5 洗礼はなかなか
学園長室は、事実この学校を取りまとめている凄腕がいるんだろうなって雰囲気の部屋だった。
そりゃそうかもしれない。だってあらゆるお姫様が通う学校で、気弱で圧力に屈してばかりの人が学園長だとか、結構問題になるわけだし。
「ようこそ、よくいらっしゃいました。私はエリーゼ貴族学校の学園長を務めております。ドリゼと申します」
「初めまして、エーダと申します」
私はその言葉を聞いて驚いた。だって私と同じ名前を、さっきの女の子が名乗ったためだ。
でも、エーダって名前、省略形だとしたら珍しい物じゃないんだよね。
エディアとか、そういう名前でも、エーダって呼ばれがちだし。
彼女もそういう風な長い正式名称があるんだろう、きっと。
私は……自分の正式名称覚えてないけれどね。だって十六年の間、誰一人正式名称で声をかけてこなかったし。
自分の名前に、正式名称とか、省略形があるって知ったのは、最近の話だ。
「リタさん、書類を」
「はい。学園長、こちらです」
レナさんと階段を転がり落ちた人は、やっぱり事務員の一人だったらしい。すすっとドリゼ学園長に書類を渡して、後ろに下がる。
それを封筒から取り出して、彼女は中身をざっと一瞥した。
ちらっと見た封筒の署名はエーデルワイス・ダイアナ・スプリングフィールドと書かれている。
なるほど、エーダさんはエーデルワイスさんなのか。
「あなたが……そう」
ドリゼ学園長はそう言って、エーデルワイスさんに微笑んだ。優しい微笑みだった。
「あなたのお母様を、私もよく知っていましたよ。とても教養豊かな生徒でしたから。落ち着いていて、万人に優しく、慈愛にあふれた女性でした」
「まあ……」
エーデルワイスさんが嬉しそうに微笑んだ。お母さんを褒められるって、やっぱり気持ちがいいんだろう。
「リタさん、彼女を三階の部屋にご案内してください」
「かしこまりました。エーダ様、こちらです」
リタさんがそう言って、エーデルワイスさんを案内して退室する。
私はそれから、ドリゼ学園長に、なんとか覚えた貴族女性のお辞儀をして、挨拶をした。
「ご挨拶が遅れてしまい、すみません。エーダと申します」
「……あなたが。レナさん、書類を」
「はい、こちらです」
レナさんが書類を差し出す。私は封筒の署名が私のそれであるのをちらっと見て、それから、取り出された書類に違和感を覚えた。
お母さんに見せてもらった紙は、あんなに黄ばんでいただろうか……?
確認として見せてもらった時、紙は上品に真っ白だったはず。
なんか日光に当たって、黄ばみとかが出るのが早すぎないか? 紙をすいた時に混ざった何かの影響とかかもしれないから、一概には言えないけれども。
ただ、書類を一瞥したドリゼ学園長は、先ほどのエーデルワイスさんの時とは打って変わって、厳しい顔をして、私を見たのだ。
まるで出来の悪い子が、入学してきたわ、みたいな反応。
「あなたが、そうでしたか。……いえ、こちらのお話でしたね。お気になさらないでください。あなたの話は、色々と、お母様から聞いておりますよ」
「そうでしたか」
お母さん、ドリゼ学園長と文通してたのかもしれない。ここに入学する娘の事で、色々心配してても変じゃないから。そう思って、私はあいまいに笑っておいた。
「ここは、あなたにとってはなかなか厳しい生活になりますが、きちんと学び、卒業すれば将来は安泰ですよ」
「ありがとうございます、努力します」
厳しい生活。うん、お嬢様やお姫様が当たり前にいる世界が、私みたいな生活を十六年送っていた女の子にとって、厳しくないわけがない。
これは学園長なりの優しい気遣いに違いなかった。
「レナさん、彼女を西の棟に。準備はすんでいるはずですからね」
「彼女が、西の棟ですか」
「ええ。お母様からも、そのようにお願いされていますから」
「かしこまりました」
レナさんは意外だという顔をした後、私を見て言う。
「エーダ様、こちらへ」
「はい」
そう言って、私はシャルロッテを連れて、レナさんの案内の元、西の棟という場所へ向かったのだ。
