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アンダーカバー / Undercover  作者: iliilii
第一章 始まり
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05 国境の砦

 羽ヒョウの背に乗って連合国上空を駆け抜ける。

 空は青く雲は白い。海も青く木々は緑。太陽は眩しく真昼の細月は白く儚い。

 あまりに目に馴染む景色。

 一体ここが何処なのかがわからなくなるほど、自然というカテゴリに違和感がない。羽ばたく大きな黒いヒョウ、肩に乗る翼の生えたリス、角の生えた鳥、以外は。

 鳥の頭に角が生えている。思わず凝視した。それなりの大きさの、おそらく猛禽類には小さな角がある。箱檻の丸窓から見えていた小鳥には角など生えていなかった。地味に怖い。まるで羽ヒョウに挨拶するように近寄ってきては離れていく。




 シリウスは私を呼び出した大帝国とは別の、連合国の出身だった。

 この世界はそのふたつの国にざっくり二分されている。はっきりとわかりやすいのは、大帝国は赤から黄色の髪や瞳を持つ人たちの、連合国は青から緑の髪と瞳を持つ人たちの国だ。


『シリウスが珍しいわけじゃないんだね』

──連合国ではそこまで珍しくないな。


 初めてシリウスを見たとき、闇に沈むその濃い青の髪も瞳も珍しいと思った。それまで私が見ていたのは暖色系の色ばかりだったから。


 大帝国は一人の大帝が頂点に立ち国を治めているのに対し、連合国は大小の国がまとまってひとつの大きな組織みたいになっている。おそらくEUのようなものだろう。


 シリウスが「霊獣の塔」と呼んでいた遺跡のような場所で三日ほど過ごした。といっても、そのうち丸二日は寝ていた。丸一日かと思っていたら、実際は丸二日も寝ていたらしい。

 ようやく私が目覚め、シリウスの仲間が心配しているだろうと、そのふたつの国の境にある砦にひとまず羽ヒョウが送ってくれることになった。


 案の定、眼下は大騒ぎとなり、だから言わんこっちゃない、とげんなりした。

 こんなとき、騒がれることに慣れていたり気分よくなれる性格だったらよかったのに、と思わなくもない。


 もっとこっそり送ってくれてもいいのに、羽ヒョウはそれを頑なに拒んだ。シリウスも羽ヒョウに同意した。

 私の存在は隠しようもなく、むしろ霊獣の加護があることをこれでもかと見せつけた方がいいと言われる始末。

 どうせ帰れないのならこのまま霊獣の塔にいたいという私のわがままは、羽ヒョウにもシリウスにも却下された。


 ここはね、肉体を持つものが長くいていい場所じゃないのよ、と申し訳なさそうな目をする羽ヒョウを見てしまえば、それ以上のわがままなど言えるわけもなく、二人が最善と判断したシリウスの国に行くことにした。


 誰かに利用されるのも、血の珠を自分の意思とは関係なく使われるのも、もう二度とごめんだ。どこかでひっそり暮らしたいと思っていたのに、それすら無理だった。

 あろうことか、大帝国では大々的に厄災の乙女の捜索が行われており、逆に連合国では聖女の降臨がまことしやかに囁かれているという。そして、大帝国に潜んでいたシリウスの仲間が霊獣の背に乗る私とシリウスを目撃したらしく、シリウスが聖女と霊獣に拉致られた、と彼の仲間内では大騒ぎらしい。


『だったらなんで大帝国でも聖女ってことにならないの?』

「今更だからでしょ」

『なにそれ』

「元々そういう国なのよ、あそこって」

──祝福の乙女がいる以上、聖女の降臨を認めるわけにはいかないだろう。

「厄災の乙女が実は聖女でしたーなんて、言うわけないじゃない」

『あー、なんだっけ、惑わしの力だっけ? あれ? だったらなんでシリウスは私を助けてくれたの?』

──厄災の乙女だとは思わなかったから、だな。

『なんで?』

──なんでだろうな、思わなかったんだよ。


 思っていることや考えていることを口に出さずに伝えられるのは便利だ。どんなときでもスムーズに会話ができる。たとえ絶叫マシンのような羽ヒョウの背に跨がり、こみ上げてくる胃の中の何かを懸命に堪えながら口の中を生唾で一杯にしてシリウスにしがみついていたとしても、だ。




