3 えらべやえらべ
私は一回も、お母さんを疑った事なんてなかった。お母さんが、旦那の家族に対して何かしらの非道な事をするなんて、思いつきもしなかった。
でも実際はどうだ。
現実として、お母さんはお父さんと逃げた結果、たくさんの町を滅ぼして、たくさんの人が死ぬ原因になったのだ。
十八年前から、十七年前の大旱魃は、あらゆる国で大量の死者を出した災害だと、聞いている。
それの原因が、お母さんの行動だったと聞いて、平然としていられるわけがない。
……お母さんは、砂漠の国を呪われていると言った。砂漠の人達が信仰している水神を、邪悪な神だと言った。
……それは、この、青の国の住人だからこそ言える事なのだろう。特に富裕層とか、知識人と言われる人達の中にある考え方の一つだ。
青の国の貴族階級の人達の中でも、知識層と言われている人達は、神様なんて言うのはまやかしだと思っている人が一定数いるんだって、聞いた。
庶民は神様を多少は信じているけれど、絶対に存在するとは思っていない。
ギルドで神様関係の仕事が入って来る時、それを受けるのは利益を重視している人か、神様の存在を信じている人達だ。
砂漠の国のように、全ての民が神というものを信じて敬って、ってわけじゃない。
私は、ギルドでいろんな仕事を見てきたから、神様ってのがいるのはきっと事実で、存在を感じれる人は少ないんだろうなと思ってきた。
その時点でもう、お母さんと私の間の、神々に関する認識は違うだろう。
そしてお母さんは、優秀な王族で、知識人ともかなり交流があった人生だったのだろうと、想像に難くない。
そんなお母さんの眼から見て、砂漠の水神を信じている人達は、頭のおかしい邪教の神を信じている、呪われた国という風に映って、結果、お父さんを連れ出したんだろう。
お父さんの立場とか、お父さんが逃げたらどうなるのかとかは、考えもしなかったに違いない。
だってお母さんは神様っていうのを信じていないんだから。
信じていない人にとって、おかしな因習から逃げ出した結果が、悲劇だとは思いもしなかったはずだ。
でも、私はもうその結果を知っている。
旦那の家族が、私のお父さんが逃げた事で咎められて、同じ町の人達の怒りや憎悪を買い、老いも若きも関係なく酷い殺され方をしたっていうのを知ってしまった。
その過去の詳細を聞くまでもなく、その事に対してひどい、辛い、と思うに十分な中身なのに、それにお母さんが関わっていたと聞いて、平気な顔でいられる私じゃないのだ。
「……どうして」
私は暖炉の前に座り込んで、小さく呟いた。
ねえお母さん、どうしてお父さんを連れていなくなったの。お父さんがいなくなった後の事なんて、思いもしなかったの?
