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アンダーカバー / Undercover  作者: iliilii
第四章 喪失
54/80

54 准聖人

「神殿から准聖人の称号をもらった」

「へーえ」

「あら、よかったじゃない」


 ノワの一片の感情もこもっていない上辺だけの言葉に、シリウスが小さく声に出して笑った。


 披露宴でシリウスがノワに果物を食べさせたことが神殿側に途轍もない衝撃を与えたらしい。霊獣がそこまで許す者をただの人とするには神殿側の都合が悪いらしく、聖女の配偶者だから聖配の称号を勝手に与えようとしていたのを慌てて准聖人の称号に変えたらしい。

 ノワ曰く「ばっかみたい」だそうな。ちなみに私も同じことを思った。当事者でなければ「すごい!」と手を叩いて喜んだかもしれない。


「ノワのおかげだな」

「あのラグのお礼よ」


 シリウス個人としてはどうでもいいことでも、連合本部的にはメキナ神殿長よりも上の称号を与えられたことはものすごく大きなことらしい。連合国総長が神殿の上に在る。神殿は世界中に存在している。神殿側も苦渋の決断なのだろう。


「ポルクス隊長の高笑いが止まらないんだよ。そろそろ砦に戻ってくれと言っても戻らん」


 本部に出勤する直前、そう嘆いたシリウスに、私もノワもブルグレまでもが重いため息を吐いた。




 今日も今日とて、ポルクス隊長はシリウスの執務室に入り浸っている。ポルクス隊長にも執務室があるはずなのに、なぜかシリウスの執務室で当たり前のように仕事をするのだ。シリウスとあれこれ会話しながら次々処理していくのを見るに、ここでやる方が効率いいのかもしれない。


 が、彼の狙いは別にある。これがかなり鬱陶しいのだ。


 私が長椅子にだらしなく座っていても、靴を脱いで寝そべっていても、ポルクス隊長は咎めるどころか孫を見るおじいちゃんのように目を細めてにこにこしている。ポルクス隊長がご機嫌すぎて不気味だ。とはいえ、シリウスのそばにいるのが一番迷惑がかからないので、不気味ながらも注意されないのをいいことに勝手気ままに過ごしている。


 ファルネラさんたちは聖女宮殿に五日ほど滞在し、メキナ王都を観光して帰っていった。

 ちなみに私とシリウスも色を変えて、エニフさんとデネボラさんは護衛ということで、彼らと行動を共にした。初めてカフェに入った。お菓子屋さんにも行った。仕立屋さんにも寄った。

 何もかも初めてだ、とはしゃいでいたら、奥さん四人にかわいそうな目で見られ、ダファ族長の奥さんがおやつを買ってくれた。

 別れ際、私があまりにしんみりしていたせいか、ダファの族長さんと次男さんが「また遊びにおいで」と誘ってくれ、ファルネラさんのお父さんとボナルウさんのお父さんも「いつでも遊びにおいで」と言ってくれた。嬉しくて、シリウスもノワも反対しなかったのでみんなに加護を与えた。ついでにおやつを買ってくれたダファ族長の奥さんの腰痛も治した。

「時々でいいからガルウたちに果物あげて」というノワの通訳をシリウスがしたところ、すでにファルネラさんの長男がこっそり仔ガルウを餌付けていたことが判明し、大人たちが大いに慌てていた。


 ファルネラさんとボナルウさんは一旦ファルボナに戻り、諸々を片付けてから聖女宮殿に引っ越してくる。

 あくまでも族長交代までの出稼ぎになるけれど、本部での聖女の護衛として勤務してくれることになった。ポルクス隊長が砦に欲しがったのをシリウスが頑として譲らなかった。私も二人に慣れていると断固として譲らなかった。

 引っ越してくるのは、ファルネラさんとボナルウさん、ファルネラさんの長男、ダファ族長次男の息子の四人だ。


 聖女宮殿はポルクス隊の宿舎にもなる。表向きは護衛として宮殿警護を掲げているけれど、実際はただの宿舎だ。広い庭は鍛錬にちょうどよく、人目に付かない中庭では人目についてはいけない訓練をしていたりもする。

