り通ってしまうのが王侯貴族というもの。だからこそ振る舞いには気を付けていただきたいと散々に諫言を申し上げて来た。


 ああ、苛立たしい。私は扇子を閉じて、ぎゅっと握りしめた。罪状を読み上げた殿下はたいそう満足そうにしていらっしゃるけれど、側近の方たちは一歩引いていた。

 私が纏う刃のごとき鋭利な気に慄いたのだろう。私は一歩強く踏み出すと、口を開いた。


「――では殿下は、私に対し、証拠として不十分な証言のみを並べ立て、私の私刑を立証すると、そう仰るのですね」

「なに? 貴様、誰に向かって口を」

「私刑は証明が難しい。証拠に穴があったとしても、あなたのような立場の人間が騒ぎ立てれば通ってしまうこともございましょう。ですが、あなたが私に対し謂れもない罪を擦り付け、あたかも自分には非がないかのように振舞うならば、私とて黙ってはいられません」


 王族は尊い人間ではあるが、絶対的な立場を持つわけではない。彼らは常に王の素質を見極められるために、国中に潜まされた国防諜報組織、通称「鴉」の目に見張られている。彼らが王族たる振る舞いを誤れば、それは直ちに国王に筒抜けるとも言われている。

 私は扇子をしっかりと握りしめ、赤い瞳に闘気を宿し、まっすぐにレティシア嬢へと扇子を向けた。


「まだ婚約破棄が成立していないにも関わらず、対外的には婚約者という身分のある私の前で、そして学院内とはいえ、立派な社交の場として認められているこの夜会の場で、懇意にしている女性の肩を抱く行為。マーゼリック殿下が私を私刑で告発するなら、私は殿下を浮気で告発いたします」

「何……っ。貴様、我が崇高なる寵愛を愚弄するか!」

「崇高だろうが何だろうが、婚約とは男女間の厳正なる契約。浮気という行為は、貴族法においても厳しく罰するべしと述べられているのです。こんなに多くの人間の前で、たいそう大切そうに肩を抱いていいらっしゃるのね」


 私の言わんとすることを悟ったのか、殿下は慌ててレティシアから体を離した。けれど、レティシアはすすす、と殿下へとにじり寄る。彼女にとって、マーゼリック殿下の立場は絶対的であり、私ごときが何を言っても覆らないと本気で信じている。

 けれど社交の場でこれだけ開けっぴろげに糾弾をしようとしたのだ。私的な場であれば王子殿下に分があったかもしれないが、この場においてはそうもいかない。

 レティシア嬢がマーゼリック殿下に近づき始めた頃から、父に相談して、浮気の証拠集めをしていた。それが、こんな形で役に立つのは残念と言うほかない。けれど、私の有責で婚約破棄などと言うことには絶対にさせない。

 王族の横暴は、臣下が諫めるべし。それが、この国の歴史が作り上げた、貴族の家庭での家訓である。


「レティシア嬢が身に着けているその美しい金色の宝石の首飾り。大通りにある宝飾店のオーダーメイドですね。マーゼリック殿下がご注文なさったと、私は物的な証明ができます」


 あなたたちの不確かな証言と違って、と言外に告げれば、殿下はぎろりと私を睨みつける。レティシア嬢も不機嫌そうに私を見つめているけれど、妃教育を受けていた私にとっては、痛くもかゆくもない視線だ。


「貴族法において、浮気の境界は、婚約者、あるいは伴侶のいる立場でありながら、懇意にしている女性に一定額以上の贈り物をすることを一つの基準として定めています。その宝飾品は、十分に満たしますわね」

「貴様……っ!」

「往生際が悪いですわ、ミシェル様。私たちは浮気ではありません。あなたがマーゼリック殿下に精神的な苦痛を与えたから、私がそれをお慰めしたら、謝礼にいただいただけよ」

「それはあなたの主観でしょう? そんな子どものような言い訳で、この場の紳士淑女が納得すると思いまして?」


 レティシア嬢の悪評は、学院内に轟いている。いかに王族であるマーゼリック殿下が圧をかけようとも、そもそも第二王子派である貴族の子息子女たちは言うことを聞くはずもないし、何よりもレティシア嬢のせいで婚約者たちとの関係が悪化したご令嬢なんかが、自分の味方をしてくれると思わないことね。