知らなかったから、出来た事っていうのは何となく想像がつくけれど、私だったら怖くてできない事だ。
そんな行動も、神様を信じていないお母さんにとっては、くだらない因習に縛られた国っていう認識だったからできた事だったの。
「どうして、おかあさんとおとうさんだったの」
私の大事な人達が、私の一番大事な夫の幸せを奪って、旦那の体に消えない罪の印をつける事になった。
そう思うと、息が苦しくてたまらなかった。
初夜の朝に見た旦那の体は、蝋燭の灯りの中ではあまり見えなかったおびただしい傷があって、これだけのものを受けてなお生き続けるというのは、どれだけ苦しいだろうって思う物だった。
首から下は火傷の後のように引き攣れた傷だらけで、生きている事の方が不思議なくらいで、それを見た時私はちょっと泣いた。
泣いて、それを見た旦那が
「この傷がそんなにおぞましく見えたのか」
って、見当違いな事を言うから、
「あなたがそんな傷だらけでも、生きてくれてよかった。生きて私に出会ってくれてよかった」
そう泣いちゃって、わんわん泣いた私を慰めていくうちに、また何とも言えない空気になって、結局私は寝台のお供になったのだ。
そんな事も有ったから、余計に旦那の十七年の苦しみを思うと、痛みはないはずなのに苦しくて苦しくて、たまらなくなった。
そんな苦しさの中で、一つだけ明確な事実として私が感じたのは、これだ。
「あの人の家族を殺して生まれた私が、あの人の隣で妻として幸せに笑っていいわけがない」
そんな事だった。
私があの人の家族を殺して生まれたって事に、語弊があると思う人もいるだろう。
でもそれは事実だと思うのだ。
私のお父さんとお母さんが、二人で駆け落ちしてその結果生まれたのが私なのだ。
つまり、お父さんが逃げた結果、あの人の家族は死んでいるのだから、逃げた結果生まれた私は、文字通りあの人の家族を殺して生まれたと言えるだろう。
家族が殺された原因の一つが、お父さんとお母さんの恋だったならば、余計にだ。
その原因の結果生まれた私が、旦那の隣で、旦那に笑いかけて、笑いかけられたりしていいはずがないのだ。
「……わたしはあなたがすきなんだ」
一番好きな人。他の誰を置き去りにしても、幸せになってほしい、と願ってしまえる人。
それが旦那だ。
きっとあの人は、私の出自を聞いたら衝撃を受けるだろう。でも真面目な人だから、一度結婚した以上、私と離婚してどうこう、となる人じゃない。
しかし、それは彼を苦しめるだろう。彼の滅んだ故郷で見た彼の瞳は、寂しさとか、苦しさのあまり頭のそこにしまい込まれていた優しい記憶を思い出すっていう色があった。
あの人は、本当に家族が大好きな人で、子供時代に暮らしていた町が好きだったのだ。
教えてもらった思い出の数々が、それを私に知らせて来る。
そんな大事なものを軒並み奪った結末として、私が生まれたなら、どうしようもなく、隣に立てないと思わせるものがある。
「でも、あなたのことをくるしませたいとはひとかけらもおもわない」
きっと真実を知って、私の顔を見たら、旦那は奪われたその時を思い出すだろう。
愛している妻が、家族を奪ったも同然なんて、地獄でしかない。
「……」
暖炉がぱちぱちと燃えている、暖かいはずの空気は、血の気のひいた私には冷え冷えとしたふうに感じられて、なんとなく触った服の隠しに、何か入れていた事も思い出した。
それを引っ張り出すと、それは、旦那の実家の灰だった。
そうだ、このごたごたが終ったら、砂漠に帰って、その時にはきっと私の家も出来ているから、そこで燃やして、料理を習おう、と旦那と笑って約束したのだ。
それまでは、お守り代わりに持っておくといい、竈の灰は魔除けになる、と女の子たちが教えてくれて、大事にきれいな布に包んで、持ち歩いていたのだ。
「……これも、むりだ」
旦那に顔向けできない私は、この灰を旦那と暮らす家の竈に入れられない。
ぐっとその包みを強く握った後に、私は、もう後戻りしないと決めて、それを暖炉に投げつけた。
綺麗な布が、ぱっと燃え上がって灰に変わっていく。
苦しくて辛くてどうしようもなくて、でも涙っていうものが一滴も出てこない。
私は、それを幸いと、その包みが跡形もなく燃え尽きるのを見届けようとした。その時だった。
