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アンダーカバー / Undercover  作者: iliilii
第五章 存続
72/80

72 私の真実

 乙女との面会の次は皇帝との面会だ。

 ここは言葉が通じないのをいいことに、シリウスに丸投げする。


『この皇帝、こう言っちゃなんだけど、かなり体調悪いよね』

──そうだな。色々誤魔化しているが、辛そうだ。


 顔色の悪さをファンデーションで誤魔化しているのがはっきりと見て取れる。調印式のときよりも皇帝の身体が二回りほど小さくなっている。

 それがわかっていても、皇帝に着席は勧めない。この人にはその辺はっきりさせておきたい。ちなみにシリウスは准聖人なので着席している。私が許可した。

 一国の皇帝を跪かせたまま話をしていることに、大帝国側からの無言の非難が突き刺さる。ただし、同席している神殿関係者からはさも当然だと思われていることが明白すぎて、彼らはあからさまな非難もできず、一層苛立ちを募らせているようだ。

 この事態を見越してなのか、メキナの神殿長が自分の側近の一人を派遣してくれた。これによって大帝国一の神殿の長も同席することになり、彼らは当たり前のこととして跪いたままだ。

 さぞや皇帝のはらわたは煮えくりかえっていることだろう。私のはらわたも煮えくりかえっているのでお互い様だ。諸悪の根源め。


──厄災の乙女がいないせいだと恨み言がすごいな。

『まだ私が厄災の乙女だって思ってる?』

──いや、そこは納得しているようだ。祝福の乙女が厄災の乙女じゃないことを嘆いている。いや、恨んでいると言った方がいいか。口に出せない分恨みが根深い。まあ、そういうことだ。


 この父にして第二皇子ありだ。再度厄災の乙女を呼び出して父を回復し、自分の立場を認めてもらおうという魂胆なのだろう。そんな計画ぶっ潰してやる。

 乙女といい、皇帝といい、その息子といい、本当に身勝手な人たちだ。自分の不調は自分でなんとかしろ。他人の命力を奪うな。それぞれの理不尽なやり方に怒りが爆発しそうだった。

 ふん、と鼻息を吐いたら、なぜか皇帝がびくっと震えた。




 嫌な気持ちのまま晩餐会に出席し、さすがに披露宴で慣れたせいか我ながらそつなく終えたと思う。乙女の女王様っぷりはある意味見事だった。


 部屋に引き上げると素早く動きやすい訓練服に着替え、姿を隠して第一皇子から聞いていた宝物庫へ向かう。ちなみに羽リスたちの話とも合致しているので、第一皇子の裏切りはない。その代償として連合国が自分に付くのだ、安いものだろう。


 何の変哲もない鉄の扉の左右には、聞いていた通り見張りが二人立っていた。宝物庫というくらいだから、もっと豪華な扉を想像していたのに、のっぺりしたなんの装飾もない扉だ。テレビでよく見るハンドル付きの分厚い金庫の扉でもなく、どう見ても学校でよく見る階段脇にある防火扉だ。


 まずは宝物庫の扉をバリアで覆い、閉じた状態に見えるよう、音が立たないよう、空気が流れないよう、呪文を唱える。

 羽リスたちが見張りの視界をさり気なく覆う。見張りが力持ちじゃないことは確認済みだ。見張りの視界がちかちかしているうちに素早く事を進める。

 渡されていた鍵で扉は簡単に開いた。姿を隠して扉の内側に滑り込んだのは、シリウス、ポルクス隊長、デネボラさん、ノワにブルグレ、そして私だ。エニフさんとレグルス副長が扉の外に見張りとして残っている。


 肝心の転移装置はあっさり見付かった。シルバーの円盤が入り口付近の壁に無造作に立てかけられていた。これ? これか? とみんなで視線を交わし合う。扱いが雑すぎやしないか。


『どうやって壊す? ノワわかる?』

「壊していいなら壊すけど」

『物理的にはまだダメだよ?』

「裏側を凹ませるのは?」

『ダメじゃない? バレるよ』


 そうなのだ。結局どうやって機能的に壊せるかがわからず、もしかしたら私なら壊し方がわかるかもしれないということで、まずは実物を見てみようということになったのだ。必要なら再三忍び込むつもりでいる。協力者がいる以上、事は容易だ。