 このような華やかな場で糾弾を選んだのがあなたたちの運の尽き。私だけが貧乏くじを引くなんてこと、絶対に認めない。


 この私の気性の荒さには、父も兄もほとほと参っていたのを思い出しながら、私は優雅に一礼をして、そうして冷たい光を瞳に秘めながら、凍てつく視線を殿下とその側近にやって、口元で微笑んだ。


「では、ごきげんよう。婚約破棄の件は、浮気の告発を行なったうえで、父に進言しておきます」


 私に全ての過失を押し付けて、円満に婚約破棄をしてレティシア嬢を正妃に迎えようなんて思っていたのでしょうけど、そうはいかない。双方の過失による婚約破棄に持っていけば、あなたの思い通りになんてならない。

 互いに愛情がなかったのだから、このような結末も致し方なしでしょう。そう思いながら、入り口へと向かえば、完全に貴族同士の険悪な圧にあてられ、震えて身動きの取れない給仕たちが、固まって身動きが取れずにいる。

 ――おかわいそうね。フォローをして差し上げたいのだけれど、この気の立っている私に声を掛けられても困るだけでしょう。そう思ってそっと息を吐き出せば、大きな音を立てて、ホールの扉が開いた。

 顔を上げて、扉を開けた人物を確認すれば、そこにはまだ十三、四歳といった年頃の幼い給仕(ボーイ)が、黒い髪を俯き気味に揺らして、扉に手を当てて礼をしていることに気が付いた。この幼さで、よくぞ堂々としているものね、と私は感心して、笑顔を向ければ、彼は眼鏡の向こうで、青い瞳を少しだけ柔らかく歪めた。


 彼の隣をすり抜けて、私は堂々とホールを後にして、屋敷へと馬車を走らせた。胸の内に、国に対する空虚な絶望を覚えながら。


◆◇◆


 私には、恋焦がれる存在がいる。私がマーゼリック殿下に対して愛情を抱けなかったのは、この恋慕が胸にあったからだ。

 それはある意味で不貞とも言えたかもしれない。けれど、彼と違って私はそれを表面に出したりはしなかったし、自分の我儘のために民を惑わせたりするつもりはなかった。


 そもそも、誰も私の恋慕を問題に感じなかったことだろう。なぜなら、私が恋い慕うのは、人間ではないからだ。


 私がまだ8歳だった頃、私は母と兄と共に、領地の中でもかなり辺鄙な小さな村を訪れていた。水源が豊かなその地域は避暑にはもってこいで、その年は王国全体に猛暑が訪れていた。避暑のために訪れた村はとても穏やかで、活発だった私は兄と共に、村はずれで駆け回り、楽しく遊んでいたのだ。

 そんな中、事件は起きた。空が陰ったと思うと、天高く雲の向こうから、大きな飛竜(ワイバーン)が落ちて来たのだ。飛竜は危険種指定をされている大きな魔物で、騎士が数十人がかりでやっと相手ができるほどに危険な生物。

 それが、私たちのすぐ傍へと降ってきて、土煙を上げて大地を揺らした。兄は私を連れて逃げようとしたが、私は腰が抜けて動けなくて、赤い目を獰猛に光らせる飛竜に睨まれて、死んだと、そう思ってしまったのだ。


(いや……っ!)


 ぎゅっと目をつぶる。最後に見た光景は、私へと飛び掛かろうと体をかがめた飛竜の姿だった。けれど、私に襲い掛かると思われていた衝撃は、全く違う衝撃によってかき消されたのだ。

 飛竜が降ってきた時よりも遥かに大きな衝撃が大地に伝ったかと思うと、私は兄ごと吹き飛ばされて、地面を転がった。兄が息を飲むのが聞こえてゆっくりと目を開けると、そこには飛竜を襲う、とても美しい生物の姿を認めたのだ。


白竜(はくりゅう)様だ……」


 兄がつぶやいた言葉が、とても印象的だったと思う。このフォネージ王国の興りは、初代建国王と、建国の聖獣である白竜様と呼ばれる白銀のドラゴンとの契約であったという。神の遣いである白竜様は、建国王に国を護る代わり、民を護り豊かにすることを望んだ。白竜という神の代行者の庇護のもと、このフォネージ王国は興ったという。

