6 一番いい選択肢
水場は当たり前のように一階に存在していて、そのためだけに毎回ここに、降りて来なくちゃいけない事実は、お嬢様でもお姫様でもない育ちの、私でも面倒くさい事極まりなかった。
なんでこんな遠くにしか水場がないんだろう。
「もっとあの塔に近い場所に水場はないんですか」
「水道の関係上存在しません。ここより遠い場所ですと、あと幾つもありますけれども」
お母さん……気遣いが仇になっちゃったよ……毎日の身支度に時間がかかりすぎるって分かっていたら、お母さんに、きらびやかな部屋でいいから、もっと水道に近い場所にしてッてお願いしたよ……
それに。
私はちらっとシャルロッテを見た。彼女は普通の女の子で、針仕事が得意で、衣装などのかさばるものをいくつも抱えて仕立て屋を走る、見習いだった。
でも、水という、こぼすと面倒で、こぼしたら最初からやり直しで、自分もびしょぬれになるものを持って働いた事のない子なのだ。
この子に、私は、侍女だからという理由で、水汲みをさせる事が出来るか?
その答えは否の一択しかなかった。
つまり自分で何とか毎回、この一階の水場まで降りて来なくちゃいけないっていう事実しか、ないのだ。
それにシャルロッテも気が付いたみたいで、私と水場を交互に見ている。
顔色は悪そうだ。というか、白い肌が分かりやすく青くなっている。
「……シャルロッテ、あなたは水汲みをしなくていいわよ」
青い顔の友人に、私は言い切った。それだけで彼女がほっとした顔になった後、真面目な顔になる。
「それでは、エーダ様、どうするんですか」
「毎回私が降りればいい話でしょう」
「そんな! 負担にすぎます」
「平気平気。塔の階段だって、回数こなせば慣れて来るわよ」
だから気にしないで、と笑うと、シャルロッテはためらいがちに口を開いた後、閉じた。
何も言えなくなっちゃったんだろう。
いくら私の親友と言っていい幼馴染だって、水が必要なたびに毎回、この高すぎるほど高い塔の上の方にまで、水を何かに汲んで、えっちらおっちら運ぶとは言えないと思う。
そんな献身は、私にとってもいらない物だ。だって私の可愛いお姫様みたいな友達に、そんな事させられない。
それに私は、これでも重たい牛乳の容器を、毎回毎回、牛乳を売る場所からおかみさんの家まで運び続けてきたという経験がある。
重たい、水分のある物を運ぶという事に関しては、私の方が得意と言っていいのだし。
私が私の分を運ぶのは、当然の事だ。
それに、それがお姫様らしくないというのなら、この学校の理念らしき、お姫様だって一人である程度の事をこなせるようにする訓練を、実地でしているという反論ができる。
私が与えられた、他の建物から離れた塔の高い位置にある部屋というのは、そういう意味でしか考えられない。
お母さんが、お姫様になりきれなくて、苦労している私のために、気遣って用意してもらった、ちょっと方向性のずれた部屋なのだから。
お姫様たちから距離を置いて、お姫様たちの世界を第三者として眺められる位置に、部屋をもらえたのはある意味、幸いなのかもしれなかった。
だって女の子の派閥って、時々恐ろしく禍々しくなるものなのだ。
私は経験がないけれど、ギルドで、女の人だけのチームで揉め事が起きると、そりゃあ大事の修羅場に発展しがちだった。
それをギルドの本部、黄金の雄牛亭で行われた日なんか、決死の覚悟を決めた受付の人が、止めに入っていたし、私だって一応、止めに入るために、普段は身に着けない布製の手甲とかをはめて、首を絞められないように首に巻く飾りを外したりとか、したものだ。
「……エーダ様は、お母様から聞いていた方とは、ずいぶん違うんですね」
レナさんが不思議だという声で言う物だから、私は苦笑いをしてしまった。
そりゃあそうだ、十年近い歳月、離れ離れで何も知る事が出来なかった親子という物は、お互いの印象が随分と違ってしまう物だ。
私の中のお母さんの記憶は、一生懸命に、時々手を血で汚しても、働いて、お給金をもらう姿ばかりで、再会したお母さんの、凛としたお姫様経験者な領主様とは、一致しないのだ。
たまに、正直な話をすると、お母さんじゃないみたい、と思う事だってある位。
それはお母さんにだって言える事だと思うんだ。
お母さんの中でも、小さすぎた当時の私と、今の私が違うっていうのはわかっているはずでも、記憶の中の幼かった私を思い出して、その状態で私を見ちゃうって言うのは、起きがちな事だと思うんだよね。
だから、お母さん視点で見た私と、レナさん視点で見る私に、違いがあるのは当然の話だ。
「お母様の見ている私と、私自身が、まるで同じものということはありえませんからね」
苦笑いをしてそう言うと、レナさんは頷いた。
「そのようですね。……では、エーダ様のお荷物を運びましょうか」
「そうですね。……でもこの階段を上がって荷物をすべて運び入れるのは、男性でも大変でしょう。……どうしましょうかね」
レナさんの言葉に、そう返した私は、周囲を見回して、ハンドル式の昇降機とか、そう言った設備もない事を確認した。
塔の設備を増やす時に、昇降機はよく設置される設備だけど、それもないという事は、この塔は長らく、設備も増やされていない建物だったのだろう。
そういう少しお姫様設備から距離を置いた建物を、わざわざ私のために掃除させたお母さんって、やっぱり一国のお姫様で、お金持ちなんだなと、改めて思う私だった。
荷物を運び入れる事は仕方がないからあきらめた。諦めるなよって? あのねえ、お姫様仕様の荷物が、どれだけ大変かわかってる? 私のような庶民育ちの身からすれば、装飾は過剰でその分重たくて、衣類にはいちいち金糸が使用されていたりして重量は増していて、おまけにどれもこれも壊したら後が怖い、高価極まりない代物ばかりなのだ。
それを、全て完璧に無傷で、あの高い塔のてっぺんに等しい場所に、長い螺旋階段を上って運び入れるなんて言う事を、私は誰にも頼めないと思ったのである。
その代わりこれらをどうしようかって話になった時。
私は思いついちゃったのだ。
「すみません、この荷物を、シャルロッテの暮らす部屋に入れてもらう事は出来ますか」
「えっ」
「え……エーダちゃん?」
私の言った事が想定外すぎたのか、レナさんは固まって、シャルロッテは丁寧な言葉がはがれた。
それでも私としては、いつまでも荷物を野ざらしよろしく放置できないし、塔の中に運び入れるのは到底無理だし、これ位しか思いつかなかったのだ。
「シャルロッテは一人部屋ですよね? だったらそこに、私の荷物を置いて、私が必要な際に、そこから持ち出せばいい話でしょう」
「た、確かにシャルロッテさんの部屋は、一人部屋ですし、鍵もかけられますが……あなたはそれでいいんですか」
レナさんが、あり得ない、という声で言うわけだが、私は笑顔で言い切った。
「私のシャルロッテは、泥棒でも持ち逃げをする子でも、ありませんもの。だって私の大事な一番の友人ですよ? それでもしも、裏切られたら私の目が曇っているだけの事」
「そんな事するわけないでしょ!!」
シャルロッテが信じられない事をエーダちゃんが言う! という調子で言うから、そうだろうとも、と私は頷いた。
「というわけですので、早急にお願いしますね。……これから数時間後に、天気が荒れますから」
見上げた空は、私のいう事を否定するように、からりと晴れ渡っていた。
でも私は、一人、その中に嵐の雷の気配を、感じ取っていたのだった。




