9 劇物注意
「エーダちゃん!! しっかりして!! こんな所で寝ちゃだめだよ!! 何処でも寝られるからって不精しちゃだめ!!」
「……ふぁ? あれ、……ロッテちゃん……?」
気付くと私は、シャルロッテに肩を揺さぶられて、窓枠に頭を乗せて眠っていたみたいだ。
変な体勢で寝ていたからか、体が地味に痛い。関節とかそういう場所がね。
「なんでいるの……? 階段を登らなくっていいって言ったのに」
「エーダちゃんが授業に出てないって、教室で気付いたから探しに来たの! ああ、よかった……熱とかで寝込んでたらどうしようって思ったんだから!」
「……ああ、うん……」
「エーダちゃん本当に大丈夫? なんだかいつもよりぼうっとしてるよ? やっぱり少し体調が悪い? 先生にはお休みするって言う?」
シャルロッテが気遣う事を言う、でもたった一週間程度で、音を上げて寝込んだりしたら、そんなの向こうの思うつぼのようにも思えて、私は立ち上がった。
「月がきれいだから見てて、寝ちゃったみたい。気にしないで」
「本当に?」
「本当だって」
言いつつ私は、一週間ぶりくらいにたっぷり寝られたからか、すっきりした頭で笑った。
「授業はどうなるの?」
「まだ始まってないよ! 急ごう!」
「そうだね」
シャルロッテが何度も、私に大丈夫か確認してくるから、私は笑って手をぶんぶん動かして、大丈夫って事にして、彼女の後を追いかけて、長い階段を駆け下りた。
「皆様にお伝えする事があります」
ぎりぎり滑り込みで、私達は何とか教室に入り、そっと一番後ろの席に座った。またくすくすひそひそとやられたものの、頭がはっきりしているからか、それなんかどうでもいいような気がした。
そして滑り込んで数分で、教員が現れて、教員が全員を静かにさせて、本日の連絡を始めた。
「一週間後の週末、皆様が楽しみにしているであろう、初夏の舞踏会が開かれます。いいですか皆様、この初夏の舞踏会はまさに、色々な男性に出会い、今後の将来を決める事になりうる貴重な舞踏会です。この日新たな国交が開かれる事もあります、この日新たな運命が決まる事もあります。皆様は自分が大小問わず姫君である事を自覚し、節度を持って行動してください。自分磨きを怠る事もあってはなりません。この学校に通う令嬢の品位が問われますからね。つきましては放課後に希望者のみ、ダンスの練習を行います。ダンスが久しぶりの方もいらっしゃるでしょう、不安があればどんなに小さくてもかまわないです。参加してください」
言いつつ教員は、私の方を見ている気がした。うん……私一週間の間の運動の授業で、ダンスと言われるモノが壊滅的に駄目だった生徒だから、そんな目で見られるのも仕方ない。
言わせてもらえれば、まともなステップを三種類覚えただけでも評価してほしいっていうのがあるけれど、ダンスはお姫様の大事な社交の道具だから、三種類がかろうじてって言うのはだめなんだろうな。
他の人たちがどうだかなんて知らないけど、私と同じっていう状態の人はまずいないだろう。
お母さんが言っていた事になるけれど、お姫様として生まれたら、歩けるようになるのと同じくらいから、ダンスのステップを覚えるように教育されるらしいし。
それ位の頃から体に染みつかせている人と、いきなり数か月スパルタ状態の私を、同じ土俵に並べてはいけないのだ。
結局の所、このお知らせの半分に、私に放課後の練習を受けなさいって意味があるんだろうな、と何となく察してしまう私だった。
そして放課後、私は渋々だけれども、ダンスの授業で使うポールルームに足を運んだ。
思ったよりも練習したい人がいる。まあ久しぶりで勘が鈍っている人もいるんだろうね。
シャルロッテはどうしているのかと言われると、あの子は私の顔が遠目で見ている時以上にやつれているから、何か体に優しい物を作ると言い切って、侍女仲間の伝手で厨房に向かったらしい。
あの子料理に関してはあんまり、期待できないんだけど、そのやさしさがうれしいから止めなかった。あの子の料理で、顔が歪む事は慣れっこだけど、今までお腹を壊して命に関わるほどの重症になった事はないから、今回も命の危機はないだろう。
危険な材料を使わずに、がっつりと火が通っていれば大丈夫な物だ、人間って言うのは頑丈だからね。
そんな事を思いつつも、私は教員たちの指示の元、ダンスの練習をしている。
組んでいるのは、何と驚き、初日に私が受け止めた可憐なあの子だ。