 降り立ったのは連合国の国境にある砦。

 シリウスは連合国軍に所属する諜報員で、この砦に配備されている部隊に所属している。思考が読める彼にはぴったりの職業だろう。


 羽ヒョウが降り立つ頃にはすでに地上には人集りができていた。羽ヒョウが騒いでくださいとばかりに低空をこれ見よがしに駆けてきたのだから仕方がない。

 大帝国から逃げるときとは大違いだ。あの時は一気に上空へと駆け上がり人目を避けた。


 この世界で真白な翼を持つものは霊獣か精霊しかいない。

 肩に乗るブルグレは、用もないのに小さな白い翼を広げて精霊アピールに余念がない。残念なことに誰の目にも映る霊獣とは違い、精霊は力を持つものにしか見えない。力を持たない人には幽かな煌めきのように見えるらしい。


 羽ヒョウが地に足をつけた瞬間、そこにいた全ての人が一斉に跪いた。

 今まで見たことがない髪の色に目を丸めつつ、一斉にひれ伏した人々に妙な感動を覚えていると、羽ヒョウの「なんとかして」の声にシリウスが何かを叫び、その瞬間、今度は一斉に起立した。これまた一糸乱れぬ素早い行動に感動する。

 全員がシリウスと同じワークシャツにカーゴパンツ、編み上げブーツを履いている。全てが黒っぽい。

 おそらく偉い人なのだろう、シリウスが敬礼し、頭に響くのと同じ音で何かを話している。


「私も真似した方がいい?」

「あんたバカなの? 聖女なんだから堂々としてなさいよ」


 羽ヒョウの呆れきった目にちょっとむっとする。聖女とかどうでもいいし。


 世界が変わっても敬礼の仕方が同じであることに複雑な思いがした。たしか大帝国では胸に手を当てていたような気がする。

 集まっている全ての人の視線が私と背後の羽ヒョウにこれでもかと突き刺さる。いたたまれなくて視線が彷徨う。集団の視線は怖い。

 視線から気を逸らすべくさりげなく周りを観察すれば、要塞みたいな建物意外は人の陰になって見えなかった。上空からは要塞の背後に広がる草原の先に一本の線が見えていた。おそらくそれが国境なのだろう。


 程なくして偉い人が何かを指示し始めた。

 それに応えるよう、人だかりが蜘蛛の子を散らすように一斉に蠢き、その大半が消えた。

 赤毛や栗毛、金髪はこれまでにも見たことがある。さすがに真っ赤や真っ黄色は珍しくとも、もしかしたらいるかもしれないと思える色だ。

 それに引き替え、青から緑はさすがにウィッグやカラーリングでしか見たことがない。私が知る自然の髪色からは大きく外れている。シリウスの紺色なんてテレビの中でも見たことはない。