暖炉の炎が、急に普通ではない燃え方をして、ぬうっと、炎で出来た首が現れたのだ。
「……え」
呆気にとられてその首が目を開けて、私を見るまでの間、私は全く動けなかったし、まともな言葉なんて出てこなかった。
何が起きているんだろう。
理解不能の事が起きているから、ぐちゃぐちゃになる思考の先で、その首の中の、高温の炎の蒼い三つの目が開き、口が楽し気に開いた。
「いやー、ながかったながかった、長男坊の嫁がいつおいらを火の中に戻してくれんのか、待ってたぜ」
「……」
「おう、おいらを初めて見た様子だな。おいらは竈神。焔の中で家を守る神様って奴だな。これでも神格は高いんだぜ」
竈の神様。そうだ、新婚旅行の前に、旦那に聞いていた存在だ。まさかこんな簡単に実体化するなんて思ってもみなかった。
何も言えない私を見て、竈の神が首を傾けて不思議そうにする。
「どうした、びっくりしすぎて何にもお喋りが出来ないのか」
「……私は嫁になれないの」
「はー? あんなに二人で幸せそうにしてたってのに?」
「うん」
これは魔物とか悪魔とかじゃないというのは、発せられる神聖な空気に似たものから、明らかだと思えた。この存在は、水神と同じような、人知を超えていて、人間の考えではとても追いつかないすごい存在だとなんとなくわかる。
そのために、私はぽろりと言葉が出て来て、それに対して竈の神は理解に苦しむという様子だった。
「だって……」
私は思った事を、出来るだけわかりやすくしゃべった。一通り聞いた竈の神が、うんうんと頷いてから、問いかけて来る。
「なんでぇ、つまり、自分のとうちゃんとかあちゃんがバカな真似をして、長男坊の家族を殺しているってのがあるから、嫁さんは嫁さんになれないって言ってんのか」
「私が生まれたのは、二人が逃げた結果だから……きっとそれを知ったら、あの人は苦しむよ」
「うんうんなるほどなるほど。人間ってのは難しいぜ。なあ単純にいこうや。つまり嫁さんは、長男坊の家族が死ななかったら、自分のとうちゃんとかあちゃんが逃げても、長男坊の嫁になれるって言いたいんだよな?」
「そんなの出来ないでしょ、過去は変えられないから過去なんだよ」
「ふうん」
分かったのかわからなかったのか、竈の神様はしばし黙った後に、それまでの軽い口調からは思いもしない程の、厳粛な声を出した。
「話は聞いた。そしてここに今、選択を与えよう。焔に過去も未来もない。焔があるのは今だけだ。この今の連鎖の輪の中に飛び込む事を選ぶか? ただ苦痛の中朽ちる事を選ぶか?」
「言っている意味が…………!?」
私はわからないと言いかけて、竈の神様が言った事の意味に気付いてしまった。
今しかない炎の中に飛び込めば、過去という名前の存在していた今に、向かえるのではないかと。
「過去に、戻れるの。あの人の家族が死ぬ前に」
「人間風に言えばそうかもな。ただ、警告はしておくぜ。今が変われば今は違うものになる。嫁さんも、今を変えたらどういう状態になるかわからない。そこまで竈の神は手助けをしない。それもわかっていて、選ぶか選ばないかって話だ」
私の迷いは一瞬だった。頭の中で次々に巡ったのは、旦那との思い出と、旦那の顔や仕草や、愛情だった。
私はあの人を幸せにしたい。あの人の描いていた幸せが、王様になる事じゃなくて、兵士とかになって、家族と喧嘩したり笑い合ったりしながら暮らして、そのうち結婚相手と二人で新しい家族を作って、欲をかかないけれど幸せな生活を送りたいって事だったと、もう、知っている。
それを、私は叶えられるかもしれないのだ。
そしてこれは、罪悪感を全く持っていないお母さんの代わりに、出来る、贖罪になる。
たとえその結果、私が生まれなくなっても。
「飛び込む」
「本当にか」
「私はそうしたら、後悔しなくて済むから」
「何が起きるかわからないぞ」
「わかってる。それでも私は、手が届くなら、その一か八かの大博打に、かけるよ」
強くそう言った時に、竈の神が手を伸ばしてきた。
「さあ、選択したものよ、この手を掴み、我が今の中に飛び込むがいい!!」
私は迷いなく、その焔で作られた手を掴んだ。世界が一気に炎に包まれて、何も見えなくなった




