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アンダーカバー / Undercover  作者: iliilii
第五章 存続
76/80

76 大移動

「ねえ……、あれ、なに?」

「それっぽいでしょ?」


 ノワがわざとらしく小首を傾げた。あざとすぎて悪寒が背筋を全力疾走した。

 一体何をやらかしたんだ。


 ビュンビュン丸の前方には、草原の淡い緑ではなく濃い緑のグラデーションが大地から盛り上がるようにぐわんと広がっている。


「誤魔化さなくていいから。な、ん、で、ついこないだまで原っぱだったのに今は森になってるの?」

「ちょっと失敗しただけじゃない」


 ちょっと? これがちょっと失敗? どこからどう見ても深い深い広大な森がこんもり出現していますが。

 私の膝の上に乗り、飛行船の窓から外を見ていたノワがつんとそっぽを向いた。

 身を乗り出して運転席のシリウスの横から顔を出し、フロントから前方を確認する。ノワが膝から滑り落ちそうになりながらもしがみついているのは知ったこっちゃない。


 聖女のキューブハウスを加護で隠し、ビュンビュン丸の先導でこっそり引っ越して来てみれば──。


「旧アトラス王都全域が森になってるな」


 という、シリウスも顔をしかめる事態になっていた。


「シリウスも知らなかったの?」

「ここ最近忙しかったの知ってるだろう」


 そう、本部移転と乙女の一件でこのところ本部全体がばたばたしていた。ノワとブルグレが頻繁に出掛けていることには気付いていたものの、こんなことになっているとは夢にも思わなかった。


「ちゃんと真ん中は空けてあるわ」

「ノワさん、どう見ても樹海ですが」


 助手席に腰を落とせば、ノワがやれやれみたいなため息を吐いて膝の上で丸まった。シリウスの肩にいるブルグレは満足そうに頷いている。


「いいじゃない。どうせみんな飛行船で来るんだから」


 そういう問題か?

 東京ドーム何個分、ではなく、東京都何個分、と言いたくなるほど果てのない鬱蒼とした濃い緑が広がっている。王都全域ということは、ひと県分ってことだ。ひと県丸々森林化。


「後ろからどういうことだと怒鳴られているんだが……」


 キューブハウスを牽引している大型飛行船には、ポルクス隊長たちと連合軍の建設工兵が乗っている。

 運転席からわざわざ振り向いたシリウスの困り顔に、小さくため息をつきながら頭をもたげたノワが「私のせいにしていいわよ」と仕方なさそうに呟いた。誰が見てもノワの仕業だとわかるだろうに、なにが、してもいいわよ、だ。


「何したらこうなった?」

「ちょっと大地に元気になってもらっただけよ」

「だったらファルボナも大地に元気になってもらえばいいんじゃないの?」

「だから! こうやって失敗するから簡単にそんなことできないんでしょ!」


 逆ギレか。思いっきり毛を逆立てての逆ギレだ。


「ノワって、力の制御できてないの?」

「失礼ね。細かいことが苦手なだけじゃない」


 細かいねぇ。確かにノワの存在は大きすぎて、私が考えるよりも大雑把になるのかもしれない。せめて人レベルの大雑把にしてほしい。妖獣レベルの大雑把は人レベルでは天災だ。あ、霊災か。

 毎度のことながら、人の膝の上で威嚇するのは大人気ないと思う。


「だから代わりにあなたが細かいことできるようになればいいのに、なかなかできるようにならないんだもん、嫌になっちゃう」


 人のせいか。


 延々と続く木々の上を遅々と進む。キューブハウスを連れているせいでかっ飛ばせないのだ。夜明け前にメキナを出発し、ものすごく時間をかけてここまで来た。

 どんだけ……、と一面の濃い緑にげんなりしてきたところで、ノワの言う通り穴が空いたかのようにぽっかり開けた場所が見えてきた。


「たぶんあそこが城のあった場所だと思うのよね」

「そうだな、確かに山並みを見ればこの辺りだったはずだ」


 ざっくりした会話だ。ブルグレに「合ってるの?」と訊けば、「間違いない」と自信満々に答えられた。ブルグレたちのGPS機能は超がつくほど高性能だ。


 森がぽっかり口を開けた場所にビュンビュン丸が着陸する。

 かなり広い空間が原っぱのままだった。たぶん東京ドームひとつかふたつ、いや、もっとあるかも。端の方に着陸したせいもあってか、向こうの木々がはるか彼方に見える。


 上空の大型飛行船からロープを伝ってポルクス隊長が、ひゅるる〜、と猛スピードで降りてきた。そのままものすっごい勢いで駆け寄ってきたかと思ったら、ノワに向かって大声で怒鳴っている。


