14 とれる釣り合い
彼女たちが去っていって、部屋は一気に静かになった。
静かになった途端に、現金な事にどっと疲れがのしかかってきて、瞼が重くなってきた。
確かにこの状況で、ぐうぐうと寝るのはあまりにも危機意識が薄いって事になる。寝起きのシャルロッテくらい、危機感がない事になってしまう。
分かっている、でもすごく、ものすごく、眠い……
眠ったらまずい、という意識を総動員させて、私は手の甲をつねって、なんとか眠らないように必死に足掻いた。
重たいドレスを脱いで、今着ているさらさらとしている寝間着は、さっき女の人たちが用意してくれたものだけど、本当はもっと肉感的な女性が着るものなんだろう。胸のあたりのすかすかした感じとか、おしりのあたりの足りない感じとかから察するにね。
でも着心地はすごくいい。お姫様仕様の下着よりずっと柔らかくて気持ちがいい。
そんなすごくいい物を着ている事もあって、眠気がすごい。
座っている寝台に、体を預けたらすぐに夢の世界に旅立っちゃいそうな感じがする。
私の必死の抵抗とは裏腹に、体は左右に揺れているし、瞼は落ちてそれをこじ開けて、の繰り返しだ。
でも今眠ったらまずい、女の人たちはあの男が、早々に手を出すって思っているくらいだから、その可能性は十分にあるわけだ。
どんな人間だって、寝ている間に体を好き勝手されるとか、気持ち悪い以外の何でもない。
「うう……」
今日一日というか、私は一体どれだけ、あのお姫様学校で気を張り続けていたんだろう。
それらから解放されたからなのか、息のしやすさが段違いで、今まで見ないようにしていた疲労って言う奴が爪を立てて、体が眠れと訴えて来る。
寝台だから問題なのか? そうなのか?
私はそんな事を思って、ちょっとふらつく体で立ち上がった。立ち上がった途端に、眠気で倒れ込みそうになるが、意地で足を踏ん張って、ふらふらと、部屋の隅の、クッションが置かれている場所に移動する。
そのあたりには、書物とかが置かれているから、そういう空間なんだろう。
クッションに座ると、ふんわりしてて……だめだこれでも眠くなる。
ならいっそ直立するか?
だんだん理屈がおかしくなっている、とどこかで突っ込む頭の中で、私はもう一回立ち上がって……足に裏切られた。
もう寝たい、休息したいという体は、数歩歩こうとしただけで、思いっきりよろめいて、あ、受け身取れない、床に直撃、と衝撃に身構えた私は、しかし。
「何をしているんだ」
そんな声と一緒に、また何かに受け止められたのだ。私は数回目を瞬かせて、それが誰かの胸であると気付き、眠い頭で根性を振り絞って、顔をあげて、呆れたような空気を漂わせている、無表情な人と目が合った。
超高温で融けた結果、流動性がある黄金、みたいな瞳が、私を見下ろしている。
「……あー」
もうだめだ、落ちる。
何か言おうとしたのに、それすらできなくて、私の意識はぶっつりと途切れた。
何かが私をなぞっている。それは変な意味のない感じで服の上から行われていて、それの優しい感じは、またいっそう私を眠くさせる。
これは安全だ、と私の中の何かがそう思わせるのは、どうしてだろう。
眠い。
もうしばらく、眠っていたい、あまりにも、あまりにも疲れている。
一瞬浮上した意識は、すぐまた、泥のような眠気に負けて、溶けていった。
「……あー?」
目を開けたら見覚えのない天蓋の中にいて、いったい自分はどうしたのだと思うのは、何らおかしい事じゃないだろう。
何度か目を開閉させて、回らない頭を回そうとして見る。ここは一体どこだろう。
そんな、冒険者とかが野営していたら致命的な思考回路を、私は無理やり通常通りまで引っ張り上げた。
母さんが見つかるまでの日常生活の中で、私に二度寝は許されていなかったから、それはまあ、そこまで難しい事じゃなかった。
強制的に頭を叩き起こして、体を起こす。するりと体の上にかけられていた上掛けが、寝間着の上を滑って落ちていく。この上掛けすごい手触りのいいやつだ。もしかして、絹とか……?
