7 疲れ切るのは早かった
礼儀正しいお姫様の通う学校、というきどった肩書を持っていても、結局の所女の子だけが集まる場所というのは、なかなか恐ろしい場所である。
その洗礼を一番初めに受けたのは、何を隠そう初日の授業の前だった。
この学校は、遠方から学びに来る女の子も多い事から、入学式は存在しない。
ただし色々な事を修了したお姫様が、同じ時期に卒業式を迎えるのだ。
卒業式の終わりと同時に、婚約や結婚という人も多いとか。
そんな話を聞かされて、なんだか結局お姫様って、結婚関係の事をしなくちゃ、変な目で見られちゃうんだろうな、と思ってしまったのは仕方がない。
とにかく何が言いたいのかと言うと、入学時期は皆バラバラって事。
そして入った初日に、同じものを学ぶ人達に挨拶をするという事だ。
基礎単元の時に、私と、あのエーダさんは挨拶をしたのだけれど、エーダさんに対するみんなの視線はとても柔らかかったのに、私に対するそれは、はっきり言って異端の存在が、無理やり入ってきたような視線だった。
ここはあなたの来る場所ではない、という感じの視線を、そりゃあもう四方八方から向けられて、さすがにげんなりしてしまった。
確かに、立ち振る舞いとかも洗練されていないわけだし、うっかりすると庶民のそれも、家もちゃんと持っていない階級の女の子の動き方をしてしまう私だけど、一応きちんと入学費用は払っているわけで、ここに来たのはお母さんの勧めの結果で。
ぶっちゃけ能動的にここに来たわけじゃないのよ、と言いたくなるのは仕方がない。
でもそれを言っちゃあおしまいだから、ぐっと飲み込んで私は、空いている席に座ったのだけれども……座った途端に、ぶうう、というかなり大きな音が響いたのだ。
あんまりにもすごい大きな音だったから、爆薬か何かか、とそこを飛びのき、そこが爆発していないからそのたぐいでも火薬でもないと判断して、席のクッションをめくると、そこには悪戯仕掛けの音が鳴る薄いクッションが入れられていた。
……子供だましのおもちゃだったか。ああ、これの類の悪戯、子供の時にシャルロッテと通っていた平民の学校でよくやっているいたずらっ子がいた、懐かしい。
とにかくそれを回収して、周囲を見回すと、皆下を向いてくすくす笑っているものだから、ああこれ皆グルなんだな、と察するものがあった。
それと同時に、この類のちょっと下品な悪戯って、お姫様にとってはとても屈辱なんだろうな、とわかってしまう自分がいた。
お姫様にとって、屁をこくとか、それもこんな大勢の前でそんな事をしてしまうなんて、赤っ恥どころか、引きこもっちゃいたくなる嫌がらせだろう。
こっちからすれば、昔の記憶を思い出す、単純な子供だましで嫌がらせとも言えない事なんだけどね。
これくらいどうって事ないし、何なら命の危険も怪我の可能性もない事なんて、今の私からすれば、気になりもしない。
音の鳴るクッションをそのまま適当に脇に置いて、私は授業を受けようとして、教員の一人が呆れた声でこう言うのに、さすがに反論しようかな、と思ってしまった。
「エーダさん。そのように飛びのくのは行儀が悪いですよ。ああ、みだりに音を立てるのもよろしくありませんね。慎んでください」
「……」
言ってやろうかこの野郎。誰かの悪戯で音が鳴ったわけです、私がただ座っただけでこの音は鳴りません。ついでに言えば、この悪戯をした人の方が品位がない、違いますか、と。
開こうとした口は容赦なく教員に刃向かいそうで、それを察して止めたのはシャルロッテで、彼女が急いで袖を引いたから、私は渋々席に座り直した。
くすくす、くすくす。小鳥のさえずりみたいな音を立てて、悪意のある笑い声たちが響く。
女の園って真面目に気分のいい物じゃない。きっと派閥争いとかもすごいんだろうな。
まあ、最初からやられている私を、皆は派閥の中に入れようなんて思わないだろうけどね。
「皆さん、お静かに」
教員の一声で皆黙って静かになる。そして授業が始まって、私もそれを受ける事に集中し始めた。
ここでさらに嫌になってしまったのは、私にとって初日の授業だというのに、やたら教員が私を指名して、答えさせようとする事だった。
ある程度は学んでいるから、ぎりぎり答えられるけれども、それでも教員はそのぎりぎりさえ答えられないような、鋭い質問を立て続けに、私だけにするのだ。
これ何? 教員も含めて私が気に入らないのか。そんなに庶民育ちのお姫様の血を継ぐって言う肩書が気に食わないのか。
ああそうかよ、とやけっぱちになりそうな心をまた、ぐっと抑えて、死に物狂いで頭を回転させて、なんとか答えらしきものを言う。
その時間はとてつもなく苦痛で、初日から私を全員でぼこぼこにしたいんじゃなかろうか、と思う精神疲労具合だった。
侍女として隣に座り、私を心配そうに見ているシャルロッテがいなかったら、もうとっくに一時撤退したくなるところだ。
げっそりする時間を終わらせて、昼食のために食堂に向かう。