 ポルクス隊長が宮殿改装に妙に張り切っていたのはそういうわけだ。


 宮殿の地下には怪しい研究所も造られており、怪しい実験が行われているらしい。人体実験や化学兵器や生物兵器を製造しているわけではないというので、とりあえず私は知らない振りをしている。どちらかといえば薬品を作っているらしい。


「なんで薬の開発が秘密なの? あー、そういえば私のいた世界でも新薬の開発は秘密だったかも」

「神殿が植物から作る薬の研究に力を入れている。軍では鉱物から作る薬に力を入れている」

「もしかしてさ、幻覚とか見ちゃう薬もある?」

「痛みを緩和する薬か? 摂取量によってはありもしないものを見るといわれているが」

「依存性は?」

「なんだ、難しい顔をして……」


 思考を読んだシリウスが黙り込んだ。

 レグルス副長とアリオトさん、エニフさんが執務室に入ってくる。肘掛け椅子に座っていたポルクス隊長がシリウスの机の前に立ち、険しい顔で話しかけている。


「ここ数年出回り始めたようで、痛みを和らげると評判もいいんだが……」


 時々私に説明しながら、みんなと話すシリウスの声に耳を傾け、何が話されているのかを予測する。

 似た世界なら似た植物もある。確かアヘンはずっと昔からあったはずだ。

 憶えているのはアヘン戦争くらいで、それ以前はどう扱われていたか記憶にない。どんな作用があるのかもはっきりわからない。ハイになって、中毒になって、身体がボロボロになることくらいしか知らない。

 ここにだって元々そういった類の薬は大昔からあったはずだ。


「あるな。表立っては取引されていないが。それを取り締まるのもポルクス隊の仕事だ」


 ここでは鉱物のひとつがそれに当たる。熱を加えると独特の煙を出すのだとか。今まで植物には注目してこなかったらしく、慌ててメキナ神殿長に使いが出された。


「ねえ、これまずい? 知識を与えたことになる?」

「まあいいんじゃない? さすがにアヘンと同じだとは思わないけど、幻覚が現れているって症例があるなら、知識を与えたというよりも単に警告しただけとも言えなくはないわよね」

「なんか、ぐだぐだだね」

「まあ、しょうがないわよ。もう知られちゃったし。知識を与えない方がいいっていうのはあくまでも私の考えってだけだから」

「でも私もシリウスもそこは納得しているよ」

「ここにない物の知識を与えないようにはするべきよね。ここにある物の知識は、まあ、いいんじゃない? 前にもシャワーの金具作ったでしょ。で、ここはどう?」


 快適ですよ、ノワさん。

 ノワは今、私の背に乗りふみふみしている。私の背の踏み心地はイマイチらしい。私は快適だ。できればもう少し腰のあたりを重点的にお願いしたい。あとふくらはぎ。


 聖女宮殿の膨大なゲストルームには、全室バスタブとシャワーが完備されている。そこを宿舎として使用しているポルクス隊が絶賛していた。あのシャワーの金具を開発した人だと紹介されたゾル族長が崇められていた。水圧の調整もできる優れものだ。彼にもちゃんと開発費が支払われている。


 宮殿管理はポルクス隊員の奥さんたちが住み込みで担う。なぜかポルクス隊長の奥さんがリーダーだ。家族を家に残しておくよりも、宮殿に住み込ませた方が安全な上、家族持ちを宮殿任務にすることで離れ離れが解消される。そもそも家庭を持つとポルクス隊を外れる人が多い中、残ってくれた貴重な戦力だからできるだけのことはしたい、というのがポルクス隊長の弁だ。だがしかし、それは表向きの理由で、実は自分が奥さんと一緒にいたいだけなのだ。


