12 手始めに脱走
肩を抱かれて、男の人と会場の外に出る。外の月は一週間前よりも丸くなっていて、大きかった。星明りが、月の光で弱まっていると感じるほどに。
会場の外に出て、周りに誰もいない事を感じ取って、私は大きく息を吐きだした。あれだけの人がいる場所で、踊ったのは考えていた以上に、今の私を消耗させる事だったみたいだ。
「気分はどうだ」
静かな声だった。深く静かで、それでいて大嵐の前触れのように激しい何かが腹の中にいる。
その人の声はそんな音を集めたような印象だった。
これは、普通の令嬢や姫君だったら、泣いて怯えるな、となんとなくこの学校に来てからのお姫様の印象として、判断してしまう。
それだけ人から怯えられる人が、ここに何の用事だったんだろう。誰かの付きあいとかだろうか、それが一番あり得そうだ。
「少しよくなりました、ありがとうございます。あなたのおかげで、速やかに外に出られました」
そう。私の衣装が高級な事を見て取って、たぶん持参金目当てだろう、声をかけようとした男の人たちは、私の手にかかる彼の手と、彼の背後からでも伝わる圧に手も声も引っ込めて、そのおかげでこんなに早く、手間取る事もなく、外に出られたわけだった。
素直にお礼を言うと、彼はかすかに唇を緩めた。
それまで表情はまったく変わらなかったから、それはすごい変化に思えた。
「あなたのおかげ、か。人けのない場所で、俺がお前を害する可能性を少しも考えなかったのか」
「だって」
彼の言葉に対して、私はその時とても素直に、こう言ってしまった。
「逃がしてくれるんでしょ、一週間前にあなたはそう言った」
それを聞いて、彼が少しばかり驚いたような表情をとった。
数滴程度の変わり方だったけれど、近くで見る事になっていた私には、それがよく見えたのだ。彼が口を開く。
「いつ気が付いた」
「手と肌の匂いから、かな」
「犬かお前は」
「鼻は割と敏感な方なの」
そう。この人は、一週間前の月のある夜、私の生活する塔で、壊れた窓から落っこちていった私を、引っ張り上げてくれた人だった。
気付いたのは、彼が若干私の肩を抱くように、距離を近づけて、外に連れ出してくれている途中での事だ。
その時に、鼻をかすめた手のひらの匂いと、服からか肌からか香った、ふわりとした物が、記憶の中にかろうじて引っかかっていた物と、合致したのだ。
それに気が付いたから、私は大人しく彼と会場の外に出たわけだった。
「一度ならず二度までも、助けてくれてありがとう」
私が笑って彼を見上げると、彼は私をじっと見ていた。何かを推し量っているような視線は、普通だったら間違いなく、居心地が悪い視線だろう。
私はその視線がくすぐったく感じていた。どうしてかはわからないけれど。
そして、ふっ、と笑ったのだ。
「素直で愛らしいな」
「それ、犬繋がり?」
「犬扱いがお好みか?」
「まさか。ちゃんと人間扱いしてよ」
相手の皮肉に似た物に返すと、おかしかったのか彼がくつくつと喉の奥で笑った。
笑った後、彼の体が傾いて、ずい、と私に近付いた。他人が見たら親密な接触に見えるだろう、距離の詰め方だ。
身を引く前に、腰に大きな手が添えられていて、下がる事も許されない。
「逃げる気持ちは変わらないか」
その距離に私はどきりとした。私の内側の悩みまで、見透かしそうな視線と、息がかかりそうな位置にある彼の顔は、一般的お姫様が泣いて嫌がるものだろうに。
これを、いいな、と思う私は、どうしてそう思うんだろう。
そんな内心を誤魔化すように、唇を舐めて問いかける。
「あなたの方こそ、大丈夫なの? お姫様学校から、お姫様を外に逃がしちゃったりなんかして」
「問いに対して問で返すな。そうだな、一人、できの悪い娘がいなくなったところで、ここはたいして騒がん。……なるほど、お前もこの学校の、裏の顔を知らぬのだな」
「裏の顔?」
その意味ありげな言葉に、興味をひかれたって通じたんだろう。彼が信じられない事を話し出す。
「ここは令嬢や姫君の檻だ。親や保護者の都合の元、秘密裏に婚姻契約が決められ、頻繁に行われる舞踏会で運命の出会いを演出され、檻から相手のもとに連れ出されていく」
「保護者は皆それを知っているの?」
彼の言葉は事実だろう。そう考えると実にしっくりくる環境だから。
同じような姫君の立場にいる少女が大量に集められている学校で、男子はほとんど接しない。
そして年中行事として、すごくたくさん存在する舞踏会。
卒業と同時に結婚や正式な婚約をするお姫様たちばかり。
彼の言葉は、それがどういう事なのか、裏付けているように思えたのだ。
男の人からすれば、お姫様が憧れる、運命の出会いのように、舞踏会で出会う事なんてたやすかろう。