あの子は聞けば、教員に質問しすぎて、出遅れてしまったんだとか。だから組む相手がいなくて、私というあぶれた奴と組む事になったのだ。
エーデルワイスさんは、ダンスのステップが驚いた事に、私以上に苦手みたいで、四苦八苦しているし、いったい何度私の足の甲は踏みつけられただろう。
これがヒールの高い盛装の靴だったら、骨折れそう。と思っちゃうものがある。女の子自体が軽くてもね、ドレスの重量は容赦なく足に痛みをくわえていくもの、そういう物。
でも延々と同じステップを繰り返していくにつれて、エーデルワイスさんもぎこちなさが抜けていく。うわ、私と違って上達が早い。やっぱりリズムに馴れているって、違うんだなと感心していると、エーデルワイスさんが小さな声で言った。
「あの、エーダさんって、男性のステップ上手なんですね」
「そうかな」
「私、今まで、実家で、その……男の教師の方と組んでいると、べたべた変な所を触られてばかりで、怖くて練習をさぼりがちで……こんなに心穏やかに練習できたの、初めてなんです。だからエーダさんが男性のステップがびっくりするくらい上手だって、わかるんです」
「男性のステップが上手でも、組むのは男性とだから……」
「ふふふ、そうですね」
意外な所を褒められた。まさか男性側のステップが上手とは、思いもしない事だった。
……男性側のステップが上手でも、組むのは男性とだから、あんまり役に立たないんだけど、エーデルワイスさんはほっとした顔で練習を続けている。
実際、彼女はめきめきと上達しているし、ポールルームのたくさんある鏡の中で、彼女の踊りは水際立って整っているように、私の目には映った。
もともとのエーデルワイスさんは、ダンスが好きな方だったんだろう。家庭教師の男性たちが、エーデルワイスさんに卑猥な事をしているせいで、練習がおざなりだっただけでさ。
そんなやり取りをしながら、きゃらきゃらと笑うエーデルワイスさんはシャルロッテと違う方向の可愛さで、ううん、美少女が笑うとこっちまで楽しくなる。
そのため周りがひそひそしていても、あんまり気にならずに、その日の放課後のレッスンは終了した。
「エーダ様、あなたは殿方のステップではなく、女性側のステップをきちんと覚えてくださいませ」
放課後言われたのは、事実として耳に痛い事で、大人しく返事をして、でも組んでくれる人がいないから練習もくそもないな、と心の中で口も悪く言い訳しておいた。
「あの、エーダ様! 一緒にお茶にしませんか? 私、もっとエーダ様とお話がしたいです」
レッスン終了後、この後の時間どうするか、また復習と予習だなと思いつつ、ダンス用の練習着から制服に着替えて更衣室を出ると、私の腕にエーデルワイスさんが手を触れて、上目遣いに聞いてきた。
私はこの一週間、他の誰かとお茶をする心の余裕は、あまりなかったし、お茶は今のちょっと弱っている胃袋に負担をかける、だからやんわりと遠慮しようと思ったのだが、そんな私の気遣いなど関係なく、エーデルワイスさんと私の間に、複数の女子生徒が割って入ってきた。
「エーダ様、このような下品な方とお茶なんて」
「そうですわ、この方は、あなたとは違うのですよ」
「高貴な身の上のエーダ様と、こんな下々から生まれた方が同じ卓でお茶を飲むのは、いけない事なのですよ」
「これは差別でも何でもなく、区別と言われるものなのですよ」
エーダと言われて、一瞬どっちがどっちだかわからなかった物の、庶民生まれは私の方だし、エーデルワイスさんは学園長直々に、素晴らしいと言われたお母さんから生まれた美少女だ。
ついでに言うと、この学園ではお互いに愛称に様をつけて呼び合うため、こんな事も起きるのだ。だから、私もエーダ様。彼女も自己紹介の際には、学園のマナーに基づいて、姓を名乗らず、エーダと名乗っていた。
それはともかく、普通の環境で、私の生まれが明らかになる前だったら間違いなく、高貴な身の上のエーデルワイスさんと、下々育ちの私が同じ卓でお茶を飲むって、あり得ない事だっただろうし、血統を重んじる風潮のある家育ちだったら、一滴でも庶民の血が流れている私は、いくらお母さんがすごい血筋でも、区別したくなるあり得ない女の子だろう。
そこら辺がなんとなくわかっちゃうから、私は反論もする事なく、ああ、その通りだし、と納得して身を引いた。
エーデルワイスさんはもの言いたげに口を開く。
「エーダ様と私は、同じようなものでは……」
「そのようなご冗談はおやめくださいませ」