 質感はアルミっぽいマットな金属製。直径一メートルほど、厚みは十センチくらい。ざっと見た感じスイッチどころかなんの装飾も見当たらない。

 裏側はどうなっているのかと、転送装置に手をかけた途端──私の意識はお手軽なほど簡単にぷちっと途切れた。




 ◇




「さやかちゃん、おきてよ。さやかちゃん」


 聞こえてきた懐かしすぎる声に飛び起きた。


「わあ、びっくりしたぁ。さやかちゃん、ゆっくりおきて」


 兄だ。いや違う、晃ちゃんだ。

 そうだ、どうして忘れていたのだろう。


 そこは私の家だった。正確には、私たちが子供の頃に暮らしていたマンションの一室、幼いころ三人で寝起きしていた子供部屋だ。

 懐かしい壁紙、懐かしいキルトラグ、懐かしいお片付けラック、懐かしい絵本と懐かしいおもちゃがそこかしこに散らばり、懐かしい匂いと気配がした。

 目の前には幼い晃ちゃんの顔。心配そうに目を瞬かせている。


「さやかちゃん、おきた?」


 頷くと、ぱあっと晃ちゃんの顔に笑顔が広がる。

 目の前にある自分の手が小さかった。ぷっくりした手の甲、柔らかな手のひら、小さく丸い爪、幼い私の手との再会は感慨深いものだった。手だけじゃなく身体も足も柔く頼りない。

 ラグの上で昼寝でもしていたのか、バスタオルがお腹に掛かっていた。


 立ち上がろうとして、それまでとはバランスが違うことに驚いた。一度尻餅をつき、けらけら笑う晃ちゃんに手伝ってもらいながら立ち上がる。安定感がまるでない。

 晃ちゃんに手を引かれ、部屋を出る。出たところに小さな晴ちゃんがしゃがみこんでいた。


「おしょい」


 そうだ。この頃の晴ちゃんはまだ上手く「さしすせそ」が言えなくて、よくからかわれていた。


「おばあちゃーん、おそといくー」


 玄関で晃ちゃんが声を張り上げると、リビングから「はいはい、いつものところにいてね。あとで一緒にお買い物に行こうね」と母方の祖母の声が聞こえてきた。

 この頃二人の祖母たちは毎日交代で子守に来ていた。


 晴を真ん中に三人で手を繋ぎ、非常階段を一段一段降りていく。子供だけでエレベーターに乗ってはいけないと注意されていたからだ。非常階段は子供たちの遊び場でもあった。あちこちにあるカラフルなチョークのお絵かきは、月に一度の清掃日に、そこに住む小学生までの子供たち全員で掃除することになっていた。


 幼い身体は思うように動かない。段差が思ったよりも大きく、壁に手を付け、なんとかバランスを取りながら、一段一段慎重に降りていく。こんなところで躓いたら、間違いなく死ぬ。恐怖を感じる一方で、ただ階段を降りるだけなのに妙にわくわくした。この頃はどんな些細なことにでもわくわくしていたような気がする。


 いつもの場所で晃ちゃんと晴ちゃんの三人でお団子のように固まる。この頃は頭を付き合わせ、飽きもせずアリの観察ばかりしていた。


 どうして忘れていたのだろう。

 この頃の私はちゃんと知っていた。

 晃は私の兄ではないし、晴は私の弟でもない。血の繋がりは一切ない。私は養子だ。


 私の親は晃と晴の親ととても仲がよかった。それぞれの幼馴染みであり、親友だった。

 だから、私の両親が子供を欲しがったときも、私の父親が余命宣告を受けたときも、私の母親が私を身籠もっていることがわかったときも、父が逝き、母が私を産んだときも、彼らは当たり前のように力になってくれたことを実の母から聞いていた。


 “さやかの名前はね、お父さんが付けたのよ”


 そのときの母の声をはっきりと憶えている。ふふ、と小さく笑う声も、その息遣いも、その口元に浮かぶ笑みも、目を細める仕草も、全部憶えている。


 “ふふ、秘密の名前よ”


 彼女の白く細い指先が引いた線を一生懸命なぞって覚えた。


 “お日さまの名前を持つお父さんと、お月さまの名前を持つお母さん、二人の子供だから(さやか)。この字はね、本当に好きになった人にだけ教えるの。素敵でしょ?”


