解決編
大野遊佐実はそこにいた。
昨日と同じ場所。
実の姉――大野月姫を喰ったその場所に。
腕を組み、眼を閉じ、コンクリートの無機質な壁に背中を預け。
「やあ、少年」
そう言って、遊佐実は僕と向き合った。
「……」
僕は黙る。事態は把握した。尋ねる事など余りにも少ない。
そうして暫く沈黙が続くと、ふうと溜息を吐いて、遊佐実は僕を見て笑った。
ぞくりとする。
背筋を舐められた様な……突然冷風が吹きぬけたかのような心地の悪さ。
「真相には――気が付いた様だね。もう少し時間がかかっても良かったと思うけど……流石は少年だ」
「買いかぶりだよ。運が良かっただけだ。丁度良く、物事がうまく整理できるように事が運んだだけだ」
「でも真相を紐解いたのは少年だろう? それだけなら、十分褒められるべき功績さ」
「……とは言ってもね。だいぶ楽だったんだよ――僕と君の関係が分かれば、客席の人たちも簡単に分かるような問題だよ」
そう。
この話は、酷く簡単だ。
僕と遊佐実の関係――そして、遊佐実の姉のことが分かれば。
それが事前知識として謎解きの要素の中に含んでいれば、簡単に解ける問題だったのだ。
遊佐実は笑う。そして、言う。
「なら――教えてもらいたいね。少年、君の答えを見せてみろ」
「……わざわざ君を目の前にして、長ったらしく説明するのも野暮だと思うんだけど」
「ふふ、それがいいのではないか。何より――客席の人たちにも、説明が必要だろう?」
「どうだかね……まあ、いいよ。じゃあ、始めるよ」
解決編の、始まり始まり。
*
「まず始めに。月姫さんを殺して、んでもって喰ったのは遊佐実だね」
「ああ。邪魔だったからな」
飄々と言ってのける遊佐実。邪魔って。
まあいい。これは確認するだけで十分だ。
「オーケイ。じゃあ次。昨日、僕に手紙を寄越してきたのは、月姫さんだ」
「そうだな。字を見て即座に分かったよ。あんな私に似ている字、姉にしか書けない」
月姫さんとは知り合いだ。遊佐実と腐れ縁の関係を持つ僕は、当然何度か遊佐実の家に行ったことがある。その時に出会った。一番最初に出会った時にえらく気にいられ、それからは遊佐実の家に行く度々過激ともいえる行動をされてきたが――まさか、本気でラブレターを書いてくるなど、全然考えていなかった。
全く、因業が深い。僕は肩をすくめながら、話を続ける。
「次。昼休みの時、君が行方不明者云々の話をしたのは、単に沈黙を埋めるためだけではなく、僕の関心をよせて夜に路地裏に越させる為だったんだよな」
「ああ、正解だが――まさか、本気で来てくれるとは考えていなかったよ。あれは完璧に余興……出来たら良い、出来なくても何の不利にもならない行動だった。実際少年が私と月姫がいる路地裏に来る確立などほぼ無いに等しかったからな」
時間の問題もあったしね、と僕はなんとなく付け足す。それは全く持って、その通りだったのだろう。僕があの路地裏にて遊佐実と遭遇したのは――中々どうして、運命めいたものが有ったのだ。
「じゃあ、次。君が今日休んだ理由は、月姫さんが行方不明になったから――というか喰っていなくなったから――、家族と一緒に街角とかでチラシを配るためだったんだろう」
「うむ。先生がそのことを言ってしまったらどうしようと思っていたが、杞憂だったようだな」
全くだ。
「次。……君が書いたラブレターは、僕の興味を向けさせる為の手段か」
「ああ……と言うよりかは、保険みたいなもんだったな。あの手紙は昨日の柔道部の練習中に突然思いつき、書いたものだったのだよ。もしかしたら逆に私が殺される可能性が有ったからな。お前に思いは伝えておこうと、ね」
そう言って、遊佐実は年に似合わぬ妖艶な笑みを浮かべるのであった。
いやはや……。
「……。次。君が言っていた行方不明者続出の事件の犯人は、君じゃなくて月姫さんだね」
「うむ――良く分かったな? てっきりそこは曖昧に誤魔化すもんだと思っていたが。何故分かった?」
「別に――勘だよ。と言うか今なんとなく分かった。もしかしたら逆に殺されるかもしれないって君が言ったけど、まずそんなことありえないだろう? 君は柔道娘だ。そして月姫さんは、日常生活を見ていれば何もやっていない至って普通の人だ。それなのに、何処に君が負ける要素があると言うのさ。月姫さんは、君が殺そうだなんて思っていることは、考えていなかった訳だし」
「ふうむ……成程。成程ね、私のミスだなそれは。よし、続けて良いぞ」
はいはい。
……と、いうか。
「次っつっても、これで終わりさ。纏めると――月姫さんが僕の下駄箱に手紙を入れる。僕がそれに気付く。君に見せる。君はそれが月姫さんの物だと一瞬で判断する。君はまずいと思い、月姫さんを殺すことを考える。その余興として、僕に行方不明者続出の事件について話をし、興味をよせさせる。思いつきで僕宛の手紙を書く。三笠さんに明日僕に渡しておくよう任せる。部活が終わって――そういや君の部活は昔から終わりが相当遅いと有名だったね――、大体の僕の塾終了の時間と併せる為に暫く経ってから月姫さんに連絡をかける。路地裏に呼び出す。月姫さんを殺し、喰う。その場を去る。翌日、家族と一緒にチラシ配り。それが終わってから、ここで僕を待っていた。――って、結構こじつけ気味の推理だったんだけど、どうだろう?」
