1 さてしばしのおわかれを
「ねえあなた、またそんな不機嫌な顔をしないの。あなた達がさくっと話し合いを終わらせたら、私はすぐに帰って来るのに」
私はそう言って、不機嫌を隠す様子も見せないで顔を掴んで覗き込んでいる旦那に大笑いをした。
この人のこの仕草が実は、照れ隠しだと知っているせいだ。この人は自分と目が合う人間が皆無に等しいからか、こうして私みたいにまっすぐに顔を見て喋る相手への対応が、うまくいかない人だったりする。
変な所で不器用な人なのだ。それがいい。
場所は私と旦那が帰って来るべき砂漠の城の城門で、私と旦那はこれからしばしのお別れという事になるのだ。
こっちは、いくら話し合いが続いたとしても一年を越す事はないだろうと思っている。
根競べになる時があるかもしれないけれど、砂漠の国が大量に持っている貿易路とか、品物とか、その他たくさんの有益なものを、喉から手が出るほど欲しがっている青の国が、砂漠の国の王である旦那を徹底的に怒らせる真似はしないだろう。
それ位の予想は付くから、まあある程度、という感じで、青の国も折れる気がしていた。怒った旦那や旦那の関係者が、青の国の貿易路を封鎖したら、青の国では立ちいかなくなる産業がいくつかあるのだと、こっそり旦那が教えてくれている。
そんな事も知っているから、私はきっと大した時間が過ぎる事もなく、この人の所に戻って来れるだろうと予想していた。
つまりしばしの見納めって奴で、私は旦那の首に巻く布を掴み、ちょっと引き寄せてみた。旦那は大人しく背中を丸めてくれるから、布を少しだけ整えて、私は髪の毛に差し込んでいたかんざしの一つを、旦那の首の布に差し込んだ。
これは青の国の古典を読まされた時に、これは素敵だなと思ったやり取りで、頭という大事な部分に差し込んだ装身具を、相手に渡すのは、魂の一部も渡すという事になるとあったのだ。
私は旦那の所に帰って来られるように、そして旦那が完全に怒り狂う前に、穏便に何事も終わる事を願って、それを差し込んだのだ。
「いまいましい」
「ああ、新婚旅行が結局やり直したのに、すぐに中断されたから? じゃあ、仕事とかが一段落した時にでも、他の地域の視察って事で行こうよ」
「簡単に言うな」
「あなたなら出来るでしょう? 私だって、せっかくあなたとのんびり一週間も旅行が出来たはずなのに、それの半分も楽しめないで、とんぼ返りみたいにこっちに戻って来なくちゃいけなかったの、あーくそって思ったんだから」
事実だった。私がウィルヘル様と再会した後に、旦那はジョン兄ちゃんを振り払ったのか無視したのか、それとも旦那の持つ魔法の一つで行動不能状態にしたのか、一人で私達の所に戻ってきたのだ。
そして、心底申し訳ないという調子で、青の国の事情を話したウィルヘル様をかすかに睨んで、彼を真っ青な顔にさせた後に、いつも通りの淡々とした調子で、そちらの使者の方々を長く待たせるわけにはいかないだろうという事で、さっさと新婚旅行を切り上げてくれたのだ。
ウィルヘル様はものすごく感謝していた。
「あまり時間をかけすぎると、青の国の権力者たちが、エーダをさらっただのなんだのとある事ない事言いふらそうとするのが目に浮かびますからね……」
本当に関わり合いになりたくないといった調子でウィルヘル様は言って、きっと私を連れ戻すのが遅れれば遅れるほど、彼にも問題が起きるという事が察せられた。
ウィルヘル様はそんな事を欠片も口にしなかったけれど、きっとそうなのだろう。
ただ、旦那だけがとある事情を見抜いていた。
「あなたは私の妻を青の国に連れ戻すのが遅れれば、解毒薬をもらえないのだろう」
それを聞いた人達は皆絶句したけれど、ウィルヘル様だけが平然としていた。いや、旦那も平然としていたか……。
そんな普通の調子でウィルヘル様はこう答えた。
「私は、あまり信頼されていないのですよ。色々ありましてね」
「……私の怒りに触れて殺されても、損失の少ない人間という事で、あなたが選ばれたのだろう」
