前編
自慢にすらならない事ではあるが、この十数年の人生の中で、僕が異性、もしくは同姓に愛を告白されたという経験は一度も無い。学校の体育館裏というくだらないシチュエーション、ラブレターなどという陳腐で時代遅れした代物を貰った事は、一度も無い。
別に僕自体、それが何らかの苦になって僕を追い立てる訳では全く無い。逆に未だに一度も告白をされたことが無い、つまり誰とも付き合ったことが無いという僕の現在の状況は、個人的に言えばとんでもなく気楽であったりする。気になったりする女子がいる訳でもなく、誰かに好まれる訳でもなく。誰よりも他人に気を使ってしまう性格をしている僕にとって、それは皮肉なまでに文字通り気楽であった。
負け犬が無様に遠吠えをするというのは中々どうして好きく無いが、どうにも僕は一応負け犬という種類の人間にいるようなので、仕方なく吠えさせて貰おう。
僕がこれから誰かに愛を告白されたら、迷いに迷い、そして了承をしてしまうだろう。
僕は自他共に認める他人に気を焼く人間だから、その人を失望させるという行為を本能的に嫌ってしまうのだ。
何を自惚れを、と言われるかもしれないが別にかまわない。とにかくこれで前置きは完了した。
それじゃあ、本編。
僕はその日、自分の下駄箱の中に入っていたピンク色のラブレターを発見した。
*
未だに信じられないが、しかしこれは夢だ、現実ではない。……いや間違えた、これは現実だ、夢ではない。
朝、いつものように起床し両親と朝の挨拶を交わし既に出来上がっていた朝食を平らげ適当に顔を洗い歯を磨き無駄に暑苦しい制服に着替え今日の授業の準備をし時間が来たので適当にいってきますの声をあげ平凡な家庭がまさに買うような平凡な家屋から出て学校に向かって自分を追い抜いていく学友たちと挨拶を交わしながらやがて到着し自分の下駄箱を開けたらピンク色の紙くず――失敬、手紙と思しきものが入っていたので開いてみたら案の定恋文だった。
『明日の放課後、伝えたいことがあります。体育館裏で待っていてください』
幸いなことに女の子のものだと思われる所々丸みを帯びたしかし丁寧な綺麗な文字。差出人の名前はもちろん無い。
「……ベタ過ぎるよな」
呟いて、手紙を折り畳んで机の中に。現在の時間を確認、後十数分昼休みが残っていることが分かると、僕は机に突っ伏した。
なんというか、どうでもよかった。
普通だったらもう少し何か思うところがあるべきだろうが、しかし僕は自分でも感動的なまでに無感動だった。別にいい。相手がどんな女子だったとしても、僕は断らないだろう。この気楽な日常が静かに音も無く崩壊するだけだ。それなら別に、それでいい。疲れるだろうが、僕はそこまで困らない。第一相手が喜んでくれるんだ、それだけで幸せなことじゃないか。
「……ま、なるようになるのかもしれないね」
「さっきから何をぶつくさ言ってるんだ、少年よ」
突っ伏した頭の上から声を掛けられる。顔を上げなくても分かる、この声は僕の友人――便宜上そう呼んでおこう――、大野遊佐実だ。
大野遊佐実。可愛いと言うよりかは綺麗な、これぞ美少女な女の子。小学校時代からの付き合い。俗に言う腐れ縁というやつだが、腐ってたら普通千切れるものじゃないのだろうか。いやどうでもいいが。
僕は突っ伏したまま、前方の席に座っている遊佐実に言葉を返した。
「なんでもないよ」
「何でも無かったら少年はこの世界に存在してはいないだろう」
どういう意味だ。
「……いや、少し、どうでもいいことがありまして」
「うん? 何が起こった?」
「……これ」
僕は突っ伏して見えない視界のまま、手探りで机の中をあさり例の手紙を取り出した。たたまれていた手紙を開き、遊佐実に手渡す。
相変わらず突っ伏したままだが、前方で遊佐実の表情が変わったのは空気で分かった。
「……なんだこれ。なんかの冗談か?」
「いや、分からないけど多分本命じゃないかな。明日の放課後って言うのも凝ってるよね」
「どうしてそう思う?」
だから分からないって。
僕は顔を上げ、遊佐実を見つめた。うん、相変わらず綺麗な顔してやがる。少し嫉妬、しないする訳ない。
遊佐実は何度も手紙を上から下まで読み返した後、笑いたくなるくらい神妙な顔で僕に手紙を返した。