 晃の母の家に伝わる秘密の名前なのだと、口元に人差し指を立て、母は片目を瞑って見せた。

 その母もまた逝ってしまったとき、彼らはそれが必然とばかりに私を自分たちの子供にしてくれた。私自身もそれになんの疑問も思わなかった。そこに加わることを当たり前のように思っていた。


「元々縁があったのよ。その縁を当たり前に結んだだけ」


 その時、今の母に言われた言葉だ。幼かった私には意味などわかるわけもなく、わかったのは「一緒にいるのは当たり前」ということだけだった。

 実際、晃と晴となんの隔たりもなく育てられた。晃の小学校入学を機に、それまでより広く祖父母たちの家により近いマンションを購入した今の両親の庇護下で、年子の三兄弟として何不自由なく育った。同じ家で育ち、同じものを食べ、同じ空気を吸い、一緒に褒められ、一緒に叱られ、一緒に笑い、一緒に泣いた。


 どうして忘れていたのだろう。

 ずっと忘れていた。晃は兄だと思っていたし、晴は弟だと思っていた。両親は間違いなく私の両親だと信じて疑わなかった。

 そこにはなんの綻びもなく、私は当たり前に私の家族と一緒にいた。あまりに当たり前に幸せで、それをいちいち実感することがないほどの幸福に包み込まれていた。


 それを突然思い出したのだ。

 あの日──何が切っ掛けだったのか。ふと、自分が養子だったことを思い出したのだ。


 途轍もない衝撃だった。自分の全てがひっくり返ったような気がした。

 最初から知っていたはずなのに、そんな風にショックを受けている自分が不思議で、不思議なのに衝撃で、どうして忘れていられたのかがわからなくて、何がなんだからわからないままどこかに迷い込んで──また、私は忘れた。


 突き合わせている晃と晴の頭から体温が伝わってくる。さらっとした晃ちゃんの髪の感触。少し汗ばんだ晴ちゃんの髪の感触。二人の息遣いが聞こえる。二人の匂いが私を包む。アリの列を眺める。意味もなく楽しかった。当たり前に幸せだった。


 ふと思い出した匂いと体温。

 どうして今、私は(、、)ここにいるのだろう。


 シリウスは?

 ノワは?

 ブルグレは?


「サヤ。どうする?」


 聞き慣れた声に勢いよく顔を上げる。黒い布をすっぽり被った、大きく怪しげな影が目の前にあった。

 私のことをその音で呼ぶ人は、この世界にはいない。


「無理して後ろ足で立ってるから早く決めて」

「無理に二足歩行しなくてもいいんじゃないの?」

「小さくも大きくもなれなかったのよ。このサイズでいたら通報されちゃうでしょ」


 暗幕みたいな黒い布を頭の上からすっぽり被って、後ろ足で立っているせいか全体的にぷるぷる震えている。今の姿も十分通報レベルだ。怪しいことこのうえない。

 おまけに足元からしっぽの先が覗いている。よく見れば黒い布は真っ黒な遮光カーテンだ。カーテンフックが付いたままになっている。


「盗んだ?」

「失礼ね、借りたのよ」


 うんせ、とバランスを崩さないよう慎重に立ち上がる。子供の身体はどれだけ不安定なのか。おまけに視野が狭くて怖い。見上げる羽ヒョウがいつも以上に大きく見えた。


 どうしようもないほど、子供の視界は狭かった。

 どうしようもないほど、真っ直ぐ見ることしかできなかった。


「私どうなるの?」

「このままここにいれば、子供のあなたの人格と今のあなたの人格が融合していくんじゃないかしら。そのまま最後までここにいられるんじゃない? でも、戻るなら今しかないから」