「きっとそうでしょうね。さらに端くれとはいえ王族を殺したとなれば、あなたの名前もただでは済まないだろう、交渉がさらに有利になるだろうと踏んだのでしょうね」
「あなたは自国の手の内をさらしていいのか」
「私は青の国に思うところが色々ありますし、私がどういった状態でここにいるのかまで見抜かれている以上、誤魔化す理由もありませんよ」
「青の国の王は息子さえそんな扱いになるのか。単なる王族の娘というだけの血筋の私の妻への扱いは、まともなものになるだろうか」
「なりますよ。青の国の王は、エーダをリリー公の元に帰す事を大義名分としていますから」
「母親の元ならまだまともな可能性が高いと。不確定すぎる事ではないだろうか」
「……それは、母親というものにうとい私には、答えようのない事ですよ」
彼等は私が呆気にとられている間に、色々と会話した後、旦那はふと気付いたようにこう言った。
「あなたか」
「え?」
「私の妻の命の恩人の王族様という方の事だ。妻は心底、あの時の事を感謝している」
「いえ、こちらは当然の事を行っただけですよ」
「だが、私の妻はそれに救われたのだ。砂漠の人間は家族の恩人を無碍にしない。……あなたが妻を国に戻さなければならないというのならば、あなたの命を救うためにも、妻を連れて行ってもらいたい」
「……冷酷非情と噂の魔術王は、大したお人なのですね」
信じられない事を聞いているという調子で、ウィルヘル様はそう言って、旦那が私の方を見た。
「必ずお前を迎えに行く。それまで青の国に戻ってもらえるか、エーダ」
「うん。ウィルヘル様、私があちらに行かなければ、命を失うのでしょう? 私も命の恩人がそんな事になるのは認められません」
そんなやり取りをした結果、こうして私は砂漠から、青の国に戻る事になっている。
砂漠から青の国に戻るには、大河を通る連絡船に乗った後にも、やっぱりいくつか街道を経由するからそれなりに時間がかかる。
旦那が新婚旅行を切り上げたのは、その間に、ウィルヘル様の体に毒が回り切ってしまうからだろう。
……あれは王族秘伝の毒だろう、砂漠では解毒剤を調合できん、とこっそり教えてもらったのも事実だ。
でもウィルヘル様は、旦那に見抜かれるまでそれを口に出さなかったから、もしかしたら死ぬ覚悟を決めて、ここに来ていたのかもしれなかった。
こんな事が前提として存在する中で、私は誰か、砂漠の知り合いを連れて行く事も出来ないで、お母さんの所に戻らなくちゃいけなかった。
連れて行ってほしいといった女の子達はいたんだけど、青の国の方が拒否したのだ。こちらの侍女達が至らぬと文句を言うのかっていう言い回しで。実際にはもっと慇懃無礼だったけれど。
こっちの女の子達もかんかんに怒ったけれど、結婚を白紙にするのだと息巻いていると、思わせたい青の国に一緒に連れて行って、女の子達がちゃんとした待遇になるのかも怪しいし、私が抗ってもお母さんがどう考えるかもわからないから、連れて行く事は出来なかった。
下町だと、勝手に結婚した娘に激怒した母親ってのは、結構冷酷にもなれるわけだから。
逆もまたよくあるって事だけど。
「エーダ様、絶対に帰ってきてくださいね」
「そうですよ、こちらに来てくださって、我ら一族はとてもうれしかったのに」
「まだまだ、エーダ様に教えたい事がたくさんあるんです。どうかご無事で」
一緒にいてくれる時間の長かった、一族の女の子達がちょっと泣きながらそう言っている。
私はそれに頷いた後に、旦那がゆっくりと手を離したから、私も彼の首を掴む手を離して、思い切り笑いかけた。
「いってきます、ああそうだ、結婚できないってなったら、さっさと教えてね。すぐ離婚準備するから。私は未練がましい女にならないわよ」
旦那は少し目を丸くした後に、普段聞いた事のないような大きな笑い声をあげた。
これだけ笑うってとても珍しいくらいの笑い方で、旦那は大笑いした後に、こう言った。
「さすが、俺の妻だ」
こんなやりとりを最後に、私は青の国に旅立ったのであった。