うっかりそんな事に気をとられて、それを手のひらで撫でてから、いいやそんな事気にしている状況じゃない、と私はあたりを見回した。
あの部屋だった。そう、あの男が連れてきた部屋で、見覚えのある調度品が置かれている。
ただ私が、寝台の上に寝ていただけで……ん!?
自分の体を急いで確認する。女の人たちに着替えさせてもらった時のままで、何かその後いじられた形跡はない。
その事に、すごく安心して、大きく息を吐きだした。
私の生まれ育った価値観として、寝ている間に全て終わっていたとか、本当にぞっとする事だったから。
にしても、ええっと、どこまで記憶があるんだ。
ここに至るまでの事を思い出せないか、と色々頭の中身を調べて行って、やたら眠くなって、転んだところまでは覚えていた。
あの男に、支えられたところは、ぎりぎり覚えている。
その後の事を一切覚えていないから、たぶんそのあたりで寝落ちしたんだろう。
「寝落ちした女を寝台で寝かせる程度には、まともな人格か」
私はそう判断した。これからって時に、それが出来なくなった女の人相手に、怒り狂う男というのは一定数いると、ギルドで受付嬢をしていれば、嫌と言うほど実感する。
ギルドの男連中って、そういうお店のあれこれとか、女の人の具合とか、あけすけに語る人も多かったのだ。
その時に、いざって時にできなくなった女の人に対して、違約金をびっくりするくらい支払わせる話とかも聞いたし、普通のカップルでも、今この流れだったのに! って時に無理になって、それで関係が崩壊するって話もあった。
だから、寝落ちした、これから手を出そうと考えていた女、という相手を寝かせられる人って、けっこう人格が出来ていると言っていいのだ。
あの男は、強引な所もあるし、理解できない箇所も多いけれど、まともな人格形成はしているようである。
「ずいぶんな言いようだな」
「いろんな人生を脇で眺めると、そういう事にもなるの。……ってあれ」
誰かが茶化すような声で言う事に、返事を返してから、何で返事が返ってきたんだ、とそっちを見て、私は声にならない声を上げた。
多分、人間の悲鳴じゃない音だった。蛙が潰れた音よりも変な音が、自分の喉から出て来るなんて思ってもみなかったから、二重の意味でびっくりした。
その音が喉から飛び出すと同時に、変にそこから飛び出そうとして、上掛けに足をとられて転びそうになった私は、また胴体を抱えられた。
「お前は転ぶのが趣味なのか」
「そんな趣味は、欲しくない!」
私をここに連れてきた男が、同じ布団に寝そべって、巻物式の書物を眺めていたから、びっくりしてこんな事になったのだ。
胴体を支えていた手が、私を寝台の上に引き寄せて、するりと離れる。
「お前はよほど消耗していたらしいな」
「……いったいどれくらい寝ていたのか、知っている?」
「丸一日だ。今はお前を連れて来てから二日目の夜だぞ」
「うそ、なんでそんなに寝てたのに、起こしてくれなかったの!?」
「ゆすり起こしたが、そのまま起こすのがためらわれるほど、幸せそうな顔ですり寄ってきたからな。そのまま寝かせておいた」
「冗談言ってる? 私誰かにゆすぶられて、起きなかった事なんて一度もなかったんだけど」
私が目を丸くして、信じられなさ過ぎて問いかけると、彼は巻物に視線をやったまま言う。
「その薄すぎる胴回りになるほど、消耗していたという話だろう」
「私の胴回り薄いの」
「このあたりの女たちと比べても薄いぞ、中身が詰まっていないと感じるほどだ」
男の手が私を見る事もしないで、すっと私のお腹に触れた。
「俺は疲れ果ててやつれた女を抱く趣味はない」
触れた指先は、爪の先程度だったのに、妙にどきりとする体温だった。
触らないで、と言おうとした私は、彼が緩やかな、優美とさえ称せそうな仕草でこっちを見たから、言葉が引っ込んだ。
