フィナンシェ
視聴していた再放送のドラマが、お定まりにすこぶる続きが気になるところで画面が切り替わり、コマーシャルにはいると、それに調子を合わせるように杏奈はソファから腰を浮かせてキッチンへ立ち、冷蔵庫の下の段から大きなペットボトルの緑茶を取り出してグラスにつぎながら、知らず知らず足先で冷蔵庫を蹴って閉め、ひと息に飲み干すと再び開けてボトルを収め急ぎ足に部屋へ立ち戻ると、まだコマーシャルは明けていない。
日頃口数の少ない彼の隣に再度腰をかけて、待つ程もなく再開された恋愛ドラマに飽きることなく見入るうち物語はお決まりの流れにきちんと収まりながら、いよいよ本日の佳境を迎えたかと思うとぷつんと断ち切られ、来週の予告が入る。以前流行っていた時にはそれが流行るとは夢にも思わず、そのせいで一話目を見逃してしまって、途中から視聴する気も起きぬままに諦めてすっかり忘れていたのを、二年経った今になってたまたま番組欄で見つけて、ようやく見ることを得たドラマに今更のごとくのめり込みながら、先月来毎週のように今日も胸躍らせ心浮き立つままに余韻覚めやらぬ杏奈へ、
「かえていい?」
と、彼が一言つぶやきながらテーブルへ腕を伸ばして、杏奈が承諾するとすぐさまチャンネルを切り替え、映ったサッカーの試合を、もう最前のドラマとは打って変わって空虚な心持ちでぼんやり見つめながら、何が面白くてこういつもいつも代わり映えもしないものを飽きずに見続けられるんだろう、と当然の疑問が湧いて、ただしそうあからさまに問うことはせずにいつか訊いた時に、得点が入るのも面白いけれど、選手やボールの動きを追ってるだけで面白い、それだけで疲れが取れてストレス解消になる、との俄には信じられぬ答えに、
「へえ、そうなんだ」
と、杏奈は覚えず気の抜けた返事をしてしまい、このあとをどう取り繕うかと迷っているうち、
「杏奈だってドラマよく見るでしょ、たぶんそれと同じだと思うよ」
いきなりサッカーとドラマとをむやみに一緒くたにされて、それは違うでしょ、と立ち所に出掛かった否認の言葉を杏奈はやっとのこと抑えつつ、
「そうなの?」と、それでもその問いに自分の気持ちを辛くも交えてみても、彼には何らの効果も与えないのか、
そうだよ、と一言返してうなずいたなり、早くも画面に向き直って試合に集中しはじめたその横顔と、今のそれがそっくりそのままなのに気がつく。
杏奈はたちまち可笑しくなったのも束の間、それはもちろん同じ人なのだから当たり前のことだと打ち消す自分を早くも滑稽に思う間もなく、大きめの二人掛けのソファの左右へそれぞれが寄って座っているため真ん中が寂しく空いているその間をぎゅっと詰めて彼のそばに寄りたくなって、ふっと物思いから覚めると、依然として退屈なボール回しの連続で一向にゴールの決まる気配もないその光景にまたしても耐えられぬまま隣を窺うと、彼は腕を組んで指先であごをつまみ、真剣さに裏打ちされた眼差しを一心に向けているので、杏奈はやはり邪魔をするのはいけないと思い直し、自分の望みを抑えて反省するうち、二人で一つの時間を共有しないで一人好きなことに興じるのは寂しいような心持ちがして、必死で彼の心に自分の心を重ね合わせようと熱心に画面を見つめれば見つめるほど退屈で苛立ってくる折からふと、俄に沸騰をやわらげるように、先週出張のお土産に彼がくれた洋菓子を思い出した。
ひと口でやられた八個入りのフィナンシェを、一日一つときめて、楽しんできたのだけれども、今日は彼が来る前に半分だけ齧って包みに残しておいたのを、冷蔵庫に冷やしておいて、あとで食べるつもりでいたのだけれど、今二人で楽しみたい。
そう思い立つまま横座りの足を伸ばし立ち上がってそっとキッチンへ行くと、冷蔵庫の包みと、そのそばの戸棚に仕舞っていたフィナンシェの箱から最後の一つを取って浮き浮きと彼の隣に戻り身を寄せ、
「これ美味しかった。ありがとう。食べてみて」そう差し出して勧めつつ、きっと食べないと思っていると、意外にも彼はすぐさまその手から奪って包みを破り、半分齧って口を動かす間もなくこちらを向き、
「うまいなこれ」とそれとは見えない顔で言いざま、中指の先で残りをぐっと口へ押し入れて包みを杏奈の手に押しつけると、表情もそのままに画面へ向き直り、杏奈が呆気に取られて見つめるうち一つあくびをした。
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