7 たったそれだけの価値観
「エーダ!?」
おかみさんが、目を見開いて、私を見て、後ろの旦那を見て、何を言えばいいのか全く分からないって顔をしている。
「ごめんおかみさん、私達ちょっと目立ちたくないの。中に入れる?」
「いいよ、入っておいで」
おかみさんに聞いたのに、旦那さんが穏やかな声で促してくれたから、私は中に入ろうとして……そうだ、とおかみさんを見た。
「おかみさん、私の部屋、まだ空いてたりする?」
「あ、あんたの部屋は、あんたがずっとお金を払い続けているから空いているけれど……」
「よし。鍵は変わってない?」
「変わらないよ。あんたが帰ってきた時に、使えなかったら意味がないからね」
おかみさんは思考回路が停止しかけている状態で、話している。でも十分に通じるから、私は首から下げていた鍵を、旦那に渡した。
「そこの建物の、二階の突き当りが、私の暮らしていた部屋だから、入る気ないならそっちで待ってて」
「わかった。エーダ、手首を貸せ」
「ん、はい」
手首を貸せと言われた私は、素直に旦那に腕を差し出す。旦那は当たり前の仕草で、私の手首の皮膚の薄い所に吸い付いて、赤く鬱血痕を残した。
その鬱血痕が、一瞬白い稲妻を小さく走らせたから、またこの人何か、魔術的な事したな、とすぐに分かった。
「今度は何したの?」
「護身用の印だ。お前が助けを求めた瞬間に、こちらに作動し、お前がいる場所に転移できるようにした。お前自身が戦えないとなったら、水神の雷結界が作動する」
「またとんでもない物つけたね」
「古代文献から復元したばかりだ。雷結界の威力はまだ調べきっていない」
「そっか。じゃあそれが作動しない事を祈るよ」
そんなやり取りをして、旦那は積もる話もあるだろう、と私の部屋の方に去っていった。
そして、それをずっと見ていたおかみさんと旦那さんは、呆気にとられた様子だった。
「どうしました?」
「……彼は誰なんだい」
「私の旦那です」
「エーダ!? あんた、嫁に行ったのかい!? リリーに何も言わないで!?」
落ち着こうとする旦那さんとは違って、私の答えを聞いて、信じられないって声でおかみさんが言う。
「あんた、そんな子じゃなかったのに!?」
「先に裏切ったのは母さんの方よ」
「リリーが?」
「そ。私に何も言わないで、お見合いとか縁談とか進めてたの。……母さんくらい頭のいい人が、あの学校のその面を知らなかったなんて言わせない」
「その面ってのは何だい」
「お姫様を男から遠ざけて、大量の舞踏会で運命の出会い演出して、卒業と同時に結婚もしくは婚約」
「……リリーはあんたにそんな事をしないよ」
「母さんは生まれついての王族様だよ。母さんの考えは私にはわからない。……それに」
私は旦那との出会いを思い出す。あの時手を引いてくれた人がいなかったら、私はこの世にはもういないという事実がそこにある。
「あの人はね、私の命の恩人で、いくらでも言いたい事を素直に言っていい相手なの。代わりにあっちも、言いたい事私に言うけどね」
それに、と私はおかみさんを見ていった。
「私の感覚だと、やっぱり、結婚は誰かが決めるものじゃなくて、私が決めるものだから、何にも悪い事してる気分にならない」
それを聞いて、おかみさんが頭を抱えた。旦那さんは苦笑いをする。
「一般学校卒業の前に、同時進行でギルドの受付嬢にさせるんじゃなかった……」
「結婚や恋愛に関する感覚が、完全にギルドの荒くれものたちのそれだね、エーダ……」
「身近なのがギルドの人達だったから、それは仕方ないと思う。……おかみさん、私ロッテちゃんが寝込んでるって聞いたんだけど」
「あんたが黙ってどっかに行ったりするからだよ。何も言わないでいなくなったって悲しんでるのさ。ちょっと呼んでくるよ。あんたがいるならすぐに具合もよくなる」
おかみさんがそう言って、ロッテちゃんの部屋の方に向い、すぐに戻ってくる。
「完全に寝てたから、明日にしよう。明日、しっかりあんたの旦那にも、あんたと結婚する云々に対しての話をしようかね」
「なんで?」
「あんたがいくらべたぼれでも、あっちは打算があるかもしれないだろ」
「うーん……あっちの方がべたぼれだと思う」
「その根拠はどこにあるんだい……無駄に自信たっぷりな気がするんだけど」
「これまでのあれこれから」
私がさっくりと言うと、おかみさんはまた頭を抱えた。旦那さんはそんな私をしげしげと観察した様子で、こう言った。
「エーダがただのいい子じゃなくなったな、女の子らしい感情がいくつも見えるようになったよ、安心した。彼はエーダをちゃんと、人間の女の子にしてくれたんだね」