──砦に聖女様が滞在できるような快適な部屋はないんだ。質素な客間で我慢してくれ。


 聖女様、と頭に響いたとき、シリウスの目にからかいの色が浮かんでいた。今更シリウスには聖女様などと呼ばれたくない。とはいえ、他の人はそうもいかないのだろう。

 ややこしいことになりそうな予感にうんざりする。




 霊獣の塔にいる間、どれほど言葉がわかるようになれ! と念じても、シリウスの話す言葉はわからないままだった。羽ヒョウが言うにはどうやら私が聖女だかららしい。


「聖女は与えるもの、乙女は奪うものなのよ」


 つまり、私の持っている言葉の知識を与えることはできても、シリウスが持つ言葉の知識を得ることはできないらしい。


「なんかそれって、すっごく損な気がするんだけど」

「なんにもできない私よりはいいんじゃない?」


 そうは言っても、シリウスの態度を見ていれば霊獣や精霊が尊い存在だということはわかる。


「つまり、シリウスがいなかったら私は言葉すらわからないと……」

──まあ、ゆっくり覚えていけばいい。

「無理ね。言葉の知識を得ることも覚えることもできないわ」


 それは、奪えないことと関係しているか。得るということはある意味奪うと同じことになるのか。

 羽ヒョウの申し訳なさそうな目を見れば、間違ってはいないのだろう。

 どうして羽ヒョウはそうも申し訳なさそうな目をするのだろう。何一つ彼のせいじゃないのに。


「霊獣なんていわれていても、何もできないのよ、私は」

「そんなことないでしょ。あそこから逃げられたのは間違いなくあなたがいたからだよ」


 それに霊獣といわれる存在は泣きそうな目をしていた。


「名前、なんていうの? 私はさ──」

「やめなさい!」


 必死の声に思わずびくっと震える。何か悪いことした? 名前を聞いちゃいけないとか?


「あんたバカなの? 今真名を名乗ろうとしたでしょ! 聖女の名前は力を持つの。誰にでも教えていいものじゃないわ」


 もう何を言われているのかさっぱりわからない。名乗ってはいけないなんて知らないし。


──シリウスは通称だ。本当の名は別にある。力を持つものですら本来の名を隠す。聖女ならなおさらだろう。

『本当の名前教えらたらどうなるの?』

──繋がる。


 ますます意味がわからなくて眉をひそめる。


「具体的にどうなるってわけじゃないのよ。ただ、いざって時にその繋がりが何らかの作用を生むの。あなたの場合はおそらく自動的に癒やしの力が使われてしまうんじゃないかしら」