エーデルワイスさんは一生懸命に自己主張をしたものの、それをやんわりと流されて、少女たちに連れられて、どこかお茶会のための部屋に連れていかれた。
……少なくとも、エーデルワイスさんは素敵な女の子だ。あんな子もいるし、私も色眼鏡だけで、お姫様やお嬢様を見るのは、やめようかな、その方がちゃんと相手が見えるかもしれない。
そんな事を思いつつ、私はシャルロッテが一体何を作り出してしまったかが不安になり、ちょっと速足で厨房に向かう事にしたのだった。
厨房に向かう通路に、何か若干の異臭を感じた。何とも言えない生臭さだけど、生肉の匂いとは違うし、何とも形容しがたい感じの臭いだ。
これ大丈夫だろうか、と思いつつ、私は足を速めて、そして、厨房の出入り口でひやひやした顔をしている、複数の侍女の女の子たちを見つけた。
「あの、大丈夫ですか?」
「あ、エーダ様。今シャルロッテさんが、エーダ様のためにお料理を作っている所なんです」
「皆様不安そうな顔ですよ」
「このような臭いのするお料理を、私達は存じませんので……珍しい異国のお料理でしょうか」
私はそれに対しての答えを持っていない。シャルロッテは何を作りたくてやらかしているのだ。
止めるべきなのかそれとも……と思いつつ、私は意を決して、異臭が一層強い厨房の奥に、足を進めた。
そこでは、シャルロッテが小さなお鍋をかき混ぜている。美少女が真剣な顔で、小さな可愛い大きさのお鍋をかき混ぜているのは、見ただけならとても愛らしい物だろう。
それを臭いが全て裏切っているけれども。
「シャルロッテ、あなた何を作っているの」
「あ、エーダちゃん! 今ね、お腹に優しいパンのミルク粥を作ってるの」
「中身、何か赤黒くない?」
「エーダちゃん、レバー好きでしょ? レバーには栄養がたっぷり詰まってるって、お母さんも断言してたから、すりつぶしてたくさん入れたの!」
「そっかぁ……」
多分この感じだと、結構な量の鳥だか豚だかの肝臓をすりつぶして投入しているだろう。
私の体を案じての結果だ。うん。
文句を言うに言えないなこれ……なんて思いつつ、私は出来るだけ落ち着いた声で言う。
「シャルロッテ……基本に忠実にしてって、いつおかみさんが言っていたでしょう」
「お母さんはそういうけど! 今のエーダちゃんに足りないのは栄養でしょ!!」
悪意はかけらもない、これは後でしっかりと教えなくちゃいけないな、と思いつつ、完成したと言って器に入れられたその、赤黒いなんかぶつぶつした物が浮いている、血なまぐささに似た妙な臭いのするパンのミルク粥を前に、覚悟を決めた。
侍女の不始末は令嬢の不始末と言われるものだから、責任を取って食べなくてはならない。
……火は完全に通っている。だからそういうたぐいの下痢にはならない。
前にシャルロッテの生焼けのなんだかよくわからない物体を食べさせられた時、おかみさんも旦那さんも私も、お腹を壊して悲惨だったけど、あれよりはきっとまし。
私は大きく息を吸い込んで、それを口にした。
それから、意地でそれを器一杯分は食べきって、にこにこ笑うシャルロッテの口に、一匙問答無用で突っ込んだ。
「ぐふ!!」
いきなりの事だったからか、鼻孔を抜ける圧倒的生臭さに似た異臭の結果か、シャルロッテが咳き込む。
咳き込んでいるから背中を撫でて、厨房の料理人さんたちがこそっと
「吐き出してもいい壺だ」
と渡してくれた壺を彼女の口元に差し出し、出来るだけ冷静に言う。
「味見しようね、シャルロッテ」
「ぐふっ、ごほごほっ、げほっ」
シャルロッテは自分の作り出したものが、笑えないほど不味いと理解したんだろう。涙目でこくこくと頷き、私は口をすすぐため水を用意して、彼女は口をすすいで壺に吐き出した。
「ごめんエーダちゃん、げっほっ、これっ、ううっ、まずっ、い……」
「血抜きしてないでしょ」
「血抜き?」
「肝臓には色々下処理がいるの。そのままだとすごく血なまぐさいから、ね。それを怠って、適当な勘で作ると、だいたい惨事を起こすから」
「ごめっ、ううううっ」
「な、泣かないでって!?」
そういえば、こうして問答無用で口に突っ込むの、数年ぶりだったな……自分の料理の腕が何も進化してないとか、地味に悲しくなったのかも。
そんな事を思いつつ、背中を撫でて頭を撫でていた私は、気付かなかった。
侍女の女の子たちが、
「エーダ様が侍女のシャルロッテをいじめて優越感に浸ってる……」
なんて思っていた事に。