食堂のご飯は、まあまあお上品だった。私にすれば量が決定的に少ない。こんな雀の餌みたいなご飯で、お腹いっぱいになる皆さんの小さなお上品な胃袋に対して、すごいな、と思う部分はあった。
でもこれでお代わりとかをしたらまた、くすくすひそひそ、笑いものにされるわけで、笑いものにされるのが面倒だから、なんとか抑えた私だった。
でもよく考えれば、この時ちゃんと食事をすればよかったのだ。
昼の授業中に、静まり返った教室で、ぐうぐうと腹の虫が音を立てて主張するという、屁をこくと同じくらい、お姫様にとって恥ずかしい音が鳴る位なら、ひそひそ言われても、食事をとればよかったのだった。
腹の虫の音で、お姫様方は耐え切れないほど笑い出し、皆大声で笑わないけれども、あからさまに侮蔑した声で笑う物だから、何しても私はさげすまされる対象なのだな、と実感したのだった。
庶民の学校では、お腹が空いている子をからかえなかった。だって食事を用意できないけれど、勉強がしたいって子を笑う学校じゃなかったから。
恵まれた環境から来たから、その音が鳴る意味も違うんだろうな。
その昼の授業も終わって、すきっ腹を抱えて塔に戻る時にはもう、私は精神的にも肉体的にも疲れ果てていて、寝台に転がったらそのまま動けなくなっちゃいそうな状態だった。
そして私が、いつ爆発するかとはらはらしていただろう、シャルロッテが急いで何かしようとした時、シャルロッテと話したいという侍女の人たちが彼女を、抵抗の余地なく引っ張っていって、結局私は一人、塔の中のボロボロの寝台の上に転がっていた。
とにかくお腹が空いて頭の中身が暗くなりがちで、お母さんこんな扱いの娘を見たらどういうだろう、と思っちゃった。
お母さんは私の事を考えて部屋とかを頼んで、それに該当する場所がここしかなかったんだからそれは仕方がない。
しかし、授業中のあれこれまで、お母さんは想定していただろうか。意味もなく理由もなくあんな扱いを受ける事になった娘を、どう思っただろう、やっぱり情けないと思ったのかな……あれくらいも出来ないなんて……とか……
いかん、お腹が空いているから精神ががたがただ、何か食べられる物を探しに行かなくちゃ。
壁にかけられたやっぱりぼろっちい壁掛け時計の針によれば、今はおやつの時間である。
受付嬢をしていた時、おやつの時間って受付嬢たちで集まって、おやつを食べておしゃべりに興じる楽しい時間だった。
あの時間が恋しい。皆親切だったし、笑いものにする仲間じゃなかった。
「……」
まだ一日目だ、一日目でこんなに弱ってどうするのだ、これから何か月かわからないけれど、ここに暮らすのだろう。
そう思って、ぐっと目を閉じて、開く。
全てお腹が空いているのが悪い。それが心を弱くする。だから食べればいい。
そう決めて、私は立ち上がった。
……授業が終わっているから、制服になるドレスは脱ぎ捨てて、もっと楽なものに着替えて、髪の毛もお上品な髷を外して、一つにくくって。
お上品に頑張っても、侮蔑と嘲笑を浴びるなら、好きな格好をして笑われている方がましだ。
そういう風に考えて、私は塔を降りて行った。
塔を降りた途端、通りすがりの教員に見つかって、こっぴどく姫君らしくないと怒鳴りつけられて、その教員が私の持ち物を点検して、私の気に入っていた平民仕様の服は皆没収された。
着ていた物は剥ぎ取られて、上品なウエストの細すぎるドレスを着るようにと厳命された。
シャルロッテも侍女として行き届いていないと怒られていたから、ああ、私がちゃんとしないと、シャルロッテも怒られるのかと思うと、同じ抵抗を繰り返す選択肢は、取れなかった。
そんな疎外感その他もろもろを感じつつ、教員にも生徒にも悪意しか感じないで一週間が経過した。
私の神経は太いはずだったのに、あの牢獄の時間以上に、きつい物なんて肉体的に存在しないと思っていたのに、私の心は思ったよりも早く限界を迎えてしまったらしい。
あんなに、足りないと思っていたご飯を、なんとか全部食べきるので精一杯になってしまったのだ。
お腹もすかない。喉も乾かない。
なんとか食べて呑み込んで、授業を受けて、あれこれ周りに嗤われて、教員に圧をかけられて、何度予習復習を繰り返しても、それ以上の質問を浴びせられて、答えられないと出来損ないに対するため息を吐かれて。
シャルロッテは何度も何度も、私と行動を共にしようとしているのに、他の侍女仲間たちに引っ張られていって、抵抗もうまくできていない。
下手に抵抗したら、私もあの子も孤立する。あの子まで私の何かよく分からないとばっちりで、孤立させては、生活も出来ないだろう。
だから私は笑って
「行っておいで」
というほか選択肢がない。侍女と言っても一緒に行動しているのは授業がある時間だけって感じになっている。
それだから余計に、私が参っている事に気付けないのかもしれなかった。
それを咎める事は出来ない。無理やりにでも笑っていれば、それを深く掘るなんて侍女にはできない事なのだから。




