23 高らかに告げろ、
雨の音がする。くっきりとした輪郭の音は、ざあざあと降っている音だった。
その中で、あの男が雨ざらしになって立ち続けている。
背中を向けた男の姿から、感情とか思いは読み取れない。
雨が一層強くなる。稲光が雲の間で、今にも落ちてきそうな凶暴さをはらんで走っている。
男が上を向く。持っていた金属製の豪華な装飾の、重たそうな杖を掲げる。
雷が鳴っているのに、金属の棒を頭上高く掲げるなんて命知らずどころか大馬鹿野郎で、そして。
雷が、立て続けに男に向って降り注ぐ。男は度重なる稲妻を体に受け続けて、煙を上げていた。
生贄、という言葉が頭の中で響き渡る。あれを、止めなくちゃ。
電が神の怒りだって言うのは、割合どこでも共通する事で、私でもあのすさまじい轟音を響かせて空を切り裂くそれが、神の怒りを表しているって分かった。
それをしなければ、神の怒りをやわらげられないのだとしても、それでも、私は。
私は立ち尽くしていた場所から走り出す。
走り出して、砂に足をとられて盛大に転がって……、跳ね起きた。
「っ!!」
心臓がすごい勢いで動いている。汗がつうっと額を垂れた。今の夢は、何?
私の頭の中だけで、作り出したとは思えないくらい、現実味を伴うその夢は、血の気が引くほど事実のように思えたのだ。
「今、どうなって、雨乞いの儀式は」
私は震えた声で独り言をつぶやきつつ、何とか寝かせられていた寝台から下りた。
私の最後の記憶は、あの男に対して怒鳴ろうとして、その目を真正面から見て、あの男の目がなんかよく分からない模様を光らせて終わっている。
あの男が、何かしたのは間違いない事だった。眠らせたとかそういうのだろう。
「あの人……邪魔されるって分かったから、寝かせたな」
あの説明を聞いて、私は瞬間湯沸かし器みたいに怒って、怒鳴ろうとしたのだ。
【この砂漠の王は、水神の枯れ井戸で、水神の怒りたる電を、水神の気が済むまで打たれる。それが雨乞いだ。神の怒りをなだめ、雨を求める儀式だ】
そう、あの男は言いきったのだ。まさに命がけどころか、一回でも成功するかわからないような、命がけの行為としか言いようがなくて、命をどぶに捨てているくらい無謀な儀式にしか思えなかった。
だからやめろ、と怒鳴ろうとしたのだ。でもそれは、眠らされたからできなかった。
今は一体いつなんだ。雨乞いは明日だって言った、もう明日になった、それともまだ間に合う?
立ち上がってすぐに窓を開ける。明け方の光が空を満たしているわけじゃなくて、今にも暴れだしそうな分厚い雲が、空を覆っていたから、時間が分からなかった。
でも、数週間暮らしたからぎりぎりわかる、まだ朝だっていう感じの空気の冷たさと、男がここにいないっていう事実から、まだ儀式は終わっていないって判断がついた。
立ち上がってすぐに、窓の外を見る。運がいいのか悪いのか、窓の向こうの、城の正門だろう場所が遠目に見えて、そこに、誰よりも目立つ男が何かしている。
上位神官だろう身なりの人たちと話している。長老だろう年寄が、彼を見ている。
「あそこか」
私はそこまでの通路がわからなかった。でも、そこに行く一番近い通り道を、走るだけの技術は持っていた。
こんな所で、昔ギルドで鍛える事になった身の軽さを、使えるなんて運がいいのかなんなのか。
私はすぐ、窓から飛び降りた。飛び降りて、レンガ造りの足場になりうるでっぱりに着地する。それから、私は全速力で、正門まで、屋根だの排水溝の出っ張りだの、窓の枠だのを足場に走ったわけである。
まさかそんな所を、普通の女の子にしか見えなかった私が、走れるなんてあの男だって、誰だって思いつかないだろう。そんな事が出来るなんて、誰にも言った事がないし、見せた事はもっとないんだから。