 ポルクス隊長が妙に張り切っていた一番にして最大の理由がそれだ。


 ポルクス隊長の奥さんはこれがまたものすっごい美人なのだ。一見冷たい感じがするくらい整いすぎた容貌が、ポルクス隊長の前では、へにゃん、と崩れる。それがまたかわいいのなんのって。

 元々奥さんは本部の事務員として働いており、双方出会い頭に一目惚れ、すったもんだの末結ばれたらしい。すったもんだのあたりはポルクス隊長がでれっと鼻の下を伸ばした気持ち悪い顔で語っていたのでスルーした。


 ポルクス隊長のデレが鬱陶しい。


 ポルクス隊長の奥さん、アルヘナさんは元々有能な事務官だったため、ついでとばかりに職場復帰した。聖女宮殿の管理を一手に引き受け、アリオトさんの下で働いている。アルヘナさんとアリオトさんが何かを話すたびに、ポルクス隊長が嫉妬のあまりぎろっと睨むものだから、アリオトさんが挙動不審になるという悪循環が出来上がっている。


「ポルクス隊長、いい加減砦に戻ってくださいよ。デネボラさんと交代してくださいよ。エニフさんだって旦那さんに会いたいんですよ。新婚なんですよ、邪魔しちゃ悪いでしょーが」


 真面目に訴えたら何かが通じたのか、メキナ神殿長たちとの会合の翌日、ポルクス隊長は一人淋しく砦に戻っていった。


「奥方に怒られたらしい」


 やっぱり。シリウスを息子か弟のように可愛がるアルヘナさんが、この悪循環を見過ごすはずもない。シリウスも母か姉のように慕っていて、久しぶりの再会についついあれこれ愚痴ったらしい。


 そのアルヘナさんは隙あらばノワを撫で回そうとして空振りに終わり、そのたびに「私何もしていません」風を装うから、私とエニフさんの腹筋が日々鍛えられている。


「で、アヘンもどきはどうなったの?」

「ひとまず使用中止となった。ただ、あれ以上の鎮痛薬がないことから反発も出ている」


 鎮痛剤か……その辺の知識は私にない。市販薬の商品名しか知らない。

 軍に所属する医者は主に外科医、神殿に所属する医者は主に内科医だ。正確な分類ではない。私の印象だ。西洋医学と東洋医学に分けられるかもしれない。

 その内科医の間で使われていたのがアヘンもどきだ。

 両親が医療系の仕事をしていたにもかかわらず、まるで関心がなかった私は、ウィルスの研究をしていた父からも、看護師だった母からも、詳しい話を聞いた覚えがない。こんなことなら、と考えたところで後の祭りだ。


 ここは見ざる聞かざる言わざるを徹底しよう。触れちゃいけないところだ。調子にのって、聖女の力で何とかしよう、なーんて思いかねない。アホな私ならついうっかりやりかねない。


「それがいい。一人でも治癒すれば際限なく治癒し続けることになる」


 拉致監禁搾取ルートだ。


「そういえば、精霊が治癒する者を見付けてくるという話はどうなった?」

「その基準が決められないみたい。精霊が好む人って、力があって見返りをくれる人になるから、公平じゃないんだよね」


 ブルグレとのやりとりが思考から伝わったのか、シリウスも難しい顔になった。

 ブルグレに「お腹にナイフが刺さったアリオトさんと、指先に棘が刺さったレグルス副長、さて聖女が治癒するのはどっち?」と訊いたら、自信満々に「レグルスじゃ!」と答えた。「なぜ?」を訊けば「レグルスなら食い物持ってそうだからじゃ」という情けなくて涙が出そうな答えが返ってきた。

 精霊は欲深い生きものである。


 結局、何もしないのが無難、という結論に落ち着いた。




 そんなこんなでひと月などあっという間に過ぎ去り、ファルネラさんたちが聖女宮殿に引っ越してくると同時に、まずは最初の訪問先であるメキナの隣の国で開かれる披露宴に向け出発した。