「……」
長い台詞を吐いて息切れ気味の僕とうって変わって、遊佐実は僕を、実に愉快そうな瞳で見ていた。その切れ長な鋭い瞳に吸い込まれてしまいそうだ。ああ、悪寒しかしない。
長い静寂の後、遊佐実は口を開いた。
「……あははは、っはは。流石は少年だ。見事だね」
「お褒めにいただき誠に重畳。……けどね、少し分からないことがあるんだ」
「うん? なんだい?」
「何でこんな事をした?」
僕は言った。この行動の真意を問いた。僕はそれだけ、そこだけが分からなかったのだ。
「さっきは平然と分かった様に言っちゃったんだけどさ。遊佐実……なんでわざわざ、月姫さんを殺すことを考えた? 確かに――こんな事言う機会はもう二度と無さそうだから遠慮なく言うけど、確かに君が僕のことが好きなのも知っている。だからって、殺すことは――」
「……分かってないね、少年」
「……何が」
「私がどれだけ少年のことを愛しているか、だよ」
「……」
口が開けない。――駄目だ。なんだ、この状況は。誰か正確に把握してる奴がいたら手を上げてくれ。代わってやるから。
遊佐実は凄絶に微笑む。
僕には、彼女が彼女にしか見えない。
「最初に言った筈さ。姉は、邪魔だった。ありとあらゆる意味で、邪魔だった」
「……それ、は」
「姉が少年のことを好きなのは冗談だと思ってた。けどまさか、本気で好きだっただなんてね」
「……遊佐実」
「それが分かった以上、あの人は殺すしかない。人の恋路は邪魔するな……少年は、私の物だ」
「……」
そんなのありか、このやろう。
ああ……体が動かない。なんだろう、僕はなんかの病気を患っているのか?
「少年は私の物。私は少年の物だ。邪魔する奴は許さない。全員皆殺しさ」
おい、遊佐実。お前本当に遊佐実なのか。性格が違うぞ、眼が怖いぞ。なんだ、「女幼馴染の秘密の一面」ってベタ過ぎて好み過ぎだよ。だけどあまりにも秘密の一面が過激過ぎだ。
「それじゃあ、少年。そろそろ答えをくれないか?」
「……。答え? 今言ったばっかじゃ」
「そっちじゃなくて。私の手紙……私の、告白のほうさ」
「ああ。……えっと」
動かない体のまま、考える。幸いにも脳は元気だ。さて、どうしよう。
大野遊佐実。腐れ縁。美少女。僕の唯一と言っていい話し相手。大切な……人?
答えは出た。簡単だ。僕の性格上、有り得ないことでは有るが――まあいい。
「……保留に、しておいてくれないか?」
僕は答えを提示した。保留と言う名の、答えを。
思ったとおり遊佐実は不可解、というように顔をしかめ、先程よりも幾分か声色の低い声で言った。
「……何故だ?」
「うん……僕も性格が性格だから、遊佐実の気持ちに答えたいんだよ。正直この答えも自分で言ってて心が痛い。けどさ、同様に――僕は、人殺しが大っ嫌いだ」
「……」
ついに遊佐実は黙ってしまった。罪悪感が胸に嵩張る。けど、仕方ない。
殺人は犯罪だ。何人もの人が悲しむ。だから、絶対にやってはいけないこと。だから僕は、人殺しを憎悪している。
昨日言ったことと矛盾しているが……けど、今更になって僕は僕自身の感情に気がついた。
月姫さんが殺されて。喰われて。遊佐実が殺されたと勘違いして。そして、食人鬼を憎悪して。
他人から見たらさぞかし偽善者だろうな。けどそれでも構わない。不快じゃなく、いっそ愉快な気分だろう、僕の偽善者振りを見るのは。
ならそれでいい。全てはベタの展開でいい。
そんな思考を遮ったのは、俯いた遊佐実の声だった。
「……そうか。やはり、人殺しは嫌いだよな、少年は……」
「遊佐実。僕を殺そうとか、思ってるかい?」
「……ああ、思っている。少年を殺して、骨まで全て喰べて、ずっと一緒にいようと思っている。……けど、そんなことしても意味はないのだろうな、結局」
予想以上に遊佐実は沈んでいる。堪らなくなり、僕は変なことを口走った。
「……かもね。でも、遊佐実がいいと思うんだったら――僕を喰べても、構わないよ」
「……そうか」
しかし、遊佐実は余り聞いてないようだった。僕としては、変なことだとしてもそれなりに本心なのだが。
遊佐実に喰べられて。
人生を終わって。
それも、いいのかもしれない。
僕の人生としては、相応しいことなのかもしれない。
「いや、やっぱりやめておくよ。それよりも、少年」
けど、遊佐実は、僕の提案を少し残念そうにしながらも、きっぱりと断った。
だから僕もきっぱりと考えるのをやめ、遊佐実の次の言葉を待った。
「私が人を殺し、そして人を喰ったことを無しにするとして、聞こう。少年。私のことが――好きか?」
遊佐実は顔を上げて僕を見た。揺れている黒の瞳と、瞳を合わせる。今にも泣き出しそうな声。
その質問に対し。
僕の答えなんて、決まり切っている。
うん……多分、これが一番ベタなんだろうな。ベタ過ぎる言葉。ベタ過ぎる思い。ベタ過ぎる展開。
それが一番素晴らしい。
そして僕は、口を開いた。
「当たり前だろ」