そんな調子で飛び移ったり走ったりし続けて、正門前までたどり着く。正門の前の扉はしっかりと閉ざされていて、そこを守る兵士たちに話しかける時間が惜しかった。
……いけそう。
私は正門の高さを目算して、兵士たちの死角になる位置から、せーのっと、跳びあがった。
跳びあがって、正門の中間の高さにしがみつき、でっぱりだのなんだのを手掛かり足掛かりにして、這い上る。
そうしててっぺんまで登って、見回りの兵士たちがいきなりよじ登ってきた私に、ぎょっとして走って来るのを目の端に見ながら、私は男が神官たちと話しているその場に、飛び降りたのだった。
「待ってよ!!」
着地に少し失敗した。そのせいで足をひねったか何かしたみたいで、痛かったけど、私は男に向って大声を出した。
男を正面から見ないように、やや下を見てうつむいていた神官たちも、長老たちも、こっちを見て呆気にとられた顔になる。
私はその向こうで、絶対に呆れているだろう男の方へ、足を引きずりながら近づいて、えい、と顔をあげて、固まっている神官の数人を押しやって、男の正面に立った。
「よくもまあ、あんな真似をしてくれたね! 卑怯でしょ!!」
「丸二日は寝入る術だったはずだが」
男は解せない、という顔をしてそんな事を言った。やっぱり私の邪魔が入らないようにして、全部終わらせるつもりだったんだ。
「知るかそんなもん!」
「その前にお前はずいぶん身軽に跳びあがるな。正門の高さをよくもまあ、あんな軽々と飛び降りられる物だ」
「子供時代に色々訓練したのよ! 私は女だからね、力じゃ男に勝てないでしょ、だから速度とか回避能力とかで、男と渡り合えるようにしたのよ。……って話をそらさないでよ! あなた何してんの? 馬鹿なの? なんであなただけが、命がけで雷だのなんだのを受けなくちゃいけないの!!」
「前にも話しただろう。俺は贄であり、この国の王だからだ」
「あなた一人に、痛いのも辛いのも苦しいのも、全部背負わせて、維持される国って何なのよ! それにあなた、色んな人から怖がられて! そんな人生でいいの!?」
「それが、王になると手をあげた結果だからな、きちんと受け止めるだけだろう」
「こ、この……このくそったれ自己犠牲精神卑屈野郎!!」
「そこまで言われるのは初めてだな、新鮮だ」
ぎゃんぎゃんと怒鳴る私。王は呆気にとられつつも対応している。眼の隅では他の人たちが、信じられない生き物を見る目で、私を見ているのが伝わってきた。
皆が怖い人に対して、こうもぎゃあぎゃあと威嚇する烏みたいに騒ぐ人、いなかったんだろうな。
それはさておき。
私は思いっきり男を睨み付けて、こう言った。
「あなた、どうしても、神の怒りを受けるつもりなの」
「そうだ」
「私が何て言っても? 止めても?」
「当たり前だろう」
「それが当り前じゃないから言ってるんだけど」
この調子じゃ、この男は絶対に儀式を辞めようとしないだろう。それで国や人々や大陸を守れるんだったら、やると決めている瞳をしていた。
でも。
私は。
「その儀式、これからは私も半分背負うから」
この男を、一人にはさせない。
男が、神官達が、長老達が、私以外の全員が、仰天したのが、肌感覚で伝わってきた。
男は表情筋のあまり働かない顔の中で、目を見開いている。
「馬鹿を言うな、死ぬほどだぞ」
「死ぬほど? あなた死んでないじゃない」
「俺は人並み外れて頑強だ」
「あら奇遇だ。私も人並み以上に頑丈だよ」
「お前が請け負うものではない」
「私に、辛い事旦那一人に全部背負わせて、黙って笑ってろっていうわけ? 冗談じゃないんだけど。あなたが私を妻だと言ったんでしょう。妻っていうのはね、旦那と運命共同体なのよ。全部半分ずつ分け合う相手なのよ。だからあなたの背負ってる面倒で痛くて辛くて苦しい物も、半分は私のものなの」