「何してくれたんじゃボケ! って感じ?」

「そんな感じじゃ」

「ポルクス隊長、ついにノワまで叱りつけるようになったね」

「あれでいて後で猛烈に後悔するんじゃ。かなり落ち込むんじゃ。アルヘナによしよしされないと立ち直れないんじゃ」


 最後は聞きたくなかった。どんだけ奥さん大好きなんだ。


 ポルクス隊長の後に続いて飛行船から降りてきた工兵たちがこれまたものすごい勢いで地面を均していく。この辺りはすでに地盤調査済みだ。地下水脈に繋がる配管も立ち上がっている。地震がほとんどないから、キューブハウスを配管の位置に合わせて水平に設置するだけで終わりだ。


「賢いおっさんがしつこい」

「そりゃあね、失敗したんだから怒られて当然」


 ポルクス隊長にしこたま怒られたノワがしょんぼりしながらふくらはぎに頭を擦り付けてきた。

 シリウスとポルクス隊長は難しい顔をしながらあれこれ話し合っている。いきなり樹海が出現したのだ、そりゃあ、どうするんだこれって話にもなる。工兵に指示を出していたレグルス副長までやって来て、難しい顔で周りを見渡している。


「でも、森の中っていいね」


 すうっと深く息を吸い込む。澄んだ空気が肺を満たす。森の匂いが気持ちいい。ノワの気配が濃い。


「なんか、妙に落ち着く」

「でしょ?」


 ノワのテンションが少し上がった。ちょっと涙目なのがきゅんとくる。怒られたことのない人にいきなり怒られると凹むよね。


「実のなる木を多めにしたんじゃ」

「精霊たちの宿り木がたくさんだね」


 そのつもりがあってのことだろうくらいはちゃんとわかっている。ノワがふくらはぎにしつこく頭を擦り付けている。

 精霊が生まれる森──いつかそんな風に呼ばれるのかもしれない。




「ホントすごい」


 ほんの小一時間程度でキューブハウスの設置は完了した。

 しばらく元栓を全開にするよう言われた水道は、キューブハウスの壁の中を走る発熱する水道管に十分供給され、水がぬるま湯になるまで流しっぱなしにする。

 この熱を発する配管が冬は壁や床を経由することで暖房代わりとなり、夏は壁や床を経由せず直接水栓に供給されるよう元栓を切り替える。排水はどうなっているのかを訊けば、浄化され、飲み水以外の水洗に再び供給されるようになっているらしい。

 その仕組みが全て壁や床の中にあるのだと聞いて、どんなハイテク住宅なのかと驚いた。もっと細かいところまで説明されたはずなのに聖女フィルターのせいで理解できたのはその程度だった。


「アトラスって本当にすごいんだねぇ」


 世界を牽引してきたというのも頷ける。


「月に一度水の入れ替えをする。忘れずに教えてくれ」


 シリウスがブルグレに任務を与えた。ブルグレが得意気に敬礼の真似をしている。その際の排水が窓や外壁を自動洗浄してくれるらしい。どこまでも賢い家だ。


「問題は、私が食事を作れないということなんですよ」

「俺が作ればいいんじゃないか?」

「だってシリウス仕事してるし。私どっちかといえば暇だし」

「サヤだってそれなりに動いているだろう? 掃除と洗濯はサヤに任せっぱなしなんだ、食事くらい作るよ。それとも、俺が作るのは嫌か?」


 嫌ではない。自分じゃできないことが情けないだけだ。それに掃除はノワのひと吹きだ。洗濯は洗濯機がやってくれる。アイロン掛けだって金属でできた鎧みたいなトルソーに着せるだけで一気に蒸気がシワを伸ばしてくれる。私はほぼ何もしていない。ここでは服を畳んで収納するという習慣がないようで、シャツもパンツも全てハンガーに吊す。下着やソックス類は適当に丸めてカゴにポイだ。