 王家の血筋は、その白竜様との契約を行なった神官が起源だ。白竜様は白銀の鱗を持つとても美しい竜で、魔を祓うサファイアのような青と、深い森の色を閉じ込めたエメラルドのような緑の瞳を持つ、巨大なドラゴンである。


 その伝承にある姿にそっくりなドラゴンが飛竜に襲い掛かり、光り輝く息吹(ブレス)によって、あっという間に飛竜を屠ってしまった。白竜様は巨大な翼をはためかせると、こちらを向いた。

 兄はびくっと体を揺らした。聖なる獣とはいっても、ドラゴンとは人知の及ばぬ生物である。彼らが気まぐれを起こせば、人の子の命などいとも簡単に吹き消える。そこに対して、兄は人間としての機能を正常に発揮し、恐怖を覚えて固まった。

 けれど私はというと、そのあまりにも神々しく美しい生物に目を奪われ、腰を抜かしていたはずの足はすっかりと活力を取り戻していた。そっと立ち上がると、白竜様へ向けて駆け寄ったのだ。兄の悲鳴が後ろから聞こえた気がしたが、私は思わず白竜様のお膝元へと走った。


「あの……」


 恐怖は全くなかった。それどころか、どれだけ近づこうとも、先ほど飛竜に対して咆哮を上げていた白竜様は、私を懐に入れてもなお、一切の威嚇行為をしなかった。ただ、慈愛に満ちた両の瞳で私を見つめていた。


「白竜様……ありがとうございますっ」


 そう告げれば、白竜様は静かに長い首をもたげて、私と目線を合わせてくれた。それは、まるで大きな大人が、小さな子どもに行なうような自然な動作で。私は瞳を潤ませて、その光景を静かに見つめていた。

 途端、急に頭が痛んだかと思えば、私は、確かに聞いたのだ。――きっと、白竜様の声だったのだと思う。


『無事でよかった。怖がらせてごめん』


 男とも女ともつかない不思議な声は、そう語った。そんな俗っぽい言葉遣いに、少しだけ頬が緩んでしまった。その後、白竜様は、飛竜の死体は人間にとって有用だから、父上と母上に頼んで便利なものに変えなさいと言い残して、白竜様は大きな翼をはためかせて、その場を立ち去っていった。

 私は空を飛ぶその姿にさえ憧憬を抱き、その時強く――恋に落ちる感覚を、胸に抱いた。何より、神話よりも遥かに気軽に話ができそうな、その俗っぽさに、ますます恋の火が現実的に灯る。


 私の初恋の方は、建国神話の聖獣。あのお方が真に白竜様かは分からないけれど、あの神々しいお姿に、私のような幼子に対する慈悲深き振る舞いを見れば、疑う気にもならなかった。


 なお、飛竜はその後父が喜んで金に換えた。我が侯爵家にとっては臨時収入になったらしい。飛竜の肢体から取れるあらゆる素材は、それだけで平民にとって莫大な資産になるほどの大きな仕入れだ。それほど飛竜と言う存在は驚異的であり、なおかつ珍しい存在でもある。


 その日以来、私たちの一家は白竜様への信仰に少しばかり傾倒したのだと思う。少なくとも、私と兄を助けてくれた聖獣に対して、両親は感謝の気持ちを覚えたのだという。


 そんな極めて変わった恋愛の遍歴を持つ私が次期王太子と言われる第一王子の婚約者に据えられたのは、少なくともほかの男子に目移りすることがないと分かっていたのも大きな理由だと思う。残念ながら、それらは裏切られてしまったわけだけれど。


 屋敷に帰って着替えを済ませて寝転がった私は、父の帰りを待つ間、白いシーツの中で、あの方のことを考えていた。幼い頃に一度会ったきり、一度もそのお姿を見かけていない。あれは夢か現か――自問自答しても、決して私の心は夢であることを肯定しなかった。


「白竜様に、お会いしたいです……」


 国母にならねばと私を縛る使命から解放の兆しが見えた途端、私はあの方への恋慕が心の中からあふれ出す気配を感じた。

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