道を歩いていて、何か薄暗い感じがするのは、西側の建物だからだろうな、と私は楽観的に考えていたのだが、シャルロッテは違ったみたいだ。
なんとなく、不安そうな視線をあちこちに向けている。
薄暗くても、調度品とかは正門のあたりの建物と大して変わらないから、不安に思う事もないだろうと思うけど、違うのかな。
「……」
何か言いたげに口を開いて、でも閉じるシャルロッテ。何をそんなに、と思いつつ、私達は階段を上がり……そこでやっと、あれ、と私でも思うに至った。
だって螺旋階段を延々と上がるのだ。お姫様ってそんなに足腰鍛えてるものだろうか。
どうやらどこかの塔の一角みたいで、螺旋階段をずっと登って行って、だんだん建物は手入れされていない様子になっていく。
掃除はされているかもしれない。でも、なんか……お姫様が案内される場所という印象は受けないんだが、何なんだろう。
とはいえ、別に私はもっとすごい場所を知ってしまったから、これ位でひるむ事もないし、怯えるなんてもってのほかという感じがする。
無実の罪で地下牢にぶち込まれて、三日間も飲み食いできなかったあの経験は、私をかなり強くしたと言っていいだろう。
「こちらが、エーダ様がこれから学園生活を送る部屋です」
レナさんがそう言って扉を開けて、私達を入れた部屋は、……お姫様? と聞きたくなる部屋だった。
いや、あのね、うん。正門とか学園長室までの通路とかの調度品は、整っていて華やかで、お姫様たちが好みそうって感じはした。
でも、ここは違う。
装飾の一切は排除されていて、ベッドとかドレッサーとかも、なんだかみすぼらしい物だった。
ここで身支度をするとしたら、あの螺旋階段を水を持って上がらなくちゃいけない訳で、すごい大変な作業になること間違いなしだ。
シャルロッテが、ここで、我慢ならぬと声を上げた。
「あの! レナ様、エーダ様がどうして、このお部屋なんですか!? 使用人の部屋と言っていいほどじゃありませんか!」
「私にそれをおっしゃられても。このような部屋にしてほしいと要望をしたのは、エーダ様のお母様です。学園長に、手紙でそうおっしゃっていたという事ですよ」
「え……」
お母さんが私をこう言う部屋に入れたいと思った。それを聞き、シャルロッテが言葉を失った顔になる。
私も意外だったけれど、もしかしたらお母さんは、高級な調度品の部屋で、いつも私が居心地悪そうにしていたから、質素な部屋にしてほしいと言ったのかもしれない。
部屋にいる時くらい、お姫様らしくしなくていいように、他の人たちから距離を置いた部屋という要望を出して、ここが該当したのかもしれない。
ここまでぼろっちいのは想定外かもしれないけれどね。
「すみません、ベッドが一つですが、シャルロッテはどこで生活を?」
「シャルロッテさんは、一階の侍女たちの部屋で生活を送ります。エリーゼ貴族学校では、全てを侍女任せにする事はしません。嫁いだ家で、侍女がいない場合もありますので、そう言った時のために、皆さん、ある程度の事をこなせるように部屋が侍女たちと別れているのです」
そうなのか。確かに、お姫様だからちやほやされる環境に嫁げるとはいかないもんな。
領地の姫様とかだったら、もっとひどい土地に嫁ぐ可能性もあるわけだし。
侍女を連れていけない環境ってのもあるときくしね。
「エーダ様と生活ができないのですか!?」
「したいのでしたら、ここで生活してもかまいませんよ」
「シャルロッテ、あなたは一階で生活しなさい」
シャルロッテはあまり暗い所が得意じゃない。大きな蜘蛛が出てくると悲鳴を上げる子だ。
ここは薄暗いし、そういう虫も出てきそう。ここで暮らさせるとか私にはできないから、ちょっと強い口調で、シャルロッテに言った。
反論したくても、虫の可能性に気付いた彼女は、ぐっと黙るほかなかったみたいだった。
「レナ様、身支度を整えるための水場にも、案内していただけるんですよね」
私が落ち着いた、不愉快でも何でもない声で言うと、レナさんは意外そうな顔になった後、頷いた。
「これから案内させていただきますよ」