 割れ物を木箱から出し、元の位置に戻していく。今日中に終わらせないと。明日には本部が一斉に移動してくる予定だ。しばらくは本部の仮眠室で寝泊まりすることになっている。


「本部の食堂で食べてから帰ってきてもいい」

「そうだけどさ。なんかちょっと家で食べたいときとかお願いしていい?」

「凝ったものは作れないぞ」


 芋を揚げるくらいは私でもできる。塩をふることもできる。ただ、味付けができないのだ。塩をふる程度ですら、毎回しょっぱいか足りないかの両極端で、どれだけ注意深く、ときにきっちり計ったとしても、絶対に丁度いい塩加減にはならない。揚げ芋だって、誰かにタイミングを計ってもらわないと、確実に生のままか焦げるのだ。

 いつになったらこの嫌がらせのような聖女フィルターは解除されるのか。ノワを見れば肩をすくめられた。一生無理とか勘弁してほしい。


「そもそもこの家には調理器具がひとつもないよ」


 食器はそれなりに揃っているのに、調理器具がほとんどない。あるのは小さなナイフだけだ。今までいかに料理をしなかったかがわかる。


「やっぱり食べて帰ってこよう」


 それがよさそうだ。どうせ毎日本部に通うだろうし、休みの日は前もって適当なものを買っておけばいい。


「暇になったら料理教えて。味付け以外はできるようになりたい。味付けだけやって」


 シリウスたちは野営訓練のときにしっかり調理も習うらしい。


「わし、皮くらいなら剥ける」


 ブルグレの剥くは、前歯で囓っての剥くだから微妙だ。


「あのね、私だってそれくらいはできるから」

「お前さんの剥いた芋の皮より薄く剥ける」


 なにそのできるアピール。地味にイラッとする。


「俺もサヤよりは薄く剥けるな」


 シリウスまで……。思わずノワを見れば、ぷいっとそっぽを向かれた。


「皮はね、吐き出せばいいのよ」


 でた、大雑把。


「あんたさっきから大雑把大雑把って人のこと馬鹿にしすぎじゃない?」

「馬鹿にはしてないよ。かわいいなーって思ってるだけだから」

「それを馬鹿にしてるって言うのよ」


 猫パンチを避けたら羽ヒョウサイズになって威嚇された。わざわざ大きくなる必要ある?


「いいから手を動かせ」


 怒られた。




 翌日、本部が大移動してきた。

 秋晴れに浮かぶのは大型飛行船に牽引されるキューブハウスの群れだ。それはもう壮観のひと言に尽きる光景だった。

 最初は小さく見えた点がどんどん大きくなってくるにつれ、周りから大きな歓声が上がった。

 遙か後方まで連なる四角い銀の箱は、メキナから一旦内海に出て、アトラス沿岸部から再び内陸に入ってきた。

 先導しているのはいずれもポルクス隊の飛行船だ。牽引しているのは空軍の大型飛行船。海上を監視しつつ、報道関係者と各国の視察団を乗せた海軍の飛行艇も後に続く。現地で迎えるのは陸軍の建設工兵たちだ。

 陸海空全てが平等に関わることになった。そこに面倒な色々があったことは察してあまりある。アリオトさんがあまりにぐったりしていたので一度疲労回復したくらいだ。


 本部の設置は早くても二週間ほどかかる。それが完了したら、次は宿舎の移動だ。

 まず最初に設置されたのはシリウスの執務室とその控え室、それに仮眠室だ。次に設置されるのは元一階にあった食堂のテナント群。これを設置すれば炊き出しをしなくて済む。


 有り余る土地を最大限利用すべく、沿岸部にほど近い土地にひとまず全て平置きされる。それまでの鬱憤を晴らすかのごとく、配置計画図は馬鹿みたいに広大だった。シリウスはもう「好きにすればいい」と投げやりだ。