 ティアラと王冠をそれぞれ頭に載せ、前回とは違うドレスに身を包み、毎回同じ正装姿のシリウスと一緒に披露宴に出席する。隣国だったのをいいことにその日のうちに帰ってきた。


「いいのかな、滞在しなくて」

「したかったか?」

「普通に観光できるならしたかった」

「普通に観光はできないな」

「そのうちこっそり遊びに行きたい」


 という会話を繰り返しながら、ひと月かふた月に一度のスケジュールで披露宴を消化していく予定だ。


 披露宴の前に国王夫妻に面会する。その国の代表となる数人の神殿の長たちとも面会する。ほんの数十分のことだけれど、ただ「聖女に会った」ということが彼らのステイタスになる。

 だからこそ、ほんの少しでも特別なことをしてはいけない。ほんの少しでも特別なことがあれば、自分たちは特別だと思わせてしまう。


「めんどくさー。シリウスよくこんなの耐えてるよね」


 連合国の長であるシリウスも似た状況にある。そういうことも踏まえて、宿泊せずに帰ってくるか、宿泊するならリムジン飛行船で、となる。


「ネラが表と裏で違いすぎると嘆いているぞ」

「人間オンとオフがないと窒息するよ」


 リムジン飛行船に戻って来た途端、革靴とドレスを脱いで、ソファーにひっくり返る。

 ファルネラさんの名前は正しくはゾルネラ、ボナルウさんはザァナルウだ。最初に部族の名前、次に家を表す一音が入り、最後に個人を表す一音が付く。部族間では最後の二音で呼ばれるらしい。ファルネラさんはネラ、ボナルウさんはルウとポルクス隊のみんなに呼ばれている。シリウスもそう呼ぶ。私もそう呼ぶことにした。

 そんな簡単に名前を教えていいのか、と訊けば、傭兵時代もそうしていたらしい。ファルボナでは名前を教えることが信頼の証であっても、ファルボナから出たらそこの流儀に従うことを傭兵時代に学んだのだ、と二人とも笑っていた。


「サヤ、上に一枚羽織れ」


 シリウスに渡されたガウンを羽織る。ドレスの下にはシンプルなワンピースを着ている。逆かな。シンプルなワンピースの上に、ドレスみたいなロングジャケットを重ね着する。コートのような前あわせのドレスを大きめのリボンで結ぶのが最先端らしい。


 ドレスのデザインは普遍的に変わらないのかと思えば、それなりに流行があるらしい。

 少し前まではプリンセスラインが、その前はベルライン、その前はスレンダーラインが流行ったらしい。今はカシュクールのAラインだ。


「お腹減ったー」

「もう少しでエニフが戻る」


 全ての料理をひと口ずつ食べる。つまり、一口以上食べるなということだ。

 体調不良だったり、どうしても口に合わないものがあったり、量が多くて食べきれないということがないよう、最初からどの品もひと口しか食べてはいけないことになっている。

 聞いたときは、もったいないと思ったものの、それがマナーだと言われれば仕方がない。だからなのか、盛り付けに趣向を凝らすようになったらしい。たまにどこを食べればいいのかわからないものもある。


 変装したエニフさんが軽食を買ってきてくれた。みんなでそれを食べながら帰路に就く。


「今日のあのババロアみたいなデザートは全部食べたかった」

「確かにあれは旨かったな」


 見た目おいしそうに見えなくて、ひと口を小さめにしたことをものすごく後悔した。


「礼状にあのデザートおいしかったって書いておいてよ」

「意地汚いぞ、サヤ」

「いいじゃん、もしかしたら送ってくれるかもしれないじゃん」

「あれは日持ちしないだろう」


 披露宴の後、間を置かず礼状を出す。実際に礼状を書いているのはアリオトさんだ。差出人も聖女ではなくシリウスになる。


「お店に売ってるかな?」

「売ってないだろう。作っているのは城の料理人たちだ」


 つくづく惜しいことをした。






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