思いもしないほどの、高温と、湿度と、それから何かもっととんでもない物が融けている黄金の目が、私をやや睨むような、それでいて遊ぶような視線で見ている。
「肥えさせるぞ、覚悟しろ」
「……いや、太っちゃったら見栄え悪いじゃない」
「そのがりがりの骨と皮で何をいう」
「骨と皮じゃないわよ! 失礼すぎないかな!?」
私はその言い方に腹が立ったから、ぐいっと袖を肩までまくって、ずいっと彼に近付けた。
「肉あるわよ! 骨と皮じゃない!」
近付けられた彼は、静かに私の二の腕を眺めて、書物を持っていた片手を離して、ぐいと遠慮なんて欠片もなく、二の腕の肉を掴んだのだ。
「いってぇ!」
遠慮が全くない! と思ったくらいの力で、掴まれて叫ぶと、彼は力を少し弱めて、ぐいぐいと掴み、呆れたと言いたげに言う。
「これはほぼ皮だぞ」
「筋肉あるって!」
「これを筋肉があるとは言わん」
筋肉と言いたいならもっと食って鍛えろ、とかすかに笑い声を含ませて、彼が言う。
「あなたと比べたらそりゃあ誰でも、骨と皮でしょう」
仕方のない奴だ、と言いたそうな、その声が私の耳がおかしいのか、愛しげと言ってもいいくらいの音だったから、あんまり強く文句をそれ以上言えなくて、結局そんな反論しか出来なくなった。
それから……相手は一国の王様で、あんまりにも遠慮しないで色々言い過ぎた事に、遅れながら気が付いた私は、血の気が引く思いだった。
これで機嫌を損ねられたらどうしよう。外に追い出されるなら、地図とか黄金の雄牛亭の提携ギルドの場所とか、聞けるとその後色々楽なんだけど、と意識が回った。
「やつれて白くなっては赤くなったと思えば青くなって、お前は忙しいな」
「……腹立たないの、私色々遠慮しないで言ったけど」
彼は一かけらも機嫌を損ねた様子がなかったから、勇気を出して問いかけると、彼は声を変える事もなく言った。
「俺は言いたい事を言う。お前は言いたい事を言う。それで釣り合いが取れているなら問題はあるまい」
「王様でしょ、あなたは」
「お前はその王が、直々にこれだと選んだ妻だ」
「妻じゃないわよ」
否定は力が欠片もなくて、説得力も弱すぎる口調にしかならなかった。なんで、私、こんなに否定が出来ないんだろう。
どうして、彼が私を妻だというたびに、顔が熱くなって、耳まで真っ赤になっている感じがするんだろう。
いろんなものが私の考えている物を越えていて、処理できないだけ?
そんな事を思った時だ。
彼の、私の二の腕を掴んでいた手が離れて、私の顎が片手で簡単に掴まれて、かなり強引に引き寄せられた。
彼の目と、私の目がお互いを映す。彼の眼の中の私は、顔が赤くて恥じらっていて……うそでしょ、こんな状態の女の子って、履いて捨てるほど見た事あるわよ……好きな人を前にした表情をとっていた。
この面で、妻にならないとかなんだかんだ言っても、そりゃ説得力皆無だ……と納得するほど、私の顔は、表情は、私が知らなかった、好きな人を見る面だった。
私こんな顔できたんだ……と思ったくらいに、驚くべき表情だった。
「さっさと俺が堕ちた場所まで、堕ちて来い。エーダ」
色々衝撃を受けて、言葉も出て来なくなっている私に、耳に入ったら鼓膜に染み付きそうな粘度の声で、彼が楽しそうに聞こえる声で、私に囁いた。
その声に引きずられるように、私が目を伏せると、彼がそのまま体を曲げて……扉が叩かれる音が響いた。
「王。食事の用意が整いました」
「今行く」
男が私から手を離す。体勢が崩れた私に、頬を軽く合わせて、一瞬だけ匂いを交わらせて、彼が言った。
「食事はとれるな」
「……たぶん」
そう言われてやっと、私はものすごくお腹が空いているっていう自分に気が付いた。