 シリウスのテリトリーが無事設置されたのを確認し、仮眠室で一泊した私たちはファルボナに飛んだ。

 どうやら噴火後に地形が変わったせいで雪解け水が流れ込んでいるらしく、ドヌ族のオアシスが今度は水に沈みそうだという。ノワの予測通りだ。


「湖だ」


 到着したドヌ族のオアシスは、対岸が遙か彼方にかろうじて見えるほど、その水面を以前とは比べものにならないほどまで広げていた。


「雨期でもこれほどまで水を湛えることはなかったそうだ」

「ってことは、雨期になったらもっとマズいことになるってこと?」

「水の流れができつつあるから、様子を見るしかないわね」


 少し高台にあるドヌのオアシスは湖のような大きな水溜まりに姿を変え、そこから幾筋かの水の道ができつつある。これが川になるのか、そのまま大地に浸み込むのかはまだわからない。

 ファルボナには高い山もなければ川もない、緩やかに波打つ広大な平野だ。


 ネラさんとルウさんがドヌの族長とともにやって来た。久しぶりに会った二人には疲れが見え、ドヌ族の族長共々こっそり左手で回復する。


「まだ硫黄臭いね」

「ねえ、この間も思ったんだけど、硫黄って物質自体は無臭なんじゃないの? あなたそう習ってるわよ」


 ノワの指摘に首を傾げる。そうだっけ? この卵が腐ったような匂いは硫黄臭のはずだ。違ったっけ? 違うような気もしてきた。化学教師がそんなことを熱心に言っていたような……まあ、どうでもいいや。ノワも指摘したもののどうでもよさそうだ。そもそも、腐った卵の匂いだって実際に嗅いだことはない。


 被害はファルボナの三分の一ほどになる。この湖の出現といい、灰の処理といい、復興が思うようにいかないらしく、オアシスを持たない部族はもちろんのこと、オアシスを持つ部族たちですら被災地を離れようとしているらしい。


「主食となる芋が採れなくなっている」


 火山灰によって土の質が変わったのか、この辺りで採れた芋は二回り以上小さくなった挙げ句、水分を多分に含んで腐りやすくなっている。比較的早いサイクルで収穫できる芋とはいえ、保存できなければ雨期の間は飢えに苦しむことになる。


「品種改良しないと駄目ってこと?」

「ここでは違うものを育てた方がいいだろうな」

「違うものって?」

「それはこれから学者たちが考える」


 ファルボナには今、多くの学者が滞在している。大気を調べたり、土を調べたり、水を調べたり、作物や動物、人への影響も調べている。彼らは一見、軍人のような体付きで、ずっとシリウスが学者だと名乗るのを胡散臭く感じていたのが馬鹿馬鹿しくなるほど、彼らは軍人っぽかった。おまけに、連合軍の学者が着ているのはシリウスたちと同じ訓練服だ。名乗られなければ見分けはつかない。


「ファルボナに川が流れそう?」

「流れるかもね。まあ、何年かかかるでしょうけど、可能性は高いわ」


 ノワのあの大雑把な力で、と思いかけてやめた。どう力を使うかはノワが決めることだ。


「いきなり変わるのはよくないと思うわ。あそこはこれからの場所だったから、少しくらいいいかなって思ったのよ」


 時間をかけて変わっていく。

 想像する。これからのファルボナを。


「いつか緑の大地に戻るのかな」


 学者たちと打ち合わせているシリウスを見ながら、戻るというのも違うような気がした。

 ファルボナは、今のファルボナだからファルボナなのに。

 自分でも何を言いたいのかわからなかった。これからのファルボナが上手く思い描けなかった。ただ、緑の大地となったファルボナは、もうファルボナではない気がした。


「前とは違うわよ」

「そう、かな」

「そりゃそうよ。元に戻ることなんて何一つないのよ。似たような感じにはなるだろうけど、まるっきり同じにはならないわ」


 それは、ファルボナのことだけじゃない、あらゆることを指しているように聞こえた。


「一旦戻るぞ」


 今回は現地の確認だけだ。だから、私とシリウスだけがノワの背に乗ってやって来た。

 上空から眺めたファルボナは、山脈地帯と地続きになって、それまで見ていたファルボナとはがらりと印象を変えていた。光を反射する広範囲の水の存在。水さえあれば全てが解決する、そんな甘い考えでいたことが恥ずかしくなった。






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