「別にそれくらいならいいじゃん。さやかだから。私の名前」


 一気に言えば、羽ヒョウが呆れた顔をした。

 シリウスはなぜか驚いている。


「あの時、真名を教えたのか!」


 頭に響く声と同時に、意味のわからない言葉も聞こえた。思わず声に出して叫んだらしい。


「だって、知らなかったし。自動的に癒やされるなら安心でしょ?」


 ブルグレだけはその通りだとでも言うように頷いている。

 そもそも思考が読めるなら、シリウスは真名を知り放題じゃないのか。


──真名は伝わらない。本人が意思を持って教えようとしない限り思考からも伝わってこない。

「もしかして、それくらい大事なものなの? 名前って」

──力を持つものにとっては。いざというときに力が奪われかねない。


 まあいいや。教えてしまったものは仕方ない。だってあの時はうれしかったんだもん、ここに来て初めて名前を訊いてくれたことが。


「ねえ、なんでそれがブルグレなの?」


 皺を寄せるのは人もヒョウも同じなのか、眉間というよりは鼻の上に薄らと皺を寄せた羽ヒョウがなぜか得意顔のブルグレに視線を移しながらそう訊いてきた。


「身体の色がブルーグレーだったから」

「なら私は?」

「んー、真っ黒だから……えっと、ブラック、ネロ、ノワール……あとなんだけ、シュヴァルツ、オニキス、ジェット、カラスの濡れ羽色?」


 思い付く限りの黒を呟く。他にも色んな黒という言葉があったような気がするものの、今は思い浮かばない。


「どれが一番ぴったりなわけ?」

「んー……ノワールかなぁ。うん、ノワールだ。略してノワ」


 羽ヒョウがにんまり笑う。牙が見えて何気に怖い。ブルグレが、きゃいん、と声を上げ、シリウスは片手で目元を覆い天を仰いだ。


「なに?」

──霊獣に名を授けた。

「ダメなの?」

──ダメではないが……俺はシリルクラウスだ。


 なるほど、それでシリウス。

 感心していたら、羽ヒョウにもブルグレにもシリウスにも呆れられた。


「なに?」

「知らないって暢気でいいわね」

「なら教えてよ」

「教えなーい」


 だったら嫌味も言うな。




 案内されたのは砦の最上階にある執務室らしき場所だった。

 エレベーターはないのかと文句を言いたくなるくらい、長い階段を上らされた。日本の建物よりも天井が高いせいか階段も長い。


──すまんな、予算の関係で昇降機はないんだ。


 むしろエレベーターがあることに驚いた。


──いや、サヤの考えている箱形は城にしかない。一般的にはこんな感じだ。


 頭に浮かんだのは、はしごを縦半分に切ったようなものが、ベルトコンベアのように上下に回っている。片足を掛け、片手で掴んで昇降する。上り用と下り用で一対になったそれは、女の人が利用するものではないらしい。スカートの中が丸見えだ。


『女は損だ』

──女性らしい格好でこんなところに出入りする者はいないだろう?


 女性の軍人はいないのかと思えば、諜報部隊には女の人もいるのだとか。まあそうだよな、とわかったような気になったところで、何かを話していた偉い人の声が止まった。


──つまり歓迎しますってことだ。


 思いっきり端折られた説明に思わず笑ったら、いかにも軍人っぽい体格の偉い人がなぜか嬉しそうな笑顔を返してきた。

 ちなみに堅苦しいほどかっちりしたソファーと言うよりは長椅子に座り、目の前には偉い人が跪き、その背後にはシリウスが立っている。すぐ目の前に肘掛け椅子があるのだから、座ってよ、と思うのものの、彼らは聖女と同格ではないので座ってはいけないらしい。

 ブルグレは肩の上で人の首にもたれて、ノワは猫サイズになって人の膝の上で丸まって寝ている。いい気なものだ。


──いま、風呂が大掃除されてる。あと少ししたら使えるそうだ。


 やった。ここには女性専用のお風呂などなく、時間ごとに男女別で入るらしい。

 ここに来る直前にこれでもかと脇汗をかいたから、一刻も早くお風呂に入りたい。




 あの箱檻生活にすっかり慣れてしまい、この世界ではお風呂に入らなくても汚れない気でいた。

 ノワの住処を出発することになり、ふと気になった顔のべたつき。ようやく顔を洗ってないことに気付き、一気に羞恥がこみ上げ、羽ヒョウに洗面所はどこかを訊けば、教えられたそこは、中央に盆栽みたいな小さな木が生えた小振りな噴水だった。氷水かと思うほどの冷水は、それまでお湯で顔を洗っていた軟弱な女子高生には厳しい。


 確かに肉体を持つものが長居できる場所じゃない。心底そう思った。ここにはお風呂もなければトイレすらない。霊果を食べている限りトイレに行かなくても済むらしくとも、その謎の実以外の食べ物が一切ない。

 手のひらのハンカチを外して噴水の中で洗い、よく絞り顔を拭く。直接顔を洗う気にもならないほど、きんきんに冷えた水が指先を凍らせるようだった。


 顔を拭いてこざっぱりしたところで、左手の異変に気付いた。

 触った感じも、動かした感じも、いままでと何も変わらない。傷痕が残ることは覚悟していたものの、想像以上にグロテスクな有り様だった。


 目にした瞬間、ぎょっとした。

 ひっ、と喉の奥がひきつれた。

 血の気が一気に引いた。


 手のひらの真ん中に血の珠が埋まっている。


 触ってみても血の珠に直接触れることはない。握り込んでも、噴水の淵に手のひらをついてもそこに何かがあるような感覚はない。

 それなのに、だ。間違いなく直径三センチほどの血の珠が手のひらの真ん中に半分ほど埋まっている。ホラーだ。

 あるはずのないものがある。気持ち悪いなんてもんじゃない。背中を嫌な汗が伝う。脇汗が凄まじい。


 慌ててみんなのいる場所に駆け戻り、泣きそうな思いで手のひらを見せたら、三者からもらえたのは最上級の哀れみの眼差しだけだった。






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