 見上げるノワの背後、空が青かった。

 どうしようもないほど、青かった。

 気が付けば、差し出されたノワの前足に手を伸ばしていた。


「さやか!」


 晃ちゃんの声が聞こえた。小さな身体で幼い私を必死に抱き止めている。


「どっかいけ!」


 身体を張ってノワを威嚇しながら、晴ちゃんが堪えきれずに泣き出した。



 小さな身体に押し込められていた意識がふわっと陽炎のように浮かんだ。



 見下ろせば小さな私がいた。

 晃の両腕にしっかりと掴まえられ、晴が泣きながら立ち防いでいる。それを当たり前のように感じている幼い私がいた。


 ごめん。私を巻き込むのは私だ。




 ◇




 目が覚めた瞬間、視界に飛び込んできたのはシリウスだった。

 それにほっとしている私がいた。

 いつの間にか、私はこれを当たり前だと思っている。幼い私が晃と晴に守られることを当たり前だと思うように、今はシリウスに守られることを当たり前だと思っている。


「サヤ」


 心配させてしまった。濃い青の瞳が涙に滲んでいた。握られている手は痛いほどだった。


「よく戻って来た」


 そう言いながら、シリウスはしきりに私の頭を撫でた。目尻に唇が落とされた。

 私は泣いていた。


 本当によく戻って来た。

 自分でもそう思う。戻って来た今でもそう思う。


 確かにあの瞬間、ノワに「最後までここにいられる」と言われた瞬間、心の底から湧き上がってきたのは、このうえないほどの安堵と喜びだった。

 それなのに、さらにその奥底で何かが叫んだ。静かに、けれど、狂おしいほど必死に。私の手は勝手に動いた。なんの実感もなく勝手に。


「もしかして夢?」

「そんなわけないでしょ。ちょっと私を癒やしなさいよ」


 漆黒の巨体がベッドの脇にいた。


「小さくなれないの?」

「力を使い果たして勝手に大きくなっちゃったのよ。いいから先にちょっと力分けて」


 身体を起こせば、どこにも不調はなかった。シリウスが水を飲ませてくれた。人心地ついてからノワに左手で触れる。いつの間にかパサついていた黒の毛並みが見る間に艶を取り戻していく。


「もういいわ」

「もういいって……私の方がぐったりだよ」


 とんでもない疲労感に襲われた。これ、ダウン寸前だ。

 手を伸ばせばシリウスに抱き留められる。寄り添うようにベッドに腰かけたシリウスに、ほっと息を吐いて寄りかかる。いつも以上にシリウスにがっちり抱えられた。


「サヤは七日、目が覚めなかったんだ」


 ほんの小一時間が七日。

 道理で目覚めた瞬間、トイレに行きたいと思ったはずだ。感動の目覚めなのに色々ごめん。


 転移装置に触れた途端、精神だけが元の世界に戻された、ということらしい。

 ならば、あれに乙女が再度触れると彼女は元の世界に戻れるということか。存在が消える前に戻れるなら戻ればいい。そう思う一方で、心に黒いものが広がっていく。


「無理ね。もう壊れちゃったから」

「壊したの?」

「失礼ね、壊れたのよ」


 隣に寝そべっているノワが、ふんと鼻息をかけてきた。


 私が意識を失った瞬間、あの転移装置が一瞬だけ光り、慌ててノワが私に続き、ノワが消えた瞬間、転移装置は僅かに色褪せて見えたらしい。

 シリウスは、それまで感じていた転移装置からの微弱な波動のようなものがきれいさっぱり消えていることに気付き、同時に、ポルクス隊長たちの迷彩が解けかけかけていることにも気付いた。慌てて私を担ぎ上げ、レグルス副長に撤退を命じ、念のために確保していた脱出経路を使ってその場を離れたらしい。

 羽リスたちはあのお城の隠し通路まで見付けていた。ちなみにシリウスたちもその一部は把握していたものの、羽リスたちのおかげでコンプリートできたらしい。


 これでもうこの世界に外界から呼ばれてくるものはいなくなる。私がここに存在する間は降臨もない。

 それでも、この世界が外界の存在を必要とするなら、なんらかの形でまた迷い込んでくるのだろう。

 ノワが静かにそう語った。


「ノワって、世界を越えられたの?」

「超えられないわよ。あなたと繋がっていたからこそ、たどり着けたの。シリウスとブルグレに繋がっていたからこそ戻って来れたのよ。どれかひとつでも欠けていたら、揃って戻って来ることはできなかったでしょうね」


 ドヤ顔のブルグレを両手で揉んでやる。思いっきり揉んでやる。かわいい顔で気持ちよさそうにしているのに、聞こえてくるのは「うへ、うほ、そこそこ、もっちと強く」というおっさんの変態声だ。ひとしきり揉んでから宙に放り投げておいた。嬉しそうで何より。






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