「……どうしたの、そんな神妙そうな顔して」
いつもどおり僕の嫌な性格が発動する。本能の癖に発言するとは。もう慣れたが。
遊佐実はいや、と呟き、顔を変えずに言葉を続けた。
「……まさか、少年にこんな手紙が来るとはな……」
遊佐実は僕以上に驚いているようである。お疲れ様だ。
僕は教室の前にある時計を見ながら、どうでもいいという念をさり気無くこめて言った。
「……まあ、別に、そんな大したことじゃないよ。僕は断る気は無い。相手は僕の性格を読み取った上でこんな手紙よこしてきたんだろ。完璧な出来レースさ」
「それは少し意味が違う気がするがな……、しかし少年、それじゃあ相手はお前の何が好きになったのかまるで分からんぞ」
「別にいいじゃない、んなこと。ぶっちゃけ相手がなんかの罰ゲームだったとしてもどうでもいいよ。相手が悲しまなかったらそれで僕は満足だ」
「相変わらずだなお前は……」
遊佐実は疲れたように溜息を吐く。本当にお疲れ様である。
しかし、ここまで僕と会話をしようとする人間は、この学校にはそうそういない。多分遊佐実くらいだ。僕に関する嫌な噂とか陰口とかはまだ聞いたこと無いが多分僕が気がついていないだけだろう。
なんというか、少し心苦しい。僕の陰口があるということは、その分相手も苛立っているという訳だ。そう考えると申し訳ない気分にな――るのかどうかは、この際どうでもいいのでおいといて。
そんな感じで、ばっさりと会話は途切れた。遊佐実はなにやら話題を探しているようにそわそわしていたが、はっきり言って僕は何も語ることは無いので再び頭を突っ伏した。
「……あ、そういえば少年、こんな話を聞いたことがあるか」
「んあう?」
顔を上げる。遊佐実がいた。当たり前だが。
僕は頭を掻きながら、遊佐実の次の言葉を待つ。
「ここのところ、行方不明者が多いそうだ」
「ベタだね」
「? 何の話だ?」
「いやどうでもいいよ」
別に何の話でもありません。
しかし……。
「行方不明者。か」
「うむ。ニュースでもこの街のことが取り上げられているぞ。やっぱり、知らないんだな」
「うちにテレビが無いことは知ってるよね?」
「知ってるよ。……で、どう思う?」
僕は言葉に困る。なんだ、この美少女は僕を探偵か何かと勘違いしているのか。んな訳ないだろうが。
「どう思うと言われましてもね。……行方不明者はどれくらいの年齢層?」
「特にといって集中しているわけではないな。十代から、六十代。私はやはり、意図的な無差別殺人か何かと思っているが」
「……詳しいね」
「情報通だからな」
今時情報通キャラも珍しいだろうに。しかも男勝り口調。
僕は溜息を吐いて、腕を組んだ。
「……まあ、殺人じゃないのかな。そんな大人数を集めて拘束して儀式をやる、なんて発想も無くはないだろうが……しかし、現実的じゃないな。とにかく、夜道は出歩かないようにしよう」
「やっぱりそれが帰趨なのか」
「帰趨ってそういう使い方するっけ」
「知らん。ちょっと難しい言葉を使ってみたくなっただけだ」
「……さいです、か」
少し可愛い、と思った。
なんてね。
五時限目始業のチャイムが鳴った。
まあそれからは無事に何事も無く――ようやく、帰宅の時間となった。遊佐実は何故かわざわざ僕の席にまでよってから(僕と遊佐実の席は教室の端と端にある)、所属部である柔道部の練習に赴いていった。
柔道娘、大野遊佐実。
「……ううん、ベタだ」
他人事を呟いて、不健全な帰宅部である僕は鞄を持って学校から去った。
学校から数歩歩いた所で、今日は塾があることを思い出した。
「あー。……面倒だなあ」
声には出すも、それが決して外面に出ることは無かった。歩みも止めず、逆に速くなっていくようにすら感じた。
まあ、今日が終われば明日は金曜日、塾も休みで学校も今週ラストだ。それから二日間の休日も塾は無いことだし、心身ともに安らげるであろう。
「……あ、けど返事をしなくちゃで……それで彼女が一応出来ることになるだろうから、なんかあるのかな」
やっぱり断ろうかな。
……いや、本能が壊れる。
「……はあ」
まあ、前略中略後略ってことで。
そして僕は、家へと戻っていく。
続く。