「お前にそんな物をあえて背負わせるつもりはない」
男が、言い聞かせるように私に言う。そんな事構うものか。
「神の怒りって奴を、私もこれから引き受けるって決めたの!! それであなたの痛みを半分ましにできるなら、死にかけたってかまいやしないのよ! あなたを一人で苦しませやしないから!! 私はね」
私は大きく息を吸った。
「あなたを嫌いになりたくないの。男女のあれこれとか好きとか嫌いとか、自分に当てはめて理解できる生活してこなかったけど。好きだから嫌いになりたくないの。嫌いになりたくないから、あなたの辛いのを、半分持つって決めたの」
男が心底理解しがたいという顔で、私を見つめている。
それをいい事に、私は空に向かって顔を向けて、吼えた。
「神様、いらっしゃるなら、これからは雨乞いの儀式を私も引き受けます!!」
「馬鹿、神に誓ってはならない!」
「うるさい、させたくなかったなら、私に嫌われるように動いてりゃよかったんでしょ!」
「そういう話ではないだろう、神に誓えば逃げられないのだぞ!」
「逃げる気はさらっさらない!」
「お前は何も知らないから言えるのだ! 俺が王になるまでの二年の間に、どれだけ王になった者たちが神の怒りに耐えられずに死んだか、知らないだろう!」
「知らないわよ、だーれも教えてくれなかったから!」
「エーダ!」
男が思いっきり怒りに身を任せた調子で、怒鳴って私の胸ぐらをつかんで、私も上等だと相手の首に巻いている儀礼用の布をひっつかんだその時だった。
びちゃん、と空から大粒の水滴が落ちてきたのは。
「は?」
「今水降ってこなかった?」
男も私もびっくりしすぎて、怒鳴り合いが中断されて、空を見上げる。見上げた空から、最初の一滴を皮切りにしたように、分厚く暗い色の雲から、びちゃびちゃと雨が降ってきたのだ。
それから、男なのか女なのかも、わからない響きの、大笑いする声も聞こえ始める。
「……何?」
雨乞いしてないのに、こんなに盛大に雨が降るわけ……? と思った私とは裏腹に、男は信じられないと空を見上げている。
大笑いは延々と響き続けて、そして笑い止んだ声で、何者かが言った。
≪王ヨ。今我ガ怒リハ 解ケタ。中々 面白イ夫婦ダナ。オ前ノ体ガ崩レル前ニ 出会イ 愛シ愛サレル者ガ 現レタ時 歪ム祝福ハ 正サレル≫
我が怒り、という事は、この声は水神の声なのか。確かに人の声にも、何かの魔物の声にも思えないほど、不思議な声をしているのは明らかだった。
≪我ガ愛シ子ノ 歪マセタ祝福ハ ソレヲ上回ル 愛ガナケレバ 正サレヌ物ダッタ。今ソレハ正サレタ≫
神の寵児が水神の何かを歪ませたから、雨乞いはこんな形になったと言いたげだった。
そしてそれが、元通りになるには、神の寵児の何かよりも、愛と呼ばれるものが上回らなくちゃいけなかったらしい。
……私この男の事、そんなに愛してたんだ、と他人から説明を受けたような変な気分だった。
≪我ハ大地ニ 失ワレタ恵ヲ再ビ与エヨウ≫
そう言って、声は完全に消え去った。その代わりに、降っている土砂降りの雨が、虹色の光をまとって降ってくるようになった。
空を呆気にとられて眺めていた私と、男は、そこでお互いに掴みあっていた手を離した。
他の、この場所にいた人達は皆額づいて、泣いている。
「……もう、あなたが雨乞いをしなくていいって事かな……?」
「だろうな……」
そんな事を言いあっていた時、男がいろんな感情に支配されたのか、私をぎゅうぎゅうに抱きしめ始めた。
いや、力が強い、つぶれる、つぶれる! と思ったけれど、彼が小さな声で
「惚れなおした」
何て言う物だから、私は口元がもごもごする以外に、何もできなかったのだった。