でも、そんなにも、お姫様の意思を尊重しないで、結婚を決める親ばかりなのか。
私の当たり前の疑問に対しても、彼は答えを持っていた。
「知らぬ親もそれなりにいる。純粋に、娘が洗練されて帰ってくると信じている親の、娘に対しては、学校もその通りで済ませるからな」
「私に話しちゃってよかったの、それを」
「連れ出す娘に話してもかまうまい」
「連れ出すの決定系なんだ」
「ここまで教えて、校内に解き放つわけもないだろう」
「確かに、お姫様にとって都合の悪い話だものね」
「単純で結構だ」
また褒めてないよな、と思う事を言う彼が、二度目に問いかけて来る。
「で、返事はどうだ。俺に連れ出されるか、否か」
「……」
私の脳裏に浮かんだのは、一生懸命に色々やってくれた、シャルロッテの事だった。
あの子に、一言も言わないで、ここから逃げだして、いいんだろうかって思ったのだ。
思って思って……やっぱり無理、と口を開く。
「……あなたのお誘いは、とてもうれしいし、魅力的だよ」
「返事になっていないぞ」
「あ、あのね」
逃がしてくれる、ここから連れ出してくれる、という、喉から手が出るほど欲しかったお誘いを断ろうとして、私は一生懸命に、言葉を探して口から吐き出す。
「もともとは、同じ立場だった幼馴染が、今、侍女として一緒なの」
「その子は、いっぱい、気遣ってくれたの」
「それに、母さんの期待を裏切る事も、出来ないの」
「だから、あの、あのね」
「エーダ」
さっきまでの声とは全然違う、湿度のある熱くて焼けそうな声で呼びかけられて、私はどの温度と湿度に、目を見開いた。
「お前は他人の事ばかりだ。自分の望みは一かけらもないのか」
と。
考える事すらなかった物を言われて、私は息をのんで固まっている事しかできない。
わたしの、のぞみ?
「お前はいなくなったところで、学校側は”一目ぼれした殿方に付いて行ってしまった令嬢”が一人いた、というだけの扱いをする。この学校ではよくある話として片付けられて終わりだ。安心しろ。お前の大事な友人は、安全にここから自宅へ帰されるだけだ」
「……」
彼の言葉はさらに続く。
「お前が擦り切れて壊れてまで、友人と母親を気遣う理由はどこにある」
「……」
彼の質問に、答える言葉を何も持ってない自分に気付かされた。
そうだ。
私がこんなにおかしくなってまで、この学校に通う意味って何だろう。
そうしてまで、ここで学びたい事って私はあるの?
私が我慢しまくって、それで。
ほんの数週間ちょっとで、心も体も耐えきれなくなっているのに、まだここで踏ん張ろうとする理由はどこに?
「お前がこの誘いに乗らなければ、二年はここに留まる事になるぞ。その間に正気を手放す予定でもあるのか」
彼の言葉に、私は見ないようにしていた事実を突きつけられた。
そうだ、逃げないで踏ん張ったら、あと二年は、ここで、厭味と嫌がらせと嘲弄を浴び続ける事の方が可能性として高い。
とてつもなく、私が彼女たちを見返す事があれば話は、別だろうけれども。
いやだ、むり、と心の中の弱い場所が、叫び散らかした。
私はそれまで、じっと彼の双眸を見ていた目を、伏せた。いろんな事が、頭を回った。
「ギルドでは、戦略的撤退を推奨する」
私は、いつだったか、命知らずな冒険者の人に、自分がそう言って言い聞かせた事を、どうしてかここで思い出した。
「自分が保てないとわかっているにもかかわらず、意地を張るのは、賢いとは言えない」
いつかは忘れたけれど、私はその人達に、偉そうにそう説教した事があった。
そんな彼等と、今の私と、違いは一体どこにあるというのだ。
誰かのためは立派だ。でも。
「エーダ。お前の望みをここで告げろ」
考え込んだ私は、静かに言われた言葉に、弾けたように顔をあげた。
それを私に言っているこの人は、何を選んでも、きっと馬鹿にしたり笑ったりしない。
私は、望みを、口にしてもいいのだ。
「連れて行って。ここから逃がして」
シャルロッテに何も言わない方が、何も知らないを突き通せるから、あの子にとっても安全だ。そんな打算も、かすかに頭に残っていた。
「嘘偽りはないな」
「ない」
「安心しろ、苦労と不自由はさせん」
彼がそう言い切った時、足元がでたらめに明滅して、私はぎょっとして彼にしがみついた。
私の知識が正しければ、これは古代の転移魔法という、とてつもなく高度で、大量の魔力を使用する、使用者に著しい負担をかける術だった。
「あなた、これを使えるの」
「これくらいはな、軽い」
にやり、と不敵な笑みを見せてきた彼が、私を自分のマントで覆うように抱え込み、術が行使される最後の文字を、唱えた。
そして、私はたった二週間で、お姫様学校から、逃げ出す事